コロナ禍のオリンピック
2021-08-06
広島に原爆が投下されて今日で76年が経ちます。
1945年昭和20年8月6日でした。
今東京オリンピックが開催されていますが
前の東京大会は1964年昭和39年に行われ
日本の戦後復興の象徴と言われました。
高度経済成長のただ中にあって
東京では高速道路ができ東京大阪間の新幹線も開通して
華々しく世界に発信されました。
その時の聖火ランナーの最終走者が坂井義則さんで
広島県出身で昭和20年8月6日生まれの
早稲田大学陸上部の選手でした。
2年前の大河ドラマ『いだてん』に
当時のエピソードが描かれていましたが
平和の祭典に原爆投下を思い起こさせる
日本からの発信でした。
原爆を投下した連合国のアメリカでは
原爆が第二次世界大戦の終戦を促したとして
今も高く評価されています。
一方被爆地の広島そして長崎の被爆者は76年間ずっと
被爆被害の後遺症に苦しみながら被爆体験を広く語り継ぎ
核兵器禁止運動に取り組んでいる方が多くいます。
戦争と平和という問題です。
平和のために核兵器は必要だという核保有国の主張です。
まさに相反する事柄の矛盾の中に私たちは生きて
今回のコロナ禍での東京オリンピックを思います。
東京のコロナ感染者が昨日一気に五千人を超す
過去最高を記録し全国的に急増し続けています。
専門家が「医療が逼迫している。大変な非常事態だ」と
声を大きく言い続けるなかにあって私たちです。
テレビ観戦で「日本ガンバレ!」と声援を送り
メダルを獲ってよかったと湧き上がる中に
コロナ禍のニュースです。
二つの矛盾する世界を行ったり来たりしているような
何かわからない空気感のなかにいるようです。
東京オリンピックも後3日で閉幕です。
今回の東京大会は東日本大震災の復興が
大きなテーマでしたが
コロナ禍でそうした大事が
どこかに置き忘れられた感もあります。
コロナ禍のオリンピックにあって
8月6日をどのように迎えるのか。
お念仏のみ教えに聞かせていただき
私にできることをさせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.8.6)
スケボーカルチャーの世界
2021-08-05
オリンピックのスケートボード競技は
今回から採用された新種目の一つですが
先日のストリートと昨日は女子のパークの
男女三種目の全てで日本選手が金メダルを獲って
一躍注目されています。
これまでのオリンピック競技と何かが違います。
スケボー文化カルチャーといわれる雰囲気です。
ストリート町の通りやパーク公園で
遊び感覚でスケボーを走らせ生まれた競技です。
出場選手も10代20代の若者が多く
女子ストリートでは日本最年少の
金メダリストが誕生しました。
改めて競技という文字をみると技を競うと書きます。
スケボー仲間の格好いい技を見て真似て習得し
技を競い合い新しい技を開発しては
果敢に挑戦していくわけです。
それでうまく行ったらみんなで喜び
失敗したら挑戦を讃え合うのです。
テレビを観ている私たちは
他国の選手が転倒でもしたら
これで日本のメダル確定だとばかり思います。
小さな世界にうごめくわが心に
恥じ入るばかりです。
昨日の女子パークでは
日本の3選手が最終競技まで123位を独占して
3番目の成績の日本選手がその前の英国の選手の得点で
4位になり最後の競技になりました。
大技に挑戦しないとメダルの可能性がないわけですから
果敢に技を決めていき最後の技で転倒したのです。
解説者は「最後無難にまとめていたら
メダルに届いていた」と言いました。
彼女だけでなくみんな挑戦するのです。
最高の金メダルへの挑戦です。
その気持ちが仲間たちには分かるのです。
失敗した選手に各国の選手みんなが駆け寄り
抱き合って肩車をしたのです。
とても感動的なシーンでした。
オリンピックの競技といえば
国を背負う重圧の中で実力を出し切れずに
破れていった選手を何人も見てきました。
昨日は野球がありましたが
日本悲願の金メダルなどと言われて
プロの選手が高校野球をしているようで
重苦しく本当に大変だなと思います。
重圧を跳ね返して涙のメダルも
感動的で意味のあることですが
期待に応えようと日々精進努力してきた選手たちは
みんなすばらしいです。
今の若者文化の一つといってもいい
スケボーの文化スケボーの世界です。
日本という狭い括りではなく
人人が共に生きる世界です。
互いに技を競い合い高め合っていくなかに
互いに敬い讃え合い認め合う世界があるということです。
南無阿弥陀仏のお念仏の世界です。
私たちはみんなそれぞれ生活ぶりは違いますが
阿弥陀さまは私たちをみんな一人子のように
いつも私に寄り添ってご一緒くださるのです。
「どんなことがあっても私がついているから大丈夫
あなたはあなたの命を精いっぱい輝かせて
一緒に生きていこうね」と私に喚びかけおはたらきです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.8.5)
しっかり準備して生きる
2021-08-04
今日お寺の大掃除をしていただきお盆を迎え
明日から15日までご門徒皆さんのお家に
お盆参りをさせていただきます。
黒板に今日お掃除していただく
各地区ごとの場所を掲示していますが
何日も前から坊守さんが大掃除の段取りをし
用具を準備して今日を迎えるということです。
オリンピックはいよいよ終盤です。
どうしても日本の有力種目が注目されますが
5年ぶりのオリンピックに標準を合わせて
各選手はしっかり準備して競技に臨むということです。
何をするについても準備が要ります。
段取りをつけてその事に臨みます。
私たちの人生日々の生活です。
今日一日のことについても準備段取りをし
目標に向かって生きるということです。
準備段取りを疎かにしていたら
目標を達成することはかないません。
この準備段取りこそが生きるということなのです。
何も準備しないで何とかなるのではありません。
しっかり準備した上で結果は後からついてくるのです。
自分の思いをもってそれも自分一人だけのことではなく
お寺のことについていえばご門徒皆さんの思いもあります。
他の行事活動についても関係者の思いももって
目標に向かって準備段取りをすることです。
何か同じことの繰り返しのようですが
私たちの日々の生活この人生は
大きな目標に向かっての日々の歩みです。
お念仏のみ教えに聞かせていただきます。
南無阿弥陀仏のおはたらき一つで
阿弥陀さまのお浄土への人生を私一人だけでなく
お同行の皆さんと共々に歩ませていただくなかに
仏恩報謝の生活です。
阿弥陀さまの願いにかなう応えていく
私にできる精いっぱいのお手伝いをさせていただく
今日の一日でありたいと思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.8.4)
お念仏の声のたのもしさ
2021-08-03
東京首都圏でコロナ感染が急激に拡大して
地方にも波及していく勢いです。
感染拡大とオリンピックは関係ないと言われますが
ステイホームでのオリンピック観戦を言われて
メダルラッシュで湧き上がる気持ちが
コロナ対策の緩みにつながっているように思います。
65歳以上の高齢者のワクチン接種が
7月末で二回接種が75%一回の人が86%といいます。
菅首相が7月で高齢者の接種を終えると何度も言われても
接種したくない人も含めて
10人が10人思うようにいくことではありません。
逆にこの人間社会で
自分の思うように言うことを聞かせることの方が
危うく思うところがあります。
ここはよく理解してもらえるような
十分な説明が大事です。
私たちの阿弥陀さまは摂取不捨の仏さまで
私たちを一人残らず必ず救うまかせよと
南無阿弥陀仏のお喚び声となって
おはたらきくださっています。
私に条件を付けるのではなく
そのまま救うというのです。
私たちが人間に生まれるずっとずっと前から
私のことを思い取り大悲の光明を放って
お念仏のみ教えに遇ってお念仏申す身になっておくれと
今こここの私に南無阿弥陀仏を届けてくださっているのです。
私が人間に生まれてきたのは
お念仏のみ教えに遇うためだったといただきます。
お念仏申す身にさせていただき
人間の命終えてそのまま阿弥陀さまのお浄土に生まれて
さとりの仏さまにさせていただくのです。
南無阿弥陀仏とお念仏申してどうなるの
病気が治るとか金回りがよくなるとかのご利益があるの
と言われる方がいます。
この世の利益は南無阿弥陀仏のおはたらきで
お念仏申す身にさせていただいて
必ず仏に成ることが決定する無上のご利益です。
南無阿弥陀仏がこの身に聞こえてくる
お念仏の力強さです。
今日も南無阿弥陀仏が
たくさんたくさん聞こえてきました。
皆さんの声この私の声になって
南無阿弥陀仏のおはたらきが届けられているのです。
お念仏の声を聞かせていただくところに
10人が10人100人が100人ながら必ず救うという
阿弥陀さまの大悲のおはたらきの中にあることに
心安らぎます。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.8.3)
大切な先人のお遺骨のこれからの行方は?
2021-08-02
昨日四十九日満中陰のご縁で納骨に行きました。
別府霊園という墓苑です。
先日お参りした別府鶴見霊園より遠方の
高速道路で別府ICを過ぎた先で降りて
アフリカンサファリの近くでした。
全く同じ規格のお墓がいっぱいです。
昭和60年頃建てられたもので
先にご主人がそしてこのたび奥さんが
納骨されたということです。
日本経済がバブルの頃で
当時大自然に囲まれた広々とした墓苑が
全国的に売り出されたことです。
ご夫婦のお歳でいったら高齢期を迎えて
第二の人生を考えるなかでの
お墓だったのではないでしょうか。
緑の山々に囲まれ遠く海が見える丘で
欧米の墓地のような公園感覚の立地です。
車社会にあって大自然の中にピクニックがてらに
お墓を訪れるといったようなことで
30年40年前の一つのものの考え方であったと思います。
お墓の継承が難しくなってきています。
親と子そして孫で生活ぶりが違い
住居も変わってきています。
故郷に帰ってお参りする従来のお墓のあり方が
変わってきておりこれからの変わって行きます。
皆さんのお家のお墓はこの近くにあり
毎日お参りしようと思えばお参りできるところですが
遠方のお墓は車がなければお参りするが難しいです。
高齢になって運転免許証を返上する話もよく聞きます。
自分が元気なうちは何とかお墓を守るといっても
思うようにいかない現実があります。
お家のご先祖のお遺骨を納めているお墓は
ご先祖有縁の方々とのご縁つながりを思う場所です。
私たちのご法義お念仏のご縁つながりです。
墓前で合掌し南無阿弥陀仏とお念仏申してお礼をします。
南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
先に往かれたご先祖も後に遺った私たちも
共々に生かされてあるというお念仏のみ教えです。
有縁の方とお別れをする悲しいご縁ですが
そのまま仏さまのご縁と聞かせていただくのです。
お念仏のみ教えを聞かせていただく有難さです。
教えがないままに大切なお方のお遺骨の行方は
これからどうなるのでしょうか。
阿弥陀さまのお寺をあずかる住職として
どうかご縁ご縁にお寺参りしていただいて
お念仏申してご先祖をお念仏の先人と仰ぎ
南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
共々に生かされて生きてあることを
聞いてほしいと思ったことです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.8.2)