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お念仏を申す生活法話

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南無阿弥陀仏の尊いいのちをいただいてお念仏申す身にさせていただきます

2021-03-08
 東日本大震災から10年のテレビの特集で
『思い出レシピ』という番組を観ました。

 未曽有の大震災大津波で大切な家族を亡くされた方
帰る家を失って不自由な避難生活を余儀なくされた方が
たくさんいらっしゃいます。

 当時を振り返って大きな悲しみと過酷な現実のなかで
被災地の皆さんがお互いに声をかけ合うことを
ためらう空気があったといいます。
 10年の時を経てやっとこれまでの思いを
話し始める人がいます。

 震災後の日々困難な中にも
皆さんは欠かさず食事をして生きてきました。
 忘れられない食事の思い出です。
 
 避難所で泣きじゃくる2歳の子どもに
老夫婦があめをくれたというお話です。
 避難生活の中で大変貴重なものですが
あめをもらって泣き止んだ子どもが
今おかげさまで成長して12歳になりましたと
会って報告してお礼を言いたいといわれます。

 震災当日東京で会社勤めしていた方は
帰宅するにも電車もバスも全て止まって泊まる所もなく
とぼとぼと歩き続けるなかでお腹がすいたといいます。
 どのお店も閉まっていたり満員だったりで
やっと一軒のカレー屋さんに入れたといいます。
 疲れた身体を椅子にまかせてやっと安心できて
食べたカレーが美味しくて忘れられないというお話です。
 
 番組でほっこりした話題が
ある避難所の食事のエピソードです。
 全国各地から避難所に早速送られてきた
主な支援物資が食べ物や水です。
 食べることが肝心要の避難所生活で有難いことですが
おにぎりやパンそして弁当が毎食何日も続きます。

 そこで避難された有志の方がエプロン隊を結成して
支援物資を考え工夫し調理して
毎日食事を皆さんに振る舞ったというお話です。
 そのレシピが百食といいますから
日替わりメニューで皆さん毎日の食事が
待ち遠しく楽しみだったと思います。

 食事は私の前に運ばれてきた食べ物を
私が食べるという行為ですが
食べ物の尊い命をいただくことであり
そこにたくさんの人の思いが届けられているのです。
 作物を生産してくれた人それを運搬してくれた人
そして食事を作ってくれた人など
多くの人の思いがいっぱいつまった食事なのです。

 私のいのちを育むために
多くの命と多くの人がつながっていることを思うとき
一人じゃないってみんなのいのちに支えられて
生きて行こうと生きる力をいただけるのも
食べるということです。

 食べることはどんな悲しい時でも
欠かすことはありません。
 お念仏申すこともいつでもどこでも
欠かさず申せます。
 阿弥陀さまのお慈悲のお心を
私たちが保ちやすくいつでもどこでも称えやすいように
南無阿弥陀仏となってくださったのです。

 昨日のご法事のご縁で
「宗派の違うお葬式にお参りした時に手を合わせたら
 思わず南無阿弥陀仏とお念仏が出たのですが
 いいのでしょうか」と聞かれました。

 有難いことです。
南無阿弥陀仏がこの身に満ち満ちてご縁をいただくなかに
私の口からお念仏がこぼれ出てくださるのですから
慌ててしまうことはできません。
 私の力ではどうしようもありません。
南無阿弥陀仏は阿弥陀さまのおはたらきですから
そのまままかせるほかにないのです。

 何を食べたか忘れても栄養分はそのまま身につきます。
阿弥陀さまのご本願のお心を聞いて忘れても
お念仏はこの身についてくださるのです。
 食べることを欠かさないように
お念仏申してお念仏のお心を聞かせていただきましょう。

 嬉しい時も悲しい時もどんな時も
阿弥陀さまがご一緒してくださる
お念仏申す生活をこれからもさせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.3.8)


あれから10年そしてこれから10年

2021-03-07
 東日本大震災から10年が経つということで
昨日そして今日と震災関連の特集がテレビであっています。
 実際に起こったこと
そして夜はドラマという形でありました。

 被災され帰る家を失い大切な人と別れた
多くの人たち一人一人の人生10年の歩みです。

 震災後当時小中学生が撮ったビデオレターをもとに
10年後の彼らをたずねる内容でした。
 大震災に遭遇するなかで子どもなりに思ったこと
将来の夢です。

 サッカー選手になりたいとかケーキ屋さんになりたいと
どこの子どもたちも思い描く夢ですが
そのなかで将来何らかの形で
震災の復興を手伝いたいことが
多く語られていました。

 10年経ってからの現実はというと
それぞれに頑張って生きてきましたが
必ずしも夢の通りにはなっていないようです。

 そうですよね。
この10年は長い人生の中でも
幾つもの選択を迫られる時期で
高校大学に進学することも就職することもあって
現実的な将来の進路に悩み迷うことも
多かったと思います。

 その中の一人
被災した地元を離れ東京に出た方のことが印象的でした。
東北出身を隠すように言わないようにしているといいます。
「大変だったでしょう」「頑張ってね」という
周囲の言葉が
いつの間にか大きな心の負担になっていたというのです。

 また去年の春大学に進学した方は
この一年コロナ禍で大学に行くことができず
アパートの小さな部屋でリモートで講義を聞き
一日中人と触れ合うことなく生活をしているといいます。

 思い通りに行かないことで
どうしていいのかわからないという現実です。

 また違う番組では社会学の大学教授が
10年間ずっと同じ被災地に出向き
地元の方と生活を共にしたり交流をはかって
被災者の思いを聞き取っていく中で
故郷がなくなっていくことを深刻に思うといいます。

 故郷って皆さんにとってどういう所でしょうか。
「うさぎおいしかの山 こぶなつりしかの川」と
童謡『ふるさと』に歌われた場所でしょうか。
 それは単なる場所ではなくそこには人がいるんですね。
故郷は私の帰りを待ってくれてる人がいる所です。

 その懐かしい故郷から遠く離れた所に移住する方が
この10年で増えたというのです。
 その一つの象徴がお墓だといいます。
墓じまいが増えてきているというのです。

 故郷から出ていく方もお墓があることで
帰ってくる故郷があるということですが
故郷のお寺ということを重ねて思います。

 東日本大震災でお寺も全壊半壊といった
大きな被害に遭いました。
 10年経ってお寺が全て再建されたわけではありませんが
お寺は遠くに移転することなく残っています。
 故郷のお寺を残していこう再建していこうという
ご門徒檀家地域の皆さんの思いです。
 お寺を故郷に重ねて思ってくださっているのです。
 
 あれから10年です。
80歳の方が「この10年は私の人生の半分以上だった」と
ポツンと言っていました。
 時間的にいったら80年の人生の8分の1ですが
それ位変化の激しい重い10年であったということです。

 その10年の歩みがあって今の私があるのです。
若い方もお年寄りも私たちもみんなそうです。
 そしてこれから何年生きられるか分かりませんが
これからの10年です。

 10年後の私にビデオレターを送ってみませんか。
私たちの心の古里である円光寺の
10年後も思っていただいて
これからもご縁ご縁にお寺にお参りしてください。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.3.7)


一日一生

2021-03-06
 首都圏4都県に出されている緊急事態宣言の2週間延長が
昨日菅首相から発表されました。
昨年4月7日から5月25日まで最初の緊急事態宣言が出され
今年に入って1月7日から2度目の緊急事態宣言で
1か月後に再び1か月の延長がなされ
このたびの再々延長です。

 先が見えない出口が見えないといいます。
またかまたかの繰り返しで緊張感を通り越して
ほどほど疲れるって感じです。

 緊急事態宣言ってものすごく重いものなのですが
緊急事態宣言下でも町にはたくさんの人が出ていて
「早く何とかしてもらいたいです」などと
インタビューに応えています。
 何か緊急事態に慣れてしまって緊張感がない
何ともヘンテコな光景が外から見るとします。

 コロナ感染の収束と経済の先行きです。
現場の人たちは本当に大変だと思います。
 医療現場の医療従事者からの発言はよく聞かれますが
飲食店舗など接客業の方はその都度振り回されて
危機的な経営の現状が中々伝わってきません。

 出口を見据えた適切な対応が求められますが
何かダラダラと時が過ぎゆく感じで
この一年を振り返ってみても
一体何をしてきたのかと空しい気持ちになるのが
私たちではないでしょうか。

 一日一生という言葉があります。
一生は一日の積み重ねだから
一日を大切に生きることが
一生を大切に生きることにつながるという意味です。

 この一日を一生と思って生き切ることです。
「仏法には明日といふことはあるまじきよし」と
蓮如上人が仰せのように
仏法に聞かせていただくと
諸行無常の世にあって今日一日今を生きることが肝要です。

 今を生きる依りどころこそ
仏法といただきます。
 このお朝事のご縁です。
毎朝こうして皆さんとご一緒にお勤めをさせていただき
今日の一日お念仏申す生活を始めさせていただきます。

 一日が始まり終えてまた一日が始まり終えてと
何か繰り返しのようですが
その一日はお浄土への一日なのです。

 私が頑張って生きるというのではなく
阿弥陀さまの「まかせよ救う」のご本願のおはたらき
南無阿弥陀仏のいのちのつながりの中に
私だけではなくて隣の人も隣の人も一緒に生かされて
生きていることの実感です。

 今日も生きとるぞ今日一日も生きて往くぞと
お念仏申して確かに確かに
お浄土への人生を歩ませていただきます。

 毎日色んなことがあります。
同じ一日はありません。
 朝起きるのがしんどい嫌だなと思い煩うこともあります。
今日はどこどこに行こうあの人に会えるという
待ち遠しく楽しみな朝もあります。

 そうした様々な思いがつのる今日の一日です。
どんなことがあってもあなたを見捨てることがないと
おはたらきくださる阿弥陀さまの大きなお慈悲の中に
共々に生かされて生きる一日一生のお念仏を申す生活を
また有難く思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.3.6)


誕生日にお念仏のお花のプレゼントです

2021-03-05
 昨日の午後から雨が降り続いて
大きな雨になっています。
 この時期はなたね梅雨といいますが
ちょっと早いかなとも思います。

 桜の開花予想も例年より早いようです。
季節が移り変わる中で雨の役割があるのでしょう。

 毎月70歳以上のご門徒を対象に
円成会という例会をしていますが
今年に入ってからはコロナ禍で
お寺に集まっての会はお休みにしています。

 円成会では毎月誕生会をしており
その月に誕生日を迎える方に
お花のプレゼントをしています。
 3月はお二人の方が誕生日ということで
昨日ご自宅にお花をお届けしました。

 お二人とも今は施設に入所されていて
会うことはできませんでしたが
家族の方に近況をお聞きしたことです。

 一人はKHさんです。
今日が誕生日で90歳といいます。
 ずっと長く総代長をおつとめいただいて
住職をたすけお寺を支えてくださいました。

 お寺のことを日頃から本当に思ってくださって
この雨で思い出すのは
台風の時でしたか風雨が強いなかを
ヘルメットにかっぱを着こんで
「ご院家さんお寺は大丈夫ですか」と
駆けつけてくれたお姿です。

 お寺をわが家のように思ってくださる
ご門徒皆さんの大きなお力添えがあって
このお寺があることを頼もしく有難く思います。

 円成会の皆さんもいつまでも若い若いと思っていたら
80歳から90歳前後のご高齢の方が多くなりました。
 先にお浄土に往かれた方もたくさんいらっしゃいます。

 いくつになってもお寺に変わらい思いをもって
お参りしてくださいます。
 ただいつまでもというわけにはまいりません。
施設に入所しているお方のお話です。

 早く家に帰りたいというそうです。
お寺にお参りしたいというそうです。
 体はままならなくなりますが
お寺を思ってくださるお心は変わらないといいます。

 浄土真宗のお寺は阿弥陀さまのお家
ご門徒有縁の皆さんが帰って来られるお家で
私たちは南無阿弥陀仏につながった念仏家族です。

 お花をお届けします。
お念仏のお花です。
 お花もまた命を終えていきますが
種を残して次の命に受け継がれていきます。

 私たちのいのちもそうです。
南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
お互いに生かされて生きてあると聞かせていただきます。
 
 私は今ここに人と生まれて生きていますが
命を終えていきます。
 命終えて終わりではありません。
阿弥陀さまのお浄土に生まれて
さとりの仏さまとなって
南無阿弥陀仏のおはたらきで
すぐさまこの世に還って来るというのです。

 阿弥陀さまの大きなお慈悲の中に
これからも共々に生かされて
先の方を訪ね後の方を導いて
お念仏のお花を届けていきたいと思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.3.5)


「弥陀の本願信ずべし」

2021-03-04
 今日から正像末和讃に入ります。
親鸞聖人が85歳の時に書かれた御和讃です。
 何度も書き変えられていますが
草稿が85歳ということです。

 今日いただいた最初の御和讃は
「釈迦如来かくれましまして」で始まりますが
その前に冠頭讃というご和讃があります。

 夢告讃といいます。
夢のお告げの和讃です。
 その前文に
「康元二年二月九日の夜寅の時
夢のお告げにいわれるには」とあります。

 康元二年は親鸞聖人が85歳の年号です。
2月9日の午前4時に夢を見たというのです。

 その夢の内容を
「弥陀の本願信ずべし 本願信ずる人はみな
摂取不捨の利益にて等正覚をばさとるなり」
(阿弥陀仏の本願を信じるがよい。
 本願を信じる人はみな
 摂め取って捨てないという利益により
 この上ないさとりを開くことができる)
と讃嘆されるのです。

 62歳頃関東から帰洛(京都に帰る)され
85歳の頃の親鸞聖人の生活は
決して豊かなものではなかったといわれます。

 関東の門弟からご懇志をいただくのですが
間に合わないこともあり
日々の食事も事欠くことがあったのではないでしょうか。

 奥様の恵信尼さまは実家の越後で暮らし
離ればなれの生活で
そんな折り84歳の時に息子の善鸞さまを義絶する
親子の縁を切るという悲しい出来事が起こります。

 親鸞さまは当時としてはすごい長寿ですが
余生をゆっくりゆったり家族に囲まれて過ごす生活には
程遠い日暮らしの中で夢を見るのです。

 阿弥陀さまのご本願を信じて生きて往けよ
ご本願を信じるものは阿弥陀さまの摂め取って捨てない
南無阿弥陀仏のおはたらきで浄土に生まれて
この上ないさとりの仏に成るというのです。

 29歳の時によき師法然聖人からお聞きした
本願念仏の救いの法です。

 思い通りにならない苦悩に生きる
迷いの凡夫を目当てに
阿弥陀さまの摂取不捨の光明は今ここに至り届いて
この私を包み込んでくださってあるといただきます。

 そして命終えて阿弥陀さまのお浄土に生まれ
この上ないさとりの仏と成って
この世に還って来てすべての衆生を救うという
南無阿弥陀仏のおはたらきをさせていただくのです。

 そこまで阿弥陀さまは私のことを思うてくださり
いつでもどこでも大きなお慈悲の光明の中に
摂め取ってくださっているのです。

 人と生まれ生きることは本当に思い通りにならない
苦しみ悩みが尽きないままならない人生です。
 ナモアミダブツとお念仏を申したら仏に成って
自分の思い通りになるということではありません。

 この世に生きる私はどこまでも迷いの凡夫であり
この私をこそ必ず救わずにはおかないと
南無阿弥陀仏のおはたらきです。

 これからしばらく正像末和讃を
お味わいさせていただきます。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.3.4)


円光寺
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大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
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