お念仏のご法義に生かされて私たちのお寺を護る
2021-04-14
高齢者へのコロナワクチン接種が始まりましたが
感染予防の最前線にいる医療従事者への接種も
予定より遅れて進んでいないと聞きます。
この状況をみて専門家といわれる方が
ワクチンを平等に配分することに配慮するより
感染者が多いところを重点的に接種の対象にするような
柔軟な現実的対応が大事ではないかと
意見を述べていました。
私たちは平等というとみんな一人一人が同じという
平等観があります。
みんなが押しなべて平等感をもつことは大事ですが
そのなかで今何が一番大事なのか
何を優先的にすることが必要か考え行うことです。
仏さまのお慈悲のお心おはたらきは
「平等施一切」平等に一切に施すのですが
「七子の譬」のお話です。
七人子どもがいてその中の一人が病気になったときに
お母さんはその子一人にかかりっきりで
看病するといいます。
お母さんの心は七人の子どもすべてに等しいものですが
今は一番病気の子どもに寄り添うというのです。
仏さまのお慈悲のお心といただきます。
私たちが生きているこの社会のあり様です。
民主主義の社会といわれ人権平等平和の理念をうたいます。
大変尊いことであり私たちお互いが尊重して
生きる社会が望ましいのですが
現実は私たちそれぞれが自己中心のものの見方で生きて
人権といって他の人を無視し
平等といって他の人を差別し
平和といって他の人を排除している
ところがないでしょうか。
お寺も一つの社会です。
ご門徒皆さんのお寺であり
お寺はご門徒皆さんによって護持されています。
お寺に対する見方がご門徒さんそれぞれで異なり
変わってきています。
お寺への思いをご門徒さんに感じる方もいれば
門徒を名乗るいろんな見方考え方の人がいます。
平等施一切の阿弥陀さまのお慈悲お念仏のおはたらきは
ご門徒皆さんだけでなくすべての人に平等に
届けられています。
日頃のお寺のご縁に遇ってほしいと思います。
阿弥陀さまのお念仏のみ教えを聞いていただきたいのです。
お寺はご門徒皆さんのご懇念で
護持されてきました。
護持の大本はお念仏のみ教えです。
お寺のご縁をいただく者すべてが
お念仏のみ教えに護られているご法義です。
お寺の護持のために住職坊守の役割
ご門徒皆さんの役割があります。
それぞれがお寺への思いをもって
お念仏を護り伝えるということです。
仏さまのみ教えに誰彼を差別することも
排除することもありません。
お念仏の平等のお慈悲のお心の中に
私たちお互いがあるということであり
この私自身がこれからも聞かせていただくことです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.4.14)
私たちの日々の生活のなかにお念仏の仏道が開かれています
2021-04-13
ゴルフのマスターズで
松山英樹選手が日本人で初めて優勝し
優勝者にだけ贈られるグリーンジャケットを身に着けて
喜びを満面に爆発させていました。
29歳ということにびっくりしました。
何度も四大メジャー大会に挑戦し続け
落ち着いたゴルフスタイルに重ねて
ベテランの域に達しているような印象でした。
19歳でマスターズに初出場しアマチュア優勝したことで
周囲の期待を一身に背負い
ずっとこれまで精進努力してきたといいます。
そしてマスターズ制覇です。
テニスのウィンブルドンに並び称せられる
招待を受けた人しか出場できない権威ある大会で
これまで日本の名だたる選手が挑戦しては跳ね返されて
初めてその壁を破ったということです。
喩えていっていいかと思いますが
仏道でいいますと難行苦行の聖道門の道です。
それも最終的には一人しか到達することができない
仏道でいったら仏のさとりに到ることができない
救われないということです。
外から見る私たちからいうと
ただただ凄いなあということですが
誰しもできないことであり
私が歩む仏道でいうと私には程遠いことです。
仏に成る素質も思いも何もない
救われ難い私のことを阿弥陀さまが思い取り見抜かれて
どんな人も救われるすべての手立てを
南無阿弥陀仏に仕上げられて
念仏成仏の道をすべてのものに開いてくださったのです。
いつでもどこでも誰にでも行き届いている
南無阿弥陀仏のお救いの法を
聞いてくれよと喚び続けてくださっているのです。
ところが私たちはいつでもと聞いていつかは
どこでもと聞いてここではなくても
誰でもと聞いて私ではなくてもと聞いて
お念仏のみ教えに遇うことは難しいのです。
今こここの私のためにお念仏の仏道が開かれていると
聞かせていただきます。
この道を来いと阿弥陀さまが
この道を往けとお釈迦さまが
お念仏の声となってお勧めです。
お念仏の仏道を歩ませていただくことで
私にできることを精いっぱいさせていただきましょう。
私には到底できない凄いことだなと
外から見る難行苦行の仏道ではなく
私たちの日々の生活のなかに
お念仏の仏道があると聞かせていただきます。
私たちの生活ぶりはそれぞれ違いますが
お念仏申しお念仏のお心を聞かせていただくなかに
今日も一日私にできる精いっぱいのことを
させていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.4.13)
お念仏申す身にお育てをいただく仏さまのご縁です
2021-04-12
昨日は初七日と満中陰の二件のご法事がありました。
どちらもご遺族ご親族10人程の方がお参りでした。
お念仏の声の大きさが違いました。
満中陰のご縁のお念仏の声がはるかに大きかったのです。
七日七日のご縁をいただいて皆さんが声を出して
お念仏が出るようになったということです。
初七日のお家も日頃お寺にご縁の方がお参りされていて
その方のお念仏につられて小さな声が聞こえてきましたが
お育てをいただくといいます。
お朝事参りの皆さんは
今はすっかり大きな声でお念仏申せていますが
声に出してお念仏を申すことは難しいですね。
ご法事のご縁にお寺から聖典を持参して
「ご一緒にお勤めしましょう!」といって
聖典の字は読めるのですが
お勤めが済んでナマンダブナマンダブというお念仏の声が
中々出ない聞こえてきません。
お念仏の声は私の声ですが
そのまま仏さまの喚び声といただきます。
阿弥陀さまのご本願のお心が
「必ず救うまかせよ」の南無阿弥陀仏のおはたらきとなり
私の心に届けられ私の口からお念仏が出てくださるのです。
お念仏を申す身にお育ていただく仏さまのご縁です。
阿弥陀さまは
「念仏申してわが浄土に生まれて来いよ」と
私を喚び通しに喚んでくださっています。
そして私の背中を押すようにお釈迦さまが
「お念仏を申し信じまかせてこの道を往け」と
お勧めくださる往生浄土の道行きが用意されて
お育てをいただいているといただきます。
49日間の長い中陰のご縁ですが
先に往かれた大切な有縁の方がまさに命がけで
仏さまに成ってくださって
私たちにお念仏を申す身になってくれよと
仏さまのご縁をつくってくださったといただきます。
大切なお方とお別れする悲しいご縁です。
もっと長生きしてほしかったということですが
そのままこの私をお育ていただく
仏さまのご縁といただける
有難さ尊さを思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.4.12)
お念仏申す身を無量の龍神が護ってくださる
2021-04-11
本堂のお内陣は阿弥陀さまが中心にまします
お浄土のお荘厳です。
阿弥陀さまが迷いの境涯を経巡るこの私を必ず救うと
南無阿弥陀仏のおはたらきで
人の命終わるそのままにお浄土に往生させて
さとりの仏さまに成らせていただく浄土真宗のみ教えを
私の目に見える形で表し示してくださっています。
外陣とお内陣の境の欄間には
龍の彫りものがあります。
現世利益和讃に
「南無阿弥陀仏をとなふれば 難陀・跋難大龍等
無量の龍神尊敬し よるひるつねにまもるなり」
(南無阿弥陀仏を称える身になると
難陀龍王や跋難陀龍王など
数限りない龍王も尊び敬って
昼夜を問わず常に護るのである)
とあります。
龍神は龍宮に住む龍で水神や海神と伝えられ
仏法を護持する鬼神であるとされます。
末法の仏教衰退の時代にあって
釈尊が説き残された教えの経巻を
大海の底にあるとされる龍王の宮殿龍宮に
隠しおさめて護持するというのです。
この末法濁世の時代にあって
阿弥陀仏が智慧と慈悲のお心からおこしてくださった
本願念仏のみ教えだけが残り
すべてのものを分け隔てなく救うと
南無阿弥陀仏のおはたらきとなって
私のところに届けられていると
この私の目に見えるすがたで
お浄土の様相を見させていただくなかに
いよいよお念仏を申す身にさせていただくのです。
南無阿弥陀仏とお念仏申すそのままに
無量の龍神が常に護ってくださると聞かせていただき
今日の一日もお念仏を申す日暮らしを
させていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.4.11)
仏法聴聞のご縁を三食の食事に喩えていただきます
2021-04-10
仏法聴聞のご縁を三食の食事に喩えて
味わわせていただきます。
朝昼夕と一日三度の食事をいただきます。
朝は朝食昼はランチ夜はディナーという言い方もあって
それぞれ食事の内容からして趣が異なります。
朝食はご飯に味噌汁とかトーストにハムエッグとか
お家お家で定番メニューが決まっています。
お家のお昼は夜の残り物でしょうか。
そして一番の楽しみが夕食です。
仕事を終えてお家に帰りお風呂に入って
お酒でも飲んでゆっくり時間をかけていただきます。
生きるために食べるのか食べるために生きるのか
生きることは食べることです。
仏法聴聞も食べることで生きることだと
仏法を聴聞して本当に生きることができると
仏法聴聞させていただきます。
このお朝事は朝食です。
お正信偈さまと御文章さまを拝読させていただく
定番メニューのお勤めです。
お参りされるお同行もいつもの皆さんです。
お念仏の家族の毎日毎朝の食事仏法聴聞のご縁です。
お昼のランチです。
お昼時に町に出ると職場の同僚やお友だちが連れ添って
ランチに行っています。
日頃からお互いに声をかけ合う仲間です。
「ランチに行こう!」と誘い合って食事をし
おしゃべりをします。
お寺の法話会です。
お念仏のお仲間に「お寺に行こう!」と声をかけあって
仏さまのお話おしゃべりもいいですね。
そして夕食ディナーです。
お寺のご縁でいったらご法座ご法要です。
日頃はお寺にご縁のない人にもご縁に遇ってほしいと
ご門徒有縁の皆さんに広くご案内します。
お寺で食事をする気持ちで
お朝事の朝食、法話会のランチそしてご法要のデイナーに
ご一緒させていただきましょう。
人間に生まれて生きるということは食べることです。
仏法聴聞の食事のご縁をいただいて
どうかお念仏を申す身になってくれよと
親鸞聖人蓮如上人のお勧めです。
皆さんの周りの方にも声をかけられ共々に
ご縁ご縁にお寺にお参りさせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.4.10)