オオタニサンの佇まい
2021-07-15
ここ数日アメリカ大リーグの大谷翔平選手の話題で
日本中が大変盛り上がっています。
皆さんもご存知の通りのもの凄い大活躍です。
テレビの情報番組であるコメンテーターが
大谷選手の魅力について
凄い野球選手だけれども
努力とか汗や涙というイメージではない
いつもにこにこして野球を楽しんでいる
少年の佇まいがあると言っていました。
佇まいという言い方がいいですね。
その人の立ち居振る舞いに漂う雰囲気です。
人にこう見せよう見せてやろうというものではなく
その人の内から出てくるものということでしょうね。
一見したら長身でスマートな好青年ですよ。
洒落た服を着たらタレントといった感じの若者ですが
今の大谷選手があるのは精進努力の賜物だと思います。
少年の頃から夢見たことをかなえる努力です。
夢だけを追っているのではありません。
大谷選手の代名詞は二刀流です。
野球少年が投げて打って守って走ってと
純粋に野球を楽しむことです。
笑顔が自然に似合います。
念仏者の佇まいということを思います。
南無阿弥陀仏のみ教えに遇って
お念仏申す身にさせていただくと
日々の生活の中にふっとお念仏が出てくださいます。
ナモアミダブツとお念仏を申してくれよと
阿弥陀さまの大きな願いが届けられて
お念仏を申す身に仕上げられたのです。
お朝事のご縁で皆さんご一緒にお念仏申させていただき
今日の一日を始めさせていただくことの有難さです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.7.15)

梅雨明けです
2021-07-14
昨日大分の梅雨明け宣言がありました。
今年は梅雨入りが例年より早く
雨もこの辺はそんなに大きな雨が降ることもなく
去年より6日早く梅雨が明けたということです。
昨日午前中お参りで外に出ましたが
ラジオで入道雲が出ていると聴いて
空を見上げたらすごい入道雲でした。
入道雲は夏の象徴です。
今朝の大分合同新第第一面に豊後高田市長崎鼻の
太陽が燦々と輝く青空の下で元気なひまわりの花の
カラー写真が掲載されていました。
梅雨が明けて夏が来たな
さあ外に海や山に出かけようと
いつもはテンションが一段以上に上がるのですが
今年の夏もコロナ禍で何ともままなりません。
梅雨明けといいます。
梅雨が明けて夏が来たということで
今はもう夏ということです。
明日という字は明けの日明るい日と書きます。
明るく開けた日ということです。
「仏法に明日はない」というお話です。
明日がある明日があるといって先延ばしにしていたら
仏法に遇うことなしにこの人生を終えるということで
仏法聴聞は今ここが大事なんだよとの思し召しです。
確かにそうです。
私たちはまだ来ない明日を生きてるわけではなくて
今ここを確かに生きているのです。
ただ「明日がある」というフレーズはいいですね。
希望があります夢があります。
「明日がある」と開かれた明るい世界があるから
今を生きていけるのですね。
今を生きるといって
私が生きている今の現実は
必ずしも自分の思い通りのものではありません。
自分が予定していなかった
思いがけないこともわが身に起こってまいります。
でも思い通りにならないなかも生きていけるのは
そこに明日があるということです。
全く自分の思い描く明日ではありませんが
明日の私を思います。
阿弥陀さまの本願念仏のご法義でいいますと
阿弥陀さまのお浄土が私に用意されているのです。
お浄土から無量光のおはたらきで
私の迷いの闇を破って開かれた明るい世界があるから
この迷いの闇のなかも生きていけるというのです。
私に開かれた明るい世界のお浄土が
つながっているということです。
ポツンと今があるのではなくて
昨日があっての今、今があっての明日です。
無量寿のいのちのつながりです。
私一人で生きているのではなくて
あなたがいて私がいる私たちの世界です。
人間だけではなく
あらゆる命が共々につながり生かされているのです。
梅雨が明けて夏になります。
この夏も秋になり冬になって春が来てまた夏を迎えます。
順繰り順繰りの繰り返しのようですが
それぞれの季節のつながりです。
大きな大きな南無阿弥陀仏のいのちのつながりのなかに
お互い生かされて今日の一日も生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.7.14)

お寺に帰る
2021-07-13
3日ぶりにお朝事のお勤めをさせていただきます。
土曜日の夜急に体調を崩して3日間入院しました。
昨日坊守に迎えに来てもらいお寺に帰ることができました。
お寺を出る時には意識もしっかり戻っていましたが
ずっと不安でした。
お寺に帰るということです。
よくお話させていただくことですが
帰るところがある安心です。
今朝6時にいつもの朝のように梵鐘を撞きました。
「ああご院家さんが撞きよんのやろう」と
思ってくださった方もいたのではないでしょうか。
6時半には喚鐘を撞いて
今日もこうしてお同行の皆さんとご一緒に
お勤めができることの有難さを思います。
つながってあるということです。
南無阿弥陀仏のご縁つながりです。
お念仏のご縁をいただいて皆さんとつながって
朝一番に阿弥陀さまの御前に座らせてもらって
ご一緒にお正信偈のお勤めをさせていただき
御文章さまを拝読して
今日の一日を始めさせていただきます。
「まあしばらくはここに座れ」と阿弥陀さまのご催促
南無阿弥陀仏の思し召しです。
いつもの指定席に座って皆さんとご一緒に
仏さまのみ教えを讃嘆させていただいて
お念仏申す生活お浄土への人生を歩ませていただきます。
今回の大騒動の顛末経過を後で聞くと
覚えていないことだらけで
恥ずかしい立ち居振る舞いもあったということです。
凡夫の身そのままを生きてる私です。
この凡夫をそのまま救うてくださる仏さまが
いつでもどこでもご一緒くださってあるというご法義です。
帰るところがある有難さです。
いつどこでどんな形で命終えることがあっても
そのまま帰らせていただく阿弥陀さまのお浄土です。
そのお浄土にはご先祖有縁の方々が往ってらっしゃって
仏さまとなって私を護り救う南無阿弥陀仏の
おはたらきをしてくださっているのです。
南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
今日もこうして生かされて生きていくことができることを
お念仏申して有難く喜ばせていただきます。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.7.13)

南無阿弥陀仏のご縁につながって
2021-07-10
南無阿弥陀仏のご縁つながりをいただきます。
私とあなたの関係で
私たちは何時どこでと約束して会っていますが
約束していても予定通りに私の思い通りに
あの人とこの人と会っているわけではありません。
いつかどこかで偶然偶々会うこともあります。
お念仏のご法義に聞かせていただきますと
偶々ということは一つもないと全てがご縁だというのです。
もうすでに私たちはつながってあるといいます。
私の意思でつながろうと思ってつながっているのではなく
私たちは大きないのちのつながりの中に
お互いに生かされて生きてあるというのです。
南無阿弥陀仏の大きないのちのご縁つながりです。
南無阿弥陀仏のご縁につながって
こうして御仏前に座りご一緒に南無阿弥陀仏とお念仏を申す
私たちにしてくださったというおはたらきです。
そこに私たちの思いはからいといった理屈は
一切入り込むことはできません。
私たち人間の自己中心の思いはからいを
根こそぎそのまま引き受けてくださる阿弥陀さまの
仏さまのおはからいおはたらきに
おまかせすればいいのです。
今日も私たちは予定を組み
自分の思いをもって生きています。
思い通りにならないことや思いがけないことも
いろんなことがあるでしょうが
今日一日の終わりに自らを振り返って
御仏前に座り手が合わさって南無阿弥陀仏とお念仏申し
ようこそようこそ今日一日も賜わったいのちを生きて
人との出会いの中に南無阿弥陀仏のご縁つながりを
喜ばせていただく生活でありたいと思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.7.10)

何を依りどころに安心安全な日暮らしでしょうか
2021-07-09
昨日菅首相の会見で
東京に4度目の非常事態宣言の発令が発表され
オリンピックのバッハ会長が来日して
5者協議で東京オリンピックの
無観客開催が決まったということです。
去年からコロナコロナで
私たちの生活が振り回される様相ですが
東京五輪開催についても
その迷走ぶりは開幕直前まで続きそうです。
3年前に東京五輪をテーマにした
大河ドラマ『いだてん』が放送されました。
昭和39年に開催された東京五輪をめぐり
昭和15年の幻の東京五輪を回顧していく内容です。
当時五輪誘致に尽力された講道館柔道の父嘉納治五郎と
日本初の五輪選手金栗四三の生涯を通して
第二次世界大戦で東京五輪が中止されるというドラマは
今回のコロナ禍での五輪開催にも大きく重なります。
コロナ禍の五輪は今後いろんな角度で検証され
関係者の思いや足跡が何十年後かに
ドラマになるかもしれません。
菅首相は57年前の東京五輪を振り返り
バレーボール東洋の魔女の回転レシーブの思い出を語り
五輪が多くの日本人に勇気と希望を与えたと
コロナ禍という世界中な困難な時だからこそ
このたびの五輪開催の意義を強調します。
競技をするアスリートそして関係者の
いろんな思いが様々に交錯して
どんな五輪になるのか未だに想像できないところも多く
不安な中に7月23日の開幕は刻一刻と近づいてきます。
コロナ禍での東京五輪がどんなかたちで開催されようとも
私たちは日々の生活を生きていかねばなりません。
今日の一日一度しかない人生を
振り回されるなんてとんでもないことです。
ただ振り回されるような人生を送っていないかと
問われることでもあります。
果たして私は何を依りどころに生きているのか
という根源的な問いです。
阿弥陀さまは「われにまかせよ必ず救う」と
南無阿弥陀仏の喚び声で私のところに来てくださり
私と共に生きてくださる仏さまになってくださいました。
私がどんな状況にあろうともいつでもどこでも
ご一緒してくださる仏さまに安心して
南無阿弥陀仏とお念仏を申す生活をさせていただきます。
安心安全な五輪という言葉が行き交っていますが
実のところは私の安心安全です。
南無阿弥陀仏のお心おはたらきを聞いて
お念仏申す身になっておくれという
阿弥陀さまの大きな大きな願いのなかに
私たちの生活が今日一日があることを心に入れて
お念仏申す日暮らしをさせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.7.9)
