南無阿弥陀仏のお育てをいただきお念仏申す身にさせていただきます
2021-04-24
お念仏が中々出ない
お念仏を申すのが難しいという話です。
あるお寺の会で同じメンバーが何度も集まって
仏さまのご縁をいただくのですが
初めてのご縁で司会者が「合掌」と言われて
周りの人が合掌するのに合わせるように手を合わせ
周囲からナマンダブナマンダブとお念仏申す声が聞こえる
お寺のご縁では当たり前のような雰囲気に
何か違和感があってその場から逃げ出したい心境になった
と言われるのです。
ただ2回3回と会を重ねるなかで
お念仏が出るようになったといいます。
お念仏を申すのは私が申すということで
どうしても私のところに力が入ります。
お念仏申すことについて私のなかに
いろんな思いが出てくるのです。
なぜお念仏しないといけないの?
お念仏申す気持ちにならなかったらそれはそれで
周りのことを気にしないでいいのでは?
などなどです。
仏さまからいうと
私がという思い私のはからいが
邪魔をするとでもいうのでしょうか。
こんな時や場面ではお念仏しないといけない
どうこうということです。
ところが回を重ねるなかで
ご縁をいただくということでしょうね。
周囲のお念仏の声が聞こえてくるというのは
隣の人の声を通して
仏さまの声が聞こえてくると
いただいたらどうでしょう。
お育てをいただくといいます。
お念仏のお育てをいただいて
お念仏申す身にさせていただくのです。
阿弥陀さまの大悲のお育てをいただいて
この口からお念仏が出てくださるのです。
肝心要なことはこの御仏前に身を置くということです。
御仏前に身を置くことでお念仏の声が聞こえてくるのです。
お念仏の声が身につくのです。
私たちの浄土真宗のご宗旨み教えは親鸞さまが
「本願を信じ念仏申さば仏に成る」とお示しです。
明快ですね。
本願とは阿弥陀さまの必ず救うまかせよのお心です。
ご本願のお心おはたらきを聞いて
念仏申させていただくのです。
ここも私が信じ私が聞く私が念仏申すと
私がと力が入ります。
でも心配はいりません。
御仏前に身を置くことで
私がの角が取れてお念仏申す身にさせていただけるのです。
本願を信じ念仏申さば仏に成ると
南無阿弥陀仏のご本願のお育てをいただき
お念仏申す身にさせていただいて
往生成仏の浄土への仏道を歩ませていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.4.24)
南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに生かされて
2021-04-23
昨日大分の町中でお葬儀があって
独り暮らしの方でした。
娘さんが喪主で他家に嫁いでいることで
これからお仏壇やお墓を誰がみていくのかという
相談になってきます。
昨日お礼参でお寺にお参りになって
これから3回忌まではお勤めしますというお話でした。
それ以降はお勤めしないということではありませんが
お気持ちを聞かせていただいて少し安心しました。
お仏壇やお墓の継承について
こうしたケースがお家お家それぞれ違った形で
これからたくさん起こってくると思います。
都市部の葬儀ではお葬式で全ておしまいという
話も聞きます。
日頃からお寺のご縁がなかったり
これを機会にお寺との縁を解消したい
ということでしょうか。
昨日50回忌のお話をしましたが
50回忌までご法事をお勤めしないといけない
ということではありません。
仏さまの御恩報謝のお勤めがご法事であり
仏さまのご縁といただいて
精いっぱいできることをさせていただくことが肝要です。
血筋でいえば後を継承する人がいないということですが
その人人がこの人間界に生まれ生きるということは
子や孫だけでなく多くの方々とのご縁つながりのなかに
生かされてあるということです。
南無阿弥陀仏の大きなおはたらきにまかせて
阿弥陀さまのお浄土に往き生まれ
悟りの仏さまに成らせていただくと聞かせていただきます。
そして迷いのこの世に還って来て自分の子孫だけではなく
すべてのものを救うおはたらきをさせていただくのです。
南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
私たちはこれまでもまたこれからも
共々に生かされて生きて往くのです。
こうしてお朝事のお勤めをご一緒にさせていただくのも
ご先祖有縁の仏さま方に感謝し御礼申し上げる
一つのしるしといただきます。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.4.23)
長寿になっても生死のいのちは変わりません
2021-04-22
昨日50回忌のご法事のご縁をいただきました。
昭和47年にご往生されたお方です。
今年は昭和でいいますと96年ですから
49年が経ったということです。
お家の施主の方ご夫婦と
もう一人お参りでした。
聞きますと92歳の娘さんだそうです。
43歳の時にお母さんにお別れになったということです。
親の50回忌を勤めるのは
若い時分に死別して大変ご苦労した証だとよく言われます。
ただ私も40歳代で父が往生していますし
50回忌を勤めるということは
それだけ子どもの世代が長生きになったということで
今は高齢長寿の時代の一つの象徴です。
昨日は92歳のご門徒のお通夜のご縁もありました。
長寿になっても生死のいのちに変わりありません。
人に生まれて亡くなるのは他人事ではなく
実はこの私の話なのです。
私たちはどんな人も
人に生まれたからにはいつか必ず人の命を終えていきます。
何のために人に生まれたのか
仏さまのみ教えにたずねていきます。
それは迷いの境涯を生死する私を
必ず救うという仏さまのみ教えに
出遇ってほしいということなのです。
この私をこそ救わずにはおかないとおはたらきくださる
南無阿弥陀仏の真実のお心を聞かせていただいて
お念仏申す身にさせていただきこの人生を生き抜いて
人の命終わって阿弥陀さまのお浄土に生まれ往くという
み教えです。
先にお浄土に往かれたご先祖有縁の仏さま方は
南無阿弥陀仏のおはたらきで
今日もこうして私のところに還って来て
この私の口から出てくださるお念仏となって
私と共に生きてくださっているのです。
私たちの毎日の日暮らしです。
忙しい日々です。
私が私がとどこまでも自分を中心に
生きることで精いっぱい私のことで精いっぱいの
お互いです。
そういう私だからこその仏さまのご縁です。
50回忌でご法事の通知は終わりますが
仏さまのご縁に終わりはありません。
92歳の娘さんにとっては
どこまでもいつまでもお母さんです。
お母さんの仏さまとなっていつでもどこでも
私とご一緒してくださる仏さまに成ってくださったと
お取り次ぎをさせていただきました。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.4.22)
ホームページのアクセス数が3万回になりました
2021-04-21
6年前の7月からお寺でホームページを開設しています。
始めた一年ぐらいは受信されるアクセス数が
一日に3回4回程で10回になることは殆どありませんでした。
お寺の法要行事の案内が主な内容で
当初は<住職ブログ>ということでお寺の身近な出来事を
私の感想を交えて写真入りで発信していましたが
3年前から毎朝のお朝事のお話を
<お念仏申す生活法話>ということで載せるようにしました。
その成果かどうかは分かりませんが
カウント数が徐々にあがってきて昨日3万回になりました。
この前の2万回からいうと
5か月で1万回のアクセス数になります。
その前の1万回から2万回まで1年2カ月でしたから
年々増えてきているということです。
この間の1万回を平均しますと
1日に約60回のアクセスがある計算です。
そのままいえば毎日60人の方がパソコンやスマホで
円光寺のホームページをみてくださっているということです。
トップページにはお寺の法要行事の案内や報告を
その都度載せていますが
<お念仏申す生活法話>は毎日発信しています。
ただ忙しいこともあって3日4日とブランクが空き
その分を一遍にまとめて出すことがあります。
数字というのは正直で
そういう時はいつもよりアクセス数が減ってきます。
私の毎朝の日課です。
朝6時の梵鐘を撞く前にカウント数を見るのが
一つの楽しみになっています。
どんな人が見ているのかなと想います。
門徒さんで毎日見てますという方も聞いています。
ただ同じ60人が毎日見ているかというと
ちょっと気が向いたときに覗いて見るとか
一週間に1回とか日を決めて見ているのか
などと思ったりします。
有難いのはお朝事参りの皆さんです。
こうしてお朝事のご縁にお話ができるのは
皆さんがいるからです。
ご一緒にお朝事のお勤めができて
お話を聞いてくださる皆さんです。
お話を録音し後で文章に整理して発信します。
原稿を書いてお話しているわけではありませんから
聞き直すとその時どきの思いで話があっちこっちに
飛んでいることが多くあります。
パソコンやスマホで受信してくれてると思います。
気軽にスマホを開いて見てもらえるようにと
スマホの画面に文章が読みやすく入るように
文章はなるべく短くと思っていますが中々難しいです。
とにかく続けるということを大きなベースにしています。
何といっても皆さんの存在が本当に有り難いです。
皆さんの顔を見てお話をします。
皆さんが聞いてくれてるということです。
皆さんがうつむいてでもいたら
話のトーンが一気にしぼみます。
皆さんがしっかり聞いてくださっていることが分かるから
話せるのです。
皆さんの後ろに60人の方がいらっしゃるということです。
そんな意識をして話しているわけではありませんが
皆さんを通して今日このご縁にお参りでない方にも
ご門徒でない方にも全国の方にも
このお朝事のお話が届いているといただきます。
御仏前で日々の生活のなかで気づいたこと思うことを
お念仏のみ教えに重ねて皆さんにお話させていただきます。
これからもホームページのアクセス数を楽しみに
日々お念仏申す生活をさせていただきたいと思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.4.21)
お念仏申し阿弥陀さまにご相談するところにもうすでに道は開かれています
2021-04-20
二世帯住宅は今に始まったことではありませんが
身近なところで最近増えてきました。
一軒のお家に表札が二つ掛かっていて
ご夫婦それぞれのお家の親が同居している住宅です。
先日3回忌のご法事をお勤めしたお家の方のご相談です。
二世帯住宅で奥さんの親がお亡くなりになったご縁です。
二つそれぞれあるお仏壇とお墓を一つにしていいですか
というご相談です。
同じ仏教でも宗派の相違などいろんなケースがあります。
大抵ご主人のお家のお寺宗旨になることが多いのですが
まず双方のお寺に相談することが大事です。
自分たちの思いだけでやっていると
後で難しい問題にもなりかねません。
お寺もお家のご事情をよく聞いて
相談にのってくれます。
私もこれで三件目になります。
お仏壇を一つにしてそれぞれのお家の過去帳をご安置し
ご法事のお勤めはお寺で対応できます。
お墓も昔はその家の墓に他の家の者が入るといけない
という話がありましたが
今はお友だち同士で入るお墓とか
逆に夫婦だからといって同じお墓に一緒に入りたくない
という話も聞きます。
話しにくい話題ですがいずれ当面する課題であり
生前によく話し合うことも大事だし
後に遺った皆さんが相談して納得したらいいことです。
大事なことはお寺に相談してくださることです。
相談しないまま自分たちだけで悩んだり
自分たちで勝手にお墓やお仏壇を始末したりすることが
お寺にとって一番困るのです。
お墓やお仏壇の継承者が分からない連絡がつかないまま
引き取り手のないお遺骨がお墓に遺ったり
ご法事が絶えたりすることです。
皆さんが元気なうちに相談してください。
お寺に相談しなければよかったということはありません。
少子高齢社会の大きな課題の一つに
お仏壇やお墓の継承のあり方があります。
お家お家で様々な問題が出てまいりますが
最終的にはお寺で預かるということだと思います。
お寺で預かるとはご先祖のことだけではなく
このわが身のことです。
わが身の往き方を阿弥陀さまに
まかせる預ける心もちです。
仏法を聞いてお念仏申す身にさせていただくことです。
お寺のご縁ご縁にお参りされて
ご相談してほしいと思います。
直接的にはお寺の住職ですが
阿弥陀さまです。
南無阿弥陀仏とお念仏申しご相談するところに
もうすでに道は開けているのです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.4.20)