法名をいただいて私たちは同じ「釋」を名乗る家族になります
2021-04-04
昨日の雨と風で境内の枝垂れ桜が
すっかり散ってしまいました。
桜が散るというと
何か空しいはかないということですが
桜の木には今若葉が光り輝いています。
新たないのちがめばえ
つながっていくんですね。
昨日は坊守の里にお義母さんを
米寿のお祝いに訪ねました。
コロナ禍で私は一年ぶりの再会です。
88歳です。
歳を重ねて体調が思うようになく心配も多いですが
お寺の住居で静かに療養生活を送っています。
夜ニュース速報で田中邦衛さんの訃報を知りました。
先月24日に亡くなり88歳だったといいます。
映画やテレビでおなじみの俳優さんで
つい最近まで見かけたような気がします。
もう88歳だったのかということですが
この私もそういう年齢に近づいているんですね。
田中邦衛さんですぐ思い出すのが
加山雄三さんの若大将シリーズの青大将役です。
私が小学生の頃から始まった人気シリーズで
エレキギターを弾いて歌う青春スター加山さんが
最高に格好良くって
その引き立て役が青大将の田中さんでした。
中学生の当時大分の町中に住んでいた従兄が家に来て
若大将の映画を観に行くとか話をするんです。
羨ましかったですね。
だって大分の町に行くことって滅多にないし
映画館がどこにあるかも知りません。
都会と田舎のギャップを感じたものです。
常に脇役で独特な演技で親しまれた田中さんですが
代表作は主演したテレビの『北の国から』です。
さだまさしさんのテーマ曲から始まる
北海道富良野を舞台にした20年に及ぶドラマです。
純と蛍の二人兄妹の成長と共に歩む
田中さん演じる父五郎の人生の道行きに
自分の人生を重ねて見られた方も
多かったのではないでしょうか。
「家族に見守られて安らかな最期でした。
医療関係者の皆さんに大変お世話になりました」と
田中さんのご遺族のコメントです。
お義母さんをお見舞いして思うことです。
医療福祉のスタッフが毎日のケアプランをつくって
お世話をしてくれています。
どんなに元気な人もいつまでも
若い時のように生きることはできません。
歳を重ねるなかで自分の思うことができなくなります。
そこだけ見ると何か悲しくなりますが
そこに家族がいて多くの人の支えがあって
一日一日を命輝かせて生きることができるのです。
あらためて家族ということを思います。
これは血縁の家族ということだけではなくて
私たちのお念仏のご縁つながりの家族です。
先日法名のお話をしました。
「釋〇○」と法名をいただいて釋と名乗ります。
俗名の姓名でいったら姓です。
同じ釋の姓を名乗るということは
みんな同じお釈迦さまの家族になるということです。
同じ釋を名乗る私たちは互いに兄弟なのです。
南無阿弥陀仏につながったお念仏の家族です。
阿弥陀さまの大きなお慈悲の中に
私たちは共々に生かされて生きる家族と
教えていただきます。
お念仏の家族に支えられ育てられて
私たちは人の命はいつか必ず終えますが
桜の花は散っても桜のいのちはつながって
次に若い命の青葉を咲かせるように
南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
これからもご一緒させていただきます。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.4.3)
人間に生まれて仏法に遇ってお念仏申す身になって阿弥陀さまのお浄土に生まれて来いよ!
2021-04-04
昨日は3回忌のご法事のご縁がありました。
お葬儀で初めてお寺のご縁をいただいたお家で
私と同い年の方です。
ご往生されて2年です。
毎月命日にお参りさせていただいて三回忌ということです。
コロナ禍で遠方の方のお参りはなく
お家の方と近いご親戚の5人の方でお勤めしました。
昨日お話しましたが
ここ数日の雨風で桜の花も散っていきますが
その後に若い葉が出てまいります。
いのちのつながりです。
私たちの命というと
この世に生まれて亡くなるまでの命と
皆さん思われているのではないでしょうか。
死んだら終いといういのちの見方です。
人の命を恵まれこの世に生まれた意味です。
仏さまの大きな願いがかけられたいのちといわれます。
人間に生まれてどうか仏法に遇ってほしい
お念仏を申す身になってほしいという願いです。
仏法に私のいのちのあり方を聞かせていただきますと
私たちはこの人間に生まれるずっとずっと以前から
迷いの境界を何度も何度も生まれては死に
生まれては死にを繰り返してきたというのです。
この人間の世界もまた迷いの境界で
人の命終えるとまた次の迷いの境界を繰り返すのですが
人間の世界に生まれた意味は
この人間界は仏法に遇うことができる世界だというのです。
お釈迦さまが開かれた仏法です。
迷いの私がさとりの仏に成る浄土真宗のみ教えです。
迷いの衆生を必ず救うと本願を起こし成就して
阿弥陀如来の仏さまに成って
南無阿弥陀仏のおはたらき一つで
この私を阿弥陀さまのお浄土に往生させて
さとりの仏にさせていただくと聞かせていただきます。
人と生まれてお念仏の救いの法に遇って
私たちは死んだら終いのいのちを生きるのではなく
仏に成るいのちを生かされて生きるのです。
桜の花が散ります。
その散り方は様々です。
春のそよ風に舞うようにひらひらと散る桜もあれば
大きな風に吹かれて
大空に舞い上がるように散っていく桜もあります。
雨に打たれてポタっと散る桜もあります。
それぞれの散り方生き方です。
散り方はそれぞれ違いますが
散っていく先は阿弥陀さまの大きな大地のお浄土です。
南無阿弥陀仏のおはたらき一つで
阿弥陀さまのお浄土に生まれさせていただき
次のいのちを育むのです。
この目には見えないけれども
先に往かれた方が還ってみえて
仏法を聞いてくれよお念仏を申す身になって
浄土に生まれて来いよというおはたらきのなかに
今日のお朝事のご縁をいただきます。
今日は10時から花まつりの会ということで
お釈迦さまのお誕生をお祝いするご縁をお勤めします。
コロナ禍でいつもの白象パレードなどはできませんが
本堂に設置した花御堂にご安置の
お釈迦さまの誕生仏に甘茶をかけて
お釈迦さまのお誕生を皆さんでお祝いしましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.4.4)
「夢をあきらめないで」明豊ナインありがとう!
2021-04-02
甲子園の選抜高校野球で明豊高校が準優勝しました。
地元大分合同新聞の朝刊第一面いっぱいに表彰式の後
三塁側応援団の前を堂々と胸を張り手を振って行進する
選手たちの姿が頼もしかったです。
大分県の高校としては54年ぶりの決勝進出ということで
54年前の昭和42年の春がよみがえりました。
半世紀以上も前のことで私が中学3年になる春の時分で
三月前の昭和41年12月31日に祖父照哲前々住職が往生し
ちょうど百か日を迎える頃のことです。
津久見高校が大分県勢で春夏通じて初めて決勝に進出し
初優勝したことで大変なニュースになりました。
ドロップのエース吉良投手のことを鮮明に覚えています。
縦に大きく落ちる独特のカーブです。
ピンチの時要所要所でドロップが効果的にきまって
三振を取っていたことを思い出します。
当時はサッカーより野球が子どもの人気の的で
将来の夢も野球選手が圧倒的でした。
プロ野球では巨人が黄金期を迎える九連覇初めの頃です。
華麗な守備と勝負強い打撃の長嶋選手と
一本足打法のホームラン王の王選手の
ON砲が全国の野球ファンを熱狂させていました。
誰もがあこがれ大きな話題になる野球のことで
大分県から日本一の優勝チームがでたことが
自分のことのように嬉しかったし誇らしかったです。
お寺のことでいえば当時は古い本堂と庫裡の佇まいで
数年前までしていた学習塾の教室が二棟残っていて
トタン屋根の自転車置き場にブロック塀があって
時間があるとその塀に軟式ボールを投げてはゴロを取って
私だけの格好の野球練習場でした。
吉良投手のテレビの映像を頭に描きながら
ドロップのまね事をしました。
カーブの握り方もよくわからないのに
緩く投げたらボールが落ちてという感じで
もうすっかり甲子園の優勝投手になった気分でした。
明豊高校の今回の活躍で
往時のことが今またよみがえります。
仏事でいったら年忌法要です。
54年って50回忌を過ぎていますが
思い出すことってあるんですね。
50回忌をお勤めする時に思い出させてくれます。
その人が50歳以上でないとということですが
ご法事のご縁の有難さは
歳を重ねれば重ねるほど趣が深まってくるということです。
あの時あの頃どんなことを思って生きていたかなと
今日の私の話でいったらいよいよ中学3年になって
高校受験を迎える頃です。
15の春です。
これからの人生の進路をどうしたものかどうなるのかと
いろんなことを考え思い悩むこともあったと思います。
あれから54年です。
多くの人に出会いいろんなことがありました。
自分の思い描く人生はその都度軌道修正の連続で
振り返ってみれば何か遠くに来たような思いですが
右に行ったり左に行ったり立ち止まったりしながら
今の私があるのです。
御仏前に座らせていただく私があるということです。
仏さまの量り無いご縁をいただいて
阿弥陀さまの大きなお慈悲の中に生かされて
今こここの私を生きているということです。
これからも計り知れないいろんなことがあるけれども
南無阿弥陀仏とお念仏を申してもうしばらく
人生の歩みをさせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.4.2)
お寺のご縁に法名を名乗りましょう
2021-04-01
4月1日です。
今日から令和3年の新年度です。
学校や職場をはじめ日本の社会全体が新しく始まる
また再スタートするという大きな節目で
気持ちも新たに今日の朝を迎えたことです。
朝一番に皆さんとご一緒にお朝事のお勤めをして
日々の生活を始めさせていただきます。
一年365日毎日のおつとめです。
大変尊いこと有難いことです。
常お朝事同行の皆さんには
毎日が円光寺から始まるということで
お朝事参りが生活のリズムとして
身についたものになっていると思います。
毎日が同じことの繰り返しのようななかで
新年度に入って何か一つ新たに工夫して
お朝事参りの励みになるようなことがないかと
思いついたのが
皆さん毎日お参りされて記帳簿に名前を書かれることが
毎日のたしなみになり励みになっていると思いますが
鉛筆で一々書くのも大変かなと思ったりして
私の方で皆さんの法名をゴム印で作りました。
それで明日からスタンプを置いておきますので
記帳簿に押印してお朝事参りの励みに
していただきたいと思います。
常お朝事同行三人衆の皆さんです。
田仲進さんは「釋一行」さんです。
30年前のご縁でいただいた法名で
南無阿弥陀仏のおはたらき一つで
お念仏一つの道を行く進むという意味です。
三浦善孝さんは「釋善心」さんです。
この「ぜんしん」の呼び名は
親鸞聖人が法然門下で名乗った綽空、善信そして親鸞の
三つの法名のなかの善信の呼び名と同じです。
七高僧さまのお名前から一字ずつとった
三つの法名ですが
2字×3の6字ですから
一人だけとっていない方がいらっしゃって
それが第一祖のインドの龍樹菩薩です。
龍の字も樹の字も入っていません。
それで平松正樹さんです。
樹の字が入っています。
親鸞さまが書かれた『教行信証』の最後の言葉に
「慶ばしいかな、心を弘誓(ぐぜい)の仏地に樹(た)て
念(おもい)を難思(なんじ)の法海に流す。
深く如来の矜哀(こうあい)を知りてまことに師教の恩厚を仰ぐ。
慶喜(きょうき)いよいよ至り、至孝(しこう)いよいよ重し」
(まことによろこばしいことである。
心を本願の大地にうちたて思いを不可思議の大海に流す。
深く如来の慈悲のおこころを知り
まことに師の厚いご恩を仰ぐ。
よろこびの思いはいよいよ増し
敬いの思いはますます深まっていく)とあります。
心を弘誓の仏地に樹てると、樹の字です。
それで平松さんはまだ帰敬式を受けていませんが
私の方で「釋樹心」と法名をつけさせていただきます。
毎日のお朝事参りの励みにしてください。
日々の社会生活のなかでは俗名を名乗りますが
お寺のご縁には法名を名乗ることをお勧めします。
法名をいただいてもしっかり仕舞い込んで
忘れている人も多いようです。
お寺のご縁に法名を名乗ることで
法名が身近なものとして身につくといいと思います。
皆さんが法名を名乗ることで周りの方々で
法名をいただいている方には法名の名乗りをお勧めし
法名をいただいていない方にはご本山にお参りのご縁に
ご門主さまから法名をいただきましょうと
声かけをしていただくと有難いです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.4.1)
偏西風に乗って黄砂の飛来です
2021-03-31
今日で3月が終わります。
今年は3月に大変気温が高く上がって
桜の開花も満開もそして散るのも早いということです。
昨日からのニュースで黄砂ということをよく耳にします。
中国の大陸から偏西風に乗って日本中を覆い尽くすように
黄砂が飛んでくるというのです。
対象物を見通せる視界が5㎞以内だと
車の運転など要注意の警報まで出るといいます。
中国の大陸から飛来するということで
仏教の伝来を思います。
日本は今は大陸と離れた島国ですが
元々は大陸とつながっていたという話です。
お釈迦さまの仏教が
インドに起こって中央アジアを通って
中国そして朝鮮半島を経て日本に入ってくるコースは
まさに黄砂の偏西風の動きと同じです。
インドのガンジス文明、中国の黄河文明という
東洋の文明文化の伝播広がりです。
仏教を中心にした東洋思想と
キリスト教を中心にした西洋思想です。
ここで東洋といい西洋というけれども
何をもって西とか東とかいうのでしょうか。
世界の中心をどこにするかの見方であり
突き詰めて言えば自分がいるところが中心なのです。
自分を中心にして西東北南を見ているのであり
地球は常に自転公転して回っているわけですから
東西南北が決まってあるわけではないのです。
地球上に住む人人のものの見方が
自分を中心にしてそれぞれ違うということです。
その違いを超えて真実まことの
仏さまのみ教えがあると聞かせていただきます。
移り変わり行く私をそのまましっかりと
摂め取って捨てないという仏さまがいらっしゃって
自分の都合で善かったり悪かったりと
喜び悲しみ苦しみ悩み迷う私を
南無阿弥陀仏のおはたらきで救うというのです。
南無阿弥陀仏とお念仏を申して来いよと喚ばれる
阿弥陀さまの西方浄土に生まれさせていただけるみ教えを
日々の営みの中に聞かせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.3.31)