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お念仏を申す生活法話

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NHKラジオ深夜便「お寺が減っていく」を聴きました

2020-11-14
 NHKの『ラジオ深夜便』という番組があります。
知っていますがいつもは睡眠中で聴くことはありません。
 前日の深夜11時から翌朝5時まで毎日の放送です。
4時から一時間<明日へのことば>のコーナーで
各界で活躍されている方が出演して
アナウンサーの質問に答える形でお話が展開していきます。
 
 今朝偶々ラジオ深夜便を拝聴しました。
鵜飼秀徳さんというお坊さんでジャーナリストのお話です。
 5年前に『寺院消滅』の衝撃的なタイトルの本を書かれ
寺院関係者の間で大変注目され多くのお坊さんに読まれて
私も一度講演会でお話を聞いたことがあります。
 
 少子高齢化で過疎のお寺は門徒檀家が徐々に減って
お寺の護持が難しくなっていくなかで
新しい寺院のあり方を考えて行こうという問題提起です。
 
 特にコロナ禍で葬儀が変わり法事等お参りが減って
都市部のお寺も生活がおぼつかない状況ということです。
 一般の経済には国から公的資金の援助がありますが
お寺はじめ宗教団体には公的支援がありません。
 これは災害支援についてもそうです。
被害寺院に国県市から支援金もボランティアも
公的なものは入りません。
 
 門徒檀家の皆さんの布施(ダーナ)で成り立ってきたお寺の
土台そのものが今大きく揺らいでいるという現状なのです。
 厳しい現実をただ手をこまねいて眺めているのではなく
積極的に今あるものを活用して新しいお寺のあり方を考え
つくりあげていこうと
いくつかの方策例をあげて意欲的な提案を聞きました。
 
 お寺は変わらないといけないということですが
一番変わらないといけないのがお坊さんこの私です。
 お坊さんの考え方がもどかしいほど変わらないのです。
昔はよかったなあと思ってみても
コロナが収束したら
また元のようなお寺に戻ることではありません。
 
 私たちの円光寺です。
ご門徒皆さんのいろんな意見もいただきながら
変わって行きたいと思います。
 
 確かに現実を見れば難しい課題が次々と出てまいります。
でもこれは厳しい難しいということばかり言っていたら
皆さんがしり込みしてどこかに逃げて行ってしまいます。
 
 南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
共々に生かされて生きているお念仏の私たちです。
 お念仏申して阿弥陀さまのお喚び声お心を聞きつつ
面白いものをつくっていこうという気持ちで
楽しみをもって一緒にお寺づくりをしてまいりましょう。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.11.14)

阿弥陀さまはこの私を決して見逃がさない仏さまです

2020-11-13
 新型コロナウイルスの感染者が大変多くなって
昨日は一日の全国感染者数が
これまでで最多となったということです。
 
 一波が来て二波そして今回は三波といいますが
感覚的には今までの受けとめ方とは何か違います。
 これまでの経験から感染対策が周知されてきて
日常生活での各自の対応が身についてきたのでしょうか。
 
 ただワクチンも治療薬もまだできていない不安な中で
これからどのように社会生活をしていくのかについては
見方が様々に異なります。
 
 感染対策の最前線にいる専門家医療従事者からは
GOTOキャンペーンはすぐにでも停止すべきだという
緊急提言が出されています。
 政府の関係者は経済の回復状況を見極めて
今の施策を止めてはいけないということなのでしょう。
 その人人の立ち位置によって見方考え方が違って
これからも変わってくるのだと思います。
 
 毎年この時期はインフルエンザの流行期ですが
その死者数をもってコロナ禍での死者は少ないという
発言を聞きました。
 感染者の数であり入院患者の数であり
そして死者の数のこれまでの推移統計は
これからの施策を考える時に分かりやすい判断要素です。
 
 ただ一人一人のいのちに関わることです。
十把一絡げに数で言われることに抵抗を感じます。
 コロナ感染が自分の家族であったり友人知人であったり
人人の状況でいのちの見方は全く違ってくると思います。
 平素からいのちそのものに向き合う見方が
できていないのがこの私のようです。
 
 昨日円光寺であった大海組の法中会で配られた
会報の「編集後記」が目にとまりました。
(※別途掲載しています)
 
 自殺のことにふれた内容で
日本で自殺者が年間3万人を超える事態が
1998年から14年間続き大きな社会問題になりました。
 マスコミも大きく取り上げ多くの識者が提言されて
各方面で自殺防止の様々な活動が取り組まれてきました。
 2012年以降自殺者の数は徐々に減ってきてはいますが
自殺者がなくなったということではありません。
昨年も20169人の方が自ら命を絶っています。
 
 私たちはすぐそばにいる人のことも
見ているようで見ていないところがありませんか。
 外見からでは見えないその人人の心の悩み苦しみです。
自分のことで精いっぱい生きることで精いっぱいで
大切な人と本当に向き合うことができているでしょうか。
 
 阿弥陀さまはこの私を決して見逃がさない仏さまです。
南無阿弥陀仏となってどこまでも私を追いかけつかまえて
お念仏申す身にしてくださるのです。
 私の口からお念仏申させ
私のいのちにしっかり寄り添ってくださるのです。
 阿弥陀さまがいつでもどこでもどんな状況にあっても
ご一緒くださる大きな安心です。
 
 お念仏申して今日も一日南無阿弥陀仏のお慈悲のなかに
生かされて生きてまいりましょう。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.11.13)

仏さまだけは分かってくださいます

2020-11-12
「泣きながら 御戸を開けば 御仏は たゞうち笑みて
 われを見そなわす」(甲斐和里子『新修 草かご』より)
                   の歌を味わって
 
 新型コロナウイルス等の影響により
晴れ晴れとしない日々が続いています。
 
 著名人の方の自殺のニュースなども続き
ネットの中を覗いてみれば
「俺が三浦春馬だったらイケメンだしお金もあるから
絶対自殺しない」
「幸せな家庭を築いているのに竹内さんは
なぜ自殺したのか。美人だし羨ましいくらいなのに」
などの悲しいコメントが溢れていました。
 
 自身の抱える苦しみなんて、
だーれも分かってくれないってことが分かります。
 
 誰にも言えない悲しさ苦しさを
嘆くことができる場所はどこでしょうか。
 
 小さな小さな自分の中に閉じこもっている私を
あたたかな眼差しで包み込み
仏さまだけは分かってくださいます。
 
 ※『れんそう会だより』第43号から
   (浄土真宗本願寺派大分教区大海組れんそう会発行)
  「編集後記」の文章をお届けします。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.11.12)

うなずきとジェスチャーでコミュニケーシが進みます

2020-11-12
 コロナ禍で感染防止のために
人と人が会って話をすることに気をつけます。
 そこで家に居ながらネットのオンラインで
遠くの家族と話したり仕事をしたり
学校の講義を受けたり友人同士の飲み会などと
新しいコミュニケーションのあり方が考えだされています。
 
 お寺の法要やご法話をネット配信することも聞きます。
以前は考えられなかった便利な社会になりましたが
ネット通話の問題点も指摘されます。
 会話は話し手と聞き手の相互の受け応えですが
オンラインでは話が弾まないというのです。
 
 昨夜のNHKテレビ『ためしてガッテン』で
カメラと画面の位置が違うことが指摘されていました。
 今もこうして皆さんの顔を見て話をしていますが
これがカメラに向かっての話だったら
やりにくいと思います。
 カメラには表情がなく
皆さんの顔が見え反応がうかがえて
次の話へと展開できると思うのです。
 
 番組では「うなずき効果」と言っていました。
オンラインの会話ではうなずきが減るという実験結果です。
 聞き手の一番わかりやすい反応がうなずきです。
うなずく姿を見て話を聞いてくれてるという安心感になり
共感一体感が生まれるというのです。
 
 もう一つは話し手の身振り手振りのジェスチャーです。
画面にはジェスチャーまでは映りません。
 じっと直立不動で話すのは話しにくいものです。
話が乗ると自然と身振り手振りがついてきます。
 落語の扇子も使い方次第で話がスムーズになるという
MC立川志の輔師匠のコメントです。
 
 皆さんも話し手の身振り手振りのお話に聞き入って
うんとうなずくのではないでしょうか。
 
 話をするというのは話を伝えて
聞いていただくということです。
 
 阿弥陀さまのお話は南無阿弥陀仏のお念仏です。
お念仏は阿弥陀さまのお喚び声です。
 ただ単なる音声ではありません。
迷いの私を必ず救うと南無阿弥陀仏のお心おはたらきで
「必ず救うまかせよ」と喚び続けてくださっているのです。
 南無阿弥陀仏のおはたらきがこの私に届き
私の口から南無阿弥陀仏とお念仏申させていただくのです。
 
 今日も皆さんご一緒に南無阿弥陀仏ナモアミダブツと
何度も何度もお念仏申せました。
南無阿弥陀仏と口が動きお念仏の声が出てくださるのです。
手が合わさりお礼ができます。
 
 身振り手振りでこの私にお念仏申させ
そのままお礼をさせてうなずかせてくださるのです。
 お念仏申してくれよと南無阿弥陀仏のおはたらきに
うなずいてお念仏申させていただき
今日も一日日暮らしさせていただきましょう。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.11.12)

「よくがんばったね。おつかれさま」と言ってくれる親がいます

2020-11-11
 プロ野球阪神タイガースの藤川球児選手の引退試合が
本拠地甲子園球場での伝統の阪神巨人戦でありました。
 いつもは勝っている試合の最終回に登板するのですが
昨日は負けている試合の9回に予告登板し
代名詞の火の玉ストレートで三者凡退に打ち取り
有終の美を飾りました。
 
 野球選手の引退試合で思い出すのは巨人の長嶋です。
私が大学4年の時でした。
 秋の陽が落ちるのも忘れて真っ暗な下宿の部屋の中で
一人ぼやーっと放心状態で涙を流しながら
テレビをつけっ放しにしていたことを思い出します。
 
 どの選手も引退試合ができるわけではありません。
実績人気も誰もが認める超一流のスーパースターだけです。
 どの選手も大きな夢をもってプロ野球の世界に入って
殆どの選手はこれといった成績も残せず
この時期に戦力外通告で失意のまま一人去っていくのです。
 
 少年時代から野球漬けの生活をしてきた人が
野球以外に生活の糧を求めて次の就職仕事を
探さなければならないのですから本当に大変です。
 
 自分の好きな世界で好きなことができてと思いますが
思うようにならないいかないのが現実です。
 
 私たちの人生においても
こうありたいと思いをもって生きていますが
思い通りにいかなくて
失望したり悔んだり恨んだり悩み苦しんで
そして誰もがこの命を終えていかねばなりません。
 
 引退セレモニーで藤川選手は万感の思いで
ここまでやってこれたのはチーム球団関係フアンの皆さん
友人そして家族のおかげですと感謝の言葉を述べました。
 
 先輩友人からは「お疲れさまでした」と
たくさんのメッセージが届けられました。
 栄光のかげにかくれた苦難の日々を
ずっと見てきた人だからこそ言える心からの贈る言葉です。
「よく頑張ったね。お疲れさま」と言ってくれる人です。
 
「球児」という名前は父親が生まれる前日に
草野球でノーヒットノーランをしてつけたといいます。
 名前に込めた親の大きな願いですが
子どもにとっては重荷になることでもあります。
 藤川選手はその名前の通りの活躍をしましたから
球児と名付けてくれたことに胸を張って
ありがとうとお礼を言っていました。
 
 子どもに夢をもって幸せになってほしいと
親は願いますが思い通りにはいきません。
 子どもとはいえその人その人の人生ですから
そもそも親の思い通りにできるものではありません。
 そして子どもも自分の思い通りの人生がかなわず
悶々とした日々を送ることにもなるのです。
 
 ただ親は最後まで子どものことが心配で
子どもを見守り続けます。
 人生の最後の最期に
「よく頑張ったね。お疲れさま」と
言ってくれる親がいるのです。
 
 親はもう亡くなっていなくなったのではありません。
子どもが生まれて親になるといいます。
 子どもが生きている限りどこまでも親は親なのです。
「よく頑張ったね。お疲れさま」と言ってくれる親です。
 
 お念仏の先人は阿弥陀さまのことを
親さまとよんで慕ってきました。
 阿弥陀さまは南無阿弥陀仏のおはたらきで
いつでもどこでもこの私のことを見守ってくださり
「よく頑張ってるね。私がいるから大丈夫だから安心して
あなたのいのち精いっぱい輝かせて一緒に生きて往こう」
と喚んでくださる親さまです。
 
 南無阿弥陀仏の大きないのちのおはたらきのなかに
お念仏申して共々に生きてまいりましょう。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.11.11)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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