行ったり来たり
2024-12-21
仏法聴聞のご縁にあって
「有難いなあ」と聞き入る仏さまのお話も
生活の場にかえるとすっかり忘れてしまい
ああやこうやと自分の思いはからいで生きようとしては
腹が立ったり泣いたり笑ったりで
苦しみ悩み行ったり来たりと迷う私ですが
これでいいのでしょうか?
と聞かれました。
阿弥陀さまは生死の迷いの境涯を生きる私を
煩悩具足の凡夫と見抜かれて
真実の浄土に生まれさせ必ずさとりの仏にすると願われ
本願成就の南無阿弥陀仏のおはたらきで
この私をそのまま救うと
往生浄土のお念仏の仏道を開いてくださいました。
転迷開悟の仏道です。
南無阿弥陀仏のおはたらきで
迷う私がそのまま転ぜられひっくり返って
お浄土でさとりの仏と成る浄土真宗の仏教です。
では日々の生活の中でお念仏のみ教えを
どのようにいただいたらいいのでしょうか。
お念仏申す生活実践です。
お念仏のみ教えを生活の中心要として
お念仏申されるように生きてまいりましょう。
こうしなさいこうしないといけませんと
生き方を告げる教えではありません。
私たちの生活ぶりは自分の思いを中心に
人それぞれに違いますが
南無阿弥陀仏のお心おはたらきにそのまま順じて
私にできることをさせていただきましょう。
左右に揺れ動く振り子の譬えです。
人それぞれに人生の道行きは
人との出会いと別れを繰り返し
楽しいことも苦しいことも喜び悲しみ
泣いたり笑ったりと揺れ動く人生です。
振り子は中心の要支点がしっかりしていることで
大きく左右に揺れることができるのです。
支点がなければ揺れることもかないませんし
どこかに飛んで行ってしまうことにもなります。
支点があることで行っては帰る
往復運動が続くのです。
自己中心の思いはからいで凡夫の身を生きる私が
南無阿弥陀仏のおはたらきで
そのままお念仏申す身にお育ていただくのです。
凡夫の身をお念仏がそのまま支えくださって
「大丈夫、思いっきり生きなさい」とおはたらきです。
ああやこうやと悩み苦しみ
行ったり来たりする迷いの凡夫を
往っては還す南無阿弥陀仏のおはたらきです。
行ったり来たりと色んなことがあるこの人生ですが
お念仏相続させていただき南無阿弥陀仏にまかせて
往生浄土の道行きをご一緒させていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.12.21)
「響流」※転載
2024-12-20
わが子の高校の卒業式で
「遅く届く言葉があります。
それを受けとめられるようになってください」
という祝辞を聞きました。
元となっている哲学者の言葉があるようですが
「遅く届く言葉」という表現は
大変印象深いものでした。
当然、郵便や電子メールの遅速などを指している
わけではありませんから
言葉自体はすでに届いているけれども
言葉の意味するところの理解や受けとめに
時間がかかるという大意でしょう。
たとえよく知られている格言でも
年を重ねてからようやくその含蓄に触れられる場合が
あるかもしれません。
経典には「響流十方(こうるじっぽう)」(仏さまの言葉は
あらゆる世界に響きわたる)と説かれ
私たちが今、聞かせていただいている仏さまの言葉は
2500年前のインドから伝わり届いています。
しかし、さとりの世界の言葉を理解したり
さらにわが身に引き当てて味わうことは
時間のかかる場合が多い
というべきではないでしょうか。
ネット上では
一見して目を引く言葉が発信され続けていますが
来たる2025年もまた
ゆっくりと仏さまの言葉にたずねてゆきたく思います。
※『本願寺インスタ倶楽部』
(本願寺派総合研究所 高田未明副所長)より転載
ー本願寺新報2024年12月20日号ー
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.12.20)
「仏はんが見てはるで!」
2024-12-19
大手銀行の女性行員が
業務を管理担当する貸金庫から
顧客からの預り金10数億円を盗んだことが
発覚したとのニュースです。
金額の大きさもあり
ちょっと想像つかない大胆な使い込み事件ですが
今までずっとバレなかった
ずさんな管理態勢に驚きます。
チェック機能は二重三重にあったと思いますが
何故どうしてという疑念が残ります。
単独犯です。
最終的な管理責任者ということで
一人で自由に使い込みができたのでしょうか。
何人何重ものチェック機能がはたらいていたら
この行員も犯罪に手を染めることには
ならなかったのではと思ったりもします。
預かったお金を一人管理する立場で
自分のものとしてしまったのでしょうか。
何年も前から何回もずっと犯行を繰り返すなかで
自分の財布から買い物をするような感覚になって
自分で自分がしていることの善悪が
わからなくなってしまったのでしょうか。
「仏はんが見てはるで!」と
誰も見ていないからと悪いことをしたり隠し事をしても
仏さまはすべてをちゃんと見ているということで
悪いことはしてはいけないという
先人の戒めの言葉と聞きます。
阿弥陀さまのご本願のお心です。
すべてのものを分け隔てなく必ず救うと
本願成就の南無阿弥陀仏のおはたらきの
仏さまになってくださいました。
どんな人も無条件にそのまま救うと
たとえ悪いことをした人でもということですが
悪事を許して救うというのではありません。
阿弥陀さまはこの私を
「仏かねてしろしめして煩悩具足の凡夫」と
縁がととのえばどんな悪いことでもしかねないと
見抜かれてそのまま救うというのです。
善いことをしたら救って
悪いことをしたら救わないというのではなく
善悪を超えて救うとおっしゃるのです。
阿弥陀さまは摂取不捨のおはたらきで
いつでもどこでも誰にでも
「いつも私が一緒だよ。
どんなことがあっても
あなたを決して見捨てないから
大丈夫安心して」と
今こここの私に寄り添いご一緒してくださるのです。
お念仏申して阿弥陀さまの大きなお慈悲の中に
今日一日も共々に生かされて生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.12.19)
阿弥陀さまの声かけ
2024-12-18
「おつらかったですね」
天皇皇后両陛下が能登輪島に
昨日今年三度目のご訪問をされ
今年元旦の大地震そして9月の豪雨被害と
立て続けに大災害に遭い失意の中にいる
被災者の方々を見舞われ
一人一人に声をかけられました。
災害に遭った人への声かけです。
住む家を無くし大切な家族を亡くした人もいます。
「大変でしたね」と声をかけて
何か他人事のように聞こえたり
「代われるものなら代わってあげたい」と思っても
代われない現実があります。
私たちはそれぞれどの人も
生死のこの身をそのまま引き受けて
いかねばなりません。
思い通りにならない日常にあって
自然災害にも遭っていかねばなりません。
苦しみ悩み迷いの境涯を生きる私を見て取って
阿弥陀さまは必ず救うとご本願を立てお念仏を成就して
「あなたを救う阿弥陀がここにいますよ」
南無阿弥陀仏「われにまかせよ必ず救う」と
喚んでくださっているのです。
「あなたを決して独りにはしないよ。
どんなことがあってもいつもあなたと一緒だから
わが名をよんでくれよ」と
私たちにお念仏を勧めてくださるのです。
南無阿弥陀仏とこの口にお念仏申すところに
阿弥陀さまの「まかせよ救う」の声かけが聞こえます。
私のことをいつも思ってくださって
いつでもどこでも私に寄り添いご一緒くださる
阿弥陀さまの声かけにうながされて
今日一日も往生浄土の人生を生きて往けるのです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.12.18)
ちょっとマッタ!
2024-12-17
お寺のご縁で
墓じまいの話になりました。
テレビ新聞等で墓じまいのことが報道され
日常的な話題になっています。
今すぐ結論を出すこともないような
状況にもかかわらず
何か急がされるような雰囲気があるのは
何なのでしょうか。
ちょっと前でしたら
お墓のことに限らずお葬式に始まる仏事のことは
後の人にまかせておいたらよいことだったのですが
後継者がいないなどの現実問題があり
いても子や孫に迷惑をかけたくないなどと
自分の代で始末しようとする高齢者が
多くなったということでしょうか。
墓地を管理するお寺にとっても
墓地の使用者が行方不明になる事例が多くあり
お墓を終うことも遺ったお遺骨をどうすることもできず
困った問題になっています。
先人が代々伝えのこしてくれたお墓の意義を
今一度見直すことから
これからの課題に一つ一つ取り組むことで
お寺にも相談してほしいと思います。
お墓はご先祖のお遺骨を納めている所であり
お墓参りして先人を偲ぶ縁となる大切な場所です。
お墓が有ればあったでこれからの護持継承が
心配になることでしょうが
無くなったらなくなったで
お盆やお彼岸お正月そして人生の節目に
どこにお参りしてご先祖にご報告するのでしょうか。
ちょっとマッタ!
墓じまいといい仏壇じまい葬儀法事の簡略化と
何でも自分の都合の良いような結論ありきで
仏事のことが進んでいるように思えてなりません。
ここはゆっくり立ち止まり時間をかけて
考えてみましょう。
お寺に相談するなかで
仏さまのお話を聞かしていただく
ご縁になればと思います。
どうぞお寺にお参りください。
ご一緒にお墓のことお仏壇のこと
葬式法事仏事のことを相談させていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.12.17)