さあー始めましょう!
2025-01-01
ご門徒皆さんと除夜会元旦会のご縁をご一緒し
お念仏申して新年を迎えました。
就寝の時間がいつもより遅くなりましたが
早起きして久しぶりに初日の出を見に出かけました。
別府のとある場所です。
晴れの天気に恵まれ別府湾に高崎山を望むなかで
2025年令和7年の初日の出です。
海面を太陽の光線が私にすーっと届いて来ます。
阿弥陀さまの智慧の光明が私に至り届き
私の口からお念仏が出てくださる
「まかせよ救う」南無阿弥陀仏のおはたらきに
重ねて思います。
この一年もお念仏申して
阿弥陀さまの大きなお慈悲の中に
あなたも私も皆共に生かされて生きてまいりましょう。
本年もようこそよろしくお願いいたします。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.1.1)

今年も一年ありがとう!
2024-12-31
大晦日の賑わいを体感しようと
妻と一緒に近くのスーパーに買い物に行きました。
開店直後でしたが
駐車場はほぼ満車の状態です。
今日は一日中多くの人が
お店に出入りするんでしょうね。
おせちやお刺身お寿司のセットものや
各種オードブルが山のように積まれていました。
皆さんこれこれこれと
次々に買っていきます。
それなりにお金はかかりますが
いつもより豪華な大晦日そしてお正月の食卓です。
今は帰省する家族がいても
親族や仕事関係の年始客があって
大勢で食卓を囲むことが少なくなり
家族だけの食事が多くなりました。
あれこれ献立を考え準備して料理を作ることが
少なくなったように思います。
その分家族みんながそれぞれに
ゆっくりゆったり年末年始の時間を過ごすことが
多くなったのではないでしょうか。
一人で迎える新年もあります。
人それぞれの年の暮れの大晦日です。
お寺の一年も大晦日の除夜の鐘つきで
新年を迎えます。
年々に歳を重ねてまいりますが
一日一日がいよいよ愛おしく
大切に思えるようになりました。
今日も一日お念仏を申して
私にできることをさせていただき
「ありがとう」と共々に
阿弥陀さまのお慈悲の中に生かされて
生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.12.31)

年末年始の納骨堂まいり
2024-12-30
お正月を前に納骨堂にお参りする
ご門徒有縁の皆さんがいらっしゃいます。
遠方から久しぶりに帰ってみえて
お参りされた方です。
元のお家はすでに無くなって
お父さんお母さんのお遺骨を
ご安置している納骨堂にお参りです。
納骨堂はお父さんお母さんのいらっしゃる
懐かしいお家です。
お父さんお母さんに会いに
帰って来たとの思いでしょうか
納骨堂にお参りして手を合わせ
南無阿弥陀仏とお念仏申してお礼をします。
「ただいま」「おかえり」と
南無阿弥陀仏のご縁がつながります。
帰る処があることの安心
心の支えです。
あなたと私皆共に
生きても死んでも阿弥陀さまのお慈悲の中に
これからもつながって生きて往ける
往生浄土のお念仏の仏道を歩ませていただく
有難さ尊さです。
今日は先々代住職祖父の祥月命日です。
昭和41年に往生して59回忌になります。
先に往かれた仏さまです。
今朝も納骨堂によんでくださり
ご一緒にお念仏申させていただきます。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.12.30)

本屋さんにて
2024-12-29
近くの商業施設に買い物に行って
本屋さんに立ち寄りました。
養老猛司さんの新刊書『人生の壁』が目に留まり
しばらく立ち読みしました。
養老さんの著書といえば
ベストセラーの『バカの壁』から
「壁」シリーズがヒットを続け
今回の『人生の壁』が
最終作になるとも言われています。
生きていくなかで壁にぶつからない人はいないが
それをどう乗り越えるかどう上手にかわすか
厄介な「人生の壁」を越える知恵を語るということで
いくつかのテーマで書かれています。
すーっと読んだなかで
「メメント・モリ」という言葉が気になって
スマポで検索しました。
ラテン語で「死を想え」と
「自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな」
という意味です。
中世のキリスト教修道院の修道士のたちの挨拶に
一方が「メメント・モリ」と言うと
「カルペディエム」と声をかけ合うそうです。
「カルペディエム」とは「花を摘め」と
「今日の花を摘むように今日を十分生きよ」
という意味です。
今を生きる今を楽しむと
あなたの日常をよりあなたらしく
生きてほしいといいます。
養老さんは「死をタブー視して覆い隠し
人工物だらけの世界を拡張させている現代社会にあって
不安と排除ではなく
同居することを覚えていくのが成熟」といっています。
この人間界に生まれたということは
どんな人も必ず死んでいくのですが
私たちは死に背を向けいつまでも若くて健康でと
生きることのみ追い求めて
結局はすべてを手放して
この人生を虚しく終えていかねばなりません。
仏法は生死一如と
生きることはそのまま死ぬことと教えますが
私たちは生と死とを分別しては
本当のいのちのあり方が見えないままに
生きることに固執して思いはからい苦しみ悩み
老いて病んで死んでいくのです。
仏教は生死の迷いを超えてさとりの仏に成ると
私たちは死んだら終いのいのちを生きているのではなく
南無阿弥陀仏のおはたらき一つで
人の命終えてそのまま浄土に生まれ仏に成るいのちを
今こここの私が生きていると聞かせていただきます。
仏法に遇うために人の世に生まれて
この人生を生きる意味を仏法に聞かせていただき
お念仏申す身にお育ていただくのです。
お念仏申して阿弥陀さまのお慈悲の中に生かされて
私たちは自他共に心豊かに
お浄土への人生を生きて往けるのです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.12.29)

阿弥陀さまはいつも休みなく動いている仏さまです
2024-12-28
昨日が仕事納めで
今日から年末年始の長期休暇の人が
多いということです。
故郷に帰省する人旅行に行く人など
お休みの過ごし方は人それぞれです。
一方でこの年末年始に超多忙な
交通機関や宿泊商業施設などで働く人がいます。
また自宅でゆっくり過ごす人もいたりと
多様な生活ぶりの現代社会の有り様です。
さて阿弥陀さまに
お休みがあるかといって
いつも休みなく動いている仏さまといいます。
お寺の本堂やお家のお仏壇の
この目で見える阿弥陀さまは
いつも立ってらっしゃるお姿ですが
動いている気配はありません。
いつも同じ御座にいらっしゃるから
私たちはお参りして安心できるわけですから
これが動いていなくなったら
「さあ大変!」です。
動いているとは阿弥陀さまのおはたらきです。
苦悩のなかに迷う私を見抜かれて
「必ず救うまかせよ」と座っちゃおれんで立ち上がり
南無阿弥陀仏のお名号となって
今こここの私のところに来てくださっている
阿弥陀さまのおすがたなのです。
阿弥陀さまのおはたらきが私の心に至り届き
私の口から南無阿弥陀仏のお念仏が
出てくださるのです。
私が働いている時も休んでいる時もいつでもです。
私の帰省先でも旅行先でも自宅でもどこでもです。
阿弥陀さまが私に付いて離れずご一緒です。
お念仏申して阿弥陀さまの大きなお慈悲の中に
いつでもどこでもご一緒させていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.12.28)
