阿弥陀さまがいつもご一緒のお念仏の船旅です
2021-11-07
昨日から御和讃が『高僧和讃』に入りました。
第一祖のインドの龍樹菩薩を讃える御和讃です。
今日の第一首は
「生死の苦海ほとりなし ひさしくしづめるわれらをば
弥陀弘誓のふねのみぞ のせてかならずわたしける」
<苦しみに満ちた迷いの海は
どこまでも果てしなく続いている。
その海に長い間沈んでいるわたしたちを
阿弥陀仏の本願の船だけが必ず乗せて
浄土に渡してくださる>です。
龍樹菩薩のご功績は仏道を難行道と易行道に分けて
私たちに示してくださったことです。
仏道修行というと厳しい学問と修行を積み重ねて
仏のさとりを開くということで
私にとって極めて難しい難行です。
親鸞さまはお正信偈に
「顕示難行陸路苦(陸路、苦しきことを顕示して)
信楽易行水道楽(易行の水道、楽しきことを信楽せしむ)」
<龍樹菩薩は、難行道は苦しい陸路のようであると示し
易行道は楽しい船旅のようであるとお勧めになる>と
龍樹菩薩のご功績を讃嘆されています。
難行道を陸路の旅に譬えられます。
陸路を自ら行く旅です。
道なき道です。
山にぶつかることも海に出ることもあります。
どんな困難に出くわすかわからない道を
自らの力で乗り越え切り開いていくまさに難行道です。
誰にでもできることではありません。
毎日の生活に明け暮れる私たちには
到底できない難しい仏道です。
龍樹菩薩は仏道修行の難しい私たちに
阿弥陀仏の本願によるお救いの仏道を
説いてくださったのです。
船路の旅に譬えて
どんな人も救われる易行道の仏道
お念仏の道です。
船に乗って行く旅ですから
船に乗ってしまえば後のことは
船にまかせるしかない
まかせたらいいのです。
お正信偈の意訳『しんじんのうた』に
「陸路のあゆみ 難けれど 船路の旅の 易きかな」
とあります。
辺りの無い生死の迷いの苦海に深く沈んでいるこの私を
阿弥陀さまは必ず救うと南無阿弥陀仏のおはたらきで
「わたしの本願の船に乗れ、まかせよ救う」と
喚んでくださっているのです。
そのままお浄土に連れていってくださる
ご本願の船に乗って
阿弥陀さまがいつもご一緒のお念仏の船旅です。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.11.7)

「コロナ下でお寺のお参りの方が増えました!」
2021-11-06
コロナ下でのお寺の法要行事について
近くのお寺さんとお話をする機会がありました。
感染者数も少なくなり落ち着いてきているなかで
行事自体は工夫して行っているものの
人が密になるような一緒に食べたりすることなどは
まだ控えていますということでした。
円光寺も同じようなことで
これからゆっくり以前のようなことも
再開していきたいと思います。
そのなかでこの前のお彼岸は
いつもよりお参りが多かったと言われました。
どこのお寺もお参りが減っているという話は聞きますが
多くなったというのです。
お寺だけではなく地域の皆さんが多く参加する
公民館の活動も自粛で以前のようなことではなく
人の集まりがなくて寂しく思っている方を
お寺に誘ってお彼岸のお参りが多かったといいます。
日頃からお寺の活動がよくできているということです。
日頃から何も活動がないところに
ただ楽しみだけで人は集まりませんし
一過性のものは長続きしません。
お寺参りに誘う人がいることの有難さです。
日頃からの人間関係で
お互いに誘い誘われご一緒にお寺参りということです。
もう一つの話題は
コロナ下でお葬式のあり方が随分変わったということです。
ここ十数年の傾向で家族葬が増えていましたが
このたびのコロナ禍でコロナを理由に
身内だけの小規模葬が一般的になりました。
一般の人のお参りを時間指定して
例えばお通夜のことでいうと
6時のお通夜の場合、4時半から5時半まで一時間を
一般の会葬者のお参りの時間として案内します。
お参りされた方はお焼香されご遺族にお悔やみを言って
そのまま帰られるという段取りです。
それでお坊さんがお通夜のお勤めをする時には
ごく身近な家族だけが残っているということです。
お通夜のご縁が有難いのは
皆さんとご一緒にお勤めができて
仏さまのお話をさせていただけるということです。
平生は中々仏さまのご縁がない皆さんが
御仏前に座り仏さまに手を合わせ
仏さまのお話を聞かせていただけるのです。
仏さまのご縁にまかせて
その時間待ったなしのご縁です。
自分の都合に合わせて
途中で退席することはできません。
コロナ収束後も一層家族葬が一般的になり
仏さまのご縁が益々少なくなるのではないでしょうか。
これまでの人生でお世話になった方に
ゆっくり最期のお別れをしたいという方も
いらっしゃるのではないでしょうか。
遺った者見送る者の思いだけで
葬儀のかたちを制限しているところがないでしょうか。
ここはお寺のお坊さんの出番だと思います。
生前ご縁のあった皆さんが自然なかたちでお別れができ
仏法のご縁に遇えるような工夫提案をしていかないと
何がこのままズルズルと形ばかりのお葬儀に
なってしまうのではないでしょうか。
逆にこのたびのコロナ禍をチャンスにして
浄土真宗の葬儀のあり方を
今一度見直していきたいものです。
私たちお坊さんだけが考えることではありません。
ご門徒有縁の皆さんにもアイデアを出していただいて
一人でも多くの方がお念仏のご縁に遇ってほしいと
あらためて思いました。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.11.6)

初めての仏さまのご縁です
2021-11-05
大切なお方とお別れして49日間の中陰の間
七日七日のご縁をいただきます。
今お勤めをさせていただいているお家は
このたび初めてのご縁のお家です。
お家にはお仏壇もお墓もありません。
お寺からご本尊の阿弥陀如来のご絵像をお供して
ご本尊を中心にご遺影とお遺骨そして法名を
ご安置してお勤めを致します。
連れ合いの夫とお別れて一人暮らしになります。
いつも二人のお友だちがお参りされて
ご一緒にお勤めをしてご法話をさせていただきます。
皆さん夫の仕事の関係で
遠方から大分に移り住まわれ
社宅暮らしから一戸建てのお家で家庭生活を送られ
同じような生活環境にあってずっと交流があった
私とほぼ同年代の方々です。
連れ合いが仕事を退職されて
いよいよこれからゆっくりということですが
思うように行きません。
大切な方が先に往かれるという
悲しみのご縁です。
悲しみのご縁ですが
そのまま仏さまのご縁といただいて
これからもご一緒に生きて往きましょうという
お取り次ぎをさせていただきます。
皆さん初めて聞かれる仏さまのお話だと思いますが
よく聞いてくださいます。
仏さまのご縁に遇うことは本当に難しいですね。
若くて健康なうちは用事のないことで
こうして大切なお方とお別れをする中で仏さまのご縁です。
仏さまのお話を聞かせていただくと
大切なお方は死んだらおしまいではなくて
今は阿弥陀さまのお浄土の仏さまとなって
私のために仏さまのご縁をまさに命がけで
つくってくださったといただけるのです。
中陰の仏さまのご縁をいただくなかで
大切なお方とのお別れをゆっくりと
受け入れていただければと思います。
仏さまのご縁に遇うことの有難さです。
仏さまの大悲のお心南無阿弥陀仏のおはたらきが
いつでもどこでも私たちに届けられ
この命終わってもいよいよ
南無阿弥陀仏のいのちのつながりのなかに
先に往かれた方も後に遺った方も
共々に生かされて生きてあることを
これまらもずっと聞かせていただきます。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.11.5)

「南無阿弥陀仏をとなふれば」
2021-11-04
昨日今日と「南無阿弥陀仏をとなれば」で始まる
『現世利益和讃』をいただきます。
この私の口からお念仏が出てくださる
南無阿弥陀仏を称える身にならせていただくご利益を
お取り次ぎいただきます。
お念仏はお仏壇の真ん中にお立ちの阿弥陀如来さまが
この私を必ず救うとご本願をたてられ成就され
南無阿弥陀仏となって私に届けてくださっている
おはたらきと聞かせていただきます。
阿弥陀さまは48通りの願いをたてられましたが
その中第十七願に「諸仏称揚の願」があります。
十方世界の諸仏方がわが名を称えほめてほしいと
願われ成就されたもので
南無阿弥陀仏をあらゆる衆生に届けて
称え聞かせたいというのです。
今日の最後のご和讃です。
「南無阿弥陀仏をとなふれば 十方無量の諸仏は
百重千重囲繞して よろこびまもりたまふなり」
<南無阿弥陀仏を称える身になると
すべての世界の数限りない仏がたは
百重にも千重にも取りかこみ
喜んでお護りになるのである>とのお心です。
東西南北の四方八方、上方下方あらゆる世界の諸仏方が
阿弥陀さまのお徳を讃えお念仏申して
この私を幾重にも取り囲んで護ってくださるというのです。
時代や社会を超えていつでもどこでもです。
私の身のまわりの一切のものが
この私をお念仏申す身にしてくださったと
いただけるのではないでしょうか。
長編小説『宮本武蔵』の作者吉川英治さんは
浄土真宗のみ教えに出遇って
「我以外皆わが師なり」という言葉を残しています。
私以外の方々はみんなこの私を
お念仏の世界に導いてくださった仏さまと
拝んでいかれたのです。
お念仏に生きた妙好人浅原才市同行は
「ええな、せかいこくうがみなほとけ
わしもその中 なむあみだぶつ」と詠われました。
大空のような南無阿弥陀仏の大きな世界に
共々に生かされて生きてあることを喜んで
お念仏の世界を生きて往かれたのです。
そうしたお念仏の先人方が届けてくださった
お念仏のご縁を皆さんと共々にご一緒して
今日一日を始めさせていただくことを
本当に有難く思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.11.4)

文化の日です
2021-11-03
今日は文化の日です。
この時期恒例の秋の叙勲の発表を
昨日の新聞で知りました。
黄綬褒章、藍綬褒章という
長年一つの専門事業や社会の福祉に貢献のあった方々に
日本国から贈られる勲章です。
大分県内で9人いらっしゃって
その中の3人がわが町三佐の関係者でした。
三人とも60代のよく知っている人ばかりです。
ごく身近なすごい話題で、びっくりしました。
勲章はこちらから欲しいといって
もらえるものではありません。
長年この道一筋に努力精進してきた方で
周囲の誰もが認める方に授与されるものです。
天皇陛下の名前で表彰され
皇居に招待されて勲章をいただくということで
大変名誉なことです。
さて文化です。
元々の意味はカルチャー、耕すということです。
文化は私たち誰もが享受できるもので
物があふれ便利な社会生活の中にあって
心豊かに生き生きと生きる営みです。
私たちでいったらお念仏の文化生活です。
仏教文化といわれ
全国各地に仏教に因んだ行事や生活習慣が残っていますが
仏教には心田を耕すという意味があります。
心の田を耕し法水という仏法の水を流すということで
仏法を聞いて心豊かに生きる文化生活です。
勲章をいただける人は極々限られた人で
みんながみんな勲章をもらっていたら
勲章の価値はありません。
私たちがみんな勲章をもらえるわけではありませんが
阿弥陀さまは私たちを誰一人漏らさず必ず救うと
お念仏のおはたらきをしてくださっているのです。
お念仏は阿弥陀さまの文化カルチャーです。
南無阿弥陀仏のおはたらき一つで
私の閉ざされた頑なな心の田を耕してくれて
そのままお念仏を申す身にさせてくださるのです。
「我にまかせよ必ず救う」南無阿弥陀仏のおはたらきが
私に至り届きこの口からお念仏が出てくださいます。
お念仏の文化の薫りといって
お念仏申させていただくそのままが
お念仏の薫りをなって隣の人隣の人に届けられます。
南無阿弥陀仏とお念仏を申して
私たちはこの人生を生き抜かせていただき
誰もがお念仏申すこの身そのままで
阿弥陀さまのお浄土に招かれて往けるのです。
文化の日の今日一日も
お念仏に薫る心豊かな一日でありたいと思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.11.3)
