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お念仏を申す生活法話

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先人をたずねて

2024-12-14
 今年も残すところ半月余りとなり
この一年もあっという間に
過ぎ去っていったという実感です。

 年明けて1月に母の一周忌を
お勤めさせていただきます。
 もう一年経ったのかと思いますし
随分前のことのようでもあり
今もすぐ近くに居てくれてるようにも感じます。

 以前、ある地方では年忌法要のご法事を
<おとぶらい>とよんでいるという話を聞きました。
 「とぶらう」といって
人の死別を悔やみ悲しむ「弔う」ではなく
「訪う」という字を当てるということに
なるほどと思ったしだいです。

 先に往かれた方を訪う
たずねていくということです。

 生前「どんな人だった」と
親族有縁の方々からいろんな話を聞きます。
 初めて聞くようなこともあり
あらためてその人となりにふれて
懐かしく思い出されます。
 25回忌以降になると
生前に会ったことがない子や孫に
話をしてあげる楽しみもでてきます。

 生前はお互いに自分の思いはからいで
ぶつかることもあったけれども
あの時何を教えてくださったのかと
今だから思い返すこともあります。

 そして先に往かれたお浄土をたずねていく
ということです。
 今はお浄土の仏さまとなって
南無阿弥陀仏のおはたらきでこの世に還って来て
後に遺った私たちに仏法聴聞を勧め
お念仏申す身にお育てくださるのです。

 御仏前に座りこの口から出てくださるお念仏は
「いつでもどこでもどんなことがあっても
私はあなたと一緒だから
大丈夫安心して生きて往こう」と
お念仏の先人のおはたらきと聞かせていただきます。

 南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
先人をたずねてお浄土参りのお念仏の旅を
共々にさせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(20241214)

何のために浄土に生れてどうなる?

2024-12-13
 仏教は迷いの私がさとりの仏に成る成仏道の教えで
自力聖道門の仏道と他力浄土門の仏道に大別されます。

 私たち浄土真宗の仏道は
阿弥陀仏の「われにまかせよ必ず救う」
ご本願の力おはたらきで
迷いの私がそのまま浄土に往生して
仏に成ると説かれますが
古来浄土教では
浄土に往生して仏道修行が始まるとされており
お浄土に生れることと仏のさとりを得ることは
イコールではありませんでした。

 親鸞さまは「よきひと」法然さまから
「ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべし」と
専修念仏のお救いの法によって
本願力回向のおはたらきで
往生即成仏の道を聞かれました。

 臨終のときに往生が決まるのではなく
阿弥陀回向の他力の信心をいただくときに
浄土の往生が決まり
現生に必ず仏に成るなかまに定まる
正定聚の位につかせていただくというのです。

 浄土に生れて仏に成るのです。
つまりは仏に成るために
浄土に往生させていただくのです。

 なぜ仏に成るのかというと
仏に成るとは迷いの私の救いの完成ですが
仏に成ってこの迷いの世に還って来て
衆生済度の阿弥陀さまのお手伝い
南無阿弥陀仏のおはたらきをさせていただくのです。

 お念仏申して生きる私たちは
南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
死んでも生きてもお慈悲の中と
これまでもそしてこれからもずっとつながって
共々に生かされて生きて往くのです。

 阿弥陀仏の本願念仏の救いの法に遇って
お念仏申す身にお育ていただき仏に成るために
このたびこの人間界に生まれて来たと
如来の仰せにまかせお念仏申して
今私にできることをさせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(20241213)

混ぜご飯とけんちんと雑炊

2024-12-12
 テレビでご当地の名物料理として
椎茸を使った混ぜご飯が紹介されていました。

 その土地特産の椎茸に色んな野菜を混ぜ合わせて
つくるご飯ですが
元々は主食のお米が少ないなかでの窮余の策で
先人が工夫して考案したものだったといいます。

 私たちのお寺のお斎の定番はけんちん汁です。
旬の様々な野菜に豆腐やコンニャクを入れて
しょうゆで味を調えたお汁です。
 いろんな野菜の味が出て
あたたかくほっとする本当においしいものです。

 雑炊もまたお腹がふくれる食事です。
戦時中はいも類が主食になり
飢えをしのいできたといいます。

 大勢で同じものを食するおいしさでもあります。
大鍋で炊いたご飯をみんなで一緒に食べます。

 これを作ろうと食材を買い込んで
レシピ通りにつくるものではなくて
今家にあるもので工夫してつくるものです。

 食事の献立に困った時に
「今日はあるもので賄いましょう」という食事です。

 飽食ということが言われ
食べ残しの食品ロスが問題にもなっています。
 一方で今日の食事に困っている人もいます。
一日三食ではなく
二食や一食で済ませる人もいるようです。

 食事は生活の基本です。
食べることは生きること
生きることは食べることです。
 食べることは他の命をいただくということで
「生きることは殺し続けるということ」
と言われた方がいます。
 他の命をいただかなければ
生きていけないということで
「いただきます」と
いのちを尊び感謝していただきます。

 仏法聴聞について
聞くことは食べることと心得なさいと
教えていただきます。
 食べることは覚えなくても溜めなくても
必要なものは身につくといいます。
 仏法を聞くことも覚えなくても
阿弥陀さまのおはたらきはこの身について
この口から出てくださるお念仏となって
これからもずっと私にご一緒してくださると
聞かせていただきます。

 ただ食べることを止めたら死んでしまいます。
ご縁ご縁に仏法聴聞させていただくことで
私たちはこの人生をお念仏申して
生かされて生きて往くことができるのです。

 今あるものでつくる食事ということも
欲を張らず今あるものを互いに活かして
共に生きるということにつながります。

 南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
お念仏申して共々に生かされて生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(20241212)

先に往かれた仏さま

2024-12-11
 私が阿弥陀如来の本願を信じ
お念仏申す身にお育ていただいたのは
南無阿弥陀仏のおはたらきによるものです。

 大本は「生きとし生けるものすべてを
分け隔てなく必ず救う」との阿弥陀如来の本願ですが
今生で善知識のお育てがあってということです。

 お念仏のご縁に私を誘ってくださったお方はというと
一番身近なところで私を生んでくださった
お父さんお母さんです。
 この人間界に誕生したことで
お念仏のご縁に遇うことができたのです。
 お念仏申したことを見たことがない
お父さんお母さんかもしれませんが
今はお浄土の仏さまとなってくださってあると
聞かせていただけるのがお念仏のご法義です。

 仏に成っているかどうか
この私が誰かが証明することではありませんが
南無阿弥陀仏のおはたらき一つで
この私がお念仏申す身にお育ていただいたことが
お父さんお母さんが仏に成られている証しです。

 お父さんお母さんのご法事のご縁に
御仏前に家族親族有縁の方々と座らせていただき
ご一緒にお念仏申させていただきます。

 「ここに座れ」と私たちを御仏前に誘い
仏德讃嘆仏法聴聞のご縁をいただき
お念仏申す私にしてくださる
先に往かれた仏さまの尊いご縁です。

 先に阿弥陀さまのお浄土に往生されて
仏となりこの迷いの世に還って来て
お父さんお母さんの仏さまが
南無阿弥陀仏のおはたらきとなって
今こここの私に至り届いてくださっているのです。

 南無阿弥陀仏のおはたらきで
先にお浄土に往かれたお方も私も
阿弥陀さまの大きなお慈悲の中に
共々に生かされて生きていると聞かせていただきます。

 生きても死んでもお慈悲の中と
南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
これからも共々に生かされて生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(20241211)

ようこそあなたとナモアミダブツ

2024-12-10
 お念仏をよろこび申して
この人生を生き抜かれた
妙好人浅原才市さんは
「わたしゃあなたに拝まれて
助かってくれと拝まれて
ご恩うれしや南無阿弥陀仏」と
阿弥陀さまをあなたと仰ぎ
南無阿弥陀仏のおはたらきで救われるよろこびを
うたっています。

 足利源左さんは
阿弥陀さまのお慈悲の中に生かされていることを
日々の日暮らしのご縁ご縁に
「ようこそようこそ」と仰いで
往生浄土の人生を生きて往かれました。

 この人生人それぞれに色んなことがあり
不都合なことも多々あって
生老病死の思い通りにならない
この身を生きていかねばなりませんが
ようこそあなたがご一緒してくださって
お慈悲の中に安心して往生浄土の人生を
お念仏申して共々に生きて往けるのです。

 <ようこそあなたとナモアミダブツ>と
あなたも私もご一緒に
お念仏申して今日一日も生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(20241210)

円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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