春よ来い早く来い
2021-02-03
今日2月3日は立春です。
124年ぶりに2月2日が節分でその次の日です。
春が立つ出立です。
暦の上では春が始まるということですが
まだまだ春遠からじという実感です。
まだ寒い日が続くということもありますが
コロナ禍にあって昨日は首都圏等に出ている
緊急事態宣言の3月7日までの延長が決まりました。
昨日の節分の豆まきの主役はコロナ鬼ということで
早く収束してほしいものです。
春が来るといいます。
「氷がとけて春が来た」と雪国の子の作文です。
梅の花がほころびつくしが芽を出し桜の蕾が膨らんで
あたたかい春になります。
春よ来い早く来いと待ち望んでも
私たちの思い通りにはなりません。
春は来るときに必ず来るのです。
それは春そのもののおはたらきです。
阿弥陀さまの南無阿弥陀仏のおはたらきです。
私が願う前に阿弥陀さまは本願を起こし
「必ず救うまかせよ」と先手のおはたらきなのです。
冬から春へ春から夏へ秋へまた春へと
自然の営みおはたらきです。
大きな自然のおはたらき営みの中に
私たちの日々の生活があるのです。
阿弥陀さまの大きなお慈悲のおはたらきの中に
私たちの人生お浄土への道すがらがあるのです。
音が立つといいます。
今日も梵鐘を撞き本堂のチャイムが鳴って
皆さんがお朝事にお参りです。
喚鐘を打つ6時半の時間が薄明るくなりました。
光が立ちます。
音が立ち光が立って
朝が来ました。
私が私がと何か自分一人で頑張って生きている私ですが
そこには大きな自然の営みがあり
お朝事のご縁にお同行の皆さんがいらっしゃって
ナンマンダブツとお念仏の声が立ち
南無阿弥陀仏のおはたらきのなかに
今日の一日をまた始めさせていただきます。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.2.3)
懐かしい方々と写真で再会です
2021-02-02
七日七日のご縁に毎週お参りしているお家で
施主の方が「いいものが出てきました」と
二枚の写真を見せてくれました。
お寺の大きな法要の時の稚児宿での集合写真で
一枚は昭和27年のものでもう一枚は昭和37年
私が小学校4年生の時の写真です。
私の祖父が住職で父が副住職の当時です。
親族や大海組のご院家さんたちと
そのお家の家族が写っています。
お仏壇の奥に大切にしまい込んでいたもので
お母さんが亡くなって見つけたといいます。
お仏壇はそのお家の長老がお世話するもので
その方の存命中は他の家族が扱うこともはばかれます。
亡くなってから後のことで分からないことが多く
生前に聞いておけばよかったということもよくある話です。
昔の写真を見ていろんなことを思い起こします。
懐かしい方々ばかりです。
60年以上も前のことですが
ついこの前のことのように思われます。
昔は家族写真など殆どありませんでしたが
今は写真だらけといっていいほどいっぱいあります。
それこそお葬式のご遺影にどの写真を使うかというのも
大変悩むところだと思います。
写真を通してこれまでのことを振り返られます。
若いうちは昨日のことも振り返ることはしないものです。
今のこと自分のことで精いっぱいでしたが
歳を重ねてくると振り返ることが多くなります。
いろんな方々の思い出があり
たくさんのお育てをいただいて
今の私があることを有難く思い起こさせていただきます。
仏さまのご縁に遇わせていただくということです。
大切なお方とお別れする悲しみのご縁ですが
葬儀から始まる仏事を仏さまのご縁といただきます。
「ここに座れ」と御仏前に誘ってくださり
お念仏申して仏さまにお礼をさせていただきます。
仏さまのご縁で南無阿弥陀仏のいのちにつながって
今の私が生かされてあることをまた有難く尊く思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.2.2)
いのちみんなつながって共に生きる
2021-02-01
東日本大震災から今年で10年経ちますが
震災で亡くなった家族と夢で再会し
生きる力をいただいているという
ご遺族の話を聞きました。
幼い子どもであったり親であったり兄弟姉妹であったり
一つ屋根の下で一緒に暮らしていた大切な人です。
夢に出てくるといいます。
最初は嫌だったと振り返る方もいました。
何であの時助けてあげられなかったのか
何で自分だけ助かったのかという
何でどうしてという後悔自責の思いです。
そのことが時間が経ち自分が歳を重ねるなかに
大切な方は人の命終えて亡くなったのだけれども
今も自分の中でつながっているという思いがめばえて
それが励みになり支えになって
色んな復興プロジェクトを進めているということです。
縁起の法という仏教の大切な教えに
聞かせていただきます。
私たちは今ここに人の命を生きていますが
この命はいつか必ず終えていかねばなりません。
ただ死んだら終いではなくて
仏さまのいのちと成って
これからもずっと生き続けるというのです。
私のこの命どこから生まれて来てどこに行くのか
そんなことを考えることもなく
それこそ今の生活に精いっぱいというお互いですが
私の命は自分一人の命ではなく
自分一人で生きているのではなく
家族や周りの方々とつながって
大きないのちのつながりのなかに
生かされて生きているということです。
先に往かれた大切な方も
この目には見えないけれども
今もいのちつながって一緒に生きているということです。
夢を見るといってこの目で見ることはできません。
あの人の夢を見たいと思っても見ることはできません。
眠っている私の思いの中に
ふっと浮かんでは消える夢ですが
夢の中でつながって私に生きる力をくださるのです。
それは夢の中だけのお話ではなくて
確かにいのちがつながってあることを教えてくれるのです。
南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
生かされて今こここの私を生きているのです。
南無阿弥陀仏の大きなおはたらきをいただいて
お念仏申す身にさせていただき
今日一日も私にできる精いっぱいの御恩報謝の生活を
させていただきたいと思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.2.1)
お帰りなさい!マー君
2021-01-31
昨日田中将大投手の楽天入団記者会見がありました。
7年在籍したニューヨークヤンキースから古巣へ復帰です。
32歳ですが堂々たるものです。
渡米して異なる生活環境の中で苦労もあったと思いますが
野球の実績とともに人間的にも格段に成長した
ナイスガイの会見でした。
会見で二つのことが印象的でした。
一つはイーグルスという言い方です。
東北楽天イーグルスが正式名称です。
私は楽天という球団名がインプットされています。
対するソフトバンクです。
正式名称は福岡ソフトバンクホークスです。
楽天とソフトバンクはIT企業のライバル関係です。
セリーグでは巨人と中日の新聞社の関係です。
長いプロ野球の歴史の中で
人気低迷期にあったパリーグでは球団の身売りが続き
ホークスは元は南海で西武のライオンズは西鉄でした。
いつの間にか野球を通して企業の宣伝網に
絡み取られている私たちですが
イーグルスという言い方がとても新鮮でした。
実はイーグルスは現在の12球団で一番新しく
2004年に創設された球団の新しい球団名なのです
アメリカ大リーグは地元の名前が冠につき
企業の名前はつきません。
ロサンゼルスドジャース、シアトルマリナーズ
サンフランシスコジャイアンツです。
もう一つは東京オリンピックの野球についてです。
大リーグにいたら出場はまずできませんでしたが
東京開催が一年延期になり日本球界に帰ってきて
オリンピックに出れるチャンスが出てきたのです。
選ばれるのなら断る理由はないし出たい
金メダルを取りたいと明快です。
田中が加わったら日本の金メダルも
ずっと現実味を帯びてくるなと
東京オリンピックが楽しみになりました。
今はコロナ禍で東京開催の空気が沈みがちな中で
何か一つ夢をもらったような気がします。
ご縁つながりということを思います。
今年が東日本大震災から10年の節目です。
震災から2年後田中は開幕から無傷の24連勝の大活躍で
楽天が日本一になり東北の復興を盛り上げ渡米して
この節目に古巣に帰って来ることで東北は大歓迎です。
東北だけでなく日本全体がお帰りなさいという感じです。
これからの活躍が大いに期待されるところです。
ご縁つながりは田中投手だけのことではなくて
私たちもそうなのです。
不思議なご縁でこの世に人と生まれて生きてきました。
まさにいろんなご縁を善くも悪くもいただいて
今ここに私は生きているのです。
これまで自分の思い通りに生きてこれたかというと
思い通りにならないことが多くあり
思いがけないことにもあいました。
思い通りに行けば善いご縁といい
思い通りに行かないと悪いご縁
こんなはずじゃなかったと自分の都合で思いますが
善くも悪くも後悔することがあっても
今のこの私なのです。
そしてこの私をこれからも生きて行くのです。
多くの人に出会い楽しかったこと嬉しかったこと
苦しかったこと悲しかったこともあったけれども
今日のこの私からまた始まるのです。
仏さまの縁起の法を聞かせていただくと
思い通りにいかなくて辛かったこと悔しかったことも
またご縁だったと振り返られそのまま受けとめられます。
これまでの人生を振り返るなかに
やり直すことはできないこの人生も見直すことができると
南無阿弥陀仏の大きないのちのご縁つながりの中に
これからも生かされて生きていけると思うことです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.1.31)
家の灯りに人が生きる姿を想います
2021-01-30
日の出が段々と早くなりこの時間も明るくなりました。
ただ6時の梵鐘を撞く時また皆さんがお寺にお参りする頃は
まだ暗いなかです。
暗い中に灯りがついているお家を見ます。
家の灯りを見てお家の中のことを想います。
朝早く起きていつもの時間でしょうか。
それとも今日は何か特別なことがあるのでしょうか。
朝起きて電気をつけ朝の支度を始めます。
朝ご飯の準備でしょうか。
今は夜寝る前にタイマーを入れておけば
眠っている間に炊飯ができています。
私の子どもの頃はどうだったかと
皆さんもその当時のことを思い出しますか。
台所に大きなかまどがありました。
祖母や母が家族のみんなより早く起きて
火をおこし薪をくべてお湯を沸かしご飯を炊き
味噌汁を作って朝ご飯の準備です。
手間暇かかることですが
そこから家族みんなの生活が始まるのです。
家族がそれぞれ役割を決め手伝ったものです。
家の灯りに人が生きる姿を想います。
そしてこのお朝事です。
本堂に灯がともりお参りの皆さんを迎えて
ご一緒にお勤めをして仏さまにお礼をします。
南無阿弥陀仏のお念仏の声が
毎朝お寺の本堂から聞こえてきます。
阿弥陀さまのお喚び声です。
「いつも私が一緒だよ。
今日も一日お念仏申す生活をさせていただき
お浄土への人生を生きて往こうね」と
聞こえてきます。
灯のともるお家はお寺は
私のことをいつも思うて下さる阿弥陀さまがいらっしゃる
私のいのちの古里帰る処です。
今日も一日いろんなことがあるでしょうが
お念仏を申して生きて参りましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.1.30)