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お念仏を申す生活法話

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ご法事をお勤めさせていただく有難さ

2021-03-23
 昨日ご法事がありました。
平日ですが祥月命日のご縁です。

 17回忌です。
お勤めの後でご法話お取り次ぎをさせていただきますが
いつもご法事のご法話は
「今日は17回忌のご縁です。
この前が13回忌でしたから4年が経ちました。
この後は25回忌ということで8年後になります」
というお話で始めます。

 ご法話の後でお茶をいただきます。
昨日のご縁でお参りの方が
「8年後ってどうなっているかな」とふと言われました。

 私と同年輩ぐらいの人ばかりで
皆さんちょっとはっとしたようでしたが
8年後のことは誰も分かりません。
 8つ歳を重ねて元気でいるのか病気になっているのか
亡くなっているかもしれません。

 考えてもどうしようもないことですし
考えすぎると不安になることでもあります。

 無常のいのちを生きているということです。
私のいのちであっていろいろ思ってみても
思い通りにならないこのいのちなのです。

 8年後の25回忌のご縁は決められていますが
どのようにご法事をお勤めできるかはその時のご縁です。

 ただ今日も仏さまのご縁で御仏前に座らせていただき
この口からお念仏が出てくださいます。
 南無阿弥陀仏のご縁につながっていることは
これからも8年後も確かに変わらないことだといただきます。

 私たちのいのちのあり方は変わって行くけれども
真実変わらない南無阿弥陀仏のいのちをいただいていることに
ほっと安心できます。

 南無阿弥陀仏のご法義は
死んだらおしまいではなくて
私たちはどこまでも南無阿弥陀仏の大きないのちに
つながってあると聞かせていただきます。
 
 お念仏のご縁つながりです。
日々自分のことで精いっぱい生きることで精いっぱいの
私たちお互いですが
ご法事のご縁で先に往かれた方をたずねて
この口から南無阿弥陀仏とお念仏が出てくださいます。
 
 南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりの中に
先に往かれた方もご一緒に私たちの日々の生活
今日の一日があるのです。

 今日はお彼岸の最終日です。
この時期三寒四温といって今朝はちょっと寒かったですが
寒いなかにも段々と温かくなって本格的な春を迎えます。

 このお朝事のご縁の間にも太陽が昇り
本堂が光あふれて明るくなりました。
 今日の一日もお念仏を申すなかに
私にできることを精いっぱいさせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.3.23)


「明日ありと 思う心の あだざくら 夜半に嵐の 吹かぬものかは」

2021-03-22
 昨日からずっと大きな風が吹いています。
昨日もそうでしたが
今朝もお仏飯をお供えするのに本堂に入ると
本堂のガラス戸がガタガタ音を立てていました。
(注/実は本堂の外の戸が開けっ放しになっており
 お朝事同行のMさんが気づいて閉めてくださいました)

 心配だったのは咲いたばかりの境内の桜の花のことです。
この大きな風でゆっくり花見ができないままに
早々に散ってしまっているのではないかと思って
6時の梵鐘を撞きに外に出て見たら
風が吹くなかにもしっかりお花がくっついていました。
 しばらくお花見ができます。
安心しました。

 全国的に今日も一日風が強いようです。
桜といえばはかない無常のいのちを思いますが
咲いたばかりの桜はそう簡単に散ってはいきません。
いのちのたくましさをまた思います。

 親鸞聖人がお坊さんになる出家得度をした
9歳の頃のお話です。
 夕刻差し迫って暗くなる中周りの者が
出家得度の剃髪の儀式を明日にしませんかと
勧められたときに
「明日ありと 思う心の あだざくら
 夜半に嵐の 吹かぬものかは」
と歌を詠まれてその時に剃髪されたというお話です。

 明日がある明日があると思っても
夜間に大きな風が吹いて明日の朝には
満開の桜も散ってしまうかもしれないということです。

 私たちのはかないいのちです。
明日があると誰しも思いたいですが
明日があるという保証はどんな人にもないんですね。
 確かなことは今を生きていることと
教えてくださるのが仏法なのです。

 仏法に遇うことは
有ること難いことなんだよとのお示しです。
 明日でもないし昨日でもなかったのです。
今日ただ今のいのち仏法に遇うことの有難さです。

 今まさに阿弥陀さまの大きなお慈悲のお救いの中に
生かされてあることを喜ばせて生きるなかに
本当の意味での私たちの明日があるのです。

 阿弥陀さまのお浄土です。
南無阿弥陀仏のおはたらき一つで生まれ往く
私たちの彼の岸お浄土です。

 春のお彼岸の最中です。
お浄土を憶いつつお念仏申して
今日も一日生かされて生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.3.22)


雨の日の納骨はいけないのですか?

2021-03-21
 昨日から雨が降ったり止んだりです。

 昨日夕方電話があって
「ちょっとお尋ねしたいことがあるのですが」
ということでした。
 お寺のホームページをみて
電話をかけてきたそうです。

 今日納骨をする予定で
雨の時に納骨したらよくないと聞いたのですが
本当でしょうかという問い合わせでした。
 名前もお聞きすることもなく
そのままお応えしました。

 親鸞聖人は御和讃に
「かなしきかなや道俗の 良時・吉日えらばしめ
 天神・地祇をあがめつつ 卜占祭祀つとめとす」
(悲しいことです。
 この頃の出家者や在家の者は
 日時の善悪・吉凶を選ばさせて、天地の神々を崇拝し
 占い・祭祀にはげんでいます)
とお示しです。

 仏教は日の良し悪しをいいません。
そうしたものにとらわれはからうところに
私たちの苦悩迷いの原因があると説かれます。

 浄土真宗は弥陀一仏の救いの法で
阿弥陀如来をたのむ一念に
お念仏申す身にさせていただくのですから
深く因果の道理をわきまえて
現世祈祷やまじないを行わず
占いなどの迷信にたよりません。

 電話ではそこまでのお話はしなくて
「そういうことは言いませんよ」とだけ言って
仏事のことはお参りしていただくお寺の御住職に
相談したらいいですよと言いました。

 同じ仏教でも宗派によってまたお寺の住職によって
言い方もいろいろあると思います。

 多分地域の周りの方が雨の日の納骨のことを言って
言われたら気になるのが私たちですから
聞かれたんだと思います。

 私もそのようなことをどこかで聞いたことがありますし
逆に雨の日の納骨が良いという話も聞きました。
 良い悪いと誰が言っているのかといったら
自己中心のものの見方考え方にはからいとらわれて
悩み苦しみ迷っている私です。

 そうした私を全てご承知の上で阿弥陀さまが
「あなたの命そのまま引き受けた。まかせよ救う」と
南無阿弥陀仏のおはたらきなのですから
「おまかせします阿弥陀さま」とお念仏申すばかりです。

 良い日も悪い日もありません。
確かに何かある時には晴れた日を望むのが私たちです。
でも雨の日もありますって。

 人生においてもそうです。
順風満帆な晴れの日を思いますが
波乱万丈といった強い風雨の日もありますってことです。

 お念仏申す日暮らしのなかに
雨の日には雨の日の生き方があるよと
いつもご一緒してくださる南無阿弥陀仏のおはたらきです。

 お念仏のお心み教えを聞かせていただきましょう。

 一回聞いて分かったではありません。
何回聞いてもウロウロ迷っている私です。
 だからお念仏申せよの思し召しです。
お念仏申すところ
「私がいるよ大丈夫だよ」のお喚び声に安心して
私たちの彼岸阿弥陀さまのお浄土への人生を
生きて往けるのです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.3.21)


お彼岸のお中日です

2021-03-20
 お彼岸のお中日です。
この後納骨堂でお勤めをさせていただきます。
そして円光寺墓地にもお参りをさせていただきます。

 こうしてご本尊の阿弥陀さまに向いてお勤めしますが
その先はちょうど納骨堂の中心のお内仏にあたります。
 本堂からそのまま納骨堂の阿弥陀さまに
お参りができているということです。

 朝一番にお仏飯をお供えに納骨堂に行きますと
納骨堂がお供物でいっぱいで賑やかです。
 お彼岸お盆そしてお正月に
有縁の方々がお参りされお供えをします。

 お彼岸のお供物の定番は
春はぼたもちで秋はおはぎですね。

 いつかこんな掲示伝道の言葉を書きました。
春三月に「お供えは ぼたもち いいね 春彼岸」と
秋九月には「お供えは おはぎも いいね 秋彼岸」です。

 時節のお供物を見るたびに季節の移り変わりを思います。
その中心に真実変わらないご本尊の
阿弥陀さまをいただきます。
 南無阿弥陀仏のお念仏のみ教えを依りどころに
共々に生かされて生きていると聞かせていただきます。

 お彼岸のお中日のご縁です。
お昼の1時半から彼岸会法要ご満座のお勤めを
させていただきます。
 どうぞお誘い合わせお参りください。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.3.20)


自分探しのお念仏の旅にお寺にお参りしませんか

2021-03-19
 大分で桜の開花宣言がありました。
境内の枝垂れ桜も開花しました。

 春になりました。
今日明日と春のお彼岸のお勤めをさせていただきます。

 秋は鐘楼の前に彼岸花が咲いてお彼岸を迎えますが
春のお彼岸は菜の花ですね。

 桜の開花より少し前で今は菜の花が満開です。
空の青に黄の菜の花が映えます。
彼岸花は赤に青です。
 本当に色鮮やかに気持ちも新たにさせてくれて
私たちを楽しませてくれます。

 春を探しに行きましょうと
誘ってくれてるようです。

 梅の花、桃の花、菜の花そして桜の花次々に咲いて
春うららかな気分にさせてくれます。

 お彼岸の仏法聴聞のご縁です。
阿弥陀さまのお浄土を訪ねていきましょう。
 ご先祖有縁の方々が往ってらっしゃる
私たちのいのちの古里です。

 自分探しのお念仏の旅です。

 私たちは自分のことは私が一番知っている
分かっていると思っていませんか。
 そうでしょうか。

 自分の都合のいいように見ては分かっていると思い込み
本当のところは自分のことが
一番分かっていないのがあなたですよというのが
仏さまの思し召しです。

 御仏前に座って仏法に聞かせていただきます。
仏法の真実の鏡の前に座るということです。
 自己中心の煩悩にとらわれ苦悩し迷う
ありのままの私のすがたをそのまま見せてくださいます。

 そんな私が心配で心配で見捨てることができないと
阿弥陀さまは「必ず救うまかせよ」と
南無阿弥陀仏の仏さまに成ってくださったのです。

 自分探しのお念仏の旅にお寺にお参りしませんか。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.3.19)


円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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