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お念仏を申す生活法話

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あるご門徒さんの母の思い出エピソード

2025-01-19
 先日16日の母の一周忌にお参りされた
あるご門徒さんの母の思い出エピソードです。

 お参りの皆さんにお焼香をしていただきましたが
お焼香の列に並びふと母のことを思い出し
首にかけた門徒式章をはずして見直したといいます。

 母が元気だった頃
お寺にお参りした時に後ろから声をかけられて
「この式章はこうかけるんですよ」と
やさしく言われたそうです。

 お寺とのご縁ができて間もない頃のことで
門徒式章のかけ方を知らなくて
左右逆になっていた式章を直してくれたことを
思い出したというのです。

 改めて式章を確認して御仏前の母の遺影を見たら
「大丈夫ですよ!」と言ってくれたようで
安心してお焼香ができましたというお話です。

 私たちは何も分からないままに人間に生まれて
いろんなことを教えてもらって生きています。
 家庭で学校で基本的なことは学び習って
生活していますが
仏事のことは特に習うことがないままに
仏縁にあうことで初めて
教わることが多いのではないでしょうか。

 何でも分からないことは聞けばいいことですが
「この歳になって」と教えてもらうことをためらったり
教えてもらっても忘れることもあるし
間違うこともあります。
 その時は直してもらえばいいことで
教えてもらって直してもらって
この身につくんですね。

 お寺のご院家さん坊守さんは
ご門徒さんの仏事の先生です。
 ご門徒さんのことを気遣い
見守ってくださっています。
それで見て気がつくことで教えてくださるのです。

 仏事のことはわからないことだらけと思いますが
何でもお寺さんに聞いてください聞きましょう。

 聞くことは恥ずかしいことではありません。
誰でも最初は何も分からないことから
始まるわけですから
お寺さんもそうですし皆さんもそうです。

 お念仏のご法義も
聞かせていただくことが一大事です。
 聞いて分かるといって
ご法義は知識の積み重ねではありませんから
何度もご縁ご縁に聞かせていただいて
お念仏申す身にお育ていただくのです。

 お念仏申し南無阿弥陀仏のお心を聞かせていただき
わが身の愚かさを知らされ直していただくのです。
 どこまでも自己中心の思いはからいで生きる私を
「そのまま必ず救う」と南無阿弥陀仏のおはたらきで
阿弥陀さまは大きなお慈悲の中に抱き取って
いつでもどこでもご一緒してくださっているのです。

 お念仏申しましょう。
阿弥陀さまのお心おはたらきを
聞かせていただきましょう。
 お念仏申してわが身の有り様を直してもらい
お慈悲の中にあなたも私も皆共に
生かされて生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.1.19)

横綱照ノ富士引退

2025-01-18
 大相撲の横綱照ノ富士が
引退することになりました。

 23歳で大関に昇進し誰もが認める力量で
次の横綱と大いに期待されていましたが
致命的な両膝の故障で連続休場を余儀なくされ
一時は序二段まで番付を落とし
そこから不死鳥のようにカンバックして
十両幕内と優勝を重ね大関横綱に上り詰め
奇跡の復活といわれました。

 引退会見で
「一番印象に残っている取り組みは?」との質問に
「(長い休場明けの)序二段の初日に勝った相撲」
と即答したといいます。
 数々の名勝負を思い浮かべますが
「二回も相撲人生をおくった」と振り返る
誰も経験したことがないどん底の相撲人生を
生きた人だからこその話で感じ入ります。

 横綱白鵬の引退後は
一人横綱として角界を背負い
両膝に大きなサポーターをつける満身創痍の姿で
強行出場しては優勝する強い横綱でありましたが
思うように動けず負ける姿は痛々しいほどでした。

 この間後継横綱の誕生がなく引退を言い出せない
苦しくもどかしい胸中だったと察します。
 横綱候補はいても圧倒的な強さはなく
期待されては潰れることの繰り返しの
まさにドングリの背比べ状態で
この後横綱不在の場所が続くことが心配されます。

 後継者といって
誰でもできる大相撲の世界ではありません。
 抜きんでた強さがあり
周囲からも認められる品格がなければ務まりません。

 会社の社長や組織のトップに立つ人も
最初から横綱のような心技体がそろった人はいません。
 逆に型にはまった人より
個性の強い特徴ある人の方が
周囲を心配させるところもありますが
さまざまなご縁が
その地位にある人を育ててくれるということです。

 誰一人として独りで生きている人はいません。
周囲の人に支えられ心配をかけて
共に生きているのです。
 周りに迷惑をかけるなというのではなく
周りに迷惑をかけっ放しということを忘れないで
支えられ生かされて生きているということで
周囲に感謝しつつ自分のできることをさせていただく
人になっていきたいものです。

 南無阿弥陀仏のお心おはたらきです。
お念仏申してあなたも私も皆共に
阿弥陀さまのお慈悲の中に
生かされて生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.1.18)

当たり前が有り難い

2025-01-17
 クイズです。
「高い」の反対は何ですか?

 あなたはどう答えますか?
私がすぐさま浮かんだ答えは
「低い」でした。

 ところが「安い」と
答えた方がいます。
 そうです。
ものの値段が高いといえば安いですね。

 昨今の物価高で
私たちのものの見方も変わるということです。

 善いの反対は悪いということでいえば
人それぞれのものの見方によって
善いか悪いかが自分の都合で様々に異なります。

 あの人善い人悪い人というと
人それぞれで見方は違いますし
同じ人の見る見方も昨日まで善い人が
今日は悪い人にひっくり返ることがあります。

 それほどまでに私たちのものの見方は
その時どきの自分の都合でくるくる変わり
結局は本当のことが見えないのが
私のものの見方のようです。

 さて続いて「有り難い」の反対は何と聞かれて
あなたの答えは?
 有り難いとは有ること難しということで
反対は「当たり前」というお話です。

 今日1月17日は阪神淡路大震災が発生した日で
今年で30年になります。
 住む家を失い大切な人と死別するなかで
毎日当たり前のように生活していた日々を
ふっと思い出し
「当たり前と思っていたことが
実は有り難いことだった」と
話される被災者の方々の言葉に頷かされたものです。

 私たちの今日一日の日暮らし生活です。
そのどれ一つをとっても実は有ること難いことでした。

 朝起きて家族と「おはよう」と挨拶を交わし
食事をして学校に仕事に出かけます。
「いってらっしゃい」と見送り
「いってきます」と見送られます。
そして「ただいま」と帰ってきて
「お帰りなさい」と迎えられます。
家族と共に夕食をして
「おやすみなさい」と床につきます。

 何かいつもの繰り返しのようですが
一日として同じ日はありません。
 その日その日の生活日々の営みです。
決して当たり前のことではなかったと
「ありがとう」と感謝することばかりです。

 何か自分を中心に自分の都合で当たり前のように
良かった悪かったと生きている私たちに
仏さまは良い時も悪い時もいつもご一緒してくださって
お慈悲の中にあなたも私も皆共に
生かされて生きているのです。

 南無阿弥陀仏のおはたらきです。
決して当たり前のことではなく
有り難い仏さまのご縁に遇わせていただいて
「ありがとう」とお念仏を申して
お礼をさせていただきます。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.1.17)

母の涙

2025-01-16
 今日は母の一周忌法要のご縁で
ご門徒親族有縁の皆さんとご一緒に
お勤めをさせていただき
母のエピソードをお話しました。

 よく泣く母でした。
悔し涙うれし涙、喜びの涙悲しみの涙
いろんな涙だったのでしょう。
 思い返せば私の人生の節目節目に
泣いていたように思います。
 私が泣かせていたんでしょうね。

 私が小学校の6年生の頃のことです。
その日は居残りでクラスの友だち数人で作業をして
いつもより遅く帰宅しました。
 その友だち皆で帰ってから
一緒に遊ぶ約束をして気持ちよく帰ったのです。

 すると母から急に
「今から門徒さんのお家に月忌参りに行ってほしい」
と言われました。
「えっ何でどうして」と反発する私です。
それでも母はいつものようにやさしく私をなだめて
頼むように言います。
 私は私でますます逆上して最後は
「わかった。お参りすればいいやろ!」と言い放って
バタバタ衣に着替え
鬼のような形相で何度も悪たれをつく
私の様子をじっと見ていた母がついに
「そんな顔してもう参らんでもいい!」と
きつく言いました。

 その言葉を振り払うように
バターンと戸を閉めて
私は自転車でお参りに出ました。
 まだまだ怒りはおさまりません。
意地っ張りの私が考えたのは
「よーし困らせてやれ」ということでした。

 子どもの浅知恵です。
お経をいつもより3倍も4倍も
もっと遅いペースで読みました。

 何件か参るうちに
辺りはすっかり暗くなっていました。
 最後のお家にお寺から迎えが来ていました。
それでもゆっくりゆっくりお経をあげて
帰宅しました。

 「これしてやったり!」と得意満面に帰った私に
母は何を言ったか覚えていませんが
泣いていたと思います。

 帰りを心配しての涙でしょうか
情けない我が子を嘆く涙でしょうか。

 阿弥陀さまは大悲の涙から
立ち上げってくださった仏さまです。
 わが一人子を泣きながら
そのまま抱きかかえてくださる親さまです。
 
 鬼の心をもった私です。
さるべき業縁がととのえば
人を責める鬼の言葉となり鬼の形相になるこの私を
決して見捨てることなくそのまま抱き取って
お念仏のご縁に遇わせてくださるのです。

 母のご縁に今日もゆるされて
阿弥陀さまの御仏前に座らせていただき
お念仏申す身にさせてくださいました。

 先に往かれた父母有縁のお念仏の先人をたずねて
往生浄土のお念仏の道をご一緒させていただける
ご法事のご縁の有難さ尊さです。

 今日の母の涙はきっとうれし涙です。
「ようこそようこそお参りなさいました。
これからも円光寺をよろしくお願いいたします」と
母のお念仏の声が聞こえてきます。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.1.16)

「まるごと救う仏さま」※転載

2025-01-15
 ある日、お母さまを亡くされたことをご縁に
仏さまのお話を聞かれるようになった方が
悩みを打ち明けてくださいました。

「仏さまのお話を聞いても
ちっともきれいな心になりません。
むしろ、欲や怒りの心ばかりが
次々と沸き上がってきてしまうのです。
こんな私が、仏さまの教えを聞く意味なんて
あるのでしょうか」

 その言葉に、私は思わず答えました。
「実は、私も同じです。
だからこそ意味があると感じています。
阿弥陀さまは私たちに
『きれいな心になりなさい』とはおっしゃいません。
むしろ、きれいな心になれずに苦しむ私たちを
『見捨てることができない』と立ち上がり
ありのままの私たちをまるごと救うと誓われました」。

 阿弥陀さまは、私たちの心がどれだけ欲や怒り
妬みで満ちていようとも
決して見捨てることなく引き受けてくださいます。
 わがままな人はわがままなまま
怒りっぽい人は怒りっぽいまま
阿弥陀さまは「あなたをまるごと救う」と
おっしゃるのです。

 そのことを思うと
阿弥陀さまの前では無理に自分を変えなくていいんだと
肩の力がふっと抜けます。

 ※『本願寺インスタ倶楽部』
    (野田 茜 本願寺派布教使)より転載
      ー本願寺新報2025年1月10日号ー

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.1.15)

円光寺
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