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お念仏を申す生活法話

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私の立ち位置でものの見方が違います

2021-05-19
 昨日総代会をしました。
3年後の住職継職法要の記念事業についての協議で
まずお寺の住職坊守新院から思いつくところを
提案させていただきました。

 新住職へのバトンタッチの機会に建物の点検補修です。
外観をきれいにと本堂の外壁そして
山門鐘楼の道路添いの外壁の化粧直しの提案です。

 総代さんから山門鐘楼の外壁が
哀れなほど汚いというご指摘をいただいて
今朝梵鐘を撞くときに改めて見ました。

 鐘楼の内側の壁が苔むしたように汚れて
すごいことになっていました。
 通りに面した外壁は何とか見れますが
やっぱり汚れています。

 建物は年月が経つとどうしても傷んできますし
汚れも目立ってきます。
 ちょっと大掛かりな作業になりますが
多くの客人を迎える大きな法要のご縁がチャンスです。

 この継職法要を思い立ったのが5年前です。
その時記念事業として真っ先に思ったのが
本堂の銅板の屋根の修復でした。

 屋根に鉄錆が流れるように筋をつけて目立って汚いと
毎日お寺に向かう道を歩いているご門徒さんの指摘でした。
 建築会社に勤めていた方ですぐ目についたのでしょう。
こういうことになっていますよと言われて見て
えっあっひどいってことです。

 継職法要を勤めるのに何とかしなければと
銅板の葺き替えを提案しましたが
その経過は文面でご門徒皆さんにお知らせした通りで
何度も会議を開き建設関係の門徒さんにも相談して
協議の結果総合的に判断して難しいということで
本堂屋根の修復を断念したことです。

 外から見る目で分かる気がつくということです。
私たちお寺の者はお寺の内に住まいして
内に居ると外から見る目が届かない難しさです。

 逆にこのお寺の中で生活していると
生活している者にしか分からないところがあります。

 立ち位置ということです。
どこに立っているかでものの見方が違ってきます。
 その人人の立ち位置でものの見方が違いますが
大事なことは自分一人のものの見方で
全てを判断してはいけないということです。

 内から見る目も正しいし
外から見る目も正しいのです。
 それらのことを総合的に見て今何をすべきかと
今から種々協議をしていきましょうということです。

 お寺のことを言ってくれることの有難さを思います。
お寺に対する思いがあるからです。
 わが家を見るような思いです。
皆さんのお家のことだったら
大事なところが見えるし分かるし直さなければいけないと
自分の問題になるわけです。

 総代会で皆さんに今お寺で問題になっている
課題を共有してこれからの対応を考えていただくことです。
 人生経験もありお寺への思いが一杯ある皆さんですから
気づいたところを何でも言っていただき共に考えて
一つ一つできることからやっていきたいと思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.5.19)


戦争は愚かな私たち人間のなせる罪悪業です

2021-05-18
 イスラエルとパレスチナ自治区ガザ地区で
激しい空爆の応酬が続いています。
 双方でやられたからやり返すといった
報復合戦です。
 ミャンマーも国軍と市民との間で
不安定な状況が続いています。

 この地球上で一日として戦争のない日はない
とまでいわれます。

 戦争って誰がするかといって
自然発生的に起こるものではありません。
 私たち人間のなせる業です。

 お釈迦さまは「怨みに報いるに怨みをもってしたならば
ついに怨みの息むことがない」を言われます。
 どこまでも怨みのとどまるところがない敵対関係は
継続され時として殺し合うことになるのです。

 大きな国と国との戦争の話だけではありません。
私たちの日々の生活にもそうした憎悪の悲劇が繰り返され
戦争の小さな芽はいくらでもあるのではないでしょうか。

 あいつがこいつがと憎しみ合って
それこそ倍返しではありませんが
そうした心根がどこかに見え隠れするだけで
嫌ですね。

 本当に良いことって一つもないんです。
勝った負けたと喜ぶ人のすぐ傍に
悲しみに打ちひしがれた人がいて
怨み憎しみが残るのです。

 トランプさんは米国大統領として
国際政治のうえでは非常に評判が悪かったけれども
自分から戦争を仕掛ける人ではなかったといわれます。
 トランプさんの頭の中は常に経済至上で
自国の利益自分の利益だったといいます。

 パレスチナで今起こっている映像を観て
皆さんはどう思いますか。
 大きなビルが一発のミサイルで
見事に破壊されるのです。

 戦争は破壊です。
建物だけではありません
自然環境の破壊であり
そして人間なのです。

 建物は建て直すことができます。
ただし長い時間と多額の費用が掛ります。
 もったいないことです。
トランプさんの視座はここです。

 映像には泣き叫ぶ子どもがいます。
女性がいます老人がいます。
 住む家を無くし大切な家族を亡くして
いつ飛んでくるか分からない爆撃の恐怖に
不安におののく市井の人たちです。

 戦争を仕掛ける国のリーダーや軍人は
「国を守る国民を守る」と言って
本当は何を守ろうとして
今どこで何をしているのでしょうか。

 今の戦争は昔の時代劇や西部劇であった
1対1で侍がガンマンがお互いに名乗って
切り合い撃ち合い殺し合いをするのではないのです。

 ハイテク戦争といわれます。
自分の命はしっかり担保されるなかで
命令一つボタン一つで何かゲームのように
ミサイルを飛ばし人一人の命が
血を流し涙を流して死んでいくのです。

 建物はリセットできますが
人の命はゲームのようにはリセットできないのです。
 人それぞれの人生があり
誰からも殺されたくないし殺したくないのです。

 こんな話は誰から言われなくても
みんなが生きることについて
みんな基本的に分かっていることです。

 分かっていて何で戦争をするのかと聞くと
それはねこういう歴史が背景があって
正義は私たちにあり
みんなの命を守る正義のために戦争をするのだよと
双方の有識者は自己弁護の理屈を
朗々と述べるのでしょう。

 戦争は私たち人間の最も野蛮で最も愚かな行為です。
誰一人として殺されたくない殺したくない
人に生まれた命を精いっぱい輝かせて
今を本当にみんなと一緒に生きたいのです。

 愚かな私の心根は
どこまでも自分を中心に生きることにあります。
本当のことが本当に分かっていないこの私のことです。
 自分自身のこの命が一番大切なように
同じように隣の人も自分が一番大切なのです。

 自他ともに心豊かに生きる社会の実現に貢献すると
私たちの宗門(浄土真宗本願寺派)は
お念仏の活動に取り組んでいます。
 みんなが一緒に共に生きる共生社会です。

 すべてのものを分け隔てなく必ず救うと願われ
南無阿弥陀仏となっておはたらきくださる
阿弥陀さまの本願念仏のお救いの法に
日頃から聞かせていただくことの大事を強く思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.5.18)


リモートでご法事~お念仏につながってある安心です

2021-05-17
 昨日ご法事があってお家に行きますと
導師の私が座る後ろの台にスマホが置いてありました。
 後から聞く話ですが
お父さんの3回忌のご法事のご縁で
四国の娘さん家族4人がリモートでお参りでした。

 去年が往生して2年目の3回忌で
5月の連休にご法事を予定していましたが
去年はちょうど緊急事態宣言の最中
全国の小中高校大学まで一斉休校という異常事態で
3回忌のご法事をずっと延期にしていたということです。

 小さい頃から孫を可愛がっていたじいちゃんのご法事です。
毎年ゴールデンウィークには三佐のお祭りもあって
親戚縁者がたくさん集まり賑やかだったことでしょう。

 一年経ったらコロナも収束して
ご法事のご縁に御仏前にみんなが集まって
賑やかにお勤めをしたいという思いがあったのでしょう。

 ところが今は第4波といわれ変異株が全国的に流行し
大分県内の感染者数は去年をはるかに超える深刻な事態です。

 それで急遽昨日ご法事をお勤めするようになったのです。
リモートでお孫さんがみんなご縁に遇って
本当によかったです。

 コロナ収束後のこれからもネットを活用した
新しい法事の形が出てくるのではないでしょうか。

 今やネット社会で大変便利になりましたが
これも使い方一つです。
 自ら思い立ってセットしてつながないと
リモートでもお参りすることができないのです。

 ご法事をお勤めしようという思いです。
つながっているという思いです。

 死んだらおしまいではなくて
この目には見えないけれども
じいちゃんとつながっているというお孫さんの思いです。
 その思いが南無阿弥陀仏と伝わってきます。

 私たちの浄土真宗のご法義は色んな言い方がありますが
南無阿弥陀仏につながってある安心です。

 今日も皆さんとご一緒に
声はそれぞれ違いますが
南無阿弥陀仏とお念仏申せました。
 みんなお念仏につながっているのです。
阿弥陀さまが私たちのことを思いつないでくださった
南無阿弥陀仏のお念仏です。

 ネットはつながっていますが
ワークするのは私です。
 私がつなぐということは
私がつながりを切ることもできるのです。

 南無阿弥陀仏がつないでくださっている
私とあなたのお念仏のご縁つながりです。
 南無阿弥陀仏のご縁つながりを
そのままいただきましょう。

 「われにまかせよそのまま必ず救う」の
阿弥陀さまのおはたらきです。

 あれこれ私のはからいを持ち込むから
ややこしくなるのです。
 糸がもつれます。
ただそのまままかせばいいのです。
阿弥陀さまがそのもつれも解いてくださいます。

 「おまかせします阿弥陀さま」と
お念仏申させていただきます。
 何か私が私がと肩ひじ張って生きているお互いです。
そういう私にお念仏のご縁をくださるのです。

 大切なお方とお別れする悲しいご縁ですが
そのまま仏さまのご縁といただいて
ご法事の時だけでなくこれからもずっとずっとずっと
お念仏につながってある安心のなかに
今日朝からの凄い雨のように
いろんなことがたくさんありますが
いよいよお念仏を申して仏さまと共に
生かされて生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.5.17)


親鸞さまお誕生ありがとう!

2021-05-16
 今日16日は親鸞聖人の月命日で
当初の予定では「宗祖親鸞聖人降誕会法要」を
お勤めするように皆さんにご案内していました。

 親鸞さまのお誕生をお祝いする法要ですが
誕生会ではなく降誕会(ごうたんえ)という言い方をします。
 降りて生まれるということで
雨降りを連想していただくと
天上から降りてくるというのです。

 親鸞さまをお念仏の師と慕う先人が
親鸞さまをただ人ではなく
阿弥陀仏さまの化身と仰がれて降誕と言われ
私たちに伝えられてきたのです。

 小学生の頃誕生会が流行ったことを思い出します。
友だちを呼んだり呼ばれたりと
今思えば大変なことをしていたのですね。

 誰を呼ぶか何をご馳走するかプレゼントは等々
子どもだけではない親の大人の思惑が見え隠れしますが
これは誕生会です。

 誕生会の主催者は誕生日を迎えた側の人です。
誕生会には招かれなければ出席できません。
 一方降誕会は自ら行うものではなく
後世の人がこの人はただ人ではないと
最大の敬意をもってお祝いする会です。

 親鸞さまにとって法然さまはただ人ではありません。
晩年著された御和讃の中にも勢至菩薩の化身と言われ
阿弥陀如来の化身と仰がれていかれました。

「曠劫多生(こうごうたしょう)のあひだにも
 出離(しゅつり)の強縁(ごうえん)しらざりき
 本師源空いまさずは このたびむなしくすぎなまし」
(果てしなく長い間
 生れ変り死に変りし続けてきたものは
 迷いの世界を離れさせる
 本願のすぐれたはたらきを知らなかった。
 もし源空聖人(法然さま)がおられなければ
 このたびの生涯もむなしくすごしたことであろう)と
法然さまによってお念仏のみ教えに出遇えた慶びを
讃えておられます。

 おめでとうございますとお誕生日をお祝いする以上に
お念仏のご縁に遇わせていただいて有難うございますと
お念仏申し御礼申し上げる降誕会は慶びの仏事です。

 親鸞さまのお誕生日は
新暦でいいますと5月21日で旧暦では4月1日です。

 コロナ禍で2年続けて皆さんとご一緒に降誕会法要を
お勤めすることがかないませんでした。
 本堂新築の後ずっと前住職の頃から40年ほど続けて
広くお寺を開放しバザーやコンサートをしたりして
地域の皆さんにも賑やかに楽しんでいただいた行事ですが
残念ながら今年もできませんでした。

「親鸞さまお誕生ありがとう」の思い一つに
お念仏申して今日そして5月21日をお迎えしましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.5.16)


「藤並くん今どうしてる?」

2021-05-15
 昨日昔のものを整理しておりましたら
古い手紙が何通か出てきました。

 父が1999年11月に往生して2年4か月後の
2002年3月に住職継職法要をお勤めしました。
 継職法要を前に一つ思い立って
円光寺報『ようこそ』を創刊することになりました。

 ご門徒をはじめお寺関係友人知人の有縁の方々に
継職法要のご案内と共に創刊号を送りました。
 その時に届いた返信の手紙です。

 そのなかの私の三年先輩のお坊さんからいただいた
手紙に目が留まりました。
 住職継職寺報創刊おめでとうございますと書き出されて
「寺だよりというより時報と言った感じが強い
わが寺の寺報を送ります」と寺報が同封されていました。

 お寺から発信する便りで寺報といいますが
あえて時報と言われることをいま改めて思います。

 この先輩住職は社会の現実問題に常に向き合い
真宗僧侶として色々と発信をし又行動もされていた方で
一般の人から見ると
お坊さんらしくないお坊さんという印象の方でした。

 時報とはそのまま時を告げるということですが
時に感じて今の思いを広報するということかなと思います。
 お念仏のみ教えを聞かせていただく生活のなかで
今思うことを発信する時報です。

 お寺の日々の生活ですが
広く社会生活ということです。
 お寺を含めた社会生活を営む中で
時に感じて怒ることもありますし
涙することも笑うこともあります。
 私のお念仏申す生活です。

 時報を毎号送っていただきましたが
A4版4面に思いいっぱいの活字ばかりで
興味のあることなら読んでみようと思いますが
読みにくくてそのまま綴じておくことが多かったです。
 綴りがどこかに残っているかなと思いますが
あらためて読み返してみたいと思います。

 いつも「藤並くん」と呼んでくれて
公私共に大変お世話になりました。
 早くご往生されて今はお浄土の仏さまですが
「藤並くん今どうしてる?」って
よんでくれてるような気がします。

 今の私をすべてそのままご存知で
「藤並くんどうしてる」って
こんなことをしなさいとかしてはだめだよとか
一切注文はありません。

 ただ「藤並くんどうしてる」って
いつも私のことを心配して見守ってくださり
私と共に生きてくださる南無阿弥陀仏の仏さまです。
「藤並くんどうしてる」って
それだけで安心です。

 南無阿弥陀仏「藤並くんどうしてる」って
お念仏の声といただきます。

 住職継職から20年が経ちました。
振り返れば住職の務めがどれだけできたか思い返し
反省することもたくさんあります。

 お念仏申す生活のなかに
「藤並くんどうしてる」って
お念仏の声を聞かせていただき
時に感じて怒ることも泣くことも笑うこともあるなかに
今私にできることを
精いっぱいさせていただきたいと思います。

 それにしても整理が整理になりません。
何かに目が留まり時間ばかりかかって
結局また散らかしてしまうことです。
 思い通りにいきません。

 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.5.15)


円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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