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お念仏を申す生活法話

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満中陰のご縁でお葬儀の一連のお勤めが終わります

2021-06-08
 昨日四十九日満中陰のご縁がありました。
遠方のご門徒さんでお寺の本堂でお勤めをして
その後円光寺墓地に納骨させていただきました。

 お勤めが終わってご丁寧に
「おかげさまで有難うございました」と御礼を申されました。

 大切なお方とお別れして四十九日が経って
満中陰という大きな節目のご縁です。
 満中陰のご縁でお葬儀の一連のお勤めが終わることで
何か安心されたようなご様子でした。
「ようこそお勤めされました」と
言葉を返しました。

 一人暮らしのお母さんで
ご高齢になって施設に入所されていました。
 他家に嫁がれた娘さんばかりで
後のことがお互い心配だったと思います。
いろんなお話をされていたのではないでしょうか。

 親子の縁につながったお互いですが
生活はそれぞれ違います。
 親として子として出会って
別れていくということです。

 仏事はこれから百か日初盆一周忌三回忌と続きます。
お浄土の仏さまと成って遺った私たちに
お念仏申す身になってくれよと
仏さまのご縁をつくってくださるのです。

 懐かしいお母さんのお姿に会うことはかないませんが
この目で見える姿でお遺骨がお墓に納められて
これからお墓に会いにお参りされることだと思います。

 お念仏のみ教えを聞かせていただきますと
私たちは命終わっても南無阿弥陀仏の大きなお慈悲の中に
つながってあるといわれます。
 それは死んでから始まるつながりではなくて
もう今すでにこの私が生まれる前からつながってあると
聞かせていただきます。

 今はこの目に懐かしいお姿を見ることはできませんし
懐かしい声を聞くことはできませんが
南無阿弥陀仏とお念仏を申すなかに
これからもずっとずっとつながって
仏さまとなってこの私を護って共に生きてくださるのです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.6.8)


自然のおはたらきにまかせて日々折々にお念仏の華を咲かせてまいりましょう

2021-06-07
わが家の庭のお花たちです(2021.6.7.17:00)
 梅雨のこの時期に咲くお花があります。
境内にはさつきの花が咲き
今は山法師の白い花が咲いてきました。

 晴天の中よりしっとりと雨に濡れて
紫陽花や菖蒲、アヤメの花がよく似合います。

 四季折々の営みの中にいろんなお花が咲いて
私たちを楽しませてくれます。

 大自然の営みに生かされてお花もそして私たちも
いのちいっぱい咲かせて生きているのですね。

 親鸞聖人はお念仏のお救いの法を
自然法爾(じねんほうに)といただかれました。
 阿弥陀さまの「必ず救うまかせよ」の
南無阿弥陀仏のおはたらきです。

 自然を「おのずからしからしむ」と示され
私のはからいを一切はさまず
南無阿弥陀仏のおはたらきにまかせるのです。

 私がどうこう思って行ってということではなく
阿弥陀さまがこの私をそのまま
お念仏を申す身にお育ていただくと聞かせていただきます。

 仏教詩人坂村真民さんの代表的な詩に
「念ずれば花ひらく」があります。
  苦しいとき
  母がいつも口にしていた
  このことばを
  わたしもいつのことからか
  となえるようになった
  そうしてそのたび
  わたしの花がふしぎと
  ひとつひとつ
  ひらいていった

 母がいつも口にしていたお念仏を
私も口にするようにお育ていただいたのです。
 お念仏のおはたらきです。
母が申すお念仏がそのまま私に届けられて
お念仏申す身にさせていただくのです。

 今日も私の口からお念仏が出てくださいます。
お念仏申す身にさせていただいたのは
阿弥陀さまの仏さまのおはたらきですが
私たちのご先祖有縁の仏さまのお育てがあって
このしぶとい口からお念仏が出てくださったのですね。

 今日も一日お念仏申す身のままに
お念仏の華を咲かせてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.6.7)


この目に見えるお遺骨となって仏法聞けよお念仏申す身になっておくれと仏さまのご催促です

2021-06-06
あじさいのお花がいっぱいです。大分市佐賀関「関崎海星館」から速吸の瀬戸「高島」を一望する。(2021.6.6.10:00)
 この前不燃物を捨てに佐野のゴミ焼却場に行きました。
使わなくなった家具や自転車といったもので
大きな深い穴底に捨ててくださいと職員さんに言われて
大きな物でもあり割れ物もあって恐る恐る捨てていたら
「思い切って放ってください」と言われました。

 ゴミですがずっと家にあった思い出の品々で
心情的に中々複雑な思いがあります。

 ずっと以前のことですが
送骨といって宅急便で送られてきたお遺骨を
お寺さんが受付けて合葬する話を思い出しました。

 合葬する映像を観たときの衝撃です。
僧衣を着けたお坊さんが合葬墓にお遺骨をはこんで
大きなお墓の穴に骨壺をひっくり返して納骨されたのです。

 何かゴミ捨て場にごみを
放り捨てるような光景に思えました。

 今は納骨といいますと墓地や納骨堂に
お遺骨の入った骨壺をそのまま納骨するのが一般的です。

 骨壺のままだと故人が特定されますが
合葬ではお遺骨を一処に合祀するということで
故人の判別はできなくなります。

 お遺骨もこれから減ることはなく増えてきます。
現にお墓や納骨壇にご先祖のお遺骨が一杯で
これ以上入らないところがでてまいります。
 これからの納骨のあり方として
合葬する手立ても考えていかねばならないでしょう。

 ただ納骨の仕方等については
お遺族の心情に寄り添うことが大事になってきます。

 今はお家のお墓が主流で個人墓は殆どありませんが
昔は土葬で個別に埋葬した所に墓碑を建てたお墓でした。

 先日個人墓の納骨のご相談を受けました。
広い墓地一帯に個人墓が十基ほどありました。
 その地に穴を掘ってお遺骨の入った骨壺を
埋葬されると言われます。

 埋葬のあり方も様々ですが
要は後を見る方の問題です。
 納骨埋葬したら終いではありません。
有縁の方が故人を訪ねる縁としてのお墓のあり方です。

 北朝鮮拉致被害者家族の横田滋さんの
一周忌のニュースがありました。
 一年経って祭壇に滋さんのお遺骨が納骨しないまま
置いてありました。

 「めぐみちゃんが帰ってきた時にお父さんが
こんなに頑張ってあなたの帰りを待っていたのよ」と
目に見える形で報告して抱いてほしいと
妻の早紀江さんが話していました。

 私たちは死んだら火葬されて遺骨になってしまいます。
「人間死んだらゴミになる」と言われても
お遺骨一つにそれぞれの思い入れがあるのです。

 お遺骨の行く先です。
お遺骨を納める所があることの意味です。
 有縁の方のお遺骨を納める人も
また同じ所に納められるということです。

 南無阿弥陀仏のみ教えを聞かせていただいて
私たちはお念仏申してこの人生を生き抜き
命終わって阿弥陀さまのお浄土に往き生まれ
仏さまに成らせていただくのです。

 先に往かれた方もお浄土ならば
後に遺った私たちも同じお浄土に生まれて
再び会うことができると聞かせていただきます。

 この目に見えるお遺骨となって
私たちにお念仏のみ教えを聞かせていただくご縁を
先に往かれた大切なお方が今もつくってくださっている
有難さ尊さです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.6.6)


スマホは本当に便利ですが…

2021-06-05
 去年の2月にスマホに切り替えて一年が経ちました。
一年間のサービス期間が終わり
料金設定が上がったということで
昨日お店に行って確認させていただきました。

 やっぱり上がっていました。
この一年間全く使っていない機能は解約するにしました。
 日常使うものはほぼ決まっています。
最近頻繁に使っているのはユーチューブです。
懐かしい音楽が次々に気軽に聴けて本当に便利です。

 そして気になる用語とか現代の新しい言葉を検索すると
すぐ教えてくれて本当に便利です。

 本当に便利な代物ですが
ネットを使うことで
その分お金がかかることがわかりました。
何とこれまでの20%の増額料金になっていました。

 スマホはまさに人工頭脳です。
スマホには百科事典が何冊も入っているということです。
 私たちは学校で辞書の使い方を習いました。
「あいうえお」から繰っていきます。
ア行カ行サ行と続きます。
英語でいったらABCです。

 スマホを使えば辞書を引かなくても
ピンポイントで調べものができるのです。
 知識として覚えておかなくてもいいのです。
その都度スマホで知識が入手できるのです。

 本当に便利ですが
その分お金がかかります。

 さてネット社会の到来で便利になり時間の余裕ができて
心豊かな生活ができるようになったかというと
どうでしょうか。

 例えばネットで即座に必要な知識を入手できるとして
それはこの身に身についたものではありません。
 生活の中で身につけたものでありませんから
それを応用して考え新たな知識を身につけることには
なりません。

 その時々のもので忘れても
ネットで検索すればいいのですが
本当に身についた知識という根っこの知恵がないと
私たちはどこまでも自分中心のものの見方で
自分の都合に合わせて生きていますから
自分の都合に合ったネット情報に
その都度振り回されることになるのではないでしょうか。

 私たちが生きる根っこです。
生きる依りどころです。

 お念仏のみ教えこそ私の生きる依りどころです。
南無阿弥陀仏のおはたらき一つにこの人生を生き抜き
命終わって阿弥陀さまのお浄土に往き生まれ
仏のいのちにさせていただくみ教えです。

 お念仏申す生活をさせていただきます。
あなたも私も分け隔てなく等しく救うてくださる
南無阿弥陀仏のお心おはたらきの中に
私たちは共々に生かされて生きていけるのです。

 スマホは本当に便利ですが
スマホに使われるのではなくスマホを有効に使い
お念仏申して自他ともに心豊かに生きる生活を
させていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.6.5)


南無の心でいのちを敬う

2021-06-04
ご門徒さんからいただいたグラジオラスのお花を仏さまにお供えしました(2021.6.4.8:00)
 テニスの大坂なおみ選手が全仏オープンの大会前に
試合後の記者会見を拒否することをSNSで発信し
一回戦で勝ちましたが会見をしないで罰金を科せられ
結果として全仏オープンを棄権する事態になりました。

 規則で試合に勝っても負けても出場選手の義務として
記者会見が課せられ拒否すれば罰金を科せられるなど
選手のメンタル面に配慮してほしいという訴えです。
 大坂選手自身3年前からずっとうつの病気に
悩んでいるとの発信もありました。

 他の選手は大方「記者会見も私たちプロ選手の
仕事の一部」という受け止めのようです。

 勝った時はそれこそ誇らしげに話せることも
負けた時は「何で負けたの?」「あのプレーは?」などと
容赦ない質問に泣き出す選手もいたということです。
 選手も人間ですから体調やコンデションによって
感情の起伏もあり辛い思いをすることもあるでしょう。

 ただメディアを通して選手の生の声が聞け
いろんな情報が伝わることで
選手への親近感になり人気が出てテニス界自体が
盛り上がることにもなると言われます。

 有名税という言い方をされます。
有名になればなるほど周囲の注目を集め厳しい見方も
覚悟しなければならないこともあるのでしょうか。

 社会の不特定多数の人から見られている立場の人です。

 私たちお坊さんはどうでしょうか。
社会の一般的な固定観念で見られているお坊さんです。
 普段は特別な見方はされませんが
何か事件でも起こすと
一般の方とはちょっと扱いが違ってきます。

 学校の先生然り政治家や公務員
お医者さんなど公職の人です。
 メディアの格好のえぎきにされ
たちまち大きく報道される人たちです。

 お坊さんは聖職者と言われたりすることがあります。
清く正しく美しく生きる人とでもいうのでしょうか。
 皆さんから見ると聖職者であってほしいという
願望をこめてということでしょうか。

 お坊さんも皆さんと同じ生活者です。
人と生まれて家庭で育ち家族を持って
いろんな思い苦しみ悩みをもった一人の人間です。

 確かに仏道に生き仏法を説く身として
心得ておくべきことはありますし
社会的な役割も十分承知して生活しなければいけません。
 社会の厳しい目で皆さんに見られていることは
逃れられません。

 ただどんな立場にある人もこの同じ社会に生きるなかで
互いに南無の心で敬い合うことが大事だと思います。
 
 南無はナマステというインドの言葉から発したもので
東南アジアの国々で人と人とが会う時に
互いに合掌してお礼をする姿を見かけます。
 敬うというしるしです。

 その人が立派な人だから職業だからと
敬うのではありません。
 どんな人もお互いに敬い合っていくのです。
いのちを敬うのです。

 あなたのいのちも私のいのちも
仏に成らせていただくいのちと敬うのです。
 仏さまから願われているいのちです。
南無の心で敬い合っていくのです。

 英語でリスペクト
尊敬するという意味の言葉ですが
あの人はリスペクトできる人とか聞くと
リスペクトできない人もいるのかと思って
何かしっくりきません。

 南無の心は私のはからいが入ることなく
どんな人もそのまま敬うということです。

 お互いにいのちを敬い合っていくなかに
その人人の苦悩に寄り添い支え合うことも
できるのではないでしょうか。

 南無阿弥陀仏です。
阿弥陀さまに相談するということです。
 阿弥陀さまはどんな愚痴でも何でも聞いてくださって
南無阿弥陀仏と喚んでくださいます。
「私がいつも一緒だから大丈夫
安心して共に生きていきましょう」と
南無の心でおはたらきです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.6.4)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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