春っぽくなりました
2025-03-22
朝起きて温かいです。
いつもの暖房も今朝は要りません。
急に春っぽくなりました。
何か気持ちもウキウキいたします。
本格的な春を迎えるこの時期は
三寒四温といって
少しずつ徐々に春めいて来るのですが
今年は3月に入っても大寒波が何度も襲来して
九州の町中でも積雪がありました。
昨日から一転温かくなったというか
25度以上の夏日を記録したところもあって
今日は大分も夏日の予報です。
中々離せなかった冬物ダウンですが
今朝の陽気で今日は春物に着替えました。
境内の枝垂れ桜も一気に蕾が
赤く膨らんできました。
春夏秋冬それぞれの装い
私たちの生活ぶりは違いますが
南無阿弥陀仏のお念仏は
「まかせよ救う」といつもこの身にはたらいて
私たちにご一緒してくださっています。
今日一日もお念仏申して
阿弥陀さまのお慈悲の中に
南無阿弥陀仏の大きないのちにつながって
あなたと私自他皆共に
往生浄土の道往きをご一緒させていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.3.22)

地下鉄サリン事件
2025-03-21
1995年1月17日の未曽有の阪神淡路大震災から
間もない3月20日に起こった
オウム真理教による地下鉄サリン事件は
日本中を大きく震撼させました。
30年が経ちました。
事件を首謀した教団関係者が死刑執行されて
事件の風化が言われるなかで
オウム真理教に対する疑念は今もなお根強く残ります。
信者を洗脳し思いのままに操るカルト教団の所業は
「宗教は恐い」という印象を人びとに植えつけました。
マルクスが「宗教はアヘンである」と言い
宗教がらみの事件が後を絶たないこともあって
宗教といわれるものには絶対近づくなといった
世の中の空気を醸成したともいわれます。
果たして宗教はアヘンのように
人間を無自覚な中毒症状に陥れ
やめたくてもやめられない状況に
追い込むものなのでしょうか。
宗教は救いを求める人がいて
それに応える神や仏といった絶対者との関係で
外から見るととても理解できないことが
教団内では救われている安心の居場所であり
教祖に従うことがそのまま救いになるといった教義です
お寺も宗教団体ですが
お寺に対するイメージは凡そどういうものでしょうか。
お寺は恐いといった印象がありますか。
オウムの幹部は裁判で
「お寺は風景だ」と言述したといいます。
お寺を外から見ている視点で
お寺で説かれる仏教の教えに
遇うことがなかったということです。
果たしてお寺のご門徒の方も
お寺は葬式法事のときに用事があるところで
自らお寺参りしてお念仏の教えを聞くところとは
思っていない人が多いのではないでしょうか。
人の世に生まれて
仏法を聞かずじまいに終わるのは
もったいないことです。
浄土真宗は阿弥陀仏の本願念仏のお救いを説きます。
「われにまかせよ必ず救う」
南無阿弥陀仏のおはたらきで
いつでもどこでも誰でも救われるという教えを
お聴聞してお念仏申す身にさせていただき
この人生を生き抜いて
命終わるとき浄土に生まれて仏と成り
この世に還って来てすべてのものを救うはたらきを
させていただくと聞かせていただきまます。
浄土真宗お寺のご門徒のお家に生まれて
お念仏の仏法聴聞のご縁をいただきました。
お念仏申して今日一日も
往生浄土の道往きをご一緒させていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.3.21)

お彼岸お中日です
2025-03-20
朝が明るくなりました。
お彼岸のお中日です。
「暑さ寒さも彼岸まで」と言われますが
昨日一昨日と日本列島は大寒波の襲来で
大分県内もよく行く所に積雪があって
何か雪国を思わせる光景にびっくりします。
大きな季節の変わり目にあって
お彼岸のご縁をいただきます。
何か慌ただしく過ぎ去る日常生活の中で
お寺にお参りしてゆっくりゆったり
仏法聴聞のご縁をいただきませんか。
いつでもどこでもどんなことがあっても
真実変わらない仏さまのみ教えに
私のいのちのあり方を聞かせていただきましょう。
いつでもどこでも誰でも分け隔てなく
「われにまかせよ必ず救う」阿弥陀仏のご本願のお心
南無阿弥陀仏のおはたらきにまかせて
今日一日も阿弥陀さまのお慈悲の中に
あなたも私も皆共に生かされて
往生浄土のお念仏の道行きを
ご一緒させていただきましょう。
お寺参りはお浄土参りの習いです。
皆さんお誘い合わせお寺にお参りしましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょ。(2025.3.20)

尼さんのような生活
2025-03-19
いしだあゆみさんがお亡くなりになりました。
全く面識はありませんが
先の西田敏行さんと同じく
ほぼ同世代の人でテレビや映画でいつも見てきて
何か他人事ではないように思います。
亡くなった後で過去のテレビ収録から
その人となりに接します。
60歳の還暦を過ぎて
住まいを転居し周りのものを断捨離して
生活が変わったといいます。
「ウサギとカメ」の寓話に重ねて
ウサギのように生きてきたのを
カメの生き方に変えたというのです。
普段着るものも洋服から和服へと
「要らない化粧をしなくていいから」と
興味深い発言です。
周りの親しい方は
尼さんのような省エネ生活だったといいます。
早く年を取りたいと言っていたそうです。
いつまでも健康で若くありたいと思うのですが
最後は線香花火のように人知れず死んでいきたいとも。
携帯をもたなかったといいます。
時流に抗うような生き方のようですが
いしださんにとっては
それが自分らしい自然な生き方だったのでしょう。
お母さんが「今日一日無事に終わってよかった」と
常々言っていたことが今頷けるといいます。
何事もない日々なんてありません。
常に移り変わりするなかに
日暮らししている私たちですから
自分の想定外の大事がなくて
よかったということでしょうか。
命終えることも大事ではなく
必ずこの身に引き受けていくこととして
よかったんでしょうね。
日々一つ一つ淡々と私にできることを
あるものでさせていただく
まさに尼僧の生き方かなと思います。
何事にも抗うことなく
そのままこの身に引き受けて
あるがままに日暮らしさせていただく
南無阿弥陀仏とお念仏申して
阿弥陀さまのお慈悲の中に生かされて
あなたも私も皆共にご一緒させていただく
今日も大安心の一日を生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.3.19)

感覚のズレ
2025-03-18
石破首相の商品券問題で
内閣支持率が急落しているといいます。
新聞テレビ等の報道では
これまでも自民党だけでなく形態は種々違っても
昔からある永田町という政治風土の慣習だという
指摘です。
飲み食い贈り物等々で人間関係をつくる構図です。
今もなお旧態依然とした人つながりがものを言う世界は
一般世間の現実世界とは乖離した光景のようで
「永田町の常識は国民の非常識」と言われる始末です。
特に今「政治とカネ」の問題で
国会が紛糾している最中に
「何故どうして?」ということです。
またもや身内から出たスキャンダルに時間を費やして
国会審議もままならず
重要案件が先送りになるのでしょうか。
ここはこれをチャンスに変えて
大胆な政治改革ができないものかと思います。
それにしても相も変らぬ政治家の有り様であり
日本の政治文化の体質です。
どの社会組織でも人間がやっていることで
その時どきの人間関係で活動が左右されがちですが
先のフジテレビの問題もそうですが
一本筋の通った倫理がないと昔からの体質に
皆がどっぷり浸かってしまっているところが
あるのではないでしょうか。
組織の中では当たり前のようなことが
外から見ると大きなズレと思われる感覚です。
私たちのお寺も一つの社会組織です。
構成する住職坊守門徒それぞれに役割がありますが
昔からのお寺の体質があり
世間のものの見方に同化して
お念仏のご法義を邪魔しているようなことが
あるのではないでしょうか。
お寺の世俗化ということですが
「お寺は何のためにあるのか?」と
お念仏のみ教えに問い聞きながら
お寺の体質改善をはかるところもあるのでは
ないでしょうか。
私たちのお寺の中心は阿弥陀さまのご法義
お念仏の体質です。
生きとし生けるものすべてを分け隔てなく必ず救う
阿弥陀仏の本願念仏のお心にかなうできることを
平素から一つ一つさせていただく
お念仏の実践対応こそが大切だと思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.3.18)
