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お念仏を申す生活法話

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雨の日には雨の日の生き方がある

2021-04-29
雨の朝になりました(2021.4.29.6:00)
 朝から大きな雨が降り続いています。

 今日4月29日は「昭和の日」で祝日です。
元は昭和天皇の「天皇誕生日」で
その後「みどりの日」になりました。
 私が生まれてこの方ずっと祝日に変わりありませんが
私たちにはこの日は「三佐のお祭りの日」です。

 三佐の先人の知恵と工夫を思います。
神社の祭典はお祀りする神々の由来で決まった日でしたが
戦後私たちの生活のあり方が大きく変わるなかで
血縁地縁のつながりが薄くなり
会社勤めの個々の生活が中心となって
仕事を休んでまでお祭りに出る感覚が少なくなり
今は全国的に有名な祭りも土曜日曜といった
一般企業の休日をとってするところが多くなりました。

 三佐の祭りもそうした事情もあって
早い段階で4月29日の祝日にしたのではないでしょうか。

 神さまのことを人間の都合で変えることへの
反対批判もあったと思いますが
この日と決めてくださってお祭りの準備から
一年の計画が立てられるということです。

 前日28日の宵宮から今日29日にかけて
町内の山車山車が三佐中を練り歩き
人も多く賑やかに皆さんの心が浮き浮きしたものですが
去年今年とコロナ禍の状況下で
中止か延期か内容変更かなどと
関係者は大変なご苦労ご心労があったと思います。

 コロナだから中止も仕方がないと言われます。
コロナなのに何でするのといった見方もあります。
 ただ外から見る人の見方と
その中で今までやってきた方実際に携わる方の思いは
若干どころではなく大分違うように思います。

 そういうなかにあって今日の雨です。
「雨の日には雨の日の生き方がある」の言葉を思います。
 いつも晴れの日ばかりではありません。
雨の日もあって私たちは雨の恩恵もいただいています。
 
 ただ行事をするときなど雨は嫌われます。
何で今日は雨なの晴れてくれなかったのと
雨を恨めしく思うこともあります。

 雨の日も生きているんですね。
生きていくんですね。
 だったら雨の日の生き方生きる工夫をして
雨の日もよかったといえる一日にしたいと思いませんか。

 お念仏申す生活とお話をさせていただいています。
南無阿弥陀仏とお念仏を申し
生きる依りどころに立ち返って
今日の一日を始めさせていただく有難さです。

 お念仏の先人は
お念仏を申して阿弥陀さまに相談されたと言われます。

 雨の日ですがお念仏申して生き生きと
阿弥陀さまの大悲のお心南無阿弥陀仏のおはたらきに
生かされて今日一日も生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.4.29)


仏さまのご縁をいただきましょう

2021-04-28
 直葬という葬儀のあり方が
この近くでも増えてきているという話です。

 直葬とはお亡くなりになって通夜葬儀はしなくて
ご遺体を葬儀社などにご安置した後直接火葬場に送って
お遺骨も持って帰らないこともあるということです。

 近所のお付き合いがあった方の話です。
亡くなったことも知らされず
お参りしたくてもお遺骨もないと断られて
後々そのお家の方とお話する機会があったそうです。

 何で?と聞いたら
「うちは無宗教だから」という答えだったそうです。
 世間的なお付き合いのある70代80代のいいお歳の方が
無宗教だからといって直葬で葬儀を済ませ
遺骨を持って帰らないことが
ちょっと分からないという話です。

 無宗教ということを理由にしているとしか思えませんが
ここは私たち僧侶の責任を感じます。
 日頃から言うべきことを言っていない
仏さまの教えを伝えていないことを深く反省させられます。

 よく「お寺さんだからお坊さんだから
そんなことを言うんでしょう」と言われます。
 逆に「お坊さんだから敢えて言うんです」と言います。
お坊さんが言わなかったら誰が言うのということです。

 日常生活のなかで仏教の教えに遇うご縁が
少なくなってきていることを痛感します。
 お葬儀は家族葬で
ご法事も極々身内で済ませるようになりました。

 難しいことをいう近所の人も
親戚の者もいません。
 昔から言ってる皆がしていることに耳を貸すことなく
自分たちで思うように勝手に決めていけるのです。

 仏事のことはお寺に相談して聞いて下さいと言いますが
今はネットで自分の都合のいい情報だけ聞く始末です。

 仏さまのお話を聞いてほしいのですが
お坊さんの話はいつも同じ話だからと
一回聞いておけばいいというようなことを言われます。

 仏さまのお話はいつも同じ南無阿弥陀仏のお話です。
同じ話でも聞いておく
ご縁ご縁に聞かせていただくことが大事なのです。

 知識としてではなく
私のいのちのあり方を聞かせていただきます。

 人に生まれた私たちの命はいつかは終わりますが
死んだらおしまいゴミになるのではなくて
阿弥陀さまのお浄土に生まれて仏さまのいのちと成り
迷いのこの世に還って来て有縁の人々を護り救うという
南無阿弥陀仏のおはたらきをさせていただくのです。

 念仏一つでどんな人も救われるご法義を
共々に聞いてくれよと仏さまのご縁をいただきます。

 今日もこうして御仏前に座らせていただき
お念仏申して仏さまのご縁を有難くいただきます。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.4.28)


筍の炊き込みご飯

2021-04-27
 春はお花もきれいですが
春野菜など収穫するものも
たくさんあって楽しみです。

 ちょっと旬を過ぎましたが春は筍です。
いろんな料理がありますが
この前筍の炊き込みご飯をいただきました。

 炊き込みご飯のお話です。
炊き込みご飯が大好きなご門徒さんが
出来立ての炊き込みご飯をまず仏さまにと
お供えされていたそうです。

 お寺のご縁のご法話で
「お仏飯は白い蓮の花を表現したものです」と聞いて
炊き込みご飯はお仏飯にふさわしくないと思われたのです。

 正信偈には「分陀利華」という言葉で
お念仏の人を清らかな白蓮華のような人と讃えて
私たちの目の前のお内陣にも白い蓮に花が描かれています。

 お仏飯がそういうお心を表しているのなら
白いご飯がふさわしいのでしょうが
お仏飯は仏さまが召し上がるものではありません。

 お仏飯は私たちが毎食頂く食べ物の代表で
尊い命を恵まれておかげさまで今日もこうして
生きていけますありがとうございますと
感謝の心をお仏飯という形で
自分が口にするより先に炊き立てを仏さまにお供えして
お下がりをいただくのです。

 大切なのは
白いご飯は白蓮華だという知識より
何よりもまず一番に
炊き立てのご飯を仏さまにお供えしようとする
お気持ちでありお念仏申す生活習慣です。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.4.27)

 ★『御堂さん』2013年2月号「仏事の小箱」を
   参照させていただきました。


コロナ感染者の急激な増加で悩ましい問題です

2021-04-26
 新型コロナウイルスの大分県内の感染者が
ここ数日で急激に増えて連休を控えるなかで
予定していた行事をどうするのか
難しい判断を迫られる状況を
身近なこととして受け止めています。

 大きな行事になればなるほど準備が大変です。
そしてそこにたくさんの人が係ります。
 人が係ることはそれぞれ人人のものの見方考え方が違い
みんなの思いが十分に反映されない対応になることも
起こってきます。

 行事をするしないという選択から延期するとか
行事の内容を変更して行うとか
みんなで話し合い相談しても
決まらない決め切れないことがでてきます。

 誰が最終的に決断するのか
責任者の裁量が求められますが本当に悩ましい問題です。

 日本の国でいえば総理大臣です。
専門家の意見を聞いて総合的に政治的な決断です。
 ただこれまでも重大な決断の時は何度もありましたが
どう決断してもこれでよかったということではなく
後から批判非難の声が多く聞かれるようなことです。

 最近の菅首相の会見を見ても
目はうつろで言葉に力がなく本当に大変だなと思います。

 目に見えない分からないことが多いウイルスが相手です。
全く予測がつきません。
 どんどん変質しては感染状況も日に日に変わってきます。
誰がリーダーでもウイルスを抑え込むのは至難の業です。

 日々変化し予測がつかない相手には
柔らかい対応が求められます。
 柔軟性です。

 逆に言いますと私たちは固いのです。
それぞれの思いをもって生きている私たちです。
 その人その人の信念といえば何か聞こえがいいですが
そのことにとらわれるはからうことが往々にしてあります。
 そうした自己中心のものの見方考え方が
みんなが一歩前に進むことを妨げる邪魔をするのです。

 行事の日が来ます。
決断しなければなりません。
 決断します。
中止、延期、内容変更と決断の中身は様々です。

 残念なのは後からああすればよかった
ああやったこうやったと色々言われることです。
 リーダーに苦渋の決断を迫った上に
責任追及の上塗りです。

 良くも悪くも今なのです。
私たちの人生をみても
過去を振り返ってああすればよかった
何でこんなことをしたのかなどと後悔するがあります。

 同じ過ちを繰り返さないということでは
反省することは大事なことです。
 過去の検証であり学習であり
反省して次に生かすということです。

 阿弥陀さまの本願念仏のお救い
南無阿弥陀仏のそのままのお救いです。
 過去を悔いる私をそのまま引き受けて
未来へと私の背中を押してくださるおはたらきです。

 お念仏の先人はお念仏申して
阿弥陀さまに相談しなさいと言われます。

 このお寺の対応についてはやっぱり阿弥陀さまです。
阿弥陀さまに責任を擦り付けることではありません。
 あくまでもお寺の責任者は住職です。
ただ阿弥陀さまに相談させていただくのです。

 責任者は君だよといわれても
責任を全て背負いきれません。
 重い責任を背負う私を
そのまま背負ってくださる仏さまです。

 一つ行事ができなくても次のチャンスがあると
よく言われることです。
 今年はできなくても来年は二年分の思いを込めて
盛大にやりましょうとね。

 ところがそんなことは去年言っていた話です。
それじゃあまた来年再来年と
ゆったり柔軟な気持ちで対応したらと
この数日来の感染者増の急な展開の中で
わが身のこととして重ねて思うことです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.4.26)


大分県内で聖火リレーがありました

2021-04-25
久住高原から春のくじゅう連山を望む(2021.4.25.13:10)
 昨日一昨日とオリンピックの聖火リレーが
大分県内でありました。
 ライブでスマホやパソコンで観ることができ
私も様子を少し覗きました。

 大分市が一番最後で夜8時前後でした。
辺りはすっかり暗くなる時間ですが
大分市の町中だからできた思います。

 暗闇のなかを聖火の灯ったトーチが
光り輝いてきれいだったと思います。

「無明長夜の灯炬なり 智眼くらしとかなしむな
 生死大海の船筏なり 罪障おもしとなげかざれ」
(阿弥陀仏の本願は
 無明煩悩の暗く長い闇を照らす大きな灯火である。
智慧の眼が暗く閉ざされているといって悲しむことはない。
 そのはたらきは迷いの大海を渡す乗りものである。
 罪のさわりが重いといって嘆くことはない)
というご和讃をいただきます。

 阿弥陀さまのご本願のお救いを
迷いの暗闇を照らす光明と仰ぎ
どんな人もそのまま救うおはたらきを船に喩えて
讃嘆されています。

 聖火リレーを見ていましたらいいですね。
コロナ禍で色んな制約がある中で
一般の市民ランナーでしょうね
沿道にかけつけた近所の人でしょうか身近な方から
声がかかります。

 日出町のスーパーボランティア尾畠さんは
サービス精神よろしく「元気かえ」とか応じていました。

 声がかかるというのは本当に頼もしく有難いことです。
私のことを思ってくれてる方がいるということです。

 お念仏のご法義を味わうなかで
その声こそが南無阿弥陀仏の阿弥陀さまのお喚び声であり
先に往かれた私たちのご先祖有縁の仏さまの声といただきます。
「私がいるよ、大丈夫だよ。
あなたの命精いっぱい輝かせて一緒に生きて往こう」と
いつでもどこでも私を思い励ましてくださる
頼もしいお念仏の声に励まされ
安心して生きて往けるのです。

 昨日はHMさんの一周忌のご法事のご縁でした。
もう一年経つのかと過ぎ行くときの早さを感じます。
 去年もコロナでお葬儀も大変だったと思います。
そして今年も未だにコロナは収束しないばかりか
大分県内の感染者は一気に増えて
これまでの最多になりました。

 25日は総代世話人の皆さんに
毎月の配り物をしていただきますが
来月4月の掲示伝道の言葉に
「念仏の 声になって 先に往かれた 仏さまが ご一緒です」
と書かせていただきました。

 今日も皆さん大きな声でこの口から出た
南無阿弥陀仏のお念仏の声です。
 この声は私の声ですが
大本は阿弥陀さまがこの私を喚んでくださる
「我にまかせよ必ず救う」のおはたらきです。

「いつも私が一緒だよ」と喚んでくださる
お念仏の声に励まされて
私たちはこの苦悩の人生を生き抜くことができると
聞かせていただくのが浄土真宗の救いのご法義です。

 先に往かれた方はこの目には見えません。
人の命は終えましたからね。
 懐かしい声を聞くこともできませんが
確かに確かに南無阿弥陀仏の声の仏さまとなり
大きな灯となって私たちと共にご一緒してくださる
生きてくださっていると聞かせていただきます。

「念仏の 声になって 先に往かれた 仏さまが ご一緒です」
日々の生活のなかにお念仏申して
有縁の仏さま方とご一緒に
生かされて生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.4.25)


円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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