灯りのともった本堂があたたかいです
2020-12-15
今日は夜中から冷たい風が吹いて寒いです。
6時の鐘を撞くのに昨日までとは違って
いよいよ寒くなり暗くなったと感じます。
鐘楼から大きな灯りがついた本堂を見ます。
灯りのともった本堂は寒くて暗い中にとても大変目立ちます。
本堂の灯りを見ると何かほっとします。
あたたかい気持ちになります。
昨日はカートリッジのろうそくの話をしました。
仏さまにお供えするお灯りに
智慧と慈悲のお徳おはたらきがあるということです。
一つは明るい光で仏さまの智慧のおはたらきです。
智慧の光明で私のありのままの姿を知らせてくださいます。
そしてお灯の温かさは仏さまのお慈悲のおはたらきです。
仏さまはあたたかいお慈悲のおはたらきで
この私をそのまま包み込んでくださるのです。
それこそフラフラふらっとどこに行くのか分からず
迷いの中に苦悩する私をありのままに知らせてくれて
そのまま抱き取ってご一緒くださる阿弥陀さまです。
ロウソクの光は日中太陽の光や夜も電気の光で
その光の有難さは分かりにくいですが
ロウソク一本の灯で真暗闇を照らし破ってくださいます。
そしてお灯りのあたたかさです。
ゆらゆらと炎を上げて揺れる様は暖炉の火を思います。
冷たい体をそのまま暖かく包み込んでくれます。
昨日電気のろうそくの話もしましたが
やっぱりこのお灯りがいいですね。
電気はまさに光のはたらきです。
お灯りが動いて私たちにぬくもりを届けてくださるのです。
智慧と慈悲のお徳を円かにそなえた南無阿弥陀仏となって
阿弥陀さまは私たちに「まかせよ救う」とおはたらきです。
お念仏申すところ一人であっても決して独りにはしないと
阿弥陀さまがご一緒なのです。
灯のともるお寺の本堂に私を待ってくれてる阿弥陀さまが
お念仏のお同行がいらっしゃいます。
どうぞ皆さんお朝事のご縁に
ご一緒させていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.12.15)
カートリッジのろうそくを使ってみます
2020-12-14
皆さん今日本堂に入られてすぐ気づかれたと思いますが
阿弥陀さまの前のロウソクを
新しくカートリッジのものにしました。
お朝事のお勤めをずっと毎日していて
ロウソクが日に日に短くなっていきます。
最後まで使い切るということまでいかなくて
短くなったロウソクがたくさん残ります。
再利用もできずそのままたまるばかりで
もったいないということです。
仏さまにお供えしたものを
ゴミに捨てるのはどうかなと思ったりして
同じようなことを思ってらっしゃるお寺さんが
他にも多くあるようで
そんな思いに応えてくれるように
ロウソクの本体を形どったものにお灯を付け替える
便利なものができたということです。
前々から仏壇店にも聞いていましたが
新しいものに変えるということには時間がかかります。
やっとこのたび試みにしてみることにしました。
見た感じちょっと違和感がありますね。
すっとまっすぐのびた洋式のロウソクの形と違って
和式の碇型のものです。
日本の昔からの和蝋燭の形で見栄えはいいのですが
碇が大きく中の付け替えのろうそくの炎が小さく隠れて
全体の大きさに比べたら貧素な感じです。
これも慣れですからどうぞ慣れてください。
お寺さんによっては電球のものもあります。
皆さんのお家のお仏壇にもそうしたものがあり
お灯の形の部分を押さえたら電気がつくという代物です。
これも火の用心にはいいですが
何か風情がありません。
やっぱりお灯りはゆらゆら揺れる炎ですね。
どんなことがあっても私を照らし護り続けるという
阿弥陀さまの智慧のおはたらきです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.12.14)
仏教壮年会の月に一度のご縁です
2020-12-13
今日は月の第二日曜日で
仏教壮年会の月例会のご縁です。
毎月お朝事のお勤めをさせていただき
境内の清掃奉仕とミーティングをします。
この一年はコロナコロナで明け暮れした日々でしたが
今もなお収束の兆しが見えず
感染者は連日過去最高を記録するようなことです。
コロナ禍の大変な状況にあって
私たちは日々移り変わる無常の世界を生きています。
これから一体どうなるのかわからない
不安な中に私たちは今を生きているということです。
大きな不安を抱え悩み苦しみ迷う私を見抜かれて
阿弥陀さまは必ず救うと本願念仏のお救いの法を成就され
南無阿弥陀仏と今ここにおはたらきです。
日々刻々と変わって行く中にも
真実変わらない南無阿弥陀仏のみ教えを
聞かせていただきます。
仏教壮年会のご縁で皆さん円光寺にお参りです。
阿弥陀さまの御前に座らせていただき
ご一緒にお正信偈さまのお勤めができました。
御文章さまを拝読させていただきました。
親鸞さま蓮如さまのお便りをいただき
南無阿弥陀仏のお心おはたらきを聞かせていただくなかに
今日の一日を始めさせていただける有難いご縁です。
壮年会の例会は今日で今年最後になりますが
まだまだ月日は残っています。
どうぞお寺のご縁ご縁にお参りいただき
お念仏申す生活を共々にさせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.12.13)
仏法僧の三宝がそろうお念仏のご縁です
2020-12-12
報恩講のお参りで「ごめんください」と声をかけますが
返事がなくそのままお仏壇のお部屋に入って行きます。
家の人の気配がしませんが
お盆にお布施が置いてあり留守ではないようです。
仏間から再度声をかけますが返事がなく
お鈴(りん)を家の人が気づいてくれるように
気持ちを込めて鳴らしてお勤めを始めました。
でもしばらくしても気配がしません。
何分か経ってやっと人の気配がして安心しました。
ご門徒のお家にお参りするのはお坊さんのつとめですが
お坊さんがお参りに来てお経を読んでくれたから
それでいいというものではありません。
お寺さんにお参りに来ていただくのです。
大事なことは皆さんもご一緒にお勤めすることなのです。
声に出してお経を読むことはできなくても
御仏前にご一緒に座らせていただくことが大事なのです。
わが家の仏壇といってもその御仏前に座るのは
平素は難しいのではありませんか。
仏間は食事をしたり日常家族が過ごすところではなく
同じ家の中でも普段は用事のない部屋になっていませんか。
その仏間に先祖の命日の月参りや報恩講ご法事のご縁で
御仏前にこの身を置かせていただくのです。
御仏前にお坊さんと一緒に座り
南無阿弥陀仏とお念仏申すことができるのです。
お念仏のご縁をいただくのです。
仏法に遇ってお念仏を申す身になってくれよという
仏さまの願いのままに
お念仏のご縁をお坊さんとご一緒させていただくのです。
お念仏申してこの人間界を生き抜いて
命終わる時にわが浄土に生まれて来いよという
南無阿弥陀仏のご法義に遇わせていただけるのが
月参り報恩講ご法事のご縁であり
今日のお朝事のご縁なのです。
仏法僧の三宝といいます。
仏とは阿弥陀さまお釈迦さまです。
法は南無阿弥陀仏の法み教えです。
僧というと僧侶と思うかもしれませんが
ご門徒皆さん私たちのことです。
仏があっても法があっても
そこに私がいなかったら何のための仏法でしょうか。
こうしてお朝事のお勤めをさせていただけるのも
皆さんが御仏前にお参りいただくからです。
仏法僧の三宝がそろったお念仏のご縁を
毎日皆さんご一緒にいただけることを有難く思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.12.12)
鳥インフルエンザの感染が深刻です
2020-12-11
佐伯市の宇目で鳥インフルエンザの感染が確認されて
鶏舎の鳥5万5千羽全てが殺処分されたということです。
11月に入って各県で鳥インフルエンザの感染が広がり
これが7県目ということです。
宮崎県で東国原知事の時
牛が口蹄疫で殺処分されたニュースを
映像とともに思い出します。
大きな穴を重機で掘ってそこに埋めるのです。
大変衝撃的でした。
殺処分というのは感染を完璧に断つことを目的に
感染していない鳥も全て殺処分されるのです。
感染経路を断つ最終的な手段です。
5万5千羽の鳥です。
その一羽一羽にそれぞれいのちがあると
見てくださるのが阿弥陀さまのお慈悲です。
人間だけではなく生きとし生けるものすべてに
お慈悲の心をかけて必ず救うとおはたらきです。
今私たちはコロナ禍というコロナ感染の最中にあります。
ここ数週間で全国的に感染者数が増えてきて
大分県も連日過去最多を更新し続けています。
ただ第一波の3月4月頃の緊張感とはちょっと違います。
経済回復をとGOTOトラベルは継続されたままです。
感染防止と経済回復という相反するものを
同時に求めることの難しさです。
今は感染が収束する方向にいってほしいと思います。
そのために私ができることです。
コロナ感染を完璧に断ち切ることはできません。
コロナウイルスはこれからも生き続けます。
共生です。
共に生きるということです。
人間だけではなく生きとし生けるすべてのものを
必ず救う漏らさず救う取り残すものは一つもないという
阿弥陀さまの願いを聞かせていただき
感染防止のために私ができる精いっぱいのことを
日々の生活の中でさせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.12.11)