あなたはかかりつけのお寺がありますか?
2021-06-03
昨日午前中に門徒さんから電話があって
ワクチン接種の日に重なったことで
法事の日時を変更してほしいとのことでした。
私と同年輩の方で65歳以上が対象の接種券が
6月1日に発送され昨日6月2日に届いて
早速申し込んだということでしょう。
すぐ思ったのは自分のところには
まだ接種券が届いていないということでした。
郵便の配達時間は地域で異なります。
私の地域はいつも夕方になります。
案の定4時過ぎに接種券が届いて早速申し込もうと
コールセンターは混むと思ってかかりつけ医という
病院に電話しました。
「定期的に通院されている方ですか」と聞かれました。
「随分前は毎月受診していましたが
それからはあまり行っていません」と返事しました。
私としてはその病院はかかりつけ医と思っていて
何かあった時には風邪でもその病院で院長先生に
診てもらおうと決めているのですが
言われてみると今現にかかっている病院ではありません。
それでコールセンターに電話して
2、3分ほど待ちましたが予約が取れました。
皆さんはかかりつけ医という病院がありますか?
かかりつけ医があって定期的に診てもらうのは
何か既存の病気があるということですが
私も毎月診てもらう病院があって
ただ接種できる病院では今のところないのです。
かかりつけ医があることの有難さは
高齢者になって体調が悪くなることも多くなり
何かの時に備えて安心できることだと思います。
さて「あなたはかかりつけのお寺がありますか?」
という質問です。
お寺と門徒さんの関係を思いますが
かかりつけ医のように
定期的にそのお寺にお参りしているでしょうか?
皆さんは毎朝円光寺にお参りされていますから
まさにかかりつけのお寺が円光寺であり
かかりつけのお寺の門徒
医王といわれる仏さまに診てもらう患者さんです。
毎日お寺に通う通院患者です。
ではお寺に住まいする私はというと入院患者です。
かかりつけどころではありません。
生まれてこの方ずっとこのお寺に入院して
仏法を聞けよお念仏を申せよと
お念仏の薬を頂戴し治療を受け続けているのです。
かかりつけ医と勝手に思っている私がいます。
かかりつけのお寺と思っている門徒さんです。
思っているということはまだ病院に
行っていないということです。
お寺のことでいえばお参りすることもなく
日頃は関係ないところで
自分や家族に何かあった時葬儀や法事のご縁で
その時だけ頼むお寺になっていないでしょうか。
お寺は死を縁に死んでから後に用事のあるところ
と思っていませんか。
仏教は死んでから後の教えで
生きてる私には関係ないと思っていませんか。
阿弥陀さまのお救いの法は今こここの私に開かれた
今の救いを説かれているのです。
仏法を聞いてお念仏申す身になってくれよと
あなたのためにかかりつけのお寺が用意されているのです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.6.3)

阿弥陀さまの本願念仏のお心に相応した私のお念仏申す生活です
2021-06-02
昨日ご門徒のお家のお参りでお勤めをしていて
暑くて汗が出てきました。
日田で33度の真夏日になったというニュースで
最早梅雨を通り越して夏の到来です。
まだ冬物の布袍を着けていたことです。
気温以上に暑いはずです。
今日からいよいよ衣替えで
夏物の布袍に着替えました。
衣替えの時期は一般に6月と10月ということでしたが
今は官公庁が率先してクールビズということで
早々に暑さに応じた服装を勧めて民間もこれに習い
合理的でよいことだと思います。
ただ公的な場ではまだまだ正装が重んじられ
正装をしておけば無難ということもいえます。
男性でいうと襟のついたシャツにネクタイ上着が定番で
夏の葬儀に暑いからといって
クールビズでのお参りははばかられます。
私たちの僧衣というお衣も夏冬用があり
着用の時期もちゃんと決まっています。
決めていないと暑いからといって5月の法要に
夏物を着ていったら他のお坊さんはみんな冬物で
バツが悪い以上にお参りの皆さんの視線が気になります。
僧衣は夏冬で極端に違い冬物は厚くて重く
夏物も布を何重にも織り込んだものがあり
葬儀で汗びっしょりになることも多く
葬儀社の方が配慮して冷房を最高に強く入れてくれます。
それでお参りの方にとっては
ちょっと寒いぐらいかもしれません。
私たちの日々の生活にも決まりがあります。
公に決められたこともそうですが
私的に自分で決めていることもあり
私の生きる依りどころといったことにも
なるのでしょうか。
決められたことに縛られたくない
自分の思いのままに自由気ままに生きることが
理想のように思いますが
一方何かに依らなければ生きていけない
そうした生活の決まり基準に相応した生活です。
相応という言葉は
御文章さまによく出てまいります。
相応じると書きます。
この相応はどこが主体基準かというと
阿弥陀さまの本願念仏のお心おはたらきです。
阿弥陀さまのお心に相応するご本願に適った生活を
聞かせていただくのがお念仏を申す生活です。
阿弥陀さまは具体的にこうしなさい
こうしたらいけませんよとはいいませんが
南無阿弥陀仏のお心を聞かせていただくなかに
日々の生活をさせていただくということです。
どう生きるかお念仏申して阿弥陀さまに相談して
阿弥陀さまのお心に適ったお念仏申す生活を
今日も一日させていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.6.2)

ワンオペ法話会
2021-06-01
6月に入りました。
6月は水無月といって水が無いと書きますが
今は既に梅雨の最中です。
ここ数日ずっと晴天が続いて夏到来を思わせる暑さです。
お勤めをしていて汗が出てきます。
今日は衣替えの日でもありますが
まだ冬の布袍のままです。
先日「ワンオペ落語会」という新聞記事を読みました。
ワンオペというのはワンオペレーションの略で
一人で事業するという意味です。
真打の実力をもつ落語家さんが日本全国各地を回って
落語会を開いているということです。
年間の殆どが地方回りで定住する家を持たず
ホテルや旅館に点々と宿泊して動き回っているのです。
落語会を一人で開いているということは
会場の確保準備から情宣実施に至るまで
全部一人でするというのです。
コロナ禍で昨年来各地各種の行事イベントが
中止や延期になっています。
お寺の法要行事もお休みすることが続いています。
何をなぜできないのかというと
大勢の人を対象に一か所に集めて行う催しものは
このコロナの時代では難しいということです。
この毎日のお朝事はコロナの中も
お休みすることなくずっと毎朝定時に続けています。
お寺のご縁は仏さまのご縁で
私たちに広く開かれたものであり
この私が仏法聴聞のご縁に遇って
お念仏申す身にさせていただくことが肝要です。
何人集まったから
お念仏いただけるということではありません。
ご講師を迎えてお参りの方がいてご法座の体裁ができて
お念仏いただけるということでもありません。
コロナ禍で布教をされるご講師は大変です。
お寺のご法座がキャンセルになったり無くなったりで
生活の糧がなくなるのです。
ご法座にたくさんの人が集まって
皆さんがお布施をはこんで
僧侶もそれぞれの役割で布施をさせていただいて
ずっと何百年も続いてきた私たちのご法座です。
お念仏のみ教えを聞かせていただくことについては
お念仏のご縁はまさにワンオペではないかと思います。
ワンオペ法話会とでもいいましょうか。
お釈迦さまに返るのです。
お釈迦さまは35歳でお悟りを開かれて
80歳でお亡くなりになるまでずっと
インドの各地を遊行といって伝道の旅を続けられます。
お釈迦さまは定住の家を持つことなく
その土地土地に寝泊まりをして
その土地の人に仏さまのみ教えを説かれて行かれたのです。
お釈迦さまだからできたということです。
誰でもできることではありません。
ただそのお釈迦さまのお心を訪ねていくとき
お念仏の先人の願いと長い間のご苦労があって
僧侶が定住しご門徒衆がお参りされる
聞法の道場たる今のお寺が出来上がったのですが
これからのお寺のあり方を見直す意味で
ワンオペ法話会は一つのヒントになりそうです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.6.1)

人間に生まれて仏法に遇ってお念仏申す身にさせていただきます
2021-05-31
毎月31日の御文章は「大聖世尊章(だいしょうせそんしょう)」です。
一年に7回拝読させていただきます。
大聖世尊とはお釈迦さまのことです。
「上は大聖世尊よりはじめて下は悪逆の提婆にいたるまで
のがれがたきは無常なり
しかればまれにも受けがたきは人身
あいがたきは仏法なり」
(釈尊から五逆十悪の提婆にいたるまで
逃れることができないのは無常のことわりです。
私どもは受けがたい人間界に生を受け
聞きがたいみ仏の教えに遇うことができました)と
無常の世に生きる私たちに
仏法に遇うことを勧められるのです。
提婆(だいば)はお釈迦さまの従兄ですが
国の王子阿闍世(あじゃせ)をそそのかして
父を殺させ母を牢獄に閉じ込めるのです。
悲嘆に暮れる母の韋提希(いだいけ)が
お釈迦さまに救いの法を請われて説かれたのが
後に『観無量寿経』というお経さまとなり
凡夫が救われていく阿弥陀さまのお浄土なのです。
御文章で蓮如上人は
無常のこの世にあってすべてのものは刻一刻と変わり行き
命あるものは必ず死にいたり
盛んなものも最後には衰えてしまうのが世のならいなのに
仏法に遇うことなくむなしく日々を過ごしているのは
嘆かわしいと書述され
お念仏のお救いの法に遇ってほしいと
言葉を重ねて述べられるのです。
私たちが人間に生まれたわけは
仏法に遇ってお念仏を申す身にさせていただくためですと
お釈迦さまが仏教を説き親鸞聖人がお念仏をお勧めです。
阿弥陀さまのお救いを
摂取の光益とも不捨の誓益ともいい
「まかせよ救う」の南無阿弥陀仏のおはたらきに
まかせた者を
そのままお慈悲の光明のなかにおさめとって
決して捨てないというのです。
朝から太陽の光が本堂いっぱいに差し込んで
私たちを明るく照らしてくださっています。
お慈悲の光明いっぱいあふれるなかを今日も一日
お念仏申して共々に生かされて生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.5.31)

私たちの終活は宗教活動の宗活です
2021-05-30
終活です。
人生の終わりに臨んで死と向き合い
最後まで自分らしい人生を送るための準備で
終末医療のことや財産分与
そして葬儀やお墓のあり方などについてです。
70歳過ぎの団塊の世代の方のお話です。
団塊の世代は日本の高度成長期にあって懸命に働いてきて
定年を迎えこれからのことを考えるとき
自分の葬儀やお墓のあり方が気になるといいます。
自分が喪主になり父母を送った経験から
葬儀の大変さを身をもって知っているというのです。
少し前の話ですが大人数のお葬式が一般的でした。
現役の喪主の仕事関係のお参りが多く出費も大変で
大切な家族と別れを惜しむことが
ままならなかったといいます。
そこで自分の葬儀は子どもに迷惑をかけたくないと
とにかく安くて簡素なお葬儀ということで
家族葬という葬儀がこの十数年一気に多くなりました。
自分の葬儀は何でも自分で決めたら
遺った者も困らないだろうという配慮でしょう。
しかし故人の遺言通りに葬儀を行うお家もありますが
実際に葬儀をするのは亡くなった方ではなく
後に遺った者ですから喪主遺族の思いもあって
遺言通りにいくかわかりません。
終活のカウンセラーのお話です。
私の葬儀はこうしてほしいと常々家族に話をしておくこと
でも最終的には遺った者におかませするぐらいの気持ちで
終活を進めたらいいですよというアドバイスです。
人一人の一回きりの葬儀で
これまでにも色んなケースがあって
後から何でこんなことをしたのか
こうすればよかったと後悔することもあるそうです。
散骨については
海に散骨した後で故人をどう偲ぶ弔っていくのか
お墓参りや仏壇に手を合わすこともかなわず
どこにお参りしてどこに手を合わせたらいいのか
という話です。
長野から就職で東京の会社で働いて定年を迎えた方が
子どもは東京で生まれ育ったので長野に墓をしまって
東京の近くにお墓を求めたら子や孫もお参りしやすくて
いいだろうと子どもに相談したそうです。
ところが子どもは
「ぼくたちは東京で生まれ育って古里がないから
お墓のある長野を古里にしてお墓参りに帰るよ」と
言ってくれたそうです。
子どもは子どもで
考えてくれているんですね。
夫婦で宗教が違うというケースです。
夫は仏教で妻はキリスト教です。
妻が「あなたのお葬式はキリスト教でしてもいいね」
と聞いたそうです。
自分の思いはあっても葬儀は喪主が勤めるのですから
「あなたがそうしたいならそれでいいよ」と
夫は答えたいいます。
そして「でもどっちが先に逝くかわからないので
あなたのお葬式は仏教でいいね」と付け加えたという
ちょっと微笑ましい夫婦の会話ですが
中々話しづらいことですが
日頃から話しておくことが大切です。
そして私たちの終活は
宗教活動の宗活ということです。
阿弥陀さまのお念仏のみ教えに
聞かせていただくことが肝要です。
終活は死んだらどうなるのかというテーマで
死に向き合うことで実は今をいかに生きるかという
生死の大きな根本問題なのです。
誰もが生死するという私の問題ですが
他人事のようにしっかり向き合うことがなく
まだ先の話といってこの身の上にその時が必ず来ます。
仏法に遇わせていただくことは
生死の私の問題をお念仏のみ教えに
聞かせていただくことなのです。
「必ず救うまかせよ」の南無阿弥陀仏のお救いの法に
私の生死をまかせてお念仏申す身にさせていただきます。
お念仏申す人生を歩み命終わる時にそのまま
阿弥陀さまのお浄土に生まれて仏に成り
この世に還って来て
人々を救う南無阿弥陀仏のおはたらきをさせていただくのです。
阿弥陀さまの大きなおはたらきの中に
あなたも私も先に往かれた方も共につながっていることを
今こここの私が聞かせていただくなかに安心して
お念仏申して今日一日も生かされていきてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.5.30)
