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お念仏を申す生活法話

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大阪都構想の住民投票から思うこと

2020-11-02
 昨日は大阪都構想の賛否を問う住民投票があって
夜遅くまで開票速報をみていました。
 5年前も同じ住民投票があり
その時も今回も僅差で反対という民意が示されました。
 
 都構想といってよくわからないことが多いのですが
賛成か反対かということははっきりしています。
 言い方は悪いですがよくわからない有権者のなかには
松井さんが吉村さんが良いと賛成票を入れた人もいれば
逆にあの人は駄目と反対票を入れた人もあったと思います。
 
 大きな改革といわれて何がどう具体的に変わるのか
私たちの生活にどんな変化が起こるのか
政治行政の最前線に立つ人の声は大きくても
もう一つ今の私の問題になっていない人が
殆どなのではないでしょうか。
 
 そして私たちは基本的に変わりたくないのです。
今まで通り前例踏襲に安心するところがあります。
 ただ今のコロナ禍はそうした安心を根こそぎ揺るがせ
これまで経験したことがない生活に余儀なく変えました。
 
 私たち個々の生活状況はそれぞれ違います。
変えたい変わりたいと思うこともありますが
そこは相当な決断を要し躊躇するところです。
 
 今回の都構想の推進派の問題提起が
行政の無駄ということでした。
 維新の会の初代代表の橋下さんは
大阪市長になって有言実行しました。
 行政サービスの無駄を省き職員カットを断行しました。
結果できたお金を他の用途に使い評価された面もあれば
切り捨てられた人の恨みをかうこともあって
この10年間大阪ではすごい変化が起きていたのです。
 
 5年前は橋本さんが敗北の責任を取って辞めました。
今回松井さんも任期満了の政界引退を表明しています。
 住民投票で示された民意を尊重するという
民主主義の政治家の覚悟です。
 
 さて私たちの生活です。
実は日々変わっているのです。
 私が変わろうとして変わるのではなく
私が生きていること自体が変わるということなのです。
 
 仏教の諸行無常の教えです。
この世のすべての事象は一つとして常なるものはない
すべてが変わって行くという真理です。
 
 諸行無常の世にあって私も変わって行かねばなりません。
今をどう生きるかが問われます。
 何を依りどころに生きるのかという課題です。
自分の気の向くままに思い通りに生きれたらよいのですが
これがままならない思い通りにいかないのです。
 
 お釈迦さまは真実変わらない仏教を明かし
阿弥陀さまのご本願を依りどころに生きよと
お念仏の救いの法をお示しくださいました。
 阿弥陀さまは迷いの世界に苦悩する私を見抜かれて
そのまま救うと南無阿弥陀仏とおはたらきなのです。
 
 南無阿弥陀仏を依りどころに生きて
迷うことがあればお念仏申して仏さまに相談しなさいと
先人が伝えてくださっています。
 お念仏でこの世の課題が解決することではありません。
お念仏にまかせて相談するあなたに阿弥陀さまは
「どんなことがあっても決してあなたを見捨てない
いつも私が一緒だから安心して生きて往こう」
とおはたらきくださるのです。
 
 阿弥陀さまの大きなお慈悲の中に共々に
生かされて生きる安心があると味わわせていただきます。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.11.2)

今日も前住職と一緒にお朝事のお勤めをさせていただきます

2020-11-01
 11月に入りました。
今日11月1日は前住職の祥月命日です。
 
 21年前の平成11年11月1日の朝でした。
お朝事のお勤めを始めようと喚鐘をつこうとしていた時に
母が庫裡から飛ぶように走ってきて
父がお世話になっている病院からの電話で
父が亡くなったという連絡があったと言うのです。
 後のことはお朝事の皆さんにまかせて
すぐ母と病院に向かったことを思い出します。
 
 昨日遺影を余間に安置させていただきました。
変わりませんね。
 元気な父のそのまんまです。
父の声がいまにも聞こえてきそうです。
 
 74歳でした。
まだ若かったですね。
 そろそろ住職を継職する話もあったなかで
いよいよこれから何かしたいことも
あったのではないかと思います。
 
 今いつものように皆さんと
お朝事のお勤めをするなかで
前住職も一緒にお勤めをしてくれているように思います。
今日だけではなくこれまでもそうだったし
これからもそうです。
 
 お念仏のご法義は
死んだらおしまいのご法義ではありません。
 人の命は終えますが南無阿弥陀仏のおはたらきで
そのままお浄土の仏さまと成らせていただき
遠い遠い世界に行きっ放しではなくて
いつでもどこでも南無阿弥陀仏となって
私たちのところに還って来て
私たちを護り救うというおはたらきを
してくださっていると聞かせていただきます。
 
 今日も私たちを見守ってくださってあると思いつつ
お朝事のお勤めをご一緒にさせていただいたことです。
 
 今日は10時から祥月命日のお勤めをします。
どうぞお参りしてください。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.11.1)

東京からご法事のご縁にお寺にお参りされました

2020-10-31
 昨日本堂でご法事のお勤めをしました。
施主のお家は大分にあるのですが
東京にお住まいの方で何度か電話があって
法事をしたいのですがこういう事情ですから
というご相談でした。
 
 コロナ禍という事情です。
一か月ほど前に日時等を決めて
東京から帰ってみえてお寺でのご法事になりました。
 
 お勤めの後で少しお話をしました。
マスクを着けても何か遠慮がちに
今東京の人はどこでも敬遠されるのですが
大丈夫ですかときかれて
いやそんなことはありませんよとこたえました。
 
 確かに東京は感染者が依然として多く
連日100人200人と横ばい状態が続いています。
 ただ東京都の人口は他の道府県に比べて多く
人の動きもかなりあって
東京ならではの事情があるということです。
 
 日本各地でそれぞれの事情が異なるということで
要は私ができる感染対策を各自がしっかりすることで
ステイホームでずっと家で
じっとしていくわけにはいかないのです。
 コロナ禍の中も私たちは生きていますし
生活をしていかなければなりません。
 
 そうした困難な状況の中で
ようこそご法事をお勤めしましたと申しました。
 飛行機で帰ってこられたといいます。
飛行機も空港の様子も以前とは全く違うということで
東京の生活も随分変わりましたというお話でした。
 
 コロナ禍で新しい生活様式が言われ
コロナ収束後も生活はすっかり変わることでしょう。
 
 今日で10月も終わり明日から11月です。
この一年例年以上にあっという間でした。
 一体この一年何をしてきたのだろうかと振り返って
いつものことはできないことが多かったけれども
しっかり生きてきました。
 
 その日々の生活の中で仏事のご縁です。
今日のお朝事もそうですが
仏さまのご縁は仏さまからいただくものです。
 コロナ禍で法事は家族や近隣の親族だけのご縁になり
県外遠方の方のお参りは殆どありません。
 お葬式もそうです。
 
 ご法事やお葬儀のあり方が変わりました。
ではコロナ収束後に元に戻るかというと
これまでの仏事のあり方が変わると思います。
 
 ただ仏さまのご縁をいただくことに
変わりはありません。
 ここは仏事のあり方を工夫して変えるチャンスです。
 
 世の中のことは全てコロナだからではなく
常に変わって行くのです。
私も変わっていきます。
 大事なことは諸行無常のただ中にあって
真実変わらないお念仏のご縁につながった
私たちだということです。
 お念仏を申すなかに今日の生業があります。
私にできることを精いっぱいさせていただきましょう。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.10.31)

浄土真宗のご法義の三本柱

2020-10-30
 浄土真宗は阿弥陀さまのご本願のお救いのご法義で
他力本願、悪人正機、往生浄土の三つの柱が根幹です。
 
 阿弥陀仏の本願によって(他力本願)
どんな悪人も(悪人正機)
必ず阿弥陀仏の浄土に往生させていただき(往生浄土)
仏に成らせていただく教えです。
 
 他力本願とは
本願成就の南無阿弥陀仏のおはたらきで
必ず救うというのです。
 
 悪人正機とは
阿弥陀仏の救いのめあては悪人ということで
悪人とは阿弥陀さまがご覧になった
私のありのままのすがたなのです。
 毎日自己中心に生きて煩悩の心をおこしては
悩み苦しみ迷いの境涯を経めぐっている
まさに救われようのない凡夫
煩悩具足の凡夫とこの私を見抜かれたのです。
 
 往生浄土とは
どんな悪人もすべてのものを
南無阿弥陀仏のおはたらき一つで
お浄土に生まれさせ仏に成らせるというのです。
 
 凡夫が仏に成る仏道です。
煩悩具足の身に阿弥陀さまのお心おはたらきが届いて
この私の口からナンマンダブツと
お念仏を申す身にさせていただくのです。
 お念仏申す身のそのまんま
命終わる時にお浄土に生まれて
仏に成らせていただけるのです。
 
 私たちは阿弥陀さまの大きなお慈悲の願いの中に
生かされて生きていると聞かせていただきます。
 凡夫の私がそのまま仏に成らせていただくいのちを
今ここに生きているのです。
 
 私一人だけではなく隣の人も隣の人もみんな
仏に成るいのちを今ここに生きているのです。
 阿弥陀さまのお心おはたらきを共々に聞かせていただき
お念仏申してお浄土への仏道を
ご一緒に歩ませていただきましょう。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.10.30)

忘れものは何ですか?

2020-10-29
 コロナ禍で毎年近くの公民館で行われる市民検診が
今年は校区の公民館でまとめてあるということで
昨日やっと鶴崎公民館で検診を受けることができました。
 
 事前に予約し早々に書類を作って準備万端ということで
検診に行ったのですが忘れものをしてしまいました。
 取りに帰るまでのものではなく検診は終わりましたが
その後でもう一つ検診を忘れていたのに気がついて
来月またその検診を受けに行くことになりました。
 
 私事です。今に始まったことではない私の性分です。
早くから準備できることもその期限が迫らないとしない
ところがあって結果バタバタして結局は間に合うのですが
周りからみたら「何しよんの」ということが多々あります。
 ただ前もって準備しておくと何か安心するのでしょうか
その当日大きな忘れものをすることが結構あるのです。
 
 そんなことを思って私たちの人生の営み
この人生の最後の最期のことを思います。
 人生の最期命終わる時に「しまった。何か忘れた」と
思ってもどうしようもないですよね。
 ただ準備万端ということも中々難しいことです。
いつ命終わる時が来ても大丈夫という準備です。
 
 私が仏法に遇うことを重ねて思います。
こんな人がいます。
 もうお寺にお参りして仏法を聞いて分かった大丈夫と
もうお寺に用事がないから
お寺にはお参りしませんという人です。
 お寺参りしていつも同じ話を聞くだけの
ことだからとでもいうのでしょうか。
 自分が聞いたことを頼りにして
大丈夫準備はすでにできているということでしょうか。
 
 念仏相続ということです。
私がお念仏相続すると私に力が入ることではありません。
 お念仏相続のもとは阿弥陀さまのご本願です。
阿弥陀さまが迷いの世界に苦悩する私をめあてに
「まかせよ救う」と南無阿弥陀仏のおはたらきとなって
喚び続けてくださっているということなのです。
 
 いつでもどこでも南無阿弥陀仏のお喚び声が
私に届けられて今こここの私の口から
お念仏が出てくださるのです。
 阿弥陀さまがいつもご一緒くださる
南無阿弥陀仏のお心おはたらきがこの私に届いて
ご縁ご縁に阿弥陀さまの御前に身をはこび
お念仏を申させていただくのです。
 
 阿弥陀さまのご本願を聞かせていただき
お念仏申す身にさせていただいて
人生の最後の最期命終わる時に忘れものはありません。
 何も持ってはいけませんが
この身についた南無阿弥陀仏のおはたらき一つで
そのまま阿弥陀さまのお浄土にお参りさせていただきます。
 
 お浄土参りに忘れものはありませんと
お念仏申す人生の日々の生活です。
 お念仏のみ教えに遇ってお念仏申す身にさせていただき
安心してお浄土への人生を歩ませていただける
南無阿弥陀仏のおはたらき一つにまかせて救われる
浄土真宗のご法義の有難さです。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.10.29)
円光寺
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