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お念仏を申す生活法話

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「春に百花あり」

2021-05-07
 「春に百花あり 秋に月あり 夏に涼風あり 冬に雪あり」
という禅語に教えていただきます。

 春に百花ありと春には様々な花が咲きほこります。
月であったり風であったり雪であったり
その時節の自然の営みおはたらきです。

 私たち人間の力の及ばない自然界のはたらきですが
私たち人間はその自然の営みをも全て取り仕切って
自分たちの欲望を実現し便利な生活を手に入れようと
我がもの顔に振る舞っています。

 コロナ禍はそうした人間の力の限界無力さを明かし
人間の身勝手な傲慢さを反省させられます。

 人と人とが織りなす私たちの日々の生活の中にも
同じようなことがわが身の問題にあります。

 百花は私たちのいのちのあり方をたとえて
人それぞれものの見方考え方価値観が違う
生活ぶりが違うということを示しています。

 この社会にあって多様性です。
それぞれ人人の違いをお互いに認め合って
同じ社会を生きましょうというのです。

 ところがこれが難しい。
誰が認め合い生きようとするのかというと
この私なのです。
 もうそこにすでに私のものの見方考え方に
はからい固執している私があるのです。

 それをズバリ仏さまからいうと
私が私がと自分を中心にはからい生きることが
私たちの苦悩苦しみ悩みの原因だといわれるのです。

 理屈からいえば私がというはからいを除き
我執から解き放たれるところに
私たちの本当のしあわせがあり
仏さまのさとりの世界があるということです。

 ところがドッコイそうは行かない。
これが私たち人間の悪業煩悩が為せる迷いの世界なのです。

 迷いからさとりへの道を仏法は明かします。
迷いの私がさとりの仏に成る仏道です。

 お念仏の仏道は
阿弥陀さまが苦悩に沈む迷いの凡夫を
南無阿弥陀仏のおはたらき一つでそのまま救う仏道です。

 阿弥陀さまのそのままのお救いです。
あなたのものの考え見方を改めないと変えないと
善いことをしないと救わないよという
条件付きではありません。
 ありのままの私をそのまま認めて
引き受けてくださるのです。

 お念仏のお心を聞かせていただきますと
少しずつですが
仏さまのお心にかなう私にしてくださるのも
南無阿弥陀仏のおはたらきと味わわせていただきます。

 お念仏申して南無阿弥陀仏のおはたらきのなかに
今日一日も日暮らしをさせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.5.7)

コロナの中の日常の生活です

2021-05-06
幻想的な雲の様相です(2021.5.6.16:00)
 今日は5月6日で昨日までの5連休が終わって
連空明けです。
 今日からまたお仕事が始まるということで
新たな気持ちで今日の朝を迎えた方も多いと思います。

 ただこのコロナ禍です。
去年も緊急事態宣言の中のゴールデンウィークでしたが
今年も東京や関西3府県は緊急事態宣言下ということです。

 去年に比べると古里に帰省する方が多かったといいます。
空港で親子連れの家族にインタビューしていました。
 去年は帰省しなかったが
今年帰らないと来年帰れるか分からないので
思い切って帰省しましたと応えていました。
 古里の祖父母に孫の姿を見せてあげたい
気持ちがいっぱい伝わってきます。

 実感だと思います。
いつコロナが収束するのか諦めにも似た不安です。

 去年は「一年経ったら大丈夫だろうから
今年は我慢しよう」とか
「一年経って思い出話のように
去年はコロナで大変だったねと言っているよ」
と言っていませんでしたか。

 先のことは分かりません。
それこそ来年のことは全く分かりません。

 仏法に聞かせていただくと
明日のことさえ分からない中を
私たちは今日今を不安を抱えて生きているのです。

 諸行無常の理法です。
この世の中のすべての事象は刻一刻と移り変って
一つとして変わらないものはないという真実です。

 この無常の世にあってお念仏だけは真実まことと
聞かせていただくことの大事を
今日も蓮如上人は御文章さまにしたためて
私たちにお手紙してくださっていますが
わが身のことと聞くことはとても難しいことです。

 今日しかない今しかないと言われても
自分中心の思いで明日への希望を見つけては楽観的に装い
逆に閉塞感に陥って苦悩することにもなります。

 明日の命さえどうなるか分からない
自分でどうすることもできない
私たちお互いなのです。

 今はネット社会でリモートで遠く離れた海外からも
ライブで画像が送られ言葉を交わすこともできますが
直接顔と顔を合わせて触れ合って
一緒に同じ時間と場所を共有するという
肌感覚の生活感とは異なります。

 人と出会いふれあい語り合い行動して
私たちは共に生きてきました。
 お互いの都合が合って楽しいことばかりでなく
意見がぶつかり合って嫌な思いをすることもあって
私たちは共に生きてきました。

 そしてこれからも生きていきます。
コロナの中もコロナ後も生きていかねばなりません。

 コロナの中の日常の生活です。
それぞれの日常それぞれの生活です。

 共に「念仏のみぞまこと」のみ教えに聞かせていただき
お念仏を申すなかに
私にできる精いっぱいのことをさせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.5.6)


ぼた餅とかしわ餅とちまきと

2021-05-05
 昨日満中陰のご縁にお参りさせていただきました。
お仏壇にかしわ餅がお供えされていました。
この時期のものです。

 春のお彼岸の時分にご往生されたお方です。
初七日にはぼた餅がお供えされていて
お下がりをもらって帰って美味しくいただいたことです。

 今日5月5日は子どもの日の祝日で
端午の節句です。
 童謡『背くらべ』の歌詞に
「柱のきずはおととしの 5月5日のせいくらべ
 ちまき食べ食べ兄さんが はかってくれたせいのたけ」
とあります。

 ちまきです。
去年ご往生されたKSさんがつい最近まで
毎年5月5日にちまきを作っておすそ分けを
勝手口から「奥さんこれ食べて」と声をかけて
もって来てくれたことを思い出します。

 子どもたちの元気な成長を願って
昔から伝えられるあたたかい風習です。

 ぼた餅とかしわ餅とちまきと
日々の移ろいを思います。

 満中陰のご縁をいただいて
49日が経ちました。
 大切なお方とお別れする悲しみのご縁ですが
そのまま仏さまのご縁といただきましょうと
お取り次ぎさせていただきます。

 同じ屋根の下で暮らす夫婦であっても親子も兄弟も
私たちの生活ぶりはみんなそれぞれ違います。
 その日々の生活から先に往かれた方が
居なくなったということですが
南無阿弥陀仏のいのちのつながりのなかに
今も共々に生かされて生きていると聞かせていただきます。

 人の命は終わっても南無阿弥陀仏のおはたらき一つで
阿弥陀さまのお浄土に往き生まれ仏さまとなって
この世に還って来てくださるのです。

 お念仏申すところ阿弥陀さまが
ご先祖有縁の仏さま方がご一緒くださる
日々の生活をさせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.5.5)


末法のこの世に生きる私たちに開かれたお念仏の仏道です

2021-05-04
 正像末和讃を拝読しています。
浄土和讃高僧和讃は
親鸞聖人が756歳頃の作といわれますが
正像末和讃は85歳で書かれたものです。

 その間10年が経過しています。
この頃関東ではお念仏の教えの異義がおこり
同行たちが京都の親鸞さまを訪ねてきたりして
親鸞さまは善鸞さまを名代として関東におくりますが
善鸞さま自身が異議をとなえることで
義絶親子の縁を切るという
悲しい出来事がありました。

 親鸞さまのご一生は法然聖人にお遇いして
専修念仏の教えを受け帰順してお念仏の道を歩まれ
法然さまの教えを学問的に教行信証に著されますが
念仏者親鸞さまの究極のご心境が伺えるのが
正像末和讃です。

 今日の御和讃は「南無阿弥陀仏の回向の」で始まります。
浄土真宗のみ教えを「念仏一つで救われる」と示されます。
 この念仏は私が起こす自力の念仏ではなくて
阿弥陀さまの他力回向のお念仏です。

 阿弥陀さまはすべてのものを分け隔てなく救うと
ご本願を建てられ南無阿弥陀仏と成就されて
私たちに「必ず救うまかせよ」と回向されるのです。
 南無阿弥陀仏のお心おはたらきを回向といい
往相還相の二種の回向があります。

 往相とは南無阿弥陀仏のおはたらき一つで
凡夫の私がそのままお浄土に往生させていただき
仏に成らせていただくことです。
 仏さまに成ったら還相といって
この迷いの世に還って来る
これも南無阿弥陀仏の回向おはたらきだよというのです。

 末法の世にあって時代も社会に生きる人々も濁り
聖道の仏道は廃れ自ら厳しい学問修行を積んで
自力でさとりの仏に成ることができないなかで
南無阿弥陀仏の他力回向のお念仏のみ教えこそ
私たちが救われていく唯一の道だというのです。

 凡夫の身がそのまま救われる仏道は
今日の御和讃に
「弥陀・観音・大勢至 大願の船に乗じてぞ
  生死のうみにうかみつつ 有情をよばうてのせたまふ」
(阿弥陀仏は、観音菩薩と勢至菩薩とともに
 大いなる本願の船に乗り
 迷いの海に浮かびながらさまようものを喚び続けて
 その船に乗せてくださるのである)
といただきます。

 南無阿弥陀仏と喚んでくださり
如来大悲の願船にそのまま乗せていただいて
阿弥陀さまのお浄土にわたしていただくのです。

 末法のこの世に生きる私たちに
往生浄土の仏道が開かれてあると聞かせていただきます。

 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.5.4)


阿弥陀さまのおはたらきにお休みはありません

2021-05-03
 今はゴールデンウィークで五連休の
今日は真ん中の憲法記念日の祝日です。

 五連休といっても職種によっては
お仕事をされている方はたくさんいらっしゃいます。
 皆がみんな休んでしまったら
この社会は成り立っていきません。

 いつもの仕事のお休みです。
仕事中心の毎日の日課から解放されて
自由に自分なりの時間を楽しむことができます。

 ただ仕事がお休みでも
生きていることに変わりはありません。
ずっと冬眠するように眠っているわけではありません。
 眠っている間も心臓はずっと動き続けています。
眠っている間も私たちは生きているのです。

 生きることにお休みはありません。
日々の生活はこれからもずっと続きます。

 そうした日常にあってこのお朝事のご縁です。
一年365日お朝事はずっと毎日の事です。
 じっとしていたらできないことですが
これを仕事とかしなければならない務めと考えると
続けるのが大変です。
 まさに休みなしですからね。

 日々の日課それも食事をすることと
同じように受けとめたらどうでしょうか。

 生きることは食べることです。
食べないと死んでしまいます。
 食べたいという欲求が私たちに具わって
生きる力になるのです。

 毎日欠かさず食べます。
仕事でも務めでもありません。
食べて生きるのです。

 お朝事のご縁に遇わせていただくことで
さあ今日一日始めようと
仕事があっても仕事がお休みでも
今日一日を始めようという気持ちにさせてくれるのが
私にとってのこのお朝事のご縁です。

 お朝事は仏さまのご縁です。
仏さまのお仕事にお休みはありません。
 いつでもどこでもどんな人にも
南無阿弥陀仏のおはたらきは届いているのです。

 今日も仏さまのご縁をいただき
お念仏申して仏さまとご一緒に
日暮らしさせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.5.3)


円光寺
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