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お念仏を申す生活法話

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このお寺のことを思い護ってくださったお念仏の先人を偲びます

2021-01-14
 沖のご門徒さんが99歳10か月でご往生されて
昨日がお通夜今日がお葬儀のご縁です。

 以前に帰敬式を受けて法名を頂いているということで
過去の資料を確認しました。
 昭和43年4月に別府別院で前の前の勝如ご門主から
お剃刀(かみそり)をうけて法名をいただいていました。

 大分教区内の大勢の方が受式されたと思いますが
円光寺から12名の方がご勝縁に遇われた記録がありました。
 12名全員が女性です。
今でこそ仏教壮年会の組織もあって
男性がお寺参りされることも多くなりましたが
当時は仏教婦人会の活動が活発で
お寺参りは女性の務めと思われていたような時代です。

 12名の名前をたどっていくとお寺参りの常連さんで
お寺のお世話を率先してしてくださった
懐かしい方々ばかりです。
 あらためてお寺思いのご門徒衆に支えられ護られてきた
お寺のあり様を有難く思います。

 12名の皆さんすでにお浄土に往かれて
百歳を前に最後のお浄土参りになりました。
 12名のうち9名が遠見地区の方でした。
三佐でも比較的新しい集落で
漁業を生業とするご門徒のお家が多く
先人から受け継がれてきたお念仏の土德が残っています。

 昭和43年です。
昭和30年代新産都計画で三佐の海も埋め立てられ
生活が大きく変わっていった時代です。
 昭和36年の親鸞聖人700回大遠忌法要に
円光寺から何とバス2台でご本山にお参りしました。
 遠見地区の方が女性だけでなく男性も多くお参りされて
円光寺もこれからいよいよお念仏繁盛のお寺に
変わって行く兆しが感じられるときでした。

 帰敬式の話に戻りますと
皆さん40代50代の方ばかりです。
 お年寄りがお参りするお寺のイメージがありますが
比較的若い世代の方が出入りするお寺は
すごく活気があります。

 今は皆さん60代70代の方も元気で
平素からお寺を支えてくださり本当に有り難いことですが
これもお念仏の先人が伝えてくださったことだと思います。

 私も同じ時代に生きてたくさんの思い出がありますが
お寺の現代史といいますか
これまでの記録を整理して
後世に送っていくことを大事に思います。

 お寺は建物だけではありません。
仏法を聞かせていただき
お念仏を申させていただくお寺です。
多くのお念仏の人が出入りして賑わうお寺です。

 ただ思い出話に終わるのではなく
お寺にご縁のあった方々の思いやご苦労を
しっかり伝えていきたいとあらためて思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.1.14)


コロナ禍の今を生きる

2021-01-13
 コロナ対応の緊急事態宣言対象地域が広がっています。
感染防止対策の最後の切り札とされるものですが
政府の対応について世論調査で大半の国民が懐疑的で
遅いという声がもっぱらです。

 国会は閉会中審査で野党は政府の遅い対応を責めますが
今一番大事なことはコロナの具体的な感染対策です。
 国民の声が反映されるべき国会で
大事な議論が聞こえてこない中
感染者は全国的に増え続けています。

 首相はじめ政府からの発信は
専門家の意見を聞いてということに終始して
具体的な対策を打ち出せないまま
専門家や都道府県の知事の要請で
やっと重い腰を上げ施策を発信するという有様です。

 見えないコロナウイルスを相手に
これといった施策も打ち出せず
いつ収束するかもわからない現状で
何をしてもこれがベストということはない
難しい課題ですが
今まさにコロナ感染防止の待ったなしの最中にある認識を
私たち全国民が共有することこそ大事です。

 私たちの人生の営みについても同じことがいえます。
私たちは人それぞれに今を生きていますが
どうかしますと過去のことを取り出しては
あの時はよかったあの時ああすればよかったこうすればと
口に出すこともあれば心に思うことはたくさんあります。

 でも何を言おうと何を思おうとも
過去の事実はそのまま変わりません。
 変わるのは今からのこと今を含めて未来です。
今何をするのかどう生きるのかが一番のことなのです。

 過去のことはやり直すことはできないけれども
見直すことはできるというのが仏法の教えです。
 どう見直せるのか
仏法に聞かせていただくのです。

 今皆さんがお寺の本堂阿弥陀さまの御尊前に
お参りされている事実です。
 振り返ってみると仏さまのご縁があったということで
これまでの人生の営みがすべて今の私にしてくださった
仏さまのご縁といただけるということです。

 この人生よかったと
誰しもこの人生を終えていきたいものです。
 
 この人生いろんなことがあったけれども
人間に生まれてお念仏のみ教えに遇えて本当によかったと
これまでの人生すべてが仏さまのご縁に遇うためだったと
お念仏申して阿弥陀さまの大きなお慈悲に生かされて
今を生きるということです。

 今を生きることの有難さ尊さを
コロナ禍という前代未聞の大きな課題のなかで
お念仏のみ教えに聞かせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.1.13)


阿弥陀さまは光と声の仏さまです

2021-01-12
 阿弥陀さまは光の仏さまです。
光明のおはたらきで私たちを摂取して捨てないといいます。

 光には闇を破るはたらきがあります。
阿弥陀さまの智慧の光明に照らされた私は
無明の闇に迷っているといわれます。

 闇の中にいると言われて自覚できません。
日中は太陽が出て夜は電灯で照らされて
私たちは日々光の中で物事を見て知り
安心して生活しています。

 この目で見ている世界ですが
自分の姿や自他の心のあり様まで見えるでしょうか。

 人から自分の言動を注意されて
自分のことは自分が一番よく分かっていると言い返します。
果たしてそうでしょうか。
 自分の都合の良いように見ている分かっている
私ではないでしょうか。

 厳しい見方ですが
仏さまはありのままの私をそのまま
見せてくださるのです。

 深い迷いの闇の世界にあって迷いを迷いを気づかず
自己中心に生きては苦しみ悩み迷っているこの私を
阿弥陀さまは智慧の光明で見抜かれ
そのままお慈悲の中に摂め取ってくださるのです。

 闇を破るはたらきに光と
そして声があります。
 真っ暗な闇夜に一人居て不安な中で
「〇〇ちゃん」と声がかかります。
 友だちの声であったりお父さんお母さんの声であったり
その呼び声を聞いてその人の姿を見ることはできませんが
声が聞こえてその人の存在を知り安心できるのです。

 阿弥陀さまは南無阿弥陀仏のお名号の声となって
「我にまかせよ必ず救う」と喚んでくださる仏さまです。

 お正信偈さまのなかに「光明名号顕因縁」とあります。
光明と名号が因となり縁となって
阿弥陀さまは無明の迷いの世界から無量光明土のお浄土に
私たちをお救いくださるのです。

 阿弥陀さまは光と声の仏さまとなって
いつでもどこでもご一緒してくださるのです。
 ナモアミダブツとお念仏申して
今日も阿弥陀さまと共に生きて参りましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.1.12)

今日は成人の日です

2021-01-11
 今日は1月の第2月曜日で
成人の日の祝日です。

 大分市では昨日動画配信による
成人式がありました。
 コロナ禍で一つの会場に集まる成人式ではなく
市長の祝辞や新成人代表の誓いの言葉などが
インターネットで配信されたということです。

 昨日法事で外出して
振り袖すがたの新成人が記念撮影している
光景に出あいました。
 一生に一度のことです。
例年のような成人式はできなくても形を変えて
その人人の成人式があって思い出に残ることでしょう。

 私の成人式は昭和48年1月15日鶴崎公民館でした。
小中学校の同窓会のようなことで
成人式の後連絡を取り合い多くの同級生が集まって
賑やかに楽しく過ごした二十歳の思い出です。

 みんな若くて希望に満ちて
明るい未来を思ったものです。

 あれから48年です。
学校で一緒に過ごした時間以上に随分月日が経ちました。
 みんなそれぞれの人生の歩みの中で
色んなことがあったでしょう。
 あの時のメンバーで亡くなった方もいます。
お勤めを退職されて第二第三の人生を歩き始めている
もうみんないい年頃になりました。

 懐かしいですね。
会って話をしてみたいですね。
 といっても中々思うようにいきません。
連絡が取れない方もたくさんいます。

 会って何を話すのでしょうか。
昔の思い出話に花を咲かせるのでしょうか。
 
 ただ思い出話で終わるのではもったいないです。
これからの話をしたいですね。
 これから先どのくらいあるかわかりませんが
生きてる今を大切に新たな出会いがあればいいと思います。

 人と人とが織りなすこの人生です。
新たな出会いも楽しみですが
これまでご縁のある人に再会するのもまた楽しみです。

 成人式は一生一度のご縁ですが
人と人との出会いのご縁は日々これからもです。
 仏さまのご縁でいうならば
いつでもどこでものご縁です。

 お寺で懐かしい人とご縁をいただくのも楽しみです。
仏さまのお話を聞いてほしいなと思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.1.11)


今日から「正像末和讃」に入ります

2021-01-10
 昨日から今日にかけて全国的に大変厳しい寒さです。
九州でも長崎や福岡ですごい大雪になっています。

 毎朝6時半からお朝事のお勤めをしています。
今日は仏教壮年会の月例会で皆さんようこそのお参りです。
 朝早くそれぞれのお家から身支度をして出て来られます。
道中寒くて暗い中を大変決心のいることだと思います。

 さっき6時の梵鐘を撞きに外に出ましたら
南の空に三日月が見えました。
 冷たい冬の澄んだ空気の中
暗い夜空にくっきりと冴えわたって光り輝いていました。

 この時期この時間だから見れるのです。
明るい日中も空にはたくさんの星が出ていますが
どんなに視力の良い人でも星を見ることはできません。

 昨年末には梵鐘を撞いて鐘楼から庫裡に戻る時に
西の空に真ん丸お月さんが沈んでいくのが見えました。

 お朝事のご縁に大宇宙のロマンが観察できます。

 諸行無常です。
すべてのものは移り変わっていくという真理の法です。
すべての命が日々生き生きと生きているのです。

 私たちのこの目は外を向いていますから
外の変化はよくわかりますが
諸行無常とはこの私のことを教えてくれているのです。

 私たちはそれぞれにこの身この命を生きています。
日々刻々と変わり行くこの身この命です。
 自分の思い通りに生きていければいいのでしょうが
思い通りにならないことがこの身にたくさんあったし
これからも起きてきます。

 お釈迦さまは生老病死の四苦といい
人世は苦なりと
生きることは思い通りにならないと教えます。

 毎日親鸞聖人が書かれた三帖和讃を拝読します。
「浄土和讃」「高僧和讃」と繰り読みして
今日から「正像末和讃」に入ります。
 正像末和讃は親鸞さまが86歳頃の作といわれ
浄土和讃高僧和讃は76歳頃のものといわれます。

 親鸞さまは90歳という長寿でしたが
今のような生活環境でないなかで
最晩年で筆をとられて精力的に著作活動をされます。
 このことだけは遺し伝えなければという
強い意思を感じます。

 今日の最初の御和讃です。
「釈迦如来かくれましまして 二千余年になりたまふ
正像の二時はをはりにき 如来の遺弟悲泣せよ」
 お釈迦さまが入滅されてから二千年余りの時を経ておられる
正法・像法の時代はすでに終っているのであり
お釈迦さまの教えを受け継ぐ弟子たちは嘆き悲しむがよいと

 今はすでに末法の世になって
仏道を修行する人も仏の悟りを開く人もいない
仏の教えだけが残るといいます。

 ただ末法濁世にあっては
さまざまな善行を修める教えは竜宮に隠れてしまって
阿弥陀仏の本願の教えだけが広まるといわれ
お念仏の救いの法をお勧めになるのです。


 今日もお正信偈さま御文章さまをいただきました。
親鸞さま蓮如さまが南無阿弥陀仏の救いの法を
私たちにお勧めくださる浄土真宗のみ教えです。

 お寺参りのご縁は仏法聴聞のご縁です。
南無阿弥陀仏のお心を聞かせて信心いただき
お念仏申す身にさせていただき
お浄土への人生を共々に歩ませていただきましょう。

 これからもご縁ご縁にお寺参りさせていただきましょう。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.1.10)


円光寺
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