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お念仏を申す生活法話

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「必ず救うまかせよ」の南無阿弥陀仏のおはたらきが私の心に届いて私の口からお念仏の声が出てくださいます

2021-05-14
 コロナウイルスの感染者が全国的に増えて
大分県内でも急に多くなりました。

 昨日は76人ということでしたが
加えて由布市の小学校で児童はじめ39人の感染が確認され
クラスターに認定千人近い方を今調べているといいます。

 本当に身近な問題になってきました。
今は殆どが変異株で従来型と違って感染力が強く
若い人にも重症化のリスクが大きいということで
心配です。
 感染防止に十分気をつけなければなりません。

 厄介なのは症状が出ない人が多いということです。
今回感染した児童も全員症状がないといいます。
 症状がないけれども感染していてお家に帰ると
お父さんお母さんおじいちゃんおばあちゃんといった
家族にも感染のリスクが広がるということです。

 ウイルスはこの目には見えません。
そして症状が出る人と出ない人があるといいます。

 私たちのお念仏のお救いを重ねて思います。

 阿弥陀さまの「必ず救うまかせよ」の
南無阿弥陀仏のおはたらきですが
この目には見えません。

 この目に見えたら確かにそうだと
信じようということになるのでしょうが
この目には見えません。

 ただお念仏の声となって聞こえてきます。
南無阿弥陀仏の阿弥陀さまのお喚び声です。
「必ず救うまかせよ」のおはたらきです。

 南無阿弥陀仏のおはたらきが声となって耳から入り
私の心に届いて
この口から南無阿弥陀仏とお念仏が出てくださいます。
 お念仏のお救いの症状です。
南無阿弥陀仏のおはたらきが私に届けられた証です。

 子どもはお念仏のお救いに感染しやすいのです。
お念仏の声がそのまま心に届いて
口からお念仏申すことができます。
 その子どもの声に応じて
家族の方が南無阿弥陀仏と声に出してくださることも
あるのではないでしょうか。

 ご先祖から脈々と届けられ頂いた
南無阿弥陀仏のお念仏ということでもあります。
 小さい頃朝早い床の中で
じいちゃんばあちゃんが仏壇の前で
チーンとリンを鳴らして
「きみょうむりょうじゅにょらい なもふかしぎこう」
と言っていたというお話です。

 随分前に聞いたお話です。
今はこういう話って中々聞けません。
すっかり昔話になってしまいました。

 ただね南無阿弥陀仏の仏さまは
私がこの世に生まれるずっとずっと昔から
私のことをずーっと心配し止むことなく思うてくれて
人から人へと届けてくれて
私のところに来てくださったと心に入れて
今日一日もお念仏申して仏さまとご一緒の日暮らしを
させていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.5.14)


人それぞれに人生のドラマあり

2021-05-13
 毎日このお朝事のお勤めの後で
NHKの朝ドラを観るのを楽しみにしています。

 今は『おちょやん』というドラマで
明日が最終回ということです。
 主人公は松竹新喜劇をはじめラジオやテレビで
活躍した「大阪のおかあちゃん」浪花千枝子さんです。

 昭和30年代の後半私が小学校高学年の頃の
<オロナイン軟膏>のテレビ宣伝を思い出します。
 大村崑ちゃん主演の『とんま天狗』という番組があって
主題歌に「とんとんとんまの天狗さん
 とんまでおせんちお人よし 握る刀は大上段
 悪人どもをなぎ払う 姓はオロナイン名はナンコウ
 こどもが大好きぼくらの仲間
 とんとんとんまの天狗さん」と
オロナイン軟膏のコマーシャルをちゃっかり入れ込んで
私もよく歌い今でも覚えています。

 着物がよく似合うすらっとした上品なお母さん
というイメージでしたが
子どもの頃から大変なご苦労があってということで
今日は道頓堀の舞台に戻ってくるというお話です。

 この前の朝ドラが古関裕二さんが主人公の
『エール』でした。
 エールもおちょやんも時代背景は大正から昭和にかけて
戦争という非常な時代をくぐり抜けた中でのドラマです。

 ものの見方価値観が180度ひっくり返った時代にあって
人と人との出会いがあって別れがあり
いろんなことがあってという人生のドラマです。

 私たちが生きている今の時代です。
コロナの時代としてこの先振り返られると思います。
 あの時代にどう生きたか
先々多くのドラマになるのではないでしょうか。

 1995年の阪神淡路大震災2011年の東日本大震災と
大きな災害に遭って人生が一変した方が
たくさんいらっしゃいます。
 そうしたなかにも人は生きています。
一人の人がこの世に生まれて生きて
そして命を終えていくのです。

 人それぞれに人生のドラマありです。
人に生まれて仏さまのご縁に遇って
私たちはお念仏のみ教えを聞かせていただきます。
 私たちは一人で生きているのではなくて
みんな南無阿弥陀仏のいのちにつながってある
という教えです。

 昨日もそうだったし明日もこれからも
人の命終えた後もずっと共につながってあることの
安心です。

 これまでいろんなことありましたね
そしてこれからもいろんなことがありますね
という私の人生です。
 人との出会いと別れを繰り返して泣き笑いしながら
生きていく生きていかねばならないこの人生です。

 何もかも背負い込むように頑張って生きる私に
「まかせよ救う」と南無阿弥陀仏の声がかかります。
 阿弥陀さまがこの身そのまま引き受けてくれて
お念仏申す身にさせ往生浄土の人生を歩ませていただき
死んだらおしまいではなくて
先に往かれた方とも南無阿弥陀仏とお念仏を申すなかに
共々につながって生きているという安心です。

 今日一日もまたお念仏を申して
お念仏申す人生を歩ませていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.5.13)


もう梅雨入りですか?

2021-05-12
すっかり梅雨のようなしとしと雨の天気です(2021.5.12.9:30)
 九州南部地方が梅雨入りしたということです。
大分は九州北部という区分ですが
今日は朝から雨が降って今日一日ずっと雨マークです。
 これから一週間も雨や曇の天気予報です。

 一昨日から工事にかかっています。
庫裏玄関と本堂軒のトイレ物置きの屋根の
雨漏り補修工事です。
 梅雨までに工事を終える工程ですが
梅雨入りが思った以上に早くなりそうで
自然が相手では中々思いようにはいきません。

 工事関係者の方はそのことも折り込み済みで
ロードマップという全体的な行程表をつくって
その日その日の天気予報をにらんで工事を進めてくれます。
 天気次第では多少遅れが出たりということですが
安心です。
 いつ頃大体という予想がつきます。

 今までの経験が生きる活かせるということでしょう。
私たちには分からない専門の方だからわかる大事です。

 このたびのコロナ禍の対応です。
もう一年以上経ちますが収束の目途が一向に立ちません。
 これまでの経験で対処法もわかってきましたが
中々徹底できず思うようにいきません。

 これがコロナの恐ろしさです。
今や変異株が大流行して
人間がどうこうしようとどうしようもない状況です。

 ただワクチンという光明があります。
人間が開発したコロナ対処法です。
 世界中でワクチン接種が普及している国では
通常の生活が段々と戻ってきているといわれます。

 日本も75歳以上の高齢者の接種が始まり
近所の方でもう接種したという話も聞きますが
国民全体私たちにいつ届くのか
分からないところが多く不安な声も聞きます。

 菅首相はじめ政府関係者は
一日百万回接種を目ざすと言いますが
いつまでにどういう形でというロードマップは示されず
実際は今一日5万回程度の接種という現状だそうです。

 ワクチン接種は確実な供給があって
計画実行されるものです。
 ワクチンの供給はすべて外国からのもので
その情報は私たちには全く分かりません。

 分かっているのは政府の関係者です。
良い情報も悪い情報もです。

 分からない情報のもとで
一日百万回を目ざすと言われても
大風呂敷を広げた不確かなものと聞こえて
素直に信じることができません。

 これまでも期限を切った緊急事態宣言の会見などで
その都度「それまでに必ず改善します」と言って
再延長そして再宣言の繰り返しです。

 リーダーの言葉としては軽すぎるし
同じ言葉の繰り返しにしか聞こえず
何か空しい思いにさせられ
一層不安になります。

 不安が苦しみ悩みになります。
そして疑心暗鬼になり迷います。

 助かる命も助からない現実が起こっています。
コロナに感染しても入院も治療もできず
亡くなる方が増えているといいます。

 阿弥陀さまのお念仏のお救いです。
南無阿弥陀仏とお念仏を申して
コロナが収束したらいいのですが
ままなりません。

 手段としての念仏の効用を
親鸞聖人ははっきり否定されます。

 私たちの阿弥陀さまのお救いは安心です。

 この世のことは
自分の思い通りにならないことばかりだけれども
どんなことがあっても
いつもあなたと一緒だからね
あなたを決して見捨てることがないからと
南無阿弥陀仏の大きなお心おはたらきのなかに
日々の生活をさせていただける安心です。

 これも何か聞き方によっては
大風呂敷を広げて耳ざわりのいいことばっかり言っている
と聞こえるかもしれません。

 阿弥陀さまの御仏前に今日もこうして座らせてもらって
ご一緒にお朝事のお勤めができ
南無阿弥陀仏とお念仏申すことができました。

 「まかせよ救う」の南無阿弥陀仏のお喚び声を
聞かせていただき
生死の迷いの私をそのまま引き受け救うとおはたらきの
阿弥陀さまがいつもご一緒してくださることを
また有難く味わわせていただきます。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.5.12)


お念仏の道を歩んでまいりましょう

2021-05-11
 昨夜NHKの『逆転人生』を観ました。

 今までの逆転人生の内容は事業に失敗して
何かのきっかけで人生が逆転するといった
成功体験を基にしたストーリーが多いなかで
昨日はちょっと違っていました。

 「宗教2世」とよばれ
新興宗教の信仰をもった親の価値観に適合できず
精神的に追い込まれたある作家が主人公です。

 小さい頃からお母さんが通う教会に連れて行かれ
学校生活や就職、結婚などに制約が課せられて
精神的に病んでいったといいます。

 善いか悪いか
これが神の思し召しよと母の言うことを聞いて育つ中で
母に反発することもできず苦しみ悩みを抱えて体を壊し
病院に行くわけです。

 その病院の先生の一言「中庸」という言葉が
逆転人生のきっかけになったといいます。

 「中庸」は孔子の儒教『論語』のなかの言葉で
極端に片寄らず中正な立場で
過不足なく調和がとれていることの意味です。

 善いか悪いか○か×かという二者択一の見方ではなく
白でも黒でもないグレーゾーンが大事だというのです。
 どっちつかずということではありません。
ものの見方が広がることで自分自身を見つめる
余裕がでてくるといわれます。

 いろんな人に出会い言葉にであうなかで
母の言う通りに教会に行くことは続けていたといいます。
 その教会に行く日に
自分が悩み苦しんでいた中で知り合った友だちから
飲み会に誘われたというのです。

 教会に行くか飲み会に行くか
散々悩んだあげく結局飲み会に行くんです。
 「どっちが正しいか正しくないかというのではなく
私が楽しいことを選んだ」と
初めて自分の意思で決めたと言われました。

 お母さんにとっては教会に行くことが
最大の価値あることです。
 今まで素直に自分に従ってきた娘に裏切られた心境で
お母さんは落ち込み今もうつ状態が続いているといいます。

 仏教は中道の教えといいます。
有・無や常・断などの二つの極端に対立した
世界観を超越した不偏で中正なものの見方です。

 お釈迦さまが出家してお悟りを開かれる過程で
快楽主義や苦行主義に偏らず
菩提樹のもとで瞑想に入り中道という道理を悟られます。

 中道を歩めという教えです。
一休さんです。
「この橋を渡ってはいけない」と橋を渡ることを止められ
「(両端ではなく)真ん中通って行きましょう」と
堂々と橋の真ん中を渡って行ったという逸話です。

 私たちの人生は選びの連続です。
いかに生きるかの選択です。
 どう選ぶのか、私がです。
選択肢も様々です。

 多様性ということがよく言われます。
ここに5人いたらみんな違うということです。
 それぞれのものの見方考え方
生き方があるのです。

 私が楽しいことを選ぶというのも一つのものの見方です。
これまでの人生の過程があっての楽しいことであって
何でも自分の思いのままに生きることとは
ちょっと違うと思います。

 お念仏のみ教えを聞かせていただくというのも
〇か×かでも善か悪か好きか嫌いかでもなくて
ナモアミダブツとお念仏を申すなかに
「阿弥陀さまに相談しなされや」と言われた
先人の言葉を思い出します。

 南無阿弥陀仏と阿弥陀さまに相談をして
身近なご先祖有縁の仏さまに相談して
今日の一日も一歩一歩ですが
お念仏の道を歩ませていただきたいと思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.5.11)


的外れの発言

2021-05-10
母の日に贈られたバラの花です
 日曜日の朝はテレビの報道番組を楽しみに観ていますが
今の話題はコロナのことに尽きます。

 緊急事態宣言が延長追加され6都府県になったことで
先週菅首相の緊急の会見がありました。
 これまでの会見も含めて
リーダーとしていかがなものかと
感染防止を国民にお願いするばかりで
頭の中はオリンピックと経済再生のことだろうか
国の感染対策やワクチン接種にも具体的なものが見えず
言葉にも表情にも力がない訴えるものがないといった
ある番組の批判的な見方です。

 毎日の情報番組でも出演者が口を揃えて言ってることで
そのなかで菅首相だけでなく他の大臣や知事の発言に
場当たり的な的外れの発言が多いと言っていました。

 要は今何が大事か課題を共有して
感染をいかに抑え収束させるのか
方策が見えてこない聞こえてこないということで
的外れの発言と言われたのでしょうが
その番組に出演したある識者が
私が以前からずっと言ってきたことだがと前置きして
そもそも日本の感染対策が予算を削られるなど疎かにされ
医療体制を含めて十分できていなかったから
こうした事態になりワクチンも未だにできていないなどと
言い出したのにはえっと思いました。

 これこそ的外れの発言です。
大事な問題ですがこれはコロナが収束した後
全般的に反省して総括する時の話です。
 今は何が大事かという今の問題です。

 仏教のお経さまに「毒矢のたとえ」という
お話があります。
 ある人が毒矢に射られたときに
周りの者が医者を呼んできてまず矢を抜こうとしたら
「この矢は誰が射たのか。名前は、男か女か、どこの人か
分かるまではこの矢を抜いてはならない。
私はまずそれを知りたい」とその人が言い張るならば
その人の命はなくなってしまうだろうというのです。
 今すべきは治療を尽くして体を直すことで
差し迫った問題に今できる最善の対処なのです。

 仏教は生死の迷いの解決がテーマです。
どんな人にも生老病死の苦しみがあり
さまざまな憂いや悩みがあります。
 それは今ここに生きるこの私の問題です。

 仏教浄土真宗のみ教えは現世今は苦しいけれども
来世浄土に生まれたら苦しみから解放されて救われるから
今は辛抱しなさいと我慢を強いる教えではありません。

 今の救いを説く教えです。
今ここに生きるこの私をこそ必ず救うと
阿弥陀さまはこの私を目あてに
お念仏申してくれよいつも私が一緒だよと
南無阿弥陀仏と喚び通しに喚ばれておはたらきです。

 何か自分一人で頑張って生きて苦しみ悩み迷う私を
阿弥陀さまは親のように心配して
私のところに来てご一緒してくださり
大きなお慈悲の中に苦悩の私をそのまま引き受けて
ご本願のお心を聞いてお念仏申す身になってくれよと
南無阿弥陀仏とおはたらきなのです。

 今ここに生きる私をこそ必ず救うと
的を外さずご一緒くださる阿弥陀さまのお心にかなった
私にできることを今日一日もさせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.5.10)


円光寺
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