お寺参りのお姿がそのままお浄土参りのお姿です
2021-04-09
葬儀で喪主を務めることは人生で一度か二度のことです。
急な葬儀のご縁で初めて経験するばかりで
どうしていいのか分からないことが多いと思います。
以前は親戚や近所の年配の方に聞けばよかったのですが
今は日頃の人間関係が薄くなり相談事もしなくなって
葬儀でいうと葬儀社の方の言われるままに
することが多いのではないでしょうか。
葬儀は大事な仏事のご縁で
ここはお寺の出番です。
「分からないことは何でも聞いてください」と言いますが
中々聞きづらいお寺との関係になっているようです。
先日のお葬儀のご縁で
「納棺のとき白い旅装束を着せないといけないのですか」
と尋ねられました。
葬儀社から「特に着せたいものがなければ
白装束にしましょう」とお話があったというのです。
お寺から事前に届けていた<葬儀の心得>を読むと
「特に白装束にする必要はない」と書いてありましたね
とも言われました。
葬儀社から言われて不安になって
確認の意味で聞かれたのでしょう。
いつものお姿というか
お気に入りの服など着せたらどうですかと答えました。
お葬儀のご縁でお浄土参りです。
お寺参りの普段のお姿でいいのです。
いつものお寺参りです。
お念珠に式章そして聖典を持ってということです。
昔からお念珠を手にかけることはよく見ますが
式章をかけてほしいと思います。
皆さんはお念珠に式章、聖典が身についていますが
日頃お寺参りのご縁がないと何かにわか仕立てで
ちょっと違和感がありますね。
お寺参りの姿がふっと浮かぶお姿がいいですね。
皆さんが毎日お朝事にお参りされているお姿そのままです。
ご家族や周りの方が見てらっしゃるということです。
お寺参りのそのままがお浄土参りです。
お葬儀の初めてのご縁で分からないことは
どうぞお寺に聞いてご相談してください。
葬儀社のご縁は葬儀の時だけのことです。
お寺のご縁はこれまでもそしてこれからもずっと続く
仏さまからいただくご縁なのですから。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.4.9)
仏さまのみ教えにこの私に生まれた意味をたずねていきましょう
2021-04-08
今日4月8日はお釈迦さまの誕生日です。
お釈迦さまは生まれてすぐ7歩あゆまれて
「天上天下唯我独尊」と
人間に生まれた宣言をされました。
尊い命を恵まれて人として生きる
人生の歩みが始まるということです。
今日は学校の始業式です。
春四月、始まりのときです。
始まりがあるということは
終わりがあるということです。
人に生まれて生きて
この命終わるときがきます。
そのことだけでいいますと
何かもの悲しい考えたくないことですが
仏法に遇って
この命終えてそのままお浄土に生まれて仏に成るいのちを
今生かされて生きていると聞かせていただきます。
生きることは老いることで
歳を重ねていくと今までできていたことができなくなって
虚しい思いに切なくなりますし
病気になってベッドから離れることが
できないことになるかもしれません。
そしてどんな人も命終えていかねばなりません。
お釈迦さまは「人生は苦なり」と
自分の思い通りにならない人生だと
80年のご生涯をかけて私たちに明かしてくださいました。
昨日お葬式がありました。
今は家族葬といわれる小さなお葬式で
弔辞は殆どなくなりましたが
お孫さんからお祖母ちゃんへ
「おばあちゃん、あなたの孫でよかったです」と
お別れの言葉がありました。
お父さんお母さんあなたの子どもでよかったですと
そんな言葉で見送られるといいですね。
この私がこの世に生まれたことについて
誰も両親や祖父母の良し悪しを選ぶことはできません。
生まれたことに大きな意味があるのです。
その意味をたずねていく道すがらがこの人生だと思います。
自分の料簡でたずねていくのではありません。
そしたら不平不満が後から後からいっぱい出てきます。
仏さまのみ教えにたずねていくのです。
両親も祖父母もみんな互いに
南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
生かされて生きているということで
縁あって偶々それぞれに
この私のいのちを生きているのです。
お念仏を申す日暮らしのなかに
わがいのちのあり方をたずねてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.4.8)
お葬儀のご縁で御仏前に座らせていただく有難さです
2021-04-07
昨日今日とお通夜葬儀のご縁です。
今のコロナ禍ということもありますが
家族葬ということが一般的になりました。
家族葬と特段言わなくても
お参りする方が少人数のお葬儀ということです。
コロナ後もこうした傾向が変わらず
定着するのではないでしょうか。
それだけに今一度お葬儀をお勤めする意味を
ご門徒有縁の方々と共に確認させていただくことが
大事だと思います。
お葬儀は一人の人間がこの世に生まれ生きて
命終えていくその人にとって一生一大事のご縁です。
自分自身のことですが
家族や有縁の方々の葬儀にあうなかで
生死に向き合いいのちのあり方を考える大切なご縁です。
大切な方とお別れする悲しみのご縁ですが
そのまま仏さまのご縁といただきましょうと
ご法話お取り次ぎをさせていただきます。
仏さまのお話を聞くことって
私たちの日常生活の中でどれほどあるでしょうか。
葬儀のご縁で御仏前に座らせていただき
ご法話聴聞させていただくのです。
家族葬であっても社葬という大きなお葬式であっても
どんなお葬式も同じお勤めです。
先に往かれたお方のご生涯が生活ぶりがどんなものでも
阿弥陀さまの大きなお慈悲の中にみんな一味平等なのです。
いろんな川が海に流れ込むと同じ一味になるように
阿弥陀さまは大きな広いお心で「お前の命引き受けた」
南無阿弥陀仏とおはたらきくださるのです。
お葬儀のご縁で御仏前に座らせていただく有難さです。
お寺のご縁に遇うことが難しい私たちの生活です。
阿弥陀さまはそうした私たちをもうすでに見抜かれて
お念仏一つで救われるみ教えを
明らかにしてくださったのです。
南無阿弥陀仏とお念仏を申して来いよと喚ばれて
私たちはそのまま往かせていただきます。
阿弥陀さまは私たちが往き生まれる世界を
極楽浄土西方浄土と用意をしてくださっているのです。
私たちの懐かしい方々が先に往ってらっしゃる
阿弥陀さまのお浄土です。
お浄土で仏と成って
南無阿弥陀仏と私のところに還って来て
私のいのちをそのまま引き受け支えてくださり
この私の口から南無阿弥陀仏と
お念仏が出てくださると聞かせていただきます。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.4.7)
エースで4番ばかりでは野球のチームになれません
2021-04-06
アメリカ大リーグの大谷翔平選手が
投手と打者の二刀流で同時に試合出場しました。
剛速球を投げ込んで
打っては第一打席で特大ホームランです。
野球の花は投手の三振そして打者のホームランです。
まさに投打の千両役者の大活躍です。
投手で4番は子どもの頃の草野球の花で
高校野球も最近までは投手で4番がチームの中心でした。
チームの中で一番野球センスが良い上手な人の代名詞で
逆にライトで9番は力が劣って下手な人の指定席という
ランク付けがかつてはありましたが
今は高校野球からして投打ともに分業制です。
一人のエースだけでなく投球数の制限もありますから
この前の甲子園の明豊高校は投手三人の継投でした。
同じ力量の投手が複数いるのが今は当たり前です。
そして守備もイチロー選手に代表されるライトです。
強肩で一塁から三塁に走る走者をアウトにします。
打線もつながり重視の組み替えで
投攻守ともそれぞれ役割を分担して一つのチームです。
試合は味方のエラーもあって
残念ながら大谷投手に白星はつきませんでしたが
最後はチームがサヨナラ勝ちして
大谷選手もナインと一緒に喜んでいました。
私たちのこの社会も同じようなことが言えます。
皆がみんなエースで4番ではこの社会は成り立ちません。
チームのナインがそれぞれの役割を分担するように
この社会を支えるいろんなお仕事の方が
それぞれいらっしゃるということです。
共同社会に生きる私たちですが
この命そのものは分業ではありません。
どんな職種の人も社会的な立場や役割は違っても
いのちはそれぞれ丸ごと平等です。
どんな人もこの世に生まれて生きることは
老いていくことで病むこともあるし
必ずこの命を終えていかねばなりません。
4番でピッチャーだけではなくて
ライトで9番だけではなくて
みんなそうです。
生死の迷いのいのちを丸ごとそのまま救うと
阿弥陀さまは南無阿弥陀仏とおはたらきです。
毎日拝読させていただく御文章に蓮如上人は
阿弥陀さまの本願念仏のみ教えを聞いて
お念仏申す身になってくれよとお勧めです。
生まれ難い人間に生まれて
どうか仏法に遇ってくれよといわれるのです。
仏法に遇って仏に成るいのちを生きていることを
自分だけではなくみんな等しく
仏に成るいのちを生きていることを聞かせていただいて
みんながお互いに敬い合い支え合い助け合っていくのです。
私たちの生活ぶりはそれぞれ違います。
生業仕事はまさに分業の社会この人生です。
生活の中心にお念仏の尊いみ教えをいただいて
お念仏申して本当に人間に生まれてよかったと
日々日暮しさせていただく有難さを思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.4.6)
今の私が自己ベストと仏さまはそのまま受け入れてくださいます
2021-04-05
競泳の池江璃花子選手が日本選手権100mバタフライで
五輪標準記録を突破しリレーの代表が内定しました。
2年2か月前に白血病を発症し10か月間入院治療に専念
昨年8月に競技復帰し次のパリ五輪をめざすということで
本人はもちろん周囲の関係者も私たちも
どこかで期待はしていたものの
見事な復活劇に本人も涙し大きな感動をいただきました。
それにしても凄いことです。
今も毎日薬を服用し定期的に通院しているなかで
アスリートの最高の舞台オリンピックをめざすのです。
恵まれた素質を生かす毎日の練習努力の積み重ねです。
それがスタートに戻るのですから
肉体的も精神的にも極限の辛さがあったと思います。
池江選手は今を「第二の水泳人生」といいます。
これまでの競技人生で身についたものがあっても
まさに再スタートなのです。
私たちは過去の成功体験に
しがみつくようにとらわれます。
周りからも過去の実績と常に比べられたりされます。
あれだけできていたのに何でできないのかと
苦しみ悩みます。
池江選手は過去の記録にとらわれるのではなく
今の記録を自己ベストとよんで
楽しみに励みにしたといいます。
競技復帰以後レースを重ねるなかで
記録が少しずつ伸びて行きます。
自己ベストの更新です。
かつて自分が出した日本記録からは遠く及ばない記録でも
自己ベストと前向きに受け止めていったというのです。
仏法が私たちに教えてくださること
今の私が自己ベストと
仏さまはそのまま受け入れてくださるのです。
生きるということは今を生きることで
今がベストなのです。
過ぎ去った過去のことでもないし
まだ来ない未来のことでもないのです。
過去の若い時分に戻ることはできません。
これから歳を重ねていきますと
老いを自覚し愕然とすることもあるでしょうし
急な病に倒れることもあるかもしれません。
自分の思い通りにならないことが
たくさんこの身に起こってくるでしょうが
今が自己ベストといただけるのが
お念仏申して仏法に生きることだと思います。
過去のことにとらわれるな
未来のことを思い煩うなと言われて
いろんな思いはからいのなかに生きているお互いですが
南無阿弥陀仏とお念仏申して
「私がいるよ大丈夫だよ。
あなたのいのちそのまま引き受けたからね。
安心して一緒に生きて往きましょう」と
喚んでくださる阿弥陀さまのおはたらきにまかせて
今が自己ベストと今日のいのちを輝かせて
今できることを精いっぱいさせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.4.5)