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お念仏を申す生活法話

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老若男女の違いを超えて大きな乗物にご一緒しましょう

2021-02-13
 今日から高僧和讃に入ります。
インド中国日本に出られた七人の高僧方によって
お釈迦さまが説かれた阿弥陀さまの本願念仏のみ教えが
親鸞さまのところに届けられた喜びを
ご和讃にまたお正信偈さまに讃嘆されています。

 第一祖はインドの龍樹菩薩で
お釈迦さまから約七百年後の方です。
 龍樹菩薩は第二の釈迦といわれ
お釈迦さまのお心を開いて
大乗仏教の基盤を確立されました。

 御和讃に「有無の邪見を破すべしと」とあります。
お正信偈にも「悉能摧破有無見(しつのうざいはうむけん)
有無の邪見をすべて打ち破りと
親鸞さまは龍樹菩薩のご功績を讃えています。

 有無の邪見とは有るか無いか
一方に偏ったものの見方で
それを邪見間違った見方とお示しです。
 有無の邪見にとらわれるところに
私たちの苦悩のもとがあるというのです。

 お釈迦さまが悟られた真実の見方は如実知見といって
ものごとをありのままに見る見方です。
 私のはからい偏見が一切入らない見方ですが
私たちは私の色眼鏡でものごとを見ては
善悪の判断までするのです。

 東京五輪組織委員会の会長問題が
二転三転しています。
 男で有るとか無いとか女で有るとか無いとか
年寄りで有るとか無いとか若い者で有るとか無いとか
私たちのものの見方はそれぞれ違いますが
自分の都合に合わせて
ものごとを見ていることは同じです。

 共々に仏法に聞かせていただきましょう。
大乗の教法です。
 衆生をさとりに向かわせる大きな乗物のことで
自らさとりを求めるとともに
ひろく一切衆生をも救済しようとする
自利利他の教えです。

 すべてのものが救われなかったら
私はさとりを開かないと誓われた
阿弥陀仏のご本願のお心そのものです。

 私もあなたも私たちみんなが一緒に乗っていける
大乗大きな乗物の教法です。
 老若男女の違いを超えて
共に救われていくお念仏のみ教えを
今こそ聞かせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.2.13)


勢至菩薩観音菩薩とお慕い申し上げてお念仏の道をご一緒です

2021-02-12
 今日の御和讃は八首でした。
通常は六首で、七首の時もありますが
この八首というのが一番長いです。

 大勢至菩薩和讃八首といって勢至菩薩を讃えるものです。
阿弥陀如来の脇侍の菩薩さまです。
 智慧の菩薩の勢至菩薩と
もう一方が慈悲の菩薩の観音菩薩です。

 御和讃の最後に「源空聖人本地也」と記されています。
親鸞聖人が源空聖人法然さまを勢至菩薩の化身と
敬い慕われていたということです。

 ところで奥さんの恵信尼さまが夢で
お二方の菩薩さまの夢を見たというお話です。
 一方は勢至菩薩で法然さまのことであり
もう一方は観音菩薩で親鸞さまのことだという夢です。

 翌朝その夢のことを親鸞さまにお話されたそうです。
法然さまが勢至菩薩さまということについて
親鸞さまは肯定されます。
 しかし親鸞さまが観音菩薩だという夢のことは
恵信尼さまは生涯親鸞さまに打ち明けることなく
ずっと親鸞さまを観音菩薩の化身と思い
敬いお慕い申し上げてきましたと
親鸞さまがご往生の後で娘の覚信尼さまに送った
手紙に書かれています。

 阿弥陀さまの大きなお慈悲のおはたらきのなかに
親鸞さまは法然さまのことを勢至菩薩と
恵信尼さまは親鸞さまのことを観音菩薩と
お慕い申し上げ
南無阿弥陀仏のお念仏につながって
日々麗しく日暮らしされていかれたことを
有難く聞かせていただきます。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.2.12)


「おかしい」と思うセンスを大事にしましょう

2021-02-11
 昨日は前々坊守のお話でした。
浄土真宗のお寺は住職坊守が
代々世襲されてきた寺族の歴史があります。

 親鸞聖人は結婚されて恵信尼さまという奥さん
そして子どもさんの家族がありました。
 家族との日々の生活の中で
お念仏のご法義につながって共々に生きてこられたのです。
 まさに在家の仏道であり
それは僧侶だけでなく門徒の仏道でもあります。

 私の継職法要の時に記念誌を出しました。
過去の資料が余り無いなかで確かなもので
四百年に及ぶ円光寺の歴史を箇条書きにしたものですが
あるお坊さんから
「(記念誌に)歴代の住職の名前は載っているが
坊守の名前がありませんね」と指摘されました。
私はその時何を言われているのがピンときませんでした。

 今森発言の波紋が広がって
連日新聞テレビ報道で男女平等のことが言われています。
 その観点からするとお寺もまた男社会ということです。
お寺の住職というと男性というのが
皆さん一般の認識ではないでしょうか。
 お寺に男児が生まれたら跡継ぎができたと喜ばれます。
女児が生まれたらどうでしょうか。

 今は女性の住職が増えてきました。
その大きな理由は男女平等に目覚めたというより
後を継ぐ男性がいないというお寺の事情です。
 お寺の娘と結婚したご養子が
住職になることが多かったのですが
今は結婚しても住職にならない方もいらっしゃいます。

 男だから女だからというのではありません。
お寺に生まれたからどうかでもありません。
 仏さまのご縁といただいて
思いをもった方が住職になれば
それはそれでいいのだと思います。

 ただ住職一人でお寺の何もかもができる
ということではありません。
 坊守にも大きなお役目があるのですが
お寺の規則があって「坊守とは住職をたすけ」とあり
一方住職には「坊守をたすけ」という文言はないのです。
 坊守はあくまでも住職の補佐役ということです。

 今の社会の感覚からいったら
お寺は時代に遅れているという感覚でしょうね。
 今生きている時代社会を感じ取る感覚センスです。
言論はじめ視聴覚に至る全身で受け取る肌感覚です。

 森発言に対して社会の受け止めは
批判的な声が多いのですが
森さんの周辺からは擁護する発言が次々に出てきています。
 映像とともに伝えられるそうした発言を見て聞いて
皆さんはどう思いますか。
「おかしい」と嫌になることってありませんか。
「いいね」と共感することも含めて
それがセンスです。

 私たちがこれまでこの社会に生きてきたなかで
様々な経験そして学習を通して培ってきたものです。
 嫌だなと思う感覚センスは大事ですが
それは単にその人を批判し排除することではありません。

 その人の意見ものの見方考え方と受け止めるなかで
自分のなかにもそうしたものがないか見直すことでもあり
その人の考え方を改めてもらうことがなければ
何か辞めるとか辞めないとかいう話になっていますが
もっと根本的に大事なことは
日本の社会が本当の意味で男女平等になっているのか
という問いかけだと思います。

 口ではもっともらしいことを言いますが
実際にそうなっているのか
自分自身が問われるところです。

 一つの発言で嫌だなと感じる人がいることを
生きにくい社会になっていないかと
私たちのものの見方考え方が問われています。

 お念仏のみ教えを聞かせていただきます。
仏さまの教えは仏さまのものの見方です。
 仏さまの教えに遇って聞かせていただくなかに
自分中心の見方で生きてきた私が
今まで見えなかったことが見えてきて
気づかなかったことに気づかされるということです。

 仏さまのみ教えを共に聞かせていただいて
「そやね。そやね」と気づかされるなかに
お互いに敬い合い支え合って
共に生きる社会でありたいと思います。

 お寺はお念仏のご法義を聞かせていただき伝えていく
お念仏聞法の道場です。
 お念仏のご縁につながって住職坊守の役割
門徒さんの役割がそれぞれあります。
 お念仏の家族としてお互いに敬い合い
お念仏申して生きてまいりましょう。

 森さんが辞めたら後継者がいないと
「余人に代え難い」と森さんを持ち上げる発言ですが
そうでしょうか。
 その人が一人頑張ってやってきたことではなくて
たくさんの方がそれぞれの役割を果たして
今もみんなでできているということです。

 このお寺もそうです。
お念仏申す思いをもった先人がいらっしゃって
お念仏のみ教えを伝えてくださったのです。

 昨日のお話でいうと
昭和35年にご往生された前々坊守さんであり
住職さんご門徒さんそういう方々の思いが
今日このお朝事のご縁に届けられていることを
また有難く思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.2.11)


藤並ツ子さんの祥月命日です

2021-02-10
 今日2月10日は祖母藤並ツ子前々坊守の祥月命日です。
昭和35年の往生で今年が62回忌になります。

 昨日懐かしい写真の話をしました。
昭和27年の写真と昭和37年の写真でした。
 祖母が往生して2年後のことです。
その間の昭和36年には親鸞聖人の七百回大遠忌法要に
円光寺から大勢のご門徒衆が団体で
ご本山京都西本願寺に参拝しています。

 昭和35年36年37年と大きな出来事が続き
人の出入りも多くお寺は賑やかでしたが
色々と大変だったと思います。

 ツ子ばあちゃんです。
「坊や坊や」と私をすごく可愛がってくれたと
周りの方から事あるごとに何度も聞かされました。
 ばあちゃんに抱っこされた写真が残っています。
お寺のぼんちゃんです。
行く行くはこのお寺を継いでくれるという思いもあって
大事にお育ていただいたということです。

 事細かなことは記憶にありませんが
いろんな人から伝え聞くところでは
体も心も大変ふくよかな坊守さんだったといいます。

 戦前戦中戦後のお互いに生活に困窮していた時代です。
並大抵のご苦労ではなかった思いますが
じいちゃんのご院家さんと共にお念仏に生きて
お寺を護りご法義を伝えてくださったことです。

 ばあちゃんの口癖が「あがりよ」「たべよ」でした。
近所の人に声をかけては「あがりよ」とお寺の家にあげて
「たべよ」と何か食べるものをすすめたというのです。

 食べるものがない時代です。
お寺には仏さまのお供え物とかがあったのでしょうね。
 空腹を抱えたものには
これほどのご馳走はなかったでしょうし
そのことを鮮明に覚えているのでしょう。

 今ではとても考えられないようなことです。
知ってる人でも誰でも「あがりよ」と言って
家にあげたりすることはありません。
 玄関口や勝手口で話が済むことですし
配り物は顔を合わせなくても
ポストに入れたら済むことです。
 声をかけ合うことさえないのが今の近所付き合いです。

 逆に「あがりよ」と言われて警戒しませんか。
「あがりよ」と声かけできるのがお寺なのです。
どんな人もあがっていいよと
仏さまが開いてくださっているのです。

 また裁縫などの手芸も教えていたといいます。
近所の方から後々に
「お寺のおばあちゃんに大変お世話になった」と
よく言われたものです。
 裁縫を習ったことで家の事だけでなく仕事に役立ったと
門徒さんだけではなくたくさんの方から聞きました。

 お互いに助け合って生きるのが
当たり前のようにできていたのでしょうね。
 助け合っていかなければ
生きていけなかった時代だったのでしょう。

 今日食べるお米がないと
隣の家に借りに行くこともあって
貸し借りがお互いにできた社会だったと思います。

 今は人間関係が難しいです。
微妙な距離感であの人この人と付き合い方が違います。
 隣同士でも声をかけ合うことがはばかわれます。
生活が苦しくても「助けてくれ」と言いません。

 声をあげたら逆に
周囲から自己責任といわれ責められる始末です。
 だから黙っておくのです。
しかし何も問題の解決にはなりません。
困り果てて結局どうするのでしょうか。

 みんなが共に助け合っていく
共生社会からは程遠い現実です。
 この後「浄土真宗の教章」を唱和しますが
「自他ともに心豊かに生きることのできる社会」です。

 心豊かにといって心も体もです。
生きることは食べることです。
 お互いに生活できるように支え合い助け合って
自他ともに心豊かに生きるということです。

 小さい頃のばあちゃんの思い出ですが
過去の話ではなくこれからのお寺のあり方を
今も教えてくれているようです。

 61年の歳月が経ちました。
61年私も皆さんも生きてきました。
 そしてこれからもということですが
私もいつかはこの命を終えていかねばなりません。

 後のものに何を遺していくのか。
レガシーです。
 私たちは南無阿弥陀仏のお念仏のみ教えをいただいて
生きています。

 61年前も南無阿弥陀仏今も南無阿弥陀仏
そしてこれから50年100年後
世の中は移り変わり人も変わって行きますが
お念仏のみ教えはこれからも変わることなく
その時代社会に生きる人びとの生きる依りどころとなって
日々南無阿弥陀仏とおはたらきくださいます。

 お念仏申す生活を今日もこうしてお朝事のご縁で
皆さんと共に始めさせていただくことを
本当に有り難く思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.2.10)


古い写真にお念仏の物語を思います

2021-02-09
 先週古い写真の話をしましたが
昨日そのお家の七日日のご縁で
新しく現像された二枚の写真をいただきました。

 昭和27年と37年の法要の時の写真です。
写真に写っている人で分からない人がいます。
早速母に聞いて分かるように
後の者に伝えていこうと思います。

 当時の先人の生活ぶりに思いをはせます。
昭和27年3月の写真には私は写っていません。
その年の10月に生まれですから母のお腹の中にいました。

 当時三佐内でお寺から一番遠い遠見地区にあったお家で
2㎞ほど離れたお寺までの稚児行列です。
 いくつかの集落が転々と在り田圃や畑ばかりの中を
色衣で正装したお坊さんや稚児が賑々しく歩いて行きます。
 お寺だけの法要でなく三佐地区あげての大イベントで
大変盛り上がったことだと思います。

 法要までの準備も大変だったと思います。
打ち合わせの会合をするにも互いに連絡する手段も少なく
予め決めた時間にそれぞれが
文字通り万障繰り合わせ集まったのではないでしょうか。

 ご門徒皆さんのお寺へのあついご懇念を思います。
まだ戦後間もない頃で生活も大変だったと思いますが
私たちのお寺という思いがいっぱいだったことでしょう。

 当時の交通手段はどうだったのでしょうか。
叔父は国東叔母は宇佐のお寺からお参りです。
汽車で来て鶴崎駅から歩いたのでしょうね。

 近隣のお寺さんもお参りくださっています。
衣体の入った大きな法要カバンを持って
今だったら車ですぐ来れますが
今から考えたら大変なことも
当時は当たり前のようにできていたのでしょうね。

 その日の天気はどうだったか
一日の日程はどうだったか
親戚の者はみんなお寺に泊まって食事などして
近所のご門徒さんに内所のお手伝いを
何日も前からしてもらってなどと
いろんなことを想い起こします。

 何か楽しいですね。
ご縁の人がたくさん出入りするお寺の楽しさです。
 お念仏のご縁です。
南無阿弥陀仏のご縁につながって
その当時もそれからもお念仏の先人が
今ここに伝えてくださったお念仏のご法義です。

 当時はまだ古い木造の本堂でした。
あれから70年近く経って
お寺もこの周辺もすっかり変わりました。
 お寺を支えてくださるご門徒衆の顔ぶれも
生活ぶりも大きく変わりました。

 今日もこうしてご門徒皆さんとご一緒に
お朝事のお勤めができました。
 阿弥陀如来さまをご本尊と仰ぎ
南無阿弥陀仏とお念仏申す生活は
今も昔も変わりません。
 お念仏の道を歩まれた先人のお姿を二枚の写真に拝して
御恩報謝の気持ちいっぱいに
お浄土への人生を共々に生き抜かせていただきます。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.2.9)


円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
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