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お念仏を申す生活法話

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桜やなぎ

2025-04-09
 お寺の境内の枝垂れ桜が
今年はとりわけ見事な満開の花を咲かせましたが
花びらはすべて散って
今は青い若葉が光り輝いて本当にきれいです。

 お花見ならぬ若葉見です。
「花は散っても花びらは散らない」
そうです、桜のいのちはこれからもずっと
若葉から葉が繁り葉が散って
新たな芽をふき
また満開の花を咲かせるのです。

 それにしても枝垂れ桜の葉桜は
柳の木のような枝ぶりで
しなやかないのちの佇まいを感じます。

 花もいいが葉もいい
すべてがいのち輝いて
これからも私たちを楽しませてくださいます。

 南無阿弥陀仏のいのちです。
どのいのちもみんな等しく尊い愛おしいと
阿弥陀さまのお慈悲のお心おはたらきを
重ねて思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.4.9)

花まつりのご縁です

2025-04-08
 今日4月8日は仏教を開かれたお釈迦さまのお誕生日で
2600年ほど前にインドのルンビニーという
花園で生まれたことに因み「花まつり」といいます。

 日頃仏教やお寺にご縁のない方でも
花まつりを知ってる人は多いのではないでしょうか。

 子どもの頃保育園をしていた近くのお寺に
花まつりに甘茶をもらいに行った思い出があります。
 当時日常の飲み物は井戸の水か沸かしたお湯やお茶で
今のような様々な飲料水の自販機は
ありませんでしたから
非日常の甘茶の飲み物は年に一度の楽しみでした。

 この甘茶は実は飲むものではなく
お釈迦さまがお生まれになったとき
天は感動のあまり
甘露の雨を降らせたというお話に因んで
花御堂にご安置したお釈迦さまの誕生仏に
頭から甘茶を灌いでお誕生をお祝いすることで
花まつりの正式名称を「灌仏会(かんぶつえ)」といいます。

 親鸞さまは『正信偈』に
「如来所以興出世 唯説弥陀本願海
 五濁悪時群生海 応信如来如実言」
(如来、世に興出したまふゆゑは
 ただ弥陀の本願海を説かんとなり。
 五濁悪時の群生海
 如来如実の言を信ずべし)
「如来が世に出られるのは
ただ阿弥陀仏の本願一乗海の教えを説くためである。
 五濁の世の人々は
釈尊のまことの教えを信じるがよい」と著述され
お釈迦さまは阿弥陀仏のご本願を説くために
この世に生まれてこられたのであり
私たちに本願のみ教えを聞信して救われてほしいと
聴聞念仏を勧められるのです。

 お釈迦さまがこの人間界に生まれてくださった
おかげで
私たちに阿弥陀さまの本願念仏のみ教えが
届けられたのです。
 仏法聴聞してお念仏申す身にお育ていただき
阿弥陀さまの大きなお慈悲の中に
共々に生かされて生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.4.8)

ETCシステム故障

2025-04-07
 高速道路のインターチェンジのETCシステムに
不具合が生じ大混乱です。

 ETC発足以前は入口で発券を受け
出口で高速料金を現金払いすることで
通行量の多い日の高速道路では
出入口付近で車が大渋滞することが
しばしばありました。

 円滑な通行を促す大変便利なシステムも
故障すると途端に大変不便な事態になります。

 通信機能が至る所に張り巡らされて
短時間で効率のよいタイパコスパな生活を
当たり前のように享受している私たちですが
一旦どこかで不備が生じると
自分の力ではどうにも仕様がなく
ただただ回復を待つだけのことです。

 私たちの生活は日進月歩の科学技術の発達で
最新鋭の器財にすっかり寄りかかり
おまかせの状態です。
 ただ私たちはそのシステムの使い方を
知っているだけで
システムの中身まで知らないが故に
不具合が生じると自力で復旧する手段を知らず
ただただお手上げの状況に陥ることです。

 南無阿弥陀仏のお救いのおはたらきです。
万徳施名の六字のお名号を称えまかせることで
阿弥陀さまのお慈悲の中に救われる
他力のおはたらきです。

 ただ阿弥陀さまのお救いといって
この私の目に見える
自分に都合のいい状況をいうのではなく
いつでもどこでも私がどんな状況にあっても
私を見捨てることなくいつも寄り添い支えてくださる
大きな安心のお救いです。

 阿弥陀さまのお救いに故障はありません。
今こここの私をそのまま抱き取ってくださる
阿弥陀さまのお慈悲のお心おはたらきにまかせて
お念仏申して往生浄土の人生を生きて往けるのです。

 阿弥陀さまのお慈悲のお救いの中にありながら
阿弥陀さまのお心おはたらきに遇わずじまいに
自己中心の思いはからいで苦しみ悩み迷って
むなしく生きる私たちを
阿弥陀さまは見捨てず見放さず
南無阿弥陀仏「われにまかせよ必ず救う」と
喚び通しに喚び続けてくださり
私が本願念仏のみ教えに遇うことを
待っていてくださるのです。

 お念仏のご法義を聴かせていただきましょう。
「どんなことがあっても私が一緒だから大丈夫
安心して共に往生浄土の道を生きて往こう」と
阿弥陀さまのお心おはたらきにまかせて
阿弥陀さまの大きなお慈悲の中に
生かされて生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.4.7)

「桜木に 教えていただく いのちの尊さ」

2025-04-06
 春の陽気に誘われるように
思い立って近くの川沿いの土手に花見に行きました。
 桜の名所とでも言われるところで
お花見の時期には多くの人が訪れ賑わいます。

 駐車場がいっぱいです。
といってもいつもは10台ほどのスペースしかなく
見れば路上駐車している車がいっぱいでした。

 路上駐車は交通違反ですが
ここはみんなに習って私も路上に駐車しました。
 「赤信号みんなで渡ればこわくない」と
漫才の名セリフですが
いけないと思いながらすみません。

 ちょうどお昼時で
お弁当持ちのお花見客が
家族でカップルで友人でそれぞれに
お花見を楽しんでいました。

 風に吹かれて桜花が散って行きます。
「散る桜 残る桜も 散る桜」と
満開の花と咲いていつか必ず散って行く桜花に
無常の世に生きる
変わり行く命のはかなさを重ねて思います。

 お念仏のお救いのみ教えに
「花びらは散っても 花は散らない」と
聞かせていただきます。 

 人の命はいつか必ず終えますが
お念仏のおはたらき一つで
阿弥陀さまのお浄土に生まれて仏となり
南無阿弥陀仏のいのちにつながって
阿弥陀さまのお慈悲の中に
先に往かれた方も後にのこった人も
これからも共々に生かされて生きる有難さです。

 桜のいのちはまた来年きれいな花を咲かせるように
先に往かれた仏さまは後にのこった私たちを
南無阿弥陀仏のいのちとなって
これからも見守りお浄土へと導く
おはたらきをしてくださるのです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.4.6)

お念仏の道場

2025-04-05
 浄土真宗のお寺は
お念仏聞法の道場といわれます。
 「生きとし生けるすべてのいのちを
分け隔てなく必ず救う」
阿弥陀如来の本願成就のお名号のおいわれを
お聴聞お念仏申す身にお育ていただき
往生浄土のお念仏の道を生きる
私の生死の帰依処です。

 お手次ぎのお寺といって
お寺の住職僧侶はお念仏のご法義を
ご門徒にお取り次ぎするお役目を担います。

 お寺のご法座というと
僧侶が仏さまの教えを話し門徒が聞くという
すみ分けがあるようにみえますが
実は僧侶もまた門徒と共に阿弥陀さまのお救いの法を
お聴聞させていただくのです。

 話し合い法座と言われます。
僧侶も門徒も平座で車座にお互い向き合って
日々の生活の営みについて語り合い
お念仏のご法義にたずねていく法味愛敬のご縁です。

 ご法座の中心はご本尊の阿弥陀如来さまです。
如来の御仏前に同座して
共々にお念仏お聴聞させていただき
往生浄土の道すがらをご一緒させていただきます。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.4.2)

円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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