浄土真宗のご法義の三本柱
2020-10-30
浄土真宗は阿弥陀さまのご本願のお救いのご法義で
他力本願、悪人正機、往生浄土の三つの柱が根幹です。
阿弥陀仏の本願によって(他力本願)
どんな悪人も(悪人正機)
必ず阿弥陀仏の浄土に往生させていただき(往生浄土)
仏に成らせていただく教えです。
他力本願とは
本願成就の南無阿弥陀仏のおはたらきで
必ず救うというのです。
悪人正機とは
阿弥陀仏の救いのめあては悪人ということで
悪人とは阿弥陀さまがご覧になった
私のありのままのすがたなのです。
毎日自己中心に生きて煩悩の心をおこしては
悩み苦しみ迷いの境涯を経めぐっている
まさに救われようのない凡夫
煩悩具足の凡夫とこの私を見抜かれたのです。
往生浄土とは
どんな悪人もすべてのものを
南無阿弥陀仏のおはたらき一つで
お浄土に生まれさせ仏に成らせるというのです。
凡夫が仏に成る仏道です。
煩悩具足の身に阿弥陀さまのお心おはたらきが届いて
この私の口からナンマンダブツと
お念仏を申す身にさせていただくのです。
お念仏申す身のそのまんま
命終わる時にお浄土に生まれて
仏に成らせていただけるのです。
私たちは阿弥陀さまの大きなお慈悲の願いの中に
生かされて生きていると聞かせていただきます。
凡夫の私がそのまま仏に成らせていただくいのちを
今ここに生きているのです。
私一人だけではなく隣の人も隣の人もみんな
仏に成るいのちを今ここに生きているのです。
阿弥陀さまのお心おはたらきを共々に聞かせていただき
お念仏申してお浄土への仏道を
ご一緒に歩ませていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.10.30)
忘れものは何ですか?
2020-10-29
コロナ禍で毎年近くの公民館で行われる市民検診が
今年は校区の公民館でまとめてあるということで
昨日やっと鶴崎公民館で検診を受けることができました。
事前に予約し早々に書類を作って準備万端ということで
検診に行ったのですが忘れものをしてしまいました。
取りに帰るまでのものではなく検診は終わりましたが
その後でもう一つ検診を忘れていたのに気がついて
来月またその検診を受けに行くことになりました。
私事です。今に始まったことではない私の性分です。
早くから準備できることもその期限が迫らないとしない
ところがあって結果バタバタして結局は間に合うのですが
周りからみたら「何しよんの」ということが多々あります。
ただ前もって準備しておくと何か安心するのでしょうか
その当日大きな忘れものをすることが結構あるのです。
そんなことを思って私たちの人生の営み
この人生の最後の最期のことを思います。
人生の最期命終わる時に「しまった。何か忘れた」と
思ってもどうしようもないですよね。
ただ準備万端ということも中々難しいことです。
いつ命終わる時が来ても大丈夫という準備です。
私が仏法に遇うことを重ねて思います。
こんな人がいます。
もうお寺にお参りして仏法を聞いて分かった大丈夫と
もうお寺に用事がないから
お寺にはお参りしませんという人です。
お寺参りしていつも同じ話を聞くだけの
ことだからとでもいうのでしょうか。
自分が聞いたことを頼りにして
大丈夫準備はすでにできているということでしょうか。
念仏相続ということです。
私がお念仏相続すると私に力が入ることではありません。
お念仏相続のもとは阿弥陀さまのご本願です。
阿弥陀さまが迷いの世界に苦悩する私をめあてに
「まかせよ救う」と南無阿弥陀仏のおはたらきとなって
喚び続けてくださっているということなのです。
いつでもどこでも南無阿弥陀仏のお喚び声が
私に届けられて今こここの私の口から
お念仏が出てくださるのです。
阿弥陀さまがいつもご一緒くださる
南無阿弥陀仏のお心おはたらきがこの私に届いて
ご縁ご縁に阿弥陀さまの御前に身をはこび
お念仏を申させていただくのです。
阿弥陀さまのご本願を聞かせていただき
お念仏申す身にさせていただいて
人生の最後の最期命終わる時に忘れものはありません。
何も持ってはいけませんが
この身についた南無阿弥陀仏のおはたらき一つで
そのまま阿弥陀さまのお浄土にお参りさせていただきます。
お浄土参りに忘れものはありませんと
お念仏申す人生の日々の生活です。
お念仏のみ教えに遇ってお念仏申す身にさせていただき
安心してお浄土への人生を歩ませていただける
南無阿弥陀仏のおはたらき一つにまかせて救われる
浄土真宗のご法義の有難さです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.10.29)
植木を剪定していただきお寺がすっきり見違えるようです
2020-10-28
一昨日昨日と二日間業者さんに入っていただき
中庭と境内のすべての植木を選定していただきました。
見違えるようにすっきりしました。
山門からお寺に入ると本堂の右方に屋根とほぼ同じ高さの
中庭のもちの木が見えていたと思いますが
すっかり枝葉を落として
少し大きな枝が見えるほどになりました。
中庭の反対側から見ると本堂の屋根が隠れていたのが
大きく高く見えるようになりました。
最後に鐘楼を囲む槙の木を剪定していただきました。
葉が覆い茂っていた枝垂れ桜の木も
山法師もソテツも見事に散髪です。
皆さんは何か特別な時に散髪に行きませんか。
散髪してもらって髪を整え心も気分一新です。
気持ちも新たに始めようということです。
今はコロナ禍でステイホームが身につき
GO TO キャンペーンで人の動きも徐々に戻ってきましたが
まだ以前のようなことではありません。
コロナ後私たちの生活様式はかなり変わるでしょう。
そうしたなかにあっても私たちは日々生活しています。
気持ちだけでも日々新たに生活していきたいものです。
私たちの日々の生活はいのち毎日新しい生活です。
日々新たな気持ちでということですが
いのちそのものが一日一日新しいいのちなのです。
今日のいのちの朝一番に皆さんとご一緒に
お朝事のお勤めをさせていただける有難さです。
皆さんそれぞれの生活です。
今日も一日それぞれの生業に精を出して生活をされます。
生活ぶりはそれぞれ違いますが
こうして毎日毎朝阿弥陀さまの御前に座らせていただき
ご一緒にお念仏申し阿弥陀さまにお礼をして
今日の一日を始めさせていただきます。
日々いのち新たなお念仏申す生活です。
いつでもどこでも阿弥陀さまがご一緒してくださる
今日の日暮らしを共々にさせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.10.28)
有難いお念仏のご縁です
2020-10-27
一昨日昨日と墓じまいをされて
納骨堂にお遺骨を納めるご縁が二件続きました。
大変たくさんの方がお参りでした。
一件はご主人を早く亡くされた施主のお家のご縁です。
子どもさんお孫さんのご家族が10人以上お参りでした。
つい「今日はフルメンバーですね」と言いましたら
「二人孫が仕事で来てません」ということでした。
お父さんお爺ちゃんお一人のお遺骨です。
親子孫と命のつながりを実感します。
南無阿弥陀仏のお念仏のつながりです。
納骨壇はご本尊の阿弥陀さまのお仏壇なのです。
本堂はいつも開いていますから
どうぞご縁ご縁にお寺に納骨堂にお参りして
お父さんお爺ちゃんに会いに来てください
ナンマンダブツとお念仏申して仏さまにお礼してください
とお話しました。
これから何度もお参りに来られると思います。
お父さんお爺ちゃんに会いに来るんですね。
ご先祖から続く命のつながりのなかに
私たちにお念仏が伝えられてきたということなのです。
お念仏のご縁つながりです。
南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
私たちは共々に生かされて生きているのです。
ご縁という言葉も今は中々聞かなくなりましたが
昨日の朝ドラ『エール』で裕一が戦時中ビルマで会った
新聞社の記者と再会するシーンがありました。
その後で奥さんに「ご縁って何だろうね」と言ったのです。
ご縁がつながってとつながりという言葉もありました。
このドラマの脚本家は仏教に素養がある人かなと思います。
私たちは自分が一人で頑張って生きているようですが
みんなつながってあるというのが仏教の縁起の教えです。
善くも悪くもつながってあるのです。
だから自分の思い通りに善いことばかりで
つながってあるということではありません。
それこそ思い通りにならないこともつながってあるのです。
善いことも悪いことも全部ひっくるめて今の私なのです。
そしてこの私をそのまま丸ごと救うてくださる
阿弥陀さまの南無阿弥陀仏のおはたらきなのです。
だから安心して阿弥陀さまにおまかせできるのです。
善くも悪くもですが
善い思いをもってお念仏申して生きてまいりましょう。
みんなそれぞれ思いをもって生きていることも
阿弥陀さまはすべてお見通しでそのまま引き受けて
南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
私たちは互いに生かされて生きてあるのです。
お念仏申して一緒にお参りできるところが
一処という南無阿弥陀仏のご法義の有難さです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.10.27)
お家の中心お仏壇のまん真ん中に私たちのご本尊の阿弥陀如来さまをご安置させていただきます
2020-10-26
日曜日はご法事が多いのですが
昨日は朝から夕方まで5件のお参りがありました。
そのなかで施主のご事情で
他のお寺のご門徒のお家のお仏壇でご法事を勤めしました。
同じ浄土真宗のお仏壇ですが
お参りしてちょっとびっくりしました。
お仏壇の真ん中にご本尊の阿弥陀さまをご安置しますが
ご本尊の前に位牌が置かれててご本尊が隠れているのです。
円光寺のご門徒のお家でもそういうことがありました。
月参りをしていなくて年一回お盆参りをするお家でした。
お仏壇はご先祖をお祀りするところと
受け止めている方が一般的です。
テレビドラマで映し出されるお仏壇の光景がそうです。
お仏壇には決まって位牌と写真が置かれています。
皆さんのお気持ちは阿弥陀さまよりご先祖さまであり
お仏壇の真ん中に位牌を置く方が自然なのでしょう。
日頃からご本尊のお話をさせていただいているのですが
私たちの浄土真宗のご本尊は阿弥陀如来さまです。
阿弥陀さまを中心にしたお仏壇であり
私たち浄土真宗門徒の生活なのです。
お仏壇の中心は阿弥陀さまですから
お位牌は真ん中をさけて置いてくださいとお話しています。
昨日はご本尊がすっかり隠れていましたから
お位牌を下げて横に置いてお勤めをしました。
昨日は一件は納骨堂のお参りで
一件は新しいお家にお仏壇を移すお勤めと
五件ともそれぞれご縁は異なりますが
ご本尊の阿弥陀さまを中心にお勤めをします。
ナンマンダブツとお念仏申して阿弥陀さまに
お礼をさせていただきますが
そのままご先祖有縁の仏さまに
お礼をさせていただくことなのです。
今朝の御和讃は「南無阿弥陀仏を称うれば」で
始まる現世利益和讃です。
最後に「南無阿弥陀仏を称うれば十方無量の諸仏は
百重千重囲繞してよろこびまもりたもうなり」
といただきました。
十方無量の諸仏とはありとあらゆる世界の仏さま方です。
数を数えきれないほどの無量の仏さまです。
その諸仏方が百重にも千重にも私を取り囲んで護ると
それが仏さまの最大のよろこびであるというのです。
その諸仏方こそ私たちのご先祖有縁の仏さまなのです。
お父さんお母さんだけではありませんし
おじいちゃんおばあちゃんだけでもないのです。
この私のいのちを届けてくださった
無数のご先祖有縁の諸仏方が
南無阿弥陀仏と阿弥陀さまをほめたたえ
私を護ってくださるのです。
南無阿弥陀仏を称うればと
阿弥陀さまにお念仏申しお礼をさせていただくそのままが
ご先祖有縁の仏さま方にお礼をさせていただくことで
お念仏のご縁つながりの中に私たちの日々の営みがあると
この目には見えないけれども私を支えてくださる
大きな大きな南無阿弥陀仏のいのちのおはたらきがあると
聞かせていただきます。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.10.26)