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お念仏を申す生活法話

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お仏壇は仏さまの教えの教科書です

2021-06-29
ご門徒さんのお家のお花畑です。(2021.6.29.10:00)
 七日日(なぬかび)のご縁のお家で
「華瓶には樒ではなくて青木でいいのですか?」と
尋ねられました。

 本堂のお内陣のお飾りで
阿弥陀如来をご安置する御宮殿(ごくうでん)の前卓(まえじょく)
華瓶(けびょう)を一対備えて青木をお供えしています。
 皆さんのお家のお仏壇にも華瓶は備わっていますが
小さなお道具でもありどう使っていいのか分からず
お道具だけがあっちこっちに行ってることもあります。

 『浄土真宗必携』を読まれてのご質問で
「華瓶には樒又は青木をもちい色花はもちいません」
と必携に書いてあり確認の意味だったようです。

 何でもお花屋さんに樒が中々ないということでした。
青木でもいいですよとお答えしました。

 なぜ樒かというと樒は香木といって香りが強い木で
昔は樒をよく御仏前に使っていたのです。
 樒は香りが強く臭い消しの作用があり
昔は人が亡くなって今のドライアイスもありませんから
暑い時分時間が経過すると遺体から異臭が出てくることで
香りが強い樒が使われ今日まで伝えられてきたのです。

 華瓶にお供えする樒や青木が目に入りやすいのですが
華瓶に水を灌ぐことが大事なのです。
 香木の樒に水を入れて香水なのです。
香りのいいお浄土を流れる水です。

 お寺のお内陣もお家のお仏壇も
阿弥陀さまのお浄土を表し
形をもって阿弥陀さまの救いのみ教えを明かしてくれます。
 一つ一つのお道具にみんな
仏さまのお徳おはたらきが表され
私たちのこの目に見える形で教えてくださるのです。

 お仏壇は仏さまの教えの教科書です。
日々お飾りするなかに分からないことを
聞いてもらえる有難さです。

 ご先祖から伝えられたお仏壇を通して
仏さまのご縁がこれからもずっとつながっていく有難さを
あらためて思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.6.29)


たくさんの命に大きな生きる力をいただきます

2021-06-28
本堂前のプランターのひまわりの花と青々したソテツです。(2021.6.29.12:00)
 オリンピックの開幕まで一カ月を切って
どの競技も代表選手の選考が最終盤に入っています。

 陸上の日本選手権が行われました。
五輪の標準記録を出した選手で
日本選手権で3位以内に入ることが内定条件です。

 大変な難関であり一発勝負です。
いろんな選手が注目されるなかで
女子の百メートルハードルの寺田選手です。

 30歳を超えたママさん選手で
一旦は競技から離れたものの結婚出産して復帰した
異色の経歴の持ち主です。

 11年前にすでに日本一でした。
指導者の監督コーチがいてということですが
若いときは自分一人の力をたのむことだったと思います。
今は「チーム寺田」というそうです。

 最近よく聞きますね。
ゴルフの「チーム松山」であったり
テニスの「チーム大坂なおみ」だったりです。

 競技の技術的なものだけではなく
栄養食事面とか精神的なケアとか
生活全般にわたり支援をするスタッフが何人もいるのです。
 脚光を浴びるのはその選手自身ですが
その選手を支える力があってということです。

 私たちもチーム〇○という明確なスタッフはいませんが
一人一人それぞれがチーム〇○だと思います。

 何か自分が一人で頑張って生きているようですが
家族友人など周りの方々のろんな支えがあって
生かされているというのが本当のことですよ。

 今朝梵鐘を撞くのに前の会社の方が
何台も車をスタンバイして
今から仕事に出かけるところでした。
 何処に行くのでしょうか
多分遠方の仕事場ではないかなと思います。
 声をかけることもない名前も知らない方々ですが
何か力をいただきます。

 梵鐘を撞き終わって玄関の方に向かうと
本堂の前のプランターのひまわりの花が
すっと幾つも咲いていました。

 いろんな命の営みです。
たくさんの命に支えられてあるということです。

 今朝も梵鐘や喚鐘の鐘の音を
どこかで誰かが聞いていると思います。
人それぞれの生活があって私たちの日々の生活があります。

 今日は月曜日で学校や職場で
新たな一週間をスタートする日です。

 何か自分一人で生きていると思って
頑なに自分の世界に入り込むのが私たちです。
 自分を中心に思い通りにいく間はいいでしょうが
思い通りにいかないことばかりで悩み苦しみ迷う私です。

 私たちは南無阿弥陀仏の大きないのちにつながって
支えられて生かされてあると聞かせていただきます。
 お念仏のお救いのご法義をこうして皆さんとご一緒に
お朝事のご縁でいただけることが
私にとって大きな大きな生きる支え力であります。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.6.28)


南無阿弥陀仏は阿弥陀さまのお手回しのお救いのおはたらきです

2021-06-27
 私たちの阿弥陀さまのお救いのご法義を
阿弥陀さまのお手回しといいます。
阿弥陀さまが先手のお救いです。

 お念仏を喜ばれて生きた妙好人の浅原才市さんが
「私しゃあなたに拝まれて 助かってくれと拝まれて
ご恩うれしや 南無阿弥陀仏」という歌を詠んでいます。

 私才市はあなた阿弥陀さまに助かってくれと拝まれて
おたすけいただくばかりで
嬉しさのあまりに
南無阿弥陀仏とお念仏がこぼれるというのです。

 一般に宗教というと
神や仏に「たすけてください」と
お願いしたり祈ったりすることと
思ってらっしゃる方が多いと思います。

 それも何か私の身の上に
のっぴきならない事態が起こったときに
たのむお願いするのが神や仏で
たのみに応えてくれるのが神や仏の救いと
いただいているのでしょう。

 ところが私の思い通りになることは難しく
悔しくて悲しくて涙する苦しみ悩む私がいることを
見抜かれた仏さまが阿弥陀さまなのです。

 阿弥陀さまの方でもうすでに南無阿弥陀仏
「必ず救うまかせよ」とおはたらきくださっているのです。

 南無阿弥陀仏のお心を聞いて
お念仏申す身になってくれよと
阿弥陀さまが願いたのんでくださっているのです。

 南無阿弥陀仏は私が助けてくださいと
弥陀にたのむ念仏ではなくて
必ず助けるとおはたらきの弥陀をたのみまかせるお念仏で
ありがとうございますとお礼を申させていただくのです。

 阿弥陀さまのお慈悲のおはたらきの
お手回しをいただいて
南無阿弥陀仏とお念仏申して
今日の一日も生かされて生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.6.27)


ご法事は先に往かれた仏さまが私のためにつくってくださったお念仏のご縁です

2021-06-26
小雨の中をひまわりの花がお朝事の皆さんをお出迎えです。(2021.6.26.6:00)
 今はコロナ禍で葬儀や法事のあり方が変わって
少人数のものになっています。
 葬儀や法事の簡素化です。
これはコロナ以前からも見られた傾向です。

 昔は20人30人という法事も多かったです。
大変な大ごとです。
 何カ月も前から親戚縁者への案内から始まり
何日も前からいろんな用意準備です。
 お家でお斎のお膳をつくって頃は
本当に大変だったお思います。
 法事が済んで寝込む程に
どっと疲れがでたのではないでしょうか。

 お斎も仕出し屋からお膳を取るようになって
肩の荷が下りたということですが
それでも部屋いっぱいに人が並びお酒を酌み交わし
いろんな話に花が咲くということでした。

 今はお斎をするといっても
外に食べに行くということになって
最近は「家族だけのお経だけ」の法事が多くなりました。

 「ご法事はどこまで案内したらいいんですか」と
質問されました。
 そのお家お家の日頃からの親族間のお付き合いの程度で
案内するかしないかを決めればいいことで
ここまで案内するという決まりはありません。

 ただちょっと思ったのは施主の立ち位置です。
ご法事をお勤めする中心の施主から見てのつながりか
それとも法事を迎える方のつながりかで
大分違ってくるのではないでしょうか。

 子どもが施主で親の法事をすると
子ども同士の兄弟姉妹は横並びの施主に準じます。
 ところが孫が施主で祖父母の法事になると
子どもの兄弟姉妹は施主の伯父叔母になって
関係は違ってきます。

 日頃の関係つながりが薄い今は
法事の時だけ特別に案内するということではなさそうです。

 法事を勤める意味は
先に往かれた方を偲ぶということです。
法事にお参りされた有縁の方々と一緒に偲ぶのです。
 こういう人だったとお互いに話をして
この世で会ったことがない子や孫に聞かせて教える
ご縁にもなるわけです。

 そしてご法事は何といっても
阿弥陀さまの救いのみ教えを聞かせていただくご縁です。
 日頃からお寺にお参りして聞けばいいということですが
これまで仏法に遇うことがなかった方にとって
ご法事は仏法に遇う絶好のチャンスなのです。

 先に往かれた方がこの私のためにつくってくださった
仏さまのご縁と聞かせていただくときに
先人はただものではない仏さまと仰いでいけるのです。

 日頃は中々合わない手が合わさり
南無阿弥陀仏とお念仏がこの口から出てくださって
仏さまにお礼を申させていただくのです。

 仏法に遇ってお念仏申す身にさせていただく
ご法事のご縁です。
 一人でも多くの方にご法事のご縁で
仏法に遇ってほしいと思って
ご法事の案内をさせていただくことが肝要です。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.6.26)


どんな命もみんなつながって生かされて生きているのです

2021-06-25
大分県内あじさい巡り第三弾です。奥別府志高湖です。(2021.6.25.13:00)
 東京都の小池知事が公務を離れて休養されるそうです。
コロナ禍で東京の感染状況が一向に収まらず
五輪を控えて課題が多く休む間もないなかで
東京都の都議会議員選挙が今日告示ということで
政治的な憶測も聞こえてきますが
可愛がっていたペットの猫が亡くなったことが
休養の引き金になったのではとの報道です。

 これまで幾多の難局を潜り抜けてきた小池さんにして
ペットの存在は家族のように
大きなものだったのでしょう。

 昨日わが家の中庭を猫がウロウロしていました。
ペットではありません。
 名前も知らないどこかの猫で
挙動不審なものはあっちに行けと追い払います。

 町中にクマが出て住民にけがを負わせて
駆除され殺されたといいます。
 人間にとって檻の外で自由に振る舞うクマは
害獣であり排除されます。

 来月7月の掲示伝道の言葉です。
「蚊も蟻も どんな命も 皆同じ 仏のいのちを 生きている」
と書かせていただきました。

 私たちの仏さま阿弥陀如来さまは
十方衆生を救うとおはたらきです。
 十方衆生といって
この私のことと聞かせていただきますが
人間だけを救うのではありません。
 十方衆生です。
ありとあらゆる世界の生きとし生けるものすべてです。

 夏の夜ビューンと飛んで来る蚊は嫌ですね。
追い払うばかりか狙いを定めてパチンと叩き殺します。
 小さな甘いものを見つけては群がるように
寄って来る蟻も嫌ですね。
 それこそ蚊も蟻も害虫で
駆除の対象です。

 どんな小さな生き物も大きなクマも人間も
みんな同じ仏さまの大きな願いの中にあるいのちですと
仏さまは教えてくださいます。
 そして人の命も蚊や蟻、クマや猫の命も
どんな命もみんなつながっているというのです。

 奈良時代に行基というお坊さんがいました。
全国を歩いてまわり人々に仏さまのみ教えを伝え
ため池をつくったり橋をかけたりと
社会事業をされた方ですが
「山鳥の ほろほろと鳴く 声聞けば
父かとぞ思ふ 母かとぞ思ふ」という歌を詠んでいます。

 旅の途中に山鳥の鳴く声を聞いて
父や母のように思う大らかな心持ちです。
 すべての命がつながって互いに支え合い
共に生かされて生きている大きな世界を想います。

 私たちが生きる現実社会は
仏さまからはどう見えるのでしょうかね。

 どこまでも自分中心のものの見方考え方で
生きることで精いっぱいで
周りのものを思いやる余裕もなく
自分の小さな世界に閉じこもって
真実まことのことが見えないままに悩み苦しみ迷っている
そんな私をご覧になって阿弥陀さまは
すべての命が互いに輝き合って共に生きる
大きな阿弥陀の世界に生まれて来いよと
南無阿弥陀仏と喚び通しにおはたらきなのです。

 阿弥陀さまのお心南無阿弥陀仏のおはたらきを
聞かせていただきましょう。

 お念仏申して今日の一日も小さな命の声に耳を澄ませ
大きないのちのつながりのなかに
共に生かされて生きてあることを思いつつ
お念仏の日暮らしをさせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.6.25)


円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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