「善導独り仏の正意をあきらかにせり」
2021-02-23
今日から御和讃は高僧和讃の第五祖
中国に出られた善導大師を讃える御和讃に入ります。
「大心海より化してこそ善導和尚とおはしけれ」
で始まります。
海のように大いなる阿弥陀仏の慈悲の心によって
善導大師はこの世にお出ましになったといわれます。
阿弥陀さまのお慈悲のお心とは
すべてのものを分け隔てなく救うというお心
南無阿弥陀仏のおはたらきです。
阿弥陀仏の本願念仏のお救いを善導大師が明らかにされ
法然聖人が専修念仏の仏道と示してくださって
親鸞聖人は南無阿弥陀仏のおはたらき一つで
賢者も愚者も善人も悪人も誰もが等しく救われる
本願他力のみ教えに出遇われたのです。
歎異抄に
「ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべしと
よきひとの仰せをかぶりて信ずるほかに
別の子細なきなり」とある通りです。
お正信偈さまの中で「善導独明仏正意」と
調声人が一音高く独唱します。
善導独り仏の正意をあきらかにせりと
善導大師はただ独りこれまでの誤った説を正して
仏の教えの真意を明らかにされたというのです。
仏とはお釈迦さまのことです。
お釈迦さまが説かれた阿弥陀仏の救いの法の真意を
明らかにしてくださったご功績を讃えます。
さまざまな仏道がある中で
煩悩具足極悪深重の凡夫の身が念仏一つで救われていく
専修念仏の仏道です。
今日からしばらく
善導さまのご事績をたずねてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.2.23)
とても温かい日曜日です
2021-02-22
昨日は日曜日でご法事があって
遠見のご門徒のお家にお参りしました。
遠見のバス停付近でリックを背負った
マスク姿のグループに出会いました。
団体でウォーキングをしているようでした。
後からスマホで知ったことですが
大分市のウォーキング協会主催の
毎月開催されているイベントで
三佐海原周辺ウォークということです。
ちょっと小高い遠見山というところに
上って下りてきていました。
ご法事の後小一時間程してまた元の場所に戻ったら
まだ何人もその周辺を歩いていました。
メインは「いのち山」だそうです。
津波に備えて造った避難場所でまさに「命を守る山」です。
昨日は春の陽気で温かくお天気に恵まれて
コロナ禍の巣ごもり生活から少し解放されて
気分転換になってよかったと思います。
昨日のご法事は50回忌のご縁でした。
今年の50回忌は昭和47年にご往生された方のご縁です。
49年が経ちました。半世紀です。
大切なお方とお別れして
49年間いろんなことがあったでしょう。
そのなかで先に往かれた方は人の命は終えたけれども
仏さまのいのちと成ってくださって
南無阿弥陀仏のおはたらきでいつでもどこでも
後に遺った皆さんとご一緒ですよと
お取り次ぎさせていただきました。
御仏前に座らせてもらいました。
手が合わさってナモアミダブツとお念仏申せて
仏さまにお礼ができました。
仏さまからいただいた尊いご縁です。
それは今日だけのご縁ではなくて
昨日も一昨日もこれまでもずっとそうだったし
明日も明後日もこれからもずっとつながっている
有難いご縁です。
この目には見えないけれども
数えきれないほどたくさんのご先祖有縁の仏さま方が
南無阿弥陀仏のおはたらきを私に届けてくださり
私の口からナモアミダブツとお念仏が出てくださるのです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.2.22)
南無阿弥陀仏のいのちの物語です
2021-02-21
お葬儀のご縁です。
私と同じ夜に生まれた方です。
昭和27年の私は10月3日その方は10月4日生まれで
日付は違いますが同じ夜にということです。
当時は産婆さんに取り上げてもらっていました。
出産が二人同時に重なって
後から聞く話ですが
裏町の産婆さんで円光寺に近いということも
あったのでしょうか
バタバタするなかで私の方に先に来られて私が生まれ
その後その方のところに行ってということです。
自分が生まれた時のことを
誰も知ってる覚えている人はいません。
周りの人から後から聞くことですが
そこにいろんな脚色が入って物語ができるのです。
10月3日の金曜日でした。
その日の夜はきれいな満月だったと何度も聞きました。
この時節の満月は十五夜です。
話を聞き重ねるなかで
私は月よりの使者と思っていました。
おとぎ話のかぐや姫です。
小さい頃のテレビのヒーロー正義の味方月光仮面です。
名前も「晃照」で日が光って照らすと書きますから
まんざらでもない物語です。
スマホで調べました。
「昭和27年10月3日の月は?」と検索したらありました。
ところが10月3日は満月ではなかったのです。
次の4日が満月でした。
ただ見た感じは満月だったと思います。
満月にしておきましょう。
それにしてもスマホって便利ですね。
ネットで検索すれば知りたい情報が
すぐ手元に入ってくるのです。
ただこれまで思い込んでいたことが
間違いだったということも結構あります。
講演会で講師の話をスマホで検索している人がいます。
講師の言うことが正しいのかどうかチェックもできます。
スマホ一つで知識を全て習得したように思いがちですが
身についたものにならなければ所詮知識にすぎません。
積み重ねた学習の過程が大事なのであり
それは何のための学習なのか考え創造することです。
覚えようとしても覚えられず
忘れまいと思っても忘れることもあります。
忘れたら思い出すこと
その手段がスマホのネットです。
スマホを有効に使う
これも工夫考えることです。
知識をもって考えることが大事なのです。
今日の話でいったら自分が生まれた時のことを
色んな知識を集めて物語ストーリーをつくることも
面白いと思うのです。
人に言いふらすことではありません。
今日言ってますけどね。
そういうなかに私のいのちの物語です。
最初があったら最後があるということです。
命の誕生があれば終わりがある
生まれて来たら去って行かねばなりません。
どこに?
お念仏のみ教えに聞かせていただくと
私のいのちの物語は人の命終えたら
終わりではありません。
南無阿弥陀仏のおはたらき一つで
命終えてそのままお浄土に往き生まれ
仏さまなってこの世に還って来て有縁の人を救うという
南無阿弥陀仏のいのちの物語のなかにあるのです。
南無阿弥陀仏の大きないのちの物語のなかに
今日一日もお念仏申して
生かされて生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.2.21)
大分三佐の円光寺です
2021-02-20
昨日新聞の広告でニトリの開店を知りました。
「ニトリ大分三佐店」と書かれてありました。
ニトリは全国区のお店です。
この周辺にはナフコやコスモスの大きなお店がありますが
ニトリはそれ以上の日本を代表する有名なお店です。
大分三佐という表示が何か嬉しかったです。
三佐の地名は大分市内の方でも知らない人が
多いのではないでしょうか。
鶴崎はわかります。
昔は鶴崎市でしたしJRの鶴崎駅もあります。
三佐の所在地を説明するのに鶴崎から海部に行った所
昭和電工のある所といったようなことです。
お寺を昔の所在する地名でよぶことがあります。
その地域のお寺という意味合いが大きかったのです。
三佐の円光寺であり森町の専想寺さん
神崎の教尊寺さんといったことです。
江戸幕藩体制の中で今のお寺のあり方が決められて
所在する藩の地名がつけられたということです。
お寺に所属するご門徒も同じ藩の人でした。
三佐は岡藩の飛び地でしたので
大海組の近隣のお寺とは藩が異なっていました。
三佐に居住している浄土真宗の門徒の所属寺は円光寺で
同じ小学校区で川向こうの家島は臼杵藩でしたので
妙蓮寺さんや光国寺さんの所属なのです。
大分三佐の円光寺です。
今ホームページを発信していますが
「大分三佐の円光寺」で検索してもらいたいと思います。
三佐も区画整理で町並みが変わり
交通の要所で色んな会社や職場が増えました。
三佐の住民も出入りが多くなって
昔から三佐に住んでらっしゃる方が少なくなり
新しい方が方々から入ってきて人の移動が激しいです。
この前オープンした大分東警察署跡地のアベタウンに
そしてその向かいパチンコ店のあった跡のニトリです。
人や車の動向が気になるところです。
昼前に用事があってニトリの辺りを車で通りました。
駐車場は満車状態でしたが車の流れはまあまあでした。
今日明日の土曜日曜日はどうでしょうか。
ニトリの広告を見て思ったのは
大々的なオープンセールといったものがありません。
開店先着何名様に無料で何々を差し上げます
といったものもありません。
消費者にとっては残念なことですが
そんなことをしたら大渋滞です。
地域の人と共にあるお店の
これまで積み重ねてきたノウハウです。
さすがニトリ大分三佐店です。
お寺も学ぶところがあります。
地域の人と共にあるお寺です。
ノウハウ工夫です。
お念仏のご法義を地域の人に広く聞いていただき
人から人へ伝えていくために
これからのお寺はどうあるべきか
考え工夫しできるところから始めましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.2.20)
先に往かれた仏さまのご縁です
2021-02-19
今日2月19日は私の伯父藤並照圓師の祥月命日です。
昭和23年の往生で74回忌のご縁です。
円光寺の長男に生まれた円光寺の住職後継者で
当時は副住職でした。
五人姉弟の第二子で次弟は国東のお寺に入寺しており
長女も結婚して家には末妹が一人居ましたが
三男の私の父は外に出ていました。
それで急遽お寺に呼び戻され僧侶になって
後継住職になったということです。
自分の人生とはいえ
自分の思い描くようにはいきません。
紆余曲折いろんなことがあります。
それをご縁といただきます。
良くもご縁悪くもご縁です。
良くも悪くもといって
その人人の人生です。
自分にとって思い通りになることが良いご縁で
思い通りにならないことが悪いご縁と
いうぐらいなものです。
大事なことは色んな人との出会いご縁つながりがあって
今の私があるということです。
良くも悪くも今のこの私です。
そうした思い通りにならないこの人生で
仏さまのご縁に遇わせていただける有難さです。
良いとか悪いとかのはからいを超えて
どんな人にも仏さまのご縁はつながっているのです。
南無阿弥陀仏のおはたらきです。
「われにまかせよ必ず救う」と
どんな人にも阿弥陀さまは喚び続けてくださっています。
仏さまのご縁に遇わせていただいて
南無阿弥陀仏のお心を聞かせていただき
お念仏を申す身にお育ていただくのです。
南無阿弥陀仏とお念仏申す生活をさせていただき
阿弥陀さまのお浄土に往き生まれる人生を
共々に歩ませていただきます。
これからも良くも悪くも思い通りにならない人生ですが
お念仏申して阿弥陀さまのお慈悲に生かされて
本当に有り難い人生を生き抜かせていただきます。
先に往かれた仏さまのご縁です。
お念仏のみ教えを伝えてくださるために
照圓師が円光寺に生まれ28歳の人生を生き抜かれて
今もお浄土から私たちを見守ってくださってあるなかで
今日のお朝事のご縁をいただけたことであります。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.2.19)