カーネーションのお供えです
2021-05-09
昨日お寺の本堂でご法事をお勤めさせていただきました。
施主のお母さんの3回忌のご縁です。
お寺のご法事にはお花やお菓子果物など仏さまに
お供え物を持ってきてくださいとご案内しています。
赤いカーネーションのお花を
きれいにアレンジして仏さまにお供えされました。
今日は5月の第二日曜日で母の日です。
スマホで調べた母の日の起源に関するプチ情報です。
1907年5月12日にアメリカの教会で
2年前に亡くなったお母さんの追悼式をしたときに
参列者に娘さんが白いカーネーションを贈ったそうです。
亡くなって2年後ですから
3回忌のご法事のご縁になります。
それがきっかけでその教会があるアメリカの州の法律で
5月の第二日曜日を母の日と決めて
白いカーネーションを贈る習慣が始まったといいます。
子どもの頃赤いカーネーションを贈るのが一般的で
白いものは亡くなったお母さんに贈ると聞いていました。
仏さまにお供えするお花は
白や黄色のものと言われますが
今はお葬式の供花でも色とりどりで鮮やかで
夏にはヒマワリがあがったり
高級な欄の花があがったりと
故人が好きだったお花と言われます。
棘のあるバラの花とか悪臭のする花は避けるといって
別に決まりはありません。
仏さまにあがったお花を前にして
仏さまのお心をいただくのです。
仏さまのお花はきれいな方が
私たちの方に向いていることで
お花を見てきれいだなあとほっと心和みます。
仏さまのお慈悲のお心おはたらきです。
昨日はお母さんの3回忌のご縁で
仏さまにお花をお供えして
お母さんの仏さまの優しいあたたかいお心を
お参りの皆さんいっぱい
いただけたのではないでしょうか。
御仏前に有縁の方々が集いご一緒に
ご法事のお勤めをさせていただく有難さを思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.5.9)
ご本願を疑う心を誡めて他力の信心を勧めます
2021-05-08
今拝読の御和讃は
「誡疑讃(疑いを誡める和讃)」といって
阿弥陀仏のご本願を疑うことは重い過失となり
真実の浄土に生まれることはできないので
信心を勧め疑いを誡める和讃を作られたのです。
仏智疑惑和讃ともよばれます。
智慧と慈悲の南無阿弥陀仏のおはたらきを
疑う心を誡めて他力の信心を勧めます。
南無阿弥陀仏のご本願のお心を
正しく了解することが肝要です。
南無は帰命ということで帰せよの命といって
阿弥陀さまにまかせよという仰せ命令です。
弥陀招喚の勅命です。
「私にそのまままかせなさい」と招き喚ばれているのです。
阿弥陀は摂取のお心で
「必ず救う」というおはたらきです。
仏は如来ということで
真如の世界から来てくださった仏さまです。
真如の世界である阿弥陀さまのお浄土から
「まかせよ救う」といつでもどこでも私に寄り添い
ご一緒くださる仏さまということで
南無阿弥陀仏の名号ことばに成った仏さまです。
お念仏の先人は阿弥陀さまを親さまと呼ばれて
敬い親しんでこられました。
南無阿弥陀仏は
親だからこその「まかせよ必ず救う」の親の名乗りです。
この私をこそと喚び続けてくださるお念仏のお心を
疑惑疑う私がいます。
私の思いはからいで「まかせよ救う」の
南無阿弥陀仏のお心を聞かせていただくと
救うというなら今のこの状況を何とかしてほしいと
病気を治してほしい金回りをよくしてほしい
若返らしてほしいなどという思いが
次から次に出てくるのが私です。
この人の世に生まれてどんな人も
生老病死の身を生きることに変わりありません。
老いていきます。
病むこともあります。
そして必ず命終えていかねばなりません。
自分の思い通りに行かないのです。
自分の思いが苦しみ悩み迷いとなるのです。
苦悩を背負い迷いの凡夫の身を生きる私を
阿弥陀さまは見て取って
南無阿弥陀仏のおはたらきでそのまま救うと
凡夫の私を丸ごと引き受けて
南無阿弥陀仏とお念仏申す身にしてくださるのです。
どんなあなたであってもそのまま救うと
南無阿弥陀仏のおはたらきです。
そのまままかせよと
阿弥陀さまのお救いに条件はありません。
「お願いだから本当に疑いなく
我が国に生まれることができるとおもって
十回でも念仏申しておくれ」という
阿弥陀さまのご本願のお心が南無阿弥陀仏の声となって
私の心に至り届けられ
「おまかせします阿弥陀さま」と手が合わさり
この口からお念仏が出てくださって
お礼をさせていただきます。
お念仏申す身にさせていただくのです。
お念仏を申して阿弥陀さまのお喚び声を聞かせていただき
今日一日も仏さまとご一緒の
日暮らしをさせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.5.8)
「春に百花あり」
2021-05-07
「春に百花あり 秋に月あり 夏に涼風あり 冬に雪あり」
という禅語に教えていただきます。
春に百花ありと春には様々な花が咲きほこります。
月であったり風であったり雪であったり
その時節の自然の営みおはたらきです。
私たち人間の力の及ばない自然界のはたらきですが
私たち人間はその自然の営みをも全て取り仕切って
自分たちの欲望を実現し便利な生活を手に入れようと
我がもの顔に振る舞っています。
コロナ禍はそうした人間の力の限界無力さを明かし
人間の身勝手な傲慢さを反省させられます。
人と人とが織りなす私たちの日々の生活の中にも
同じようなことがわが身の問題にあります。
百花は私たちのいのちのあり方をたとえて
人それぞれものの見方考え方価値観が違う
生活ぶりが違うということを示しています。
この社会にあって多様性です。
それぞれ人人の違いをお互いに認め合って
同じ社会を生きましょうというのです。
ところがこれが難しい。
誰が認め合い生きようとするのかというと
この私なのです。
もうそこにすでに私のものの見方考え方に
はからい固執している私があるのです。
それをズバリ仏さまからいうと
私が私がと自分を中心にはからい生きることが
私たちの苦悩苦しみ悩みの原因だといわれるのです。
理屈からいえば私がというはからいを除き
我執から解き放たれるところに
私たちの本当のしあわせがあり
仏さまのさとりの世界があるということです。
ところがドッコイそうは行かない。
これが私たち人間の悪業煩悩が為せる迷いの世界なのです。
迷いからさとりへの道を仏法は明かします。
迷いの私がさとりの仏に成る仏道です。
お念仏の仏道は
阿弥陀さまが苦悩に沈む迷いの凡夫を
南無阿弥陀仏のおはたらき一つでそのまま救う仏道です。
阿弥陀さまのそのままのお救いです。
あなたのものの考え見方を改めないと変えないと
善いことをしないと救わないよという
条件付きではありません。
ありのままの私をそのまま認めて
引き受けてくださるのです。
お念仏のお心を聞かせていただきますと
少しずつですが
仏さまのお心にかなう私にしてくださるのも
南無阿弥陀仏のおはたらきと味わわせていただきます。
お念仏申して南無阿弥陀仏のおはたらきのなかに
今日一日も日暮らしをさせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.5.7)
コロナの中の日常の生活です
2021-05-06
今日は5月6日で昨日までの5連休が終わって
連空明けです。
今日からまたお仕事が始まるということで
新たな気持ちで今日の朝を迎えた方も多いと思います。
ただこのコロナ禍です。
去年も緊急事態宣言の中のゴールデンウィークでしたが
今年も東京や関西3府県は緊急事態宣言下ということです。
去年に比べると古里に帰省する方が多かったといいます。
空港で親子連れの家族にインタビューしていました。
去年は帰省しなかったが
今年帰らないと来年帰れるか分からないので
思い切って帰省しましたと応えていました。
古里の祖父母に孫の姿を見せてあげたい
気持ちがいっぱい伝わってきます。
実感だと思います。
いつコロナが収束するのか諦めにも似た不安です。
去年は「一年経ったら大丈夫だろうから
今年は我慢しよう」とか
「一年経って思い出話のように
去年はコロナで大変だったねと言っているよ」
と言っていませんでしたか。
先のことは分かりません。
それこそ来年のことは全く分かりません。
仏法に聞かせていただくと
明日のことさえ分からない中を
私たちは今日今を不安を抱えて生きているのです。
諸行無常の理法です。
この世の中のすべての事象は刻一刻と移り変って
一つとして変わらないものはないという真実です。
この無常の世にあってお念仏だけは真実まことと
聞かせていただくことの大事を
今日も蓮如上人は御文章さまにしたためて
私たちにお手紙してくださっていますが
わが身のことと聞くことはとても難しいことです。
今日しかない今しかないと言われても
自分中心の思いで明日への希望を見つけては楽観的に装い
逆に閉塞感に陥って苦悩することにもなります。
明日の命さえどうなるか分からない
自分でどうすることもできない
私たちお互いなのです。
今はネット社会でリモートで遠く離れた海外からも
ライブで画像が送られ言葉を交わすこともできますが
直接顔と顔を合わせて触れ合って
一緒に同じ時間と場所を共有するという
肌感覚の生活感とは異なります。
人と出会いふれあい語り合い行動して
私たちは共に生きてきました。
お互いの都合が合って楽しいことばかりでなく
意見がぶつかり合って嫌な思いをすることもあって
私たちは共に生きてきました。
そしてこれからも生きていきます。
コロナの中もコロナ後も生きていかねばなりません。
コロナの中の日常の生活です。
それぞれの日常それぞれの生活です。
共に「念仏のみぞまこと」のみ教えに聞かせていただき
お念仏を申すなかに
私にできる精いっぱいのことをさせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.5.6)
ぼた餅とかしわ餅とちまきと
2021-05-05
昨日満中陰のご縁にお参りさせていただきました。
お仏壇にかしわ餅がお供えされていました。
この時期のものです。
春のお彼岸の時分にご往生されたお方です。
初七日にはぼた餅がお供えされていて
お下がりをもらって帰って美味しくいただいたことです。
今日5月5日は子どもの日の祝日で
端午の節句です。
童謡『背くらべ』の歌詞に
「柱のきずはおととしの 5月5日のせいくらべ
ちまき食べ食べ兄さんが はかってくれたせいのたけ」
とあります。
ちまきです。
去年ご往生されたKSさんがつい最近まで
毎年5月5日にちまきを作っておすそ分けを
勝手口から「奥さんこれ食べて」と声をかけて
もって来てくれたことを思い出します。
子どもたちの元気な成長を願って
昔から伝えられるあたたかい風習です。
ぼた餅とかしわ餅とちまきと
日々の移ろいを思います。
満中陰のご縁をいただいて
49日が経ちました。
大切なお方とお別れする悲しみのご縁ですが
そのまま仏さまのご縁といただきましょうと
お取り次ぎさせていただきます。
同じ屋根の下で暮らす夫婦であっても親子も兄弟も
私たちの生活ぶりはみんなそれぞれ違います。
その日々の生活から先に往かれた方が
居なくなったということですが
南無阿弥陀仏のいのちのつながりのなかに
今も共々に生かされて生きていると聞かせていただきます。
人の命は終わっても南無阿弥陀仏のおはたらき一つで
阿弥陀さまのお浄土に往き生まれ仏さまとなって
この世に還って来てくださるのです。
お念仏申すところ阿弥陀さまが
ご先祖有縁の仏さま方がご一緒くださる
日々の生活をさせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.5.5)