「後世をしるを智者とすといえり」
2021-07-20
今日の御文章さま『八万の法蔵章』に
「後世をしるを智者とすといえり」とありました。
後世とは後生ともいい
この一生が終わった後の世のことで
後生に対してこの世は今生
そしてこの前の世を前生といいます。
仏さまのみ教えは
今生この人間の世界は生死の迷いの世であって
過去世からずっと私たちは生まれては死にと
生死流転を繰り返してきているというのです。
人間に生まれる前の世があったということは
この命終えてから後の世後生があるというのです。
一方で「後世をしらざる人を愚者とす」
とあります。
私たちはこの人間の世に生まれて
仏法に遇う尊いご縁をいただきながら
この生を終えて再び迷いの世界に生まれるか
浄土に往生して生死を超えるかという
何よりも大事な問題に全く心を寄せずに
空しく過ごすことでは
何のために人間に生まれてきたのかと
厳しく問われるところです。
私たちは過去現在未来とずっと
迷いの世界を経巡っていくというのが仏さまの教えですが
生死の迷いを超える道を開いてくださるのも仏教なのです。
生死の迷いを超えてさとりを開いて来いよと
仏さまの教えの通りに仏道を勧められるのです。
ただ迷いを超えて来いと言われて
煩悩にまみれた自分の力では到底仏のさとりを開けない
私のことを見抜かれた阿弥陀さまは
凡夫の私が救われるすべての手立てを
南無阿弥陀仏に仕上げてくださったのです。
今日明日と「南無阿弥陀仏をとなふれば」で始まる
現世利益和讃を拝読させていただきます。
「南無阿弥陀仏をとなふれば この世の利益きはもなし
流転輪廻のつみきえて 定業中夭のぞこりぬ」
(南無阿弥陀仏を称える身になると
この世で得る利益は果てしない
迷いの世界を生まれ変り死に変りし続ける罪も消え
寿命に限りがあることや
その途中で死んでしまうという恐れも断ち切られる)
とご和讃です。
お念仏のご利益は商売繁盛病気治癒といった以上の
ご利益であり生死の迷いを超えて命終のときに
阿弥陀さまのお浄土に生まれて
さとりの仏になるというのです。
阿弥陀さまの本願念仏の救いの法に遇い
お念仏申す身にさせていただくことこそ
このたび人間の世界に生まれて来た意味だと
有難く聞かせていただきます。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.7.20)

ご法事の楽しみ
2021-07-19
8月の盆月が近づいてお盆のお参りのご案内を
ご門徒皆さんにしました。
この一年の間にご往生されたご門徒の方の初盆会は
毎年8月13日14日の二日間でお勤めし
お参りの順番と時間を決めてご案内します。
あるお家から
「夕方のお参りになっていますが高齢者ばかりで
日中にしていただけませんか」と連絡がありました。
円光寺では以前からずっと初盆のお家には
夕方から夜にかけてお参りする習わしがありました。
親戚縁者の方が仏間に入りきれないようにお参りされ
食事を出すところもあってお酒も入って
大変賑やかな初盆会になります。
今はコロナ禍ということもあり
とても考えられない光景ですが
これもまた仏さまのご縁の有難いところだと思います。
皆さんご一堂に御仏前に座らせていただけるのです。
私たちが普段食事をする場所は居間ですが
少し前まではお客事があったり特別な日には
御仏前で食事をしていたのです。
お法事のお斎(とき)を思い起こして
いただければよいと思います。
昔の仏間は広くて大人数が入りました。
皆さんが多く集まれるスペースを作ってあったのです。
今はお家の造りも変わって
仏間がないお家も多くなりお仏壇も段々小さくなりました。
初盆会だけでなく時代時代で
ご法事の仏さまのご縁の形も変わって行きます。
一方で形は変わってもご法事をお勤めするお心は
しっかりと受け止め伝えていかねばならないと思います。
食事をしにご法事にお参りするのではありませんが
そういう楽しみもあっていいと思います。
親戚とはいえ日頃のご縁が段々薄くなってまいりました。
「久しぶりやなあ」「どうしよんのかえ」と声をかけ合い
御仏前で懐かしい方々と会いお話をして
仏さまとご一緒に過ごすことができるる有難さです。
何といってもお仏壇の仏さまを向いて
ご一同に南無阿弥陀仏とお念仏申しお礼ができる尊さ
それはそのまま先に往かれたご先祖有縁の方を
仏さまと仰いでいけるご縁とまた有難くいただきます。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.7.19)

コロナ禍でのオリンピックのおもてなし
2021-07-18
昨日の夜地震があってびっくりしました。
少し強い揺れで震度4でした。
本当に何があるか分からない何があってもおかしくない
無常の世に今まさに私たちは生きているということです。
その時はさあどうしようと家族に声をかけ
テレビの地震速報を観て次のことを考えましたが
しばらくしたらサッカーの続きを観ている私でした。
オリンピック開幕まであと5日です。
サッカー然りそしてプロ野球のオールスターゲームは
五輪出場選手の壮行会の様相でした。
サッカーも野球もそして大相撲も観客を入れて連日盛況で
今日は白鵬・照ノ富士の千秋楽決戦で盛り上がります。
そういうなかにあって五輪開催地の東京は
今も非常事態宣言下にあります。
4日連続で感染者が千人を超えて
これからも右肩上がりに増え続けるという予想です。
日本で東京でオリンピックがあるという雰囲気が
全く伝わってきません。
海外から各国の選手団が
入国のピークにあるというニュースですが
羽田空港は大変なことになっているのでしょうね。
コロナ対策が思うようにいかないままに
オリンピックを迎える現状は
対策は十分しているとのアナウンスも虚しく聞こえ
何が起こるか分からない大きな不安を抱えたままです。
オリンピックは単なるアスリートの競技会ではありません。
バッハ会長が言うまでもなく
4年に一度の世界の平和の祭典です。
国や民族、言語や性別など様々な違いを超えて
みんなが一つになろうということです。
それはアスリートだけのことではなく
スポーツを通して人と人との交流がはかられ
相互に知り合い理解を深めるなかに生まれる
人類の永遠の福祉に貢献することです。
開催国の日本各地で各国選手の事前キャンプが行われ
地域の方との交流がはかられて
まさに迎える側のおもてなしです。
コロナ感染対策でキャンプ地の人との交流や
有観客での競技など
予定していたことができなくなり
おもてなしもままならないと思いますが
コロナ下だからこそのおもてなしもあると思います。
キャンプ地での人との交流はもう何年も前から
始まっていることでもあり
コロナ禍でこれまでとは違ったおもてなしが
できているのではないでしょうか。
今まで当たり前のように行われていた
五輪の形は変わっても
オリンピックの精神は変わりません。
私たちのオリンピックを見る目はどうでしょうか。
一週間後は競技も始まって日本の金メダル第一号はとか
メダルをいくつ取ったとか
いつもと変わらず言っているんでしょうね。
日本でオリンピックが開催されても
コロナ禍ということがあったとしても
私はいつものようにステイホームでテレビ観戦です。
人それぞれの日々の生活
今日の一日です。
この世界中にたくさんの人たちが
今共々に生きています。
お念仏を申して生かされていることを思いつつ
今日の一日も生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.7.18)

教会というお寺
2021-07-17
お寺というと皆さんはどういうところと
思っているでしょうか。
仏さまがいらっしゃるところ
仏教のお話が聞けるところ
お経をあげお説教をするお坊さんがいるところ
そして信者の方がお参りするところ等々
様々だと思います。
お寺というと仏教ですが
キリスト教では教会といい
イスラム教ではモスクといいます。
教会という言い方に新鮮な響きを感じます。
教会とは同じ宗教の信者さんが
集うところということです。
お寺というと浄土真宗は門徒といい余宗では檀家と
特定の人しかお参りできないところという感じも
あるのではないでしょうか。
これからのお寺のあり方を考えるときに
これまで仏教やお寺にご縁のない方にとっては
教会という言い方の方が
お寺に対する先入観もなく新鮮に受け入れられるように
思ったりします。
教えが中心の教会です。
教えに遇う場であり教えを聞く場です。
私の生きる依りどころの教えです。
同じ教えに生きる人に会える教会です。
私たちの教えは仏教浄土真宗
南無阿弥陀仏の本願念仏の教えです。
お念仏のみ教えを私の生死の帰依処といただきます。
生きる依りどころであり死して帰るところです。
アメリカにもたくさん浄土真宗のお寺がありますが
ブディストチャーチ仏教徒の教会と呼ばれます。
単なる呼び名かもしれませんが
「教会に行こう!」「教会に行ってみ教えを聞こう!」と
声をかけ合ってお寺参りする皆さんの姿を
楽しく思い浮かべます。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.7.17)

いのちを大切に心豊かに
2021-07-16
大相撲の名古屋場所は今日が13日目で
横綱白鵬と大関照ノ富士が12連勝で並走しています。
2人のコメントに趣がありますね。
照ノ富士は大けがを負って大関から序二段まで落ち
不屈の精神と努力で先場所大関に返り咲き優勝して
今場所は最高位の横綱取りの場所です。
照ノ富士のいつもの口癖は「一日一番」です。
ただ「一日一番」は他の力士もよく使う言葉ですが
照ノ富士の「一日一番」には本当に実感がこもった
心技体の充実した言葉として伝わってきます。
「いつやめてもおかしくない覚悟で相撲を取っている」
と言います。
両膝に古傷の爆弾を抱えたなかで
明日はもう土俵に上がれないかもしれないという覚悟で
稽古に稽古を重ねまさに地獄から這い上がってきたのです。
いつやめても悔いの残らないように
「一日一番」に徹するのです。
一方の白鵬は「横綱の責任」を常に口にします。
横綱は12番勝つことが最低限の責任といいます。
今場所は六場所連続休場明けの
横綱の進退をかける場所で
周囲は不安視する見方が強かったのですが
それが何と12連勝お見事です。
ここまできたら千秋楽に両者全勝対決で
雌雄を決してほしいと思います。
私たちもまた今日一日を生きています。
「一日一番」という言い方はしませんが
一日一日を大切に生きたいものです
「一日一生」といいます。
今日の一日は一生につながる一日で
決して無駄な一日はないということです。
この人生日々の生活は
楽しいことも悲しいこともいろんなことがあります。
思い通りにいかないことも多く苦悩し
思いがけないこともあって迷うなかで
どんなことがあっても「あなたを必ず救う」と
いつでもどこでも私に寄り添ってくださる
南無阿弥陀仏のおはたらきがあると聞かせていただきます。
阿弥陀さまの大きなお慈悲の中に
私たちは共々に生かされて生きているのです。
お念仏を申すなかに今日の一日も
いのちを大切に心豊かに生かされて
生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.7.16)
