お彼岸のお中日です
2021-03-20
お彼岸のお中日です。
この後納骨堂でお勤めをさせていただきます。
そして円光寺墓地にもお参りをさせていただきます。
こうしてご本尊の阿弥陀さまに向いてお勤めしますが
その先はちょうど納骨堂の中心のお内仏にあたります。
本堂からそのまま納骨堂の阿弥陀さまに
お参りができているということです。
朝一番にお仏飯をお供えに納骨堂に行きますと
納骨堂がお供物でいっぱいで賑やかです。
お彼岸お盆そしてお正月に
有縁の方々がお参りされお供えをします。
お彼岸のお供物の定番は
春はぼたもちで秋はおはぎですね。
いつかこんな掲示伝道の言葉を書きました。
春三月に「お供えは ぼたもち いいね 春彼岸」と
秋九月には「お供えは おはぎも いいね 秋彼岸」です。
時節のお供物を見るたびに季節の移り変わりを思います。
その中心に真実変わらないご本尊の
阿弥陀さまをいただきます。
南無阿弥陀仏のお念仏のみ教えを依りどころに
共々に生かされて生きていると聞かせていただきます。
お彼岸のお中日のご縁です。
お昼の1時半から彼岸会法要ご満座のお勤めを
させていただきます。
どうぞお誘い合わせお参りください。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.3.20)
自分探しのお念仏の旅にお寺にお参りしませんか
2021-03-19
大分で桜の開花宣言がありました。
境内の枝垂れ桜も開花しました。
春になりました。
今日明日と春のお彼岸のお勤めをさせていただきます。
秋は鐘楼の前に彼岸花が咲いてお彼岸を迎えますが
春のお彼岸は菜の花ですね。
桜の開花より少し前で今は菜の花が満開です。
空の青に黄の菜の花が映えます。
彼岸花は赤に青です。
本当に色鮮やかに気持ちも新たにさせてくれて
私たちを楽しませてくれます。
春を探しに行きましょうと
誘ってくれてるようです。
梅の花、桃の花、菜の花そして桜の花次々に咲いて
春うららかな気分にさせてくれます。
お彼岸の仏法聴聞のご縁です。
阿弥陀さまのお浄土を訪ねていきましょう。
ご先祖有縁の方々が往ってらっしゃる
私たちのいのちの古里です。
自分探しのお念仏の旅です。
私たちは自分のことは私が一番知っている
分かっていると思っていませんか。
そうでしょうか。
自分の都合のいいように見ては分かっていると思い込み
本当のところは自分のことが
一番分かっていないのがあなたですよというのが
仏さまの思し召しです。
御仏前に座って仏法に聞かせていただきます。
仏法の真実の鏡の前に座るということです。
自己中心の煩悩にとらわれ苦悩し迷う
ありのままの私のすがたをそのまま見せてくださいます。
そんな私が心配で心配で見捨てることができないと
阿弥陀さまは「必ず救うまかせよ」と
南無阿弥陀仏の仏さまに成ってくださったのです。
自分探しのお念仏の旅にお寺にお参りしませんか。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.3.19)
仏教は仏法の下の平等の教えです
2021-03-18
札幌地方裁判所で同性婚を認めないのは
憲法に違反するという判決が示されました。
今後高裁に控訴されることが予想され
確定したものではありませんが
今までにない司法の判断で
画期的な判決と評価する一方で
様々な見方意見があります。
広く人権に係る世界的な潮流
現代の社会の動向を感じます。
森オリパラ前会長の女性蔑視発言に端を発した問題では
「多様性と調和」という
オリンピック憲章が注目されました。
多様性とは同じ社会に生きる人
それぞれの様々な違いです。
民族が違います、言語が違います、国が違います。
宗教が違います、思想信条ものの見方考え方が違います。
職業が違います、生活ぶりも様々です。
様々な違いをもった者同士が
同じ社会に生きるときに
調和です。
お互いの違いを認め合い尊重し合って
共に生きる世界が求められます。
日本は男社会といわれてきました。
社会のあらゆるところで
そうした素地がまだまだ残っているなかで
今回の判決にただ賛成反対と言うだけでなく
同性カップルをはじめ性的少数者が生きにくい
現実社会のあり方を注視したいものです。
今回の判決は日本国憲法第14条の
「すべての国民は、法の下に平等であって
人種、信条、性別、社会的身分又は門地により
政治的、経済的又は社会的関係において
差別されない」
法の下の平等に違反するとの判断でした。
仏法を聞かせていただくようです。
仏教はまさに仏法の下の平等の教えです。
阿弥陀仏さまのご本願の救いの法です。
阿弥陀さまのご本願はすべてのものを
分け隔てなく救うという大きな願いです。
男女、貴賤、道俗を選ばずと
若者も老人も、健康な人も病気の人も
いろんな違いを認めてそのまま救うというのです。
善人も悪人も救うといいます。
阿弥陀さまのお救いに条件は一切ないのです。
阿弥陀さまは一切衆生を必ず救うとご本願を成就し
南無阿弥陀仏のおはたらきの仏さまに成って
私たちに本願を信じ念仏申す身になっておくれと
喚び続けてくださっているのです。
性的少数者は親や家族からも理解されず
この社会からも疎外されて生きにくいと訴えます。
同性婚が社会的に認められないことで
大きな不利益を被っているといいます。
一緒に生活していても財産分与や相続ができないとか
身近な例でいえば
入院手術する時に家族の承諾署名が必要ですが
パートナーの署名は認められないのです。
『浄土真宗の教章』には
阿弥陀如来の本願を信じ念仏を申す者は
「自他ともに心豊かに生きることのできる
社会の実現に貢献する」とあります。
多様性が尊重され
全ての人々がお互いの人権や尊厳を大切にし
生き生きとした人生を享受できる社会の実現に向けて
お念仏のご法義を聞かせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.3.18)
春の彼岸の入りです
2021-03-17
春の彼岸の入りです。
20日のお中日をはさんで前後一週間のお彼岸です。
彼岸とは彼の岸
阿弥陀さまのお浄土です。
私たちの迷いの世界の此の岸から
仏さまのさとりの世界の彼の岸に至る道すがらを
聞かせていただきます。
太陽が真東から昇って真西に沈む
その西のはるか彼方に私たちの彼岸お浄土があると
お経さまに説かれています。
西へ西へと行っても行っても
この大宇宙の中でお浄土に行き着くかいつ行き着くか
私たちの科学の知識では分かりませんし
お浄土を疑うことにもなりましょう。
西のはるか彼方に私たちが生まれ往くお浄土があると
決めてくださった阿弥陀仏さまの仰せを
そのまま聞かせていただきます。
迷いの世界にあって
自己中心のものの見方にとらわれはからって
真実を知らない知ろうともしない私たち愚かな凡夫を
阿弥陀さまが南無阿弥陀仏のおはたらきで
お救いくださるお念仏のご法義です。
南無阿弥陀仏のお心おはたらきを聞いてくれよと
私のために開かれたお彼岸のご縁です。
南無阿弥陀仏のお心を聞かせて信心いただき
お念仏申す身にさせていただきましょう。
仏法聴聞はお彼岸だけではなく今日のご縁も
いつでも聞けるのですが
このいつでもが曲者です。
いつでもと聞いて
私たちは自分の都合に合わせて生きていますから
歳をとって暇になったら聞こうとしていませんか。
そんな私もすべて見抜かれての
このお彼岸のご縁といただきます。
円光寺では19日20日と
春季彼岸会法要をお勤めさせていただきます。
どうぞ皆さん有縁の方もご一緒にお参りいただき
到彼岸のご縁です
お念仏の先人が生まれ往きてくださったお浄土への道を
お念仏申して共々に訪ねてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.3.17)
「ハンカチもった!」
2021-03-16
ある学校の先生のお話です。
高齢のお母さんが入院されて
病院に見舞い行った時のことです。
先生がちょっとせき込んだのです。
するとベットからお母さんが
「あんた大丈夫かえ。お医者に行ったら」と
言われたそうです。
「ここ病院だよ」と笑い話になったのですが
どんなに歳をとっても自分のことができなくなっても
お母さんはいつまでもお母さんで有難かったといいます。
その先生は小さい頃ぜんそくがあり
学校を休むことが度々あったそうで
お母さんがいつも付きっきりで看病してくれたことを
思い出したというのです。
口やかましいお母さんだったといいます。
学校に行く時は決まって
「忘れものはない。ハンカチもった」と言われたそうです。
小学生の頃は
そのまま「はい」と返事をして聞いていましたが
中学高校になっても
「ハンカチもった」と言い続けるお母さんに
返事もしないで黙って学校に行くようになったと
いつも同じことばかり言われて
心の中ではうるさいと思っていたといいます。
学校の先生になってからも
「ハンカチもった」と言われ続けたそうです。
学校の先生ですから
「ハンカチもった」と生徒に言う方ですが
お母さんにとってはいつまでも我が子なのです。
そのお母さんが亡くなって
お母さんがいつも自分のことを思うてくれていたのだと
そして今も思ってくれているのだと
有難く思い返すといいます。
今国会では菅首相の長男が勤める会社と
総務省との接待問題が取り上げられています。
この問題が明るみになった時に菅首相は
「息子とは別人格です」と言われました。
何か事務的で冷たい言い方だなと思いましたが
言われる通り親子といえども別人格です。
親子、夫婦、兄弟と深い血縁関係の家族も
お互いにそれぞれが自己の責任において社会生活を送る
一人の人間であり別人格です。
首相という公的な立場で私情を挟むことは
公私混同になって大変な問題になってしまいます。
別人格というのは首相答弁としては正解です。
でもそこに親子の情親の思いが入らなかったかというと
総務大臣秘書官に抜擢したり
当該会社は元々首相の深い縁のある会社ということで
親子の情親の思いを垣間見る思いがします。
親子の宿縁深いつながりです。
親のいない子どもはいません。
親と子は同い年で
子どもが生まれて親になります。
親は子どものことがどこまでも心配でなりません。
子どものことを心配するのが
親の仕事といっていいほどです。
そんな親の思いを知ってか知らずか
子どもにとって親の思いは当たり前に思えたり
うっとうしいと思ったりもするものです。
その先生はお母さんのお葬儀のご縁で
お寺にお参りするようになったといいます。
仏さまのご縁をいただかれたということです。
お念仏の先人が親さまと慕う阿弥陀さまのお救いのお話を
ご縁ご縁に聞かれたことでしょう。
はるか遠い昔から私のことを思うてくださり
迷いの世界に苦悩する私を必ず救うと
南無阿弥陀仏とおはたらきの仏さまです。
阿弥陀さまからずっと思われていたのです。
今も思われているのです。
そしてこれからもずっとです。
南無阿弥陀仏のおはたらきで
お母さんはお浄土の仏さまとなり
今も先生のことを思ってくださっているのです。
人の命終えてもお母さんはいつまでもお母さんです。
南無阿弥陀仏のお母さんです。
お念仏申させていただき
「ハンカチもった」の声が聞こえてきそうです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.3.16)