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お念仏を申す生活法話

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広島原爆忌79年

2024-08-06
 今日8月6日は
小学校は夏休み中の登校日です。
 毎年広島に原爆が投下されたこの日に
平和授業が行われています。

 昭和20年8月6日に人類史上初めて広島に
続いて8月9日に長崎に
原子爆弾が投下され
幾多の尊い命が一瞬のうちに奪われました。

 79年が経ちます。
被爆者は年々亡くなっていき
直接被爆体験を語る人は少なくなっていますが
被爆2世3世と呼ばれる
子や孫の世代が被爆者の思いを語り継いでいます。

 核のない世界、核兵器廃絶を訴える
被爆地からの声とは裏腹に
核兵器はその後も世界の主要国で増え続け
ロシアのウクライナ侵攻や
イスラエルのパレスチナ自治区ガザへの攻撃で
核兵器の使用が取りざたされている現実があります。

 アメリカの世論は今も
「原爆投下は戦争の早期終結を促すものでよかった」と
原爆投下を支持評価する声が多くありますが
核兵器がもたらした広島長崎の惨状を見れば
原爆投下は全く理不尽不条理な歴史の事実であり
人間の手によって起こされた人類の重い罪です。

 もう終わったこと
何を言っても思ってもしても
元に戻ることはできないのだから
前を向いてといわれても
私たち人類が引き起こした過去の重い事実に
私たちは目をつぶることは許されず
真摯に向き合わねばなりません。

 日本と同じ第二次世界大戦の敗戦国ドイツの
ヴァイツぜッカー元大統領の
「過去に目を閉ざす者は、
現在にも盲目になる」の言葉です。

 過去を忘れることは
未来への不安を大きく揺るがすものです。
 過去に真摯に向き合うことで
未来へ大切なメッセージを伝えることができるのです。

 「過去のことを変えることはできないが
見直すことができる」と
仏法に聞かせていただきます。
 過去の事実にしっかり向き合うことで
今私たちができることをさせていただくことです。

 核をめぐる論議は
核保有国と非保有国があるという現実の中で
核の傘をもとに核の拡大抑止論が
為政者の中心になっていますが
結局は新たな分断と差別を促すことだけです。

 仏法は縁起の法です。
すべてのいのちが網の目のようにつながっており
そのつながりは自分の都合で切っても切れない
良くも悪くも関係ないことは何一つない
という教えです。

 自分の都合、国の都合でいえば
みんながこれでよいということはありません。
 私の思いはからいでは
どこまでも問題は解決しませんし
新たな分断や差別を生みだすものともなるのです。

 仏さまの思いはからいにまかせることが
真の平和につながることです。
 「ただ念仏のみぞまことにておはします」と
仏法聴聞させていただいて
私にできることをさせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.8.6)

「浄土真宗でよかった」

2024-08-05
 今日からお盆参りが始まります。

 私たちの地域には
浄土真宗の円光寺の他に浄土宗と臨済宗2か寺の
計4か寺のお寺があって
以前はお盆の参り合いの習慣がありました。

 お盆参りの手伝いを始めた頃
ご門徒のお家だけではなく
他宗派のお家にもお参りして
お仏壇の造りが違いお飾りもそれぞれ異なって
大変興味がありました。

 他宗派ではお盆に
ナスやキュウリを牛馬に見立ててお飾りします。
 ご先祖がお家に帰って来るときの
乗り物を表すということです。
 また<おりょうぐ膳>という精進料理を
毎日お仏壇にお供えします。

 実家が他宗派だったご門徒の方が
「浄土真宗でよかった」と
しみじみと言われたことを思い出します。
 葬儀や法事、盆彼岸の仏事で
お仏壇のお飾りが大変だったというのです。

 お仏壇のお飾りにはすべて大事な意味があり
そのお心をたずね伝えていくことが
私たちの勤めなのですが
浄土真宗は殊更そうしたお飾りが無くて
よかったと言われるのです。

 確かに宗派によってお飾りの仕方は異なりますが
浄土真宗のお飾りもまた仏さまのお徳
智慧と慈悲のおはたらきを表すもので
決まったお飾りをすることで
そのお心をたずね聞かせていただくことが肝要です。

 阿弥陀さまの「まかせよ救う」
南無阿弥陀仏のお心おはたらきです。
 浄土真宗のご法義です。
諸善万行を積んで仏のさとりを開く自力の仏道ではなく
南無阿弥陀仏のおはたらき一つで
生きとし生けるすべてのものが分け隔てなく救われる
他力の仏道です。

 念仏一つで救われるご法義もシンプルですが
浄土真宗のお飾りもいたってシンプルです。
 きれいにお飾りされた御仏前に座り
お念仏お聴聞申させていただきましょう。

 南無阿弥陀仏のご法義に遇わせていただくことで
「浄土真宗でよかった」と
日々お念仏申して
往生浄土の仏道を歩ませていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.8.5)

私たちは念仏ファミリー

2024-08-04
 オリンピックの競技審判の判定について
方々で物議を呼んでいるようです。

 今はビデオ判定を取り入れている競技も多く
判定に不服の場合はその場で検証確認もできますが
基本的には審判の判断に依るところです。

 例えば柔道です。
「ワザアリ」「イッポン」「マテ」と
日本発祥の競技らしく
日本語がそのまま使われますが
その技をどう見るかは審判の判断です。

 公正な判定を審判にまかせるということですが
人間がすることですから誤りもあります。
 どこまでも身びいきな私たちの見方は
日本選手に有利な判定は当たり前のように
そのまますーっと受けとめますが
ちょっとでも不利な判定については
どうこうと文句をつけては
「世紀の誤審」などと
世論を揺るがすようなことにもなります。
 
 オリンピック柔道男子の初戦では
絞め技に入った相手選手が
審判の「マテ」の声の後も絞め続け
6秒後に解かれた日本選手が失神状態になって
結局「イッポン」で負けました。

 「マテ」がかかれば試合は中断し
有効ポイントにならないのですが
ここは審判の判断です。

 判定が覆ることはなく勝負は決着しましたが
SNS上で審判や相手選手への誹謗中傷が止まず
ついには日本選手が「私たちは柔道フアミリー」と
相手選手との二人の写真とともに
SNSでコメントを発信しました。

 私の立ち位置の問題です。
その時どきの勝ち負けの結果だけにとらわれる私たちと
競技の当事者関係者の立ち位置の違いです。

 外野から見ると
応援する選手をひいき目に見ますが
競技する者同士は互いによく分かっていることで
結局はどんな判定もそのまま受け入れ
互いに健闘を讃え合うのが
スポーツマン精神というものです。

 お寺における私の立ち位置です。
同じご門徒でもその立ち位置が変わると
お寺に対する見方も変わります。

 お寺を外からしか見ていない人にとっては
お寺は単なる風景でしょう。
 山門に入って本堂にお参りしない人の見方は
どうでしょうか。
 門徒としてお寺の務め事はするが
自分事として仏法聴聞のご縁に遇っていない人です。
 自分中心の思いでお寺のあり方を勝手に見ては
自分の思い通りにならないと腹を立て批判までします。

 浄土真宗のご縁をいただく
ご門徒有縁の皆さんです。
 お寺の本堂にお参りしましょう。
ご本尊の阿弥陀さまにお念仏お礼を申して
仏法聴聞させていただきましょう。

 阿弥陀さまのご本願のお心
「まかせよ救う」の南無阿弥陀仏のご法義です。
「おまかせします阿弥陀さま」と
本願を信じお念仏申す身にさせていただきましょう。

 自分中心の思いはからいものの見方から
仏さまを中心に真実まことの見方を聞かせていただき
お寺に住まいする私たちと同じ立ち位置で
お寺のあり方を一緒に考えてくださる
「私たちは念仏ファミリー」になりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.8.4)

  

盆前の大掃除です

2024-08-03
 昨日は朝早くからご門徒衆総出で
本堂庫裡境内等の大掃除をしていただきました。

 8月の盆前と11月の御正忌報恩講前の
年2回の大掃除です。

 猛暑が続く中での作業で大変でしたが
多くの皆さんにお手伝いいただいて
おかげでお寺がすっかりきれいになりました。

 浄土真宗門徒の心意気です。
本当に有難いことです。

 私たちご門徒皆さんのお寺です。
仏法聴聞お念仏の道場のお寺は
多くの人にお参りしていただき
お念仏のみ教えに遇ってほしいとの願いで
先人が建ててくださり
私たちに送ってくれたものです。

 お念仏のみ教えは
阿弥陀さまのご本願
十方衆生を必ず救うのおはたらきです。
 ご門徒に限らず
地域の方々にも広く開かれたものです。

 お寺の外観は私たちを仏法に誘う
荘厳な造りになっています。
 山門をくぐり私たちが日暮らしする世間から
お念仏の道場に入ります。

 お寺をきれいに荘厳することで
皆さんに親しみやすく
お参りしていただきたいと思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.8.3)

お念仏の声となって還って来ています

2024-08-02
 遠縁のお寺のご法事にお参りしました。

 親族ご縁の方々はじめ
ご門徒有縁の皆さんがたくさんお参りでした。
 ご一緒にお勤めをしてお導師のお寺さんの
ご法話お取り次ぎをお聴聞させていただきました。

 お念仏の声が本堂中に何度も何度も響き渡りました。
お念仏の声は
阿弥陀さまの「まかせよ救う」のお喚び声です。

 先にお浄土に往かれた仏さまが
有縁の私たちに
「どうかお念仏申す身になっておくれ」と
お念仏のご縁を開いてくださり
御仏前に私たちを導いてくださったご縁です。

 お勤めしたお経さまのなかで
「南無阿弥陀仏をとなふれば 十方無量の諸仏は
百重千重囲繞(いにょう)して よろこびまもりたまふなり」
(南無阿弥陀仏を称える身になると
 すべての世界の数限りない仏がたは
 百重にも千重にも取りかこみ
 喜んでお護りになるのである)と
ご和讃(浄土和讃)をいただきました。

 本堂にお参りされた多くの方々のお念仏の声が
阿弥陀さまのお徳を讃嘆する十方無量の諸仏方の
南無阿弥陀仏のお喚び声と幾重にも重なって
先に往かれた仏さまが
いつでもどこでもどんな時でも
この世に還って来てこの私を救い護る
おはたらきをしてくださってあると
頼もしく有難く聞かせていただきます。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.8.2)

円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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