瀬戸内寂聴さん
2021-11-12
瀬戸内寂静さんが往かれました。
作家で僧侶で皆さんもよくご存知の方ですが
私は一編も瀬戸内さんが書かれた
小説や評伝を読んだことがありません。
テレビ新聞雑誌などマスコミによく取り上げられ
短いエッセイや対談を聞きかじった程度のことですが
交友関係が広く文学界や芸能界からも
お悔やみのコメントがたくさん寄せられています。
瀬戸内晴美のペンネームで一躍人気作家となります。
戦中に結婚され戦後まもなく離婚
4歳の娘を残して家を出て行きます。
自由奔放な生き方に世間の厳しい風当たりのなかも
何度も恋愛しては破局を繰り返し51歳で出家されます。
法名「寂聴」を名乗りその後も作家活動を続けられます。
住職になられた岩手天台寺での青空法話会の映像が
今でも大変印象に残っています。
老若男女多くの方が押し寄せるように
お寺の境内を埋め尽し寂聴さんの法話に
思い思いに立って座って聞き入っていました。
親鸞さまが初めて法然さまの吉水の庵を訪ねたとき
貴族も武士も農民も皆共に法然さまが説かれる
「念仏一つでどんな人も等しく救われる」み教えを
聴聞されている光景を重ねて想いました。
近年では東日本大震災の後被災地を回って
お話をされていたことや
京都嵯峨野の寂庵での法話会のようすを観ていました。
お寺の本堂でいつもの型通りのものではなく
皆さんの顔が見える所からマイクをもって
ユーモアを交え軽妙にお話をされます。
うっとりと聞き入っている人もいれば
頭をうなだれ考え込むように聞いている方もいます。
波乱万丈の人生でいろんな経験をしてきた方ですが
皆さんの顔を見ながら聴いているんですね。
法名の「寂聴」は仏教の三法印(真理)の一つ
「涅槃寂静」のおさとりの世界の仏さまの教えを
聴くという意味でしょうが
独り寂しく生きる私たちの思いを受けとめて
「あなたの苦しみ悩みわかりますよ。うんうん」と
頷きながら聴きながら寄り添いながら
優しくお話をしているように思います。
寂聴さんのご法話は
難しい仏教用語を使うわけではありません。
これこれこうだからこうだよと
一方的に話すことでもありません。
「無常」ということを何度も話されていました。
この世のすべてのものは常がなく移り変わって行くという
「諸行無常」「諸法無我」の真理です。
お説教で無常というと
生きることはこの身が移り変わるということで
どんな人も老いて病気になって命終えていくんですよと
聞いている方が殆どだと思いますが
寂聴さんが話す無常は
「今はどん底でもこのままということはありません。
移り変わって行くのだからあきらめないでね」と
肯定的にお話をされて
孤独をかかえ絶望の中にいる人に向かって
「今が一番のどん底だからね。
朝が来ない夜はないというように
きっと明かりが見えてきますよ」と
発信し続けていかれました。
「あなたの人生なんだから
あなたはあなたのままでいいよ」と
生そのものをそのまま受けとめ生き抜かれた
寂聴さんの言葉にどれだけの人が
勇気づけられたかと思います。
「『死』は無になるのではなく
『他界』に移るような気がしてきた」と
最近書かれていたそうです。
この命いつか必ず終えていきますが
死んだらお終いではなく
南無阿弥陀仏のおはたらき一つで
阿弥陀さまのお浄土に往かせていただき
さとりの仏に生まれてこれからも
南無阿弥陀仏のいのちのつながりのなかに
先に往かれた方も後に遺った私たちも
共々に生かされて生きて往けると安心して
今日も一日お念仏を申す生活をさせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.11.12)

他力の信心一つの救い
2021-11-11
今は『高僧和讃』の第三祖曇鸞大師のご事績を
讃嘆させていただいていますが
今日拝読した五首目に
「論主の一心ととけるをば 曇鸞大師のみことには
煩悩成就のわれらが 他力の信とのべたまふ」
<天親菩薩が『浄土論』を説かれた一心を
曇鸞大師は、煩悩にまみれたわたしたちがいただく
他力の信であるといわれている>とありました。
昨日もお話しましたが
天親菩薩の書かれた『浄土論』を
曇鸞大師が註釈したものが『往生論註』です。
浄土論の冒頭に天親菩薩が
「世尊我一心 帰命尽十方 無碍光如来 願生安楽国」
と述べられた「一心」のお心を
曇鸞大師は「他力の信」といただかれたのです。
「他力とは如来の本願力なり」と
親鸞さまがお示しのように
他力とは阿弥陀さまのご本願のお心
煩悩成就のわれらを必ず救うというおはたらきです。
仏さまのおさとりの世界から遥かに遠い
煩悩にまみれた迷いの境涯にあって
苦しみ悩みを繰り返しているこの私を
阿弥陀さまは見抜かれて本願をたてられ成就して
「必ず救うまかせよ」の南無阿弥陀仏のおはたらきで
そのまま救うてくださるというのです。
阿弥陀さまの他力の信心一つでどんな人も救われる
浄土真宗のご法義を親鸞さまが私たちに
明らかに示してくださっているのです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.11.11)

親鸞さまのお名前の由来
2021-11-10
親鸞聖人のご生涯で
名前が何回も変わっています。
9歳で出家した時は範宴でした。
29歳の時比叡山を下りられ法然聖人の門下に入ってからは
綽空、善信、親鸞と名乗っています。
この綽空、善信、親鸞という名前は
七高僧さまのなかで龍樹菩薩以外の
天親菩薩、曇鸞大師、道綽禅師、善導大師
源信和尚、源空聖人のそれぞれ一字を
取って付けられたお名前です。
そこで今日の第五首目の御和讃です。
「天親菩薩のみことをも 鸞師ときのべたまはずは
他力広大威徳の 心行いかでかさとらまし」
<天親菩薩の『浄土論』の教えを
曇鸞大師が『往生論註』に
詳しく示してくださらなかったら
広大ですぐれた功徳をそなえた他力の信心と念仏を
どうして知ることができたであろう>
とあります。
お正信偈の中に七高僧さまのお名前が出てきますが
一人だけ二回出てきます。
それが天親菩薩です。
「天親菩薩造論説」「天親菩薩論註解」とあります。
天親菩薩の後に論が続きますが
天親菩薩が書かれた『浄土論』です。
その浄土論を曇鸞大師が註釈された
お書物が『往生論註』です。
親鸞さまは『浄土論』『往生論註』を大切にいただかれ
私の仏道はここにありと
法然さまから聞かれたのではないでしょうか。
親鸞の二字は天親と曇鸞のそれぞれ一字を
いただいていることからも伺えます。
天親菩薩は『浄土論』の冒頭
「世尊我一心 帰命尽十方 無碍光如来 願生安楽国」
(世尊、われ一心に尽十方無碍光如来に帰命したてまつりて
安楽国に生ぜんと願ず)と述べられています。
私は阿弥陀さまのお心
南無阿弥陀仏のおはたらきにおまかせして
阿弥陀さまの安楽国お浄土に往生させていただきます
とのおこころです。
「帰命無量寿如来 南無不可思議光」で始まるお正信偈の
親鸞さまのおこころに重ねて思います。
「天親菩薩造論説」「天親菩薩論註解」と
また重ねて声高らかにお勤めさせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.11.10)

どんな人も仏に成らせていただける他力の仏道です
2021-11-09
今日から高僧和讃の第三祖
中国に出られた曇鸞大師のところに入ります。
曇鸞さまのご功績は仏道を自力と他力ということで
示してくださったことです。
今日の御和讃の第二首目に
「四論の講説さしおきて 本願他力をときたまひ
具縛の凡衆をみちびきて 涅槃のかどにぞいらしめし」
<曇鸞大師は、四論の教えを棄てて
本願他力の教えを説き示され
煩悩に縛られた凡夫を涅槃に至る道へと
導き入れてくださった>とあります。
ここに具縛の凡衆とあるのは
真理にくらく、煩悩に縛られて、迷いの世界を輪廻する
愚かなもののの意味で
この私この御和讃を書かれた親鸞さまのことです。
この私のために曇鸞さまが
それまでの一般的な仏道である四論の教え
自力で学問修行を積み重ね仏に成る仏道を捨てられ
本願他力の教えを開かれたといただかれたのです。
自力の仏道はそのまま親鸞さまの
20年間の比叡山での仏道修行であったのです。
自力の修行に行き詰まった親鸞さまが
法然聖人に出遇われ
念仏一つで救われる専修念仏の教え
本願他力の仏道に帰入されたのでした。
阿弥陀さまのご本願の力おはたらきで
どんな人も仏に成らせていただける他力の仏道です。
涅槃のかどです。
煩悩に縛られた凡夫のために
南無阿弥陀仏と仕上がって
お浄土への道がもうすでにこの私の前に
開かれてあると聞かせていただきます。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.11.9)

阿弥陀さまがご一緒してくださるお念仏の仏道です
2021-11-08
高僧和讃の第二祖インドに出られた
天親菩薩のところに入っています。
昨日は第一祖の龍樹菩薩のところで
生死の迷いの海に沈むこの私を阿弥陀さまが
ご本願の船に乗せてくださって
お浄土に生まれさせていただくというご和讃でした。
南無阿弥陀仏のおはたらきで
「わたしの船に乗せて救う」というのです。
今日の天親菩薩の御和讃第三首目に
「天親菩薩は一心に 無礙光に帰命す
本願力に乗ずれば 報土にいたるとのべたまふ」
<天親菩薩は一心に無礙光如来に帰命された。
本願のおはたらきにおまかせすることで
真実の浄土に往生するといわれている>とありました。
本願力に乗じてと、乗ると書きます。
「本願力に遇いねれば 空しくすぐる人ぞなき」
<本願のおはたらき出遇ったものは
むなしく迷いの世界にとどまることはない>と
有名なご和讃です。
本願力とは阿弥陀さまのご本願のおはたらき
「必ず救うまかせよ」の南無阿弥陀仏の
お喚び声のおはたらきです。
本願力に乗じてと
乗る乗托する、まかせるということです。
本願力にまかせて本願の船に乗ってしまえば
船の中でじたばたどうこうしようと
もうどうにもなりません。
すっかり船のはたらきにまかせるしかないのです。
大きな如来の願船にまかせて乗って
そのまま阿弥陀さまのお浄土に往生させていただける
これが浄土真宗お念仏の仏道です。
私が陸路を歩いて行く仏道ではありません。
陸路の方が一歩一歩行くことで確実なようですが
生死の迷いの中に苦悩し不安なこの私を見て取って
阿弥陀さまがご一緒してくださる仏道です。
南無阿弥陀仏のお喚び声となって
いつでもどこでもこの私と共に
生きてくださる大きな安心です。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.11.8)
