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お念仏を申す生活法話

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お念仏のご縁をいただけよ

2020-11-10
 仏教は縁起の理法を根本とする教えです。
縁起とは縁によって起こるということで
物事は必ず何らかの原因(因)があり条件(縁)があって
生じ存在しているという普遍的な原理です。
 
 ご縁をいただくといいます。
ご縁は私がつくるものではありません。
 私たちはいろんな思い願いをもって生きています。
自分はこうありたいと思い
他者にはこうあってほしいと願います。
 自己中心の一方的な思い願いですが
中々思い通りにはいきません。
 
 自分の都合に善いご縁も悪いご縁もあって
今こここの私を生きているのです。
 自分の思い通りにならなくて
悔しくて情けなくて悩み苦しみ
迷いの中に彷徨うこの私をこそ救わずにはおかないと
阿弥陀さまはご本願をお立てになり成就して
必ず救うまかせよと南無阿弥陀仏のおはたらきを
してくださっているのです。
 
 ご縁をいただくとは仏さまのご縁
南無阿弥陀仏のいのちのおはたらきをいただくことです。
 お念仏のご縁をいただいて今こここの私を生きています。
ご縁をいただくなかに色んなことがあったけれども
これからも色んなことがあるけれども
私たちは南無阿弥陀仏のいのちのおはたらきのなかに
生かされて生きて往ける安心をいただくのです。
 
 親鸞聖人のお言葉に「縁」という言葉が
様々にたくさん出てまいりますが
「偶(たまたま)行信(ぎょうしん)を獲ば、遠く宿縁を慶べ」
との仰せです。
 生まれ難い人間に生まれ遇い難き仏法に遇って
今お念仏のご縁をいただいたことを心から慶ばれています。
 
 何であの人のように生きることができないのか
ああすればこうすればよかったというのではありません。
 南無阿弥陀仏の大きないのちのおはたらきのなかに
どんな時も何があっても生かされて
今こここの私を生きて往ける身の有難さを思います。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.11.10)

お寺とご門徒さんのお念仏のご縁つながりです

2020-11-09
 昨日別府でご法事があってその後のお勤めのお家に予め
別府のお参りで時間が多少前後しますと言っていました。
お勤めの後別府までお参りするのですかと聞かれました。
お寺の周辺だけでなく別府や大分鶴崎にもご門徒があって
今は三佐地区より数的には多くなりました。
 
 ご先祖が元々三佐に住まわれていたご門徒の方です。
お寺と門徒の関係は江戸時代寺請制度で決められたもので
三佐は岡藩の飛び地領地でした。
 周囲の家島は臼杵藩、鶴崎は肥後藩、大分は府内藩で
藩同士の交流住民の行き来はなく三佐の中の生活でした。
 
 明治以降といってもつい最近戦後のことになりますが
生活圏が自由に広がり三佐地区外の鶴崎や大分に
引っ越される方が多くなり子や孫も他所に出て
お寺とご門徒との関係が距離的に遠く離れて
ご門徒さんとのつながりが薄くなってきました。
 
 今は車社会ですから大抵のご門徒のお家に
別府大分の遠方でもお参りに行けます。
 ただ過疎の集落のお寺になると事情が違ってきます。
周囲のご門徒が減っていく一方です。
 町部へのお参りもできないことはありませんが
日常の法務は思うようにできません。
 
 一方で住いの近くに同じ浄土真宗のお寺があっても
昔からのお寺さんとのつながりを大事に思うのです。
 大きないのちのつながりの中に
生かされて生きているということです。
 
 歳を重ねるなかにいのちのつながりの有難さを
強く思うようになります。
 お寺のご縁はいのちの古里を訪ねるご縁つながりです。
私が生まれてからのご縁ではありません。
 私が生まれる以前のずっとずっとずっと昔から
会ったことがない名前も知らないご先祖の方々がいて
この私のいのちがつながってあるのです。
 
 私がどうこう思うのでなく確かにつながってあるのです。
お念仏のご縁つながりといただきます。
 南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
生かされて安心して生きることができるのです。
 
 お念仏のご縁つながりのなかに日々の生活です。
ナモアミダブツとお念仏を申すつつ今日も一日
日暮らしをさせていただける有難さを思います。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.11.9)

「往生際が悪い」って何だ!

2020-11-08
 アメリカの大統領選挙がまだ決着がつかないなかで
テレビの情報番組で一日中選挙の話でもちきりです。
 いろんなコメンテーターが出演して
自分なりの意見を言っています。
 
 選挙前からどちらが勝つか自分なりの予想です。
圧倒的に民主党のバイデンさんでした。
 開票後トランプさんの優勢が伝えられると
バイデン勝利を声高に予想したコメンテーターが
頭を抱え込むように声が小さくなり
一方前回4年前の選挙でトランプ勝利を的中させ
今回も圧倒的な逆風の中トランプ勝利を予想した
大物コメンテーターが周囲から急に持ち上げられ
これ見たことかと鼻高々でした。
 ところが次の日になるとバイデンさんの票が伸びて
形勢が逆転したのです。
 
 面白かったのはコメンテーター同士の言い争いです。
大勢のバイデン派が畳みかけるように攻勢に転じます。
 形勢が悪い中で一方的に勝利宣言をし
自分に不利な選挙区には不正があった裁判に訴えると
会見しツイートを続けるトランプさんに対して
「往生際が悪い」と発言したのです。
 これに早速トランプ派の大物が
「元々アメリカ人は往生際が悪いのだ」
と言い返したのです。
 
 往生際が悪いどうこうとの言い合いです。
他国の選挙の自分の勝手な予想です。
 最後に得票を集計して多い方が勝つのが選挙であり
予想の当り外れは選挙には何の意味をもたないのです。
「往生際が悪い」とは一体誰のことなのでしょうか。
 
 ただ往生際が悪いと聞いてちょっと見過ごせません。
往生という言葉は浄土真宗のご法義で大切だからです。
 往生浄土は他力本願、悪人正機とならぶ
ご法義の三本柱の一つです。
 阿弥陀さまのご本願のおはたらきでどんな人も
阿弥陀さまの浄土に往き生まれて仏に成る教えが
浄土真宗なのです。
 
 往生という言葉は日頃あまり使いませんが
往生したというと困った死んだという意味です。
 往生際が悪いと今回使ったのは
開票が進んでもう勝つ見込みがないのに
あきらめが悪いばかりか悪あがきをする
今のトランプさんの言動についてのことでしょう。
 
 仏法でいえば私たちの苦悩の原因の我執です。
自分の思いはからいに固執するということでです。
 私が私がというはからいにとらわれて
仏法を素直に聞くことができず
阿弥陀さまの救いの法を疑って
南無阿弥陀仏にまかせることができないのです。
 
 私たちは我執にとらわれてあきらめが悪いのです。
諦めとは本来明らかに見るという意味で
仏さまの智慧のことです。
 仏さまから見ると明らかにものごとを見る智慧がない
往生際が悪いこの私なのです。
 
 往生際が悪い私だからこそ阿弥陀さまは
南無阿弥陀仏のお喚び声となっておはたらきです。
 煩悩を抱えて苦悩に生きる私を見抜かれて
阿弥陀仏さまは放っておけず摂取の光明のなかに
そのまま救いとってくださるのです。
 
 生きとし生けるすべてのものを
必ず救うとおはたらきです。
 選挙に勝った者も負けた者もです。
予想が当たった者も外れた者もです。
 すべてのものを分け隔てなく救う
南無阿弥陀仏のみ教えを共に聞かせていただきましょう。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.11.8)

色とりどりの紅葉に豊かないのちの営みをおもいます

2020-11-07
 二日お休みをいただいて九重の方に行ってきました。
九重はよく行く所で日帰りもできますが
久しぶりに登山をして一泊させていただきました。
 もういい歳ですね。かなり疲れました。
温泉が身にあたたかく心を癒してくれました。
 
 一日滞在して山々の自然の営みに触れられました。
山の表情も朝昼夜と変わって行きます。
 登山をした一昨日の日中は澄みきった青い天空に
雲でしょうか白いものが横一線に引かれ
山の稜線がくっきり鮮やかなパノラマでした。
 夕方陽が落ちる時間とともに山影が濃くなり
薄赤く輝く山肌とのコントラストがよかったです。
 夜は雲がにわかに出てきて楽しみにしていた
満天の星を観ることはかないませんでした。
 
 今は紅葉のシーズンで
昨日はゆっくり紅葉の絶景を観て楽しみました。
 額縁を飛び出すような色とりどりの
紅葉の様はどんなすぐれた絵師でも表現できません。
 きれいだなとほれぼれして
何度も見入ってしまいました。
 
 紅葉といってみんな同じ色ではありません。
一葉一葉それぞれに違います。
 赤い色といって濃淡も色々で
オレンジ色もあれば黄色いものもあります。
そして緑の葉も残っています。
 
 一葉一葉それぞれにいのちを精いっぱい
輝かせて生きていると思います。
 まさに自然の造形です。
人間の手が入ったということではありません。
 山もすべて悠久の時間を超えて大自然の営みのなかに
一つ一つのいのちが生かされて生きてあり
そしてこの私のいのちも自然なのです。
 変わって行くということです。
 
 ここ数日のトップニュースはアメリカ大統領選挙です。
私たちには投票権はありませんが
関係ないとは言えない世界中が注目している関心事です。
 テレビ画面いっぱいにアメリカ合衆国50州の地図が
赤と青の色分けとともに映し出されます。
 二色しかありません。
赤か青か共和党か民主党かトランプかバイデンかです。
 
 当事者の演説、両支持者の声、テレビ解説者の意見と
色んなことが耳に入ってきます。
 所詮人間がしていることです。
それぞれが自己中心に生きて
真逆な見方非難の応酬で今後の行方が不安で心配です。
 
 色とりどりの紅葉に
自然の豊かないのちの営みを思います。
 それぞれ違う色合い違ういのちですが
それぞれのいのちが輝き合って
私たちの心を引きつけるはたらきがあるのです。
 
 紅葉のトンネルを車でくぐるように走ると
風に吹かれて葉が散ってきました。
 色とりどりの葉が大地に散って行きます。
大地に散った葉は一つになって
次のいのちを育むのです。
 
 浄土真宗の仏教のみ教えを聞かせていただきます。
今日もそれぞれ生活ぶりの違う皆さんが
御仏前にお参りされてご一緒にお勤めができました。
 ナモアミダブツとお念仏を申して
今日も一日それぞれの生活をしていきます。
 いつまでも人の命を生きるわけにはいきませんが
この命終える時皆さん同じ阿弥陀さまのお浄土に生まれて
仏と成り南無阿弥陀仏のおはたらきとなって
この世に還って来て次のいのちを育むのです。
 
 お念仏申す生活のなかに
ご先祖有縁の仏さまのお姿を見ることはできませんが
確かに確かに南無阿弥陀仏のおはたらきで
お念仏の声となって私を育み共に生きてくださると
有難くお念仏のみ教えを聞かせていただきます。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.11.7)

納骨はいつするのですか?

2020-11-04
 昨日満中陰四十九日のご縁がありました。
お勤めの後でお家の方が
「今日納骨しないといけませんか」と言われました。
 
 お葬儀のご縁で火葬されたお遺骨の納骨は
昔からの地域の習わしで
火葬の後すぐとか初七日にされたりとか様々ですが
満中陰のご縁に納骨することが一般的です。
ただ決まりはありません。
 
 子どもさんに先立たれたお母さんでした。
ずっと住いのお家にお遺骨をご安置していたことで
もうしばらく一緒にいたいという切なる思い心情です。
 お気持ちはわかります。
「いいですよ。納骨しようと思い立ったときに
納骨しましょう」とこたえました。
 
 大切な家族とお別れする悲しみのご縁です。
こうしてこうしてこうと次から次に事は進みません。
 いろんな思いもあって
気持ちの整理が中々つかないのだと思います。
 
 お葬儀のご縁は悲しみのご縁ですが
そのまま仏さまのご縁といただきましょうと
お取り次ぎさせていただきます。
 
 お葬式の後四十九日間の中陰の期間
お仏壇の横に中陰壇を設け法名ご遺影お遺骨を
ご安置して七日七日のお勤めをします。
 そして七七日の四十九日の大きな節目のご縁に
ご親族有縁の方々が集まり満中陰法要をお勤めし
その後で墓所にお遺骨を納めるというのが
葬儀の一連の流れです。
 
 納骨することでお家のお仏壇のようすが
普段の平生に戻ります。
 仏事としてはそれからも百か日初の盆一周忌と
仏さまのご縁がつながっていくのです。
 
 お念仏のご縁つながりと申しています。
死んだらおしまいではなくて
南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
これからのいのちはつながっていくのです。
 
 納骨の時期の決まりはありませんが
納める所に納めることで
皆さんが安心できるのではないでしょうか。
 長くお家に置いていると段々と思いが募って
動かせなくなることにもなってしまいます。
「初盆の前までには納骨されるといいですよ」
と申し添えました。
 
 お遺骨にお経をあげるのではありません。
先に往かれたお方は仏さまです。
お遺骨はあくまでもその方を偲ぶ縁(よすが)です。
 
 先日祥月命日のご縁をいただいた
前住職の父の遺影を余間にご安置しています。
これも縁です。
 
 写真をみたりお墓に参ったりして
先に往かれた方のことを思う大きなご縁になります。
 その時はナンマンダブツとお念仏申しましょう。
お念仏を申すご縁なのです。
 
 先に往かれたお方は南無阿弥陀仏の
仏さまに成ってくださったのです。
 南無阿弥陀仏の仏さまと成っていつでもどこでも
私について離れずご一緒してくださっているのです。
 南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
今日も生かされて生きてまいりましょう。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.11.4)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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