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お念仏を申す生活法話

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信長と光秀

2020-10-19
 日の出が遅くなり朝が急に暗くなった感じです。
毎朝6時前にお仏飯をお供えに本堂に参りますが
今朝は暗くて廊下の電気をつけました。
 6時の梵鐘を撞きに外に出ますと
境内の外灯が光り輝いています。
 薄明るい中ではあまり目立ちませんが
暗くなればなるほど輝きが増してきます。
 煩悩を抱えた暗い心の身をそのまま照らしてくださる
阿弥陀さまの智慧の光明を有難く思います。
 
 昨日久しぶりに大河ドラマ『麒麟がくる』を観ました。
いよいよ織田信長と明智光秀の関係が
クローズアップされてきます。
 
 将軍が住まいする二条城築城の場面です。
城の石垣に信長は石仏の石を使うことを命じます。
 そのことに違和感を覚える光秀の思いを察してか
信長は幼い頃仏像を倒して母親にひどく叱られ
「仏の罰が当たると脅されたが何も起こらなかった」と
笑いながら石仏の頭を叩いて光秀に言うのです。
 
 石仏といって同じただの石ではないか
その石で城の石垣をつくって何が悪いということです。
 信長と光秀のものの見方考え方のズレです。
それも殊仏さまについてです。
 
 信長がめざすのは戦国の世の天下統一です。
その目的に抵抗する者は仏でさえも力でねじ伏せる
比叡山の焼き討ちであり本願寺との石山合戦です。
 
 本能寺の変で信長を討った光秀の心層は謎ですが
信長に対する光秀の不信感の表れをみるシーンでした。
 
 石仏野の仏です。
食べることさえかなわない世の人々の日暮らしにあって
仏に祈り願うことは誰もが許されることでしょう。
 そのささやかな心をも踏みにじるようなことは
どんな権力者でも許されません。
 
 時代は移り変わっても
人が織りなす生活は思い通りにはいきません。
 迷いの世を生きる人々の苦悩は
今も昔も変わりません。
 
 今日も皆さんこうして御仏前に座らせていただき
ご一緒にお勤めができ手が合わさって
お念仏申して阿弥陀さまにお礼ができました。
 
 苦悩の凡夫この私をいつも思いとり
必ず救うまかせよと南無阿弥陀仏のおはたらきに
生かされて今日も一日お念仏申して生きていける
身のしあわせを有難く思います。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.10.19)

満中陰のご縁です

2020-10-18
 急に寒くなりました。
夜中に目が覚めて毛布を一枚出しました。
 輪袈裟も気になっていましたが
冬の輪袈裟に変えました。
 日々の移ろいのなかに
日暮しさせていただいていることです。
 
 昨日今日と満中陰のご縁が続きます。
お葬儀のご縁でご往生から四十九日間
毎週七日七日にお勤めをさせていただきます。
 悲しいご縁ですが
先に往かれた仏さまからいただいたご縁です。
 一つ一つ大切に丁寧に
お勤めさせていただきましょうと申し上げます。
 
 ご遺族ご家族ご親族の方がお参りです。
ご一緒にお勤めをしご法話をさせていただきます。
 先に往かれたお方を偲ぶといいます。
訪ねていくのです。
 これまでご一緒してくださった人生の日々を
訪ねて行く振り返るということです。
 もう一つは先に往かれたお方が往ってらっしゃる
阿弥陀さまのお浄土を訪ねていくのです。
 
 南無阿弥陀仏のおはたらきで
お浄土から私たちの迷いの世に還って来て
私たちを護り救うというお心を聞かせていただきます。
 
 大切なお方とお別れする悲しいご縁ですが
死んだらしまいのいのちではなく
南無阿弥陀仏の無量のいのちとなって
これからもずっとずっとご一緒してくださる
仏さまになってくださったと
悲しいご縁をそのまま仏さまのご縁といただきましょうと
お取り次ぎさせていただきます。
 
 満中陰四十九日のご縁は大きな節目のご縁です。
中陰の間お仏間にご安置していたお遺骨を納骨します。
 お仏間は普段の仏間に戻ります。
これからも日々の日暮らしの中に
南無阿弥陀仏のおはたらきとなっていつでもどこでも
私にご一緒してくださる大切なお方の仏さまです。
 
 日々の生活の中で先に往かれたお方を思うとき
南無阿弥陀仏とお念仏申させていただきましょう。
 南無阿弥陀仏の声となって
「いつも私が一緒だよ
どんなことがあってもあなたと一緒だから安心して
あなたのいのちを精いっぱい輝かせて生きて往こうね」と
仏さまが喚んでくださっています。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.10.18)

私たちのお寺があることの安心です

2020-10-17
 お寺と初めてのご縁の方のお葬儀が続きます。
お仏壇もお墓もないということで
お葬儀の後で色々とご相談させていただくことになります。
 
 仏さまのご縁といって初めてのことで
仏事についてどうしていいかわからないといわれます。
 何か分からないことがあったら聞いてくださいというと
何を聞いていいのかわかりませんという返事です。
 
 大切な人との悲しいお別れのご縁で心の整理がつかず
何をするにも手がつかない難しいことはよくわかります。
 一つ一つ分からないことは何でも聞いて
ご一緒に相談していきましょうと申し上げます。
 
 お話をし又聞くなかで
それぞれのお家の事情が違うことがわかります。
 
 日頃からお寺とご門徒の関係があるお家でしたら
お仏壇やお墓があることは当然のことのようですが
お仏壇やお墓がない状況でこれからのことを考えたら
なお一層不安になるということです。
 
 お寺でできることは限られています。
お寺の納骨堂も墓地もありますからお墓の相談に乗れます。
お仏壇も頼まれれば仏壇屋さんを照会することはできます。
 ただ最終的にはそのお家の施主の方が決めることです。
何をどう決めるのか悩む迷うところです。
 
 家族や親戚の方にも相談することでしょうが
仏事のご相談はまずお寺にしてくださいと言います。
 葬儀社や仏壇店石材店と
それぞれ専門の業者さんもいますし
お仏壇やお墓仏事に関する書籍もたくさん出ています。
今はネットで検索すれば色んな情報が即座に入ってきます。
 
 ただどこまでも情報です。
また情報が多すぎてかえって迷ってしまうことが
あるのではないでしょうか。
 ネットもいいですが最終的にはお寺に相談して
決めてくださいということです。
 
 仏事の相談はお寺を一番頼りにしていただきたいのです。
日頃から相談できるご縁のあるお寺があることの安心です。
 お寺に相談するといって住職に相談するのですが
ご本尊の阿弥陀さまに安心するのです。
 阿弥陀さまのお救いの法お念仏のご法義です。
どんなことがあっても変わらない真実まことの法です。
 
 人は変わって行きます。
お家の事情もそれぞれ違って変わって行きます。
 阿弥陀さまのお心を聞かせていただいて
個々のお家お家それぞれの事情に応じて
どんなことができるのかお寺から提案させていただきます。
 
 お寺に安心しておまかせください。
私たちのお寺です。
私たちのお寺があることの安心です。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.10.17)

聞薫習のお心です

2020-10-16
 毎朝本堂外陣の香炉でお線香を焚いています。
ずっと焚いていると薫りが残ります。
 いつも薫りを気にすることではありませんが
時どきいい薫りがします。
芳しい香の薫りです。
 
 聞法を重ねてお念仏よろこぶ深い心もちになることを
「聞薫習(もんくんじゅう)」のお経の言葉にいただきます。
 薫習とは良い香りの中に過ごすと自然に良い薫りが
身にしみついてくるという意味です。
 
 お念仏申す生活の中に過ごすと
自然に仏さまのお心が身についてくださるようです。
 私がどうこうしようというのではなく
阿弥陀さまのお心おはたらきが身についてくださるのです。
 
 仏さまのご縁に遇ってお念仏申す身になってくれよと
南無阿弥陀仏のおはたらきです。
 
 仏さまのご縁に遇って
仏法聴聞して知識を身につけることではありません。
 仏さまのご縁に遇うとは
この私が阿弥陀さまの御仏前に身を置くということです。
 
 お朝事参りの皆さんはそのことが毎日できています。
南無阿弥陀仏の「まかせよ救う」のおはたらきに
この身そのまままかせてお念仏申す身にさせていただきます。
 
 御仏前に身を置いてお念仏の芳香が身に沁みこむのです。
周りの人にお念仏の薫りが行き渡ります。
 
 仏さまのご縁でこの身を御仏前にはこばせてくださり
南無阿弥陀仏のおはたらきがこの身に満ち満ちて
ナンマンダブツとお念仏を申す身にさせていただく肝要です。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.10.16)

南無阿弥陀仏の軒に雨宿りです

2020-10-15
 最近近くにモダンな家を見かけるようになりました。
小さな窓の箱型の造りで昔のような軒がありません。
 
 家の軒です。
にわか雨にあって傘がなく
知らない家の軒下に駆け込んで雨宿りをします。
 テレビのドラマやコマーシャルでそんな光景を観て
ロマンチックを感じたことがありませんか。
 さだまさしさんの「雨宿り」という歌を思い出します。
雨にあって軒に入った見知らぬ二人が出会い
再会して交際を始め結婚して家庭をもつというお話です。
 
 偶々急な雨にあってすぐ近くの軒下に入って
偶々そこで人と出会い少しの間話もできたということです。
 
 昨日の新聞のコラムに
軒のある家を見かけることが少なくなったが
街中に人が少しの間立ち寄り出会い憩う場所
駅の待合室や公園のベンチのような所が
今はどこにあるのだろうかと書かれていました。
 
 ふらっと立ち寄れる所です。
お寺のことと重ねて思います。
 お寺は敷居が高くバリアがいっぱいで
入りにくいというお話です。
 
 この前はお寺にはいつも同じ人ばかりがお参りして
初めてお参りする人は相当な決心がいるという話でしたが
お寺は構造的にもお参りしにくい所になっています。
 円光寺も本堂に入る前に階段があります。
あんのん館はちょっと離れて一戸建てでフラットですから
本堂より少しは入りやすいかなと思いますが
部屋の中に入るということが
大きなバリア障害になっているのではないでしょうか。
 
 お寺の境内です。
円光寺は一年中山門その他の出入口を開放しています。
 山門は開閉するのが本当でしょうが開けていますので
いつでも境内に入ることができます。
 入ることはできてもどこかにベンチのような
腰かけて座る場所があるといいなと思います。
 
 お寺の軒です。
お寺には大屋根がありますから
ちょっとした大雨でも対処できそうです。
 実はお寺には元々軒のような場所があったのです。
それがお寺のお縁です。
 
 皆さんの家の縁側です。
今の家には軒もそうですが縁側も見かけなくなりました。
 隣近所の人が家の玄関から入るのではなく
縁側に腰かけて家の人と話ができるお茶が飲める所です。
 
 円光寺もお縁がなくなりました。
お縁のあるお寺にお参りしますと本堂の中に入らなくても
周囲のお縁に腰かけてゆっくり時間を過ごせます。
 雨宿りもいいですが暑い夏の日にお縁に座っていると
涼しい風が吹いてきて何とも贅沢な風情です。
 
 コラムの最後に
「人には雨宿りをする軒が必要です。
それがあってこそ、また晴れた空の下に
踏み出して行けるのです」とありました。
 
 お寺で雨宿りです。
南無阿弥陀仏の軒に雨宿りです。
 私のことをいつも思うてくださる
阿弥陀さまの大きなお心おはたらきをいただいて
今日もお念仏申して生きていけるのです。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.10.15)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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