仏さまのご縁でお仏壇がきれいにお荘厳されます
2020-12-05
今門徒報恩講のお参りをしています。
地区ごとに日を決めてお参りするのですが
お寺からの案内をよく見ていないのでしょう
昨日お参りしたお家で「明日じゃないのですか」と言われ
お仏壇にお参りしたらそのままのお仏壇でした。
平生日常の皆さんのお家のお仏壇はどうですか。
お寺からお参りがある日のお仏壇はどうですか。
お仏飯がお供えされお花もきれいにお荘厳されています。
あるご門徒さんが
「家で法事をするっていいことですね」と言われます。
家で法事をすると家が片付くというのです。
ご法事は何年に一度の大事なお客事です。
今は親戚縁者もよほどの大事がない限り
実家であっても家に出入りすることが少なくなりました。
何かあっても現地集合現地解散です。
お仏壇をご安置する仏間は今は殆ど用事がなくなりました。
法事が唯一お家の仏間でおこなうお客事です。
きれいに掃除しておかないと後で何を言われるのか
分からないという緊張感があります。
お寺からお参りする平生のご縁が月参りです。
お家のご先祖の月命日にお参りさせていただきます。
平生のお参りですがお仏壇をきれいにお飾りして
大切なお方のお命日を迎える心構えが大事です。
そして何より大事なことは
お坊さんにお経をあげてもらったらいいのではなく
そのご縁にご一緒に御仏前に座らせていただくことです。
仏さまからいただくご縁です。
御仏前に座ってお念仏申して
仏さまに御礼をさせていただきます。
仏法に遇ってお念仏申す身になってほしいとの
仏さまの願いを聞かせていただきましょう。
きれいにお荘厳されたお仏壇の御仏前に座り
お念仏申させていただくそのままが
南無阿弥陀仏の大きなおはたらきに生かされてあると
有難く味わわせていただきます。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.12.5)
コロナワクチンのこと
2020-12-04
新型コロナウイルスのワクチンが
イギリスで承認され接種が始まるという報道です。
昨年末中国で人への感染が確認され
瞬く間に世界中に広がり
世界保健機構がパンデミック世界的大流行を宣言し
今も全世界がコロナ禍にあります。
日本も今は第三波といわれ
東京大阪北海道愛知と人の移動が多い大都市を中心に
感染者数が連日高止まりの状況が続き
昨日大阪は独自に緊急事態の赤信号を出して
一層の注意を喚起しています。
いつになったらコロナ感染が収束するのか
その切り札がワクチンと治療薬の開発です。
世界中が待ち望むワクチンですが
開発には通常長い時間がかかると言われています。
感染防止に効果が有ることは勿論
副作用がないかと何度も慎重に治験を積み重ねて
認可ということになるのですが
世界は経済再生を睨んで一刻でも早くということです。
どんな副作用があるのか
どのくらいの副作用だったら容認できるのか
今は誰も全く分かりません。
全く健康な人の体に異物を混入するということですから
ワクチン接種を受けるかどうかは難しい判断です。
通常大方の人が接種しその結果を見てということですが
どのくらいの割合での副作用だったら容認されるのか
何十万何百万何千万人に一例でもあっても
どうなのでしょうか。
阿弥陀さまの南無阿弥陀仏のお救いの法は
十人は十人百人は百人ながらのお救いと
蓮如さまは御文章でお示しです。
阿弥陀さまのお慈悲は一人も漏らさないというのです。
この私一人を救うために長い間のご苦労があったと
お聞きかせいただきます。
千人のうち999人が救われたらいいのではありません。
救われない一人のためのお念仏のお救いなのです。
ワクチンは接種することで効力を発します。
お念仏のお救いの法は聞かせていただくことに尽きます。
お念仏の法に遇ってお念仏申す身になってくれよと
阿弥陀さまの願いおはたらきです。
煩悩具足のわが身にお念仏の法が行き届いて
凡夫の私の口からお念仏が出てくださるのです。
ワクチンのような異物ではありません。
お念仏のおはたらきで煩悩をもった凡夫の身が
そのまま救われていくのです。
お念仏申す身にさせていただきましょう。
お念仏申すそのままが
阿弥陀さまの大きなお慈悲のなかに摂取されてあるのです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.12.4)
将来役に立つ習い事は?
2020-12-03
テレビのクイズ番組で
「子どもにどんな習い事が将来役に立つか?」という
質問に対する答えを当てるコーナーがありました。
学習塾以外ということで1位が英会話2位がソロバンで
習字ピアノ水泳などがあがっていました。
自分がしていた習い事を含めて子どもへの期待です。
子どもの習い事は今は当たり前のようになっています。
学習塾の他に二つも三つもということも聞きますが
時間的にも経済的にもできる子どもはそうはいません。
親の期待を一身に押しつけているようでもあり
子どもには大きな負担になっているかもしれません。
私が子どもの頃は近くに学習塾はありませんでした。
ソロバンや習字の習い事はありましたが
わずかな子どもが行くぐらいで
大抵の子は学校から帰ったらランドセルを放り出して
友だちと遊びに行ったものです。
稲刈りが終わった田圃で野球をして
日が暮れるまで遊んだものです。
お寺の境内も結構な遊び場で
三角ベースで野球の真似事をしていました。
家の手伝いもしました。
親に言われるまま買い物や風呂焚きをしました。
習い事も遊び事も手伝いも
そのまま将来役に立つという話ではありませんが
小さい頃から積み重ねたいろんな経験が
今の私になっているということです。
学校の授業も理屈を言えば
英語を習って将来生かせる仕事に就くでもないし
数学の難しい公式を覚えたところで
それがそのまま生活に役立つとはいえません。
ただそれを無駄というのではなく
無駄と思うことも含めて今の私なのです。
自分の思い通りに全てがうまくいけばいいのですが
中々うまくいかなくて
ああやこうやと思い悩み後悔することも多々あります。
これまでの人生を振り返り
良くも悪くも全てを引き受けて今の私があるのです。
それは私だけではなく隣の人もそうだし
家族の者もみんなそうなのです。
阿弥陀さまは今の私をそのまますべて
受け入れてくれる仏さまに成ってくださいました。
自分の思い通りにならないお互いこの私を
そのまま受け入れてくださるのです。
ナンマンダブツとお念仏申すところ
「私がいるよ大丈夫だよ。
どんなことがあってもあなたを見捨てることはないから
大丈夫安心して
今のあなたのいのちを輝かせて一緒に生きて往こうね」
と喚んでくださる仏さまになってくださったのです。
これから先どのくらい人生の時間はあるでしょうか。
あれもしたいこれもしたいと思うこともあります。
そういうなかに今年も12月になり
この一年を振り返って何をしてきたのかなと思います。
コロナのせいで今までしてきたことも
新たに始めようと思っていたことも
時間ばかり過ぎて何もできなかったのではありません。
この一年しっかり生きてきました。
そして今ここに私が生きています。
今日もこうしてお朝事のご縁で皆さんご一緒に
阿弥陀さまの御尊前にお念仏申して
この一日を始めさせていただけます。
お念仏申す日々の営みの有難さです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.12.3)
お念仏の声が聞こえてきます
2020-12-02
コロナの感染対策で食事の時間もマスク着用で
食べる時だけマスクを外し会話はマスクを着けましょうと
呼びかけられています。
一々着けて外してと難しいことですが
外食の際お店のBGMの音量を小さくしましょうという
提案がありました。
BGMを小さくすることで会話の声が小さくなり
感染防止になるのではというのです。
中々気づかないことですがなるほどと思いました。
周りの音声が大きいとついつい大声になるという指摘です。
耳が遠い人は声も大きいといわれます。
テレビの音声が聞こえにくいとテレビの音量が大きくなり
そして声も大きくなるといいます。
コロナ禍で今年はスポーツの世界も大変でした
プロ野球は開幕が大幅に遅れ無観客試合で始まりました。
そのなかで新しい発見がありました。
ピッチャーが投げるボールがミットにおさまる捕球音や
バッターがボールをヒットする打撃音が聞こえてきます。
観客の声援や鐘太鼓の応援でかき消されていた
超一流の選手の躍動する音が聞こえることで
野球の醍醐味を見直したことです。
南無阿弥陀仏のお念仏の声を重ねて思います。
私たちの日常は幾多の音声が行き交う中の生活です。
朝から晩までテレビラジオなどの音声の中にあって
聞きたいものも聞きたくないどうでもいいものまでも
まさに騒音雑音の中に迷って私たちは生きています。
話を聞くことについても
自分にとって為になる心地よい話は聞けますが
逆に不都合な話不利益な話は聞こうとしません。
自己中心のものの見方で自分勝手に選別し
小さな私の世界に閉じこもって悩み苦しんでいると
阿弥陀さまはこの私を見抜かれ南無阿弥陀仏となって
大きな世界に生まれて来いよとおはたらきです。
阿弥陀さまはいつでもどこでもお念仏の声となって
私たちを喚び続けてくださっているのです。
「まかせよ救う」のお喚び声が私に届けられ
「おまかせします阿弥陀さま」と
私の口からお念仏が出てくださいます。
阿弥陀さまのお念仏の声が聞こえてきます。
聞こえたままが私の声となって
私の口からお念仏が出てくださるのです。
声に出してお念仏を申しましょう。
この耳に聞こえるぐらいの声でいいですから
声に出してお念仏を申しましょう。
南無阿弥陀仏のお心を聞かせていただきましょう。
お念仏の声が聞こえてくる私の口から
ナモアミダブツとお念仏が出てくださると
喜ばせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.12.2)
懐かしい人と御仏前で再会です
2020-12-01
12月に入りました。
一年最後の月です。
この一年を振り返って
今年はいつもよりも早く一年が経ったという感じです。
コロナ禍のなかで何もしないわけではありませんが
いつもの行事活動が大方中止になって本当に早いです。
12月に入って昨日から一気に寒くなりました。
師走です。
昨日から門徒報恩講のお参りが始まりました。
通常の月参りは新院がしていますので
報恩講はご門徒さんに久しぶりに会うご縁です。
ご法事や中陰のご縁は私がお参りしますが
ご門徒の親族有縁の方に初めて会うご縁にもなります。
先日七日日のご縁でお勤めの後でお茶をいただきながら
お参りの方から「藤並君、私のこと覚えている?」
と突然聞かれました。
同級生ということです。
えっと思ってあらためて顔を見ましたが
今は皆さんマスクをしていますからね
そして小中学校以来でもういい歳をとった者同士です。
急に言われて中々思い出せませんが
分かりませんでは失礼ですので
ちょっと待ってちょっと待って思い出すからと
色々と思いを巡らせ最後はあいうえお順に名前をあげて
やっと思い出してよかったです。
お仏事のご縁は仏さまのご縁です。
御仏前仏さまの御前でいただくご縁です。
仏さまが「ここに座れ」とおはたらきくださって
御仏前に私たちお互いが座り会わせていただきます。
まさに仏さまが取りもつ仏さまのご縁です。
懐かしい人と御仏前で再会です。
御仏前で昔の思い出話もいいですが
仏さまのお話をさせていただくご縁でもあります。
報恩講でお参りしたお家でご門徒さんと
普段の生活のお話をします。
お互いに歳を重ねて
御仏前でご一緒にお話ができる有難さです。
若い時分は次から次とお参りすることに忙しく
御仏前でゆっくりゆったり落ち着いて
お話をすることもあまりなかったと思います。
いよいよ歳を重ねて昔の友人知人に会いたいですね。
仏さまのご縁で会いたいですね。
いい歳になってこれまでの人生を振り返り
先のことを考えます。
この師走この一年を振り返る中に
御仏前で皆さんとゆっくりお話をしたいと思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.12.1)