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お念仏を申す生活法話

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「善知識というは阿弥陀仏に帰命せよといえるつかいなり」

2021-12-11
 今日11日の『御文章』は「五重の義章」です。
蓮如上人は「宿善、善知識、光明、信心、名号」という
五重の義をもって
浄土真宗の法義のあり方を明らかにされました。

 善知識ということが再々でてきます。
善知識は「阿弥陀仏のご本願に帰しなさい」と
教えすすめる「つかい」ですが
「善知識ばかりをたのむべきである」という
「善知識だのみ」の異議が明らかになったのです。

 善知識を仏さまのように帰命すれば
そのお力でたすけていただると考えたのです。

 この「五重の義章」は蓮如さまが吉崎在住の頃の著述で
当時吉崎御坊には連日たくさんの方が
押し寄せるようにお参りされていたといわれます。
 蓮如さまが説かれる
南無阿弥陀仏のおはたらき一つでどんな人も救われる
お念仏のみ教えを聞くためだったのですが
そのなかに蓮如さまを仏さまのように帰命する人たちが
いらっしゃったのではないでしょうか。

 そのことに気づかれたのでしょうか
蓮如さまは吉崎坊舎に4年ほど居て大坂に退出します。

 帰命すべき阿弥陀仏をないがしろにして
善知識ばかりをたのむことは大きな誤りです。

 蓮如さまは御文章を通して
私たちに他力の信心を勧められます。
 それは「聖人一流のご勧化のおもむきは
信心をもって本とせられ候」という
親鸞聖人のお心であったのです。

 南無阿弥陀仏のお心を聞いて
お念仏を申す身になってほしいとのお心を
これからも御文章さまを拝読するなかに
いただいてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.12.11)


毎日の日課の中心

2021-12-10
 毎日の日課です。
日々の決まった営みです。

 特に朝の日課は
短い時間の中ですることがたくさんあります。
 朝起きて次から次にすることが
決まっているのですが
今日はそのなかでちょっと手間取ることがあって
次の段取りが後手後手になってしまいました。

 結果毎朝6時に撞く梵鐘が2分程遅れました。
いつもは梵鐘を撞く前にお仏飯を申して
本堂の仏さまにお供えするのですが
今日は本堂が真っ暗な中での梵鐘つきでした。

 梵鐘が遅れたといって
皆さんの生活に影響はないと思いますが
いつもの時間にお寺の梵鐘が聞こえないので
「どうしたんやろうか」と思われた方も
いらっしゃったのではないでしょうか。

 毎朝夕6時に撞く円光寺の梵鐘を
聞いてらっしゃる方が多いというお話です。
 お寺の鐘が聞こえてくるんですね。

 そんなこんなでバタバタする中で
このお朝事のご縁です。
 毎朝6時半のいつものお朝事です。

 今日はご和讃が最初に返って
「弥陀成仏のこのかたは」からです。
 かえるところがある有難さです。
それぞれの毎日の日課のなかで
同じ中心をいただいている有難さです。

 皆さん朝起きてそれぞれの日課をするなかで
6時半にお寺の本堂御仏前に座って
ご一緒に「帰命無量寿如来」から
「南無不可思議光」と声を重ねて
正信偈和讃のお勤めをさせていただきます。

 それぞれ生活ぶりが違う皆さん私たち一人一人が
こうして共々にお念仏申させていただいて
今日の一日を始めさせていただける有難さを
心強く思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.12.10)


80年前の戦争が今私たちに投げかけること

2021-12-09
 昨日12月8日は日本の真珠湾攻撃で
太平洋戦争が始まった日で80年が経ちました。

 昨日は真珠湾攻撃をめぐる新聞記事を読み
同じ内容のテレビ番組を観ました。

 真珠湾攻撃というと戦闘機によるアメリカ艦船への
襲撃がすぐ目に浮かびます。
 空母など艦隊も出動しましたが
海中を進む特殊潜航艇5隻も参加したといいます。

 大きな潜水艦ではなく2人乗りの爆薬を積んだ
小さな潜水艦です。
 特別に訓練された兵士が乗り込み
敵の艦船を攻撃するのです。

 戦死した乗組員は「九軍神」とたたえられ
戦争遂行の神としてまつられます。
 英霊です。
戦死を遂げた人はすぐれた霊としてまつられるのです。

 兵士は2×5で10人ですが
九軍神に1人いません。
 残る一人は生き残って米軍の捕虜になったのです。
「日本人の捕虜第1号」とアメリカで紹介されましたが
日本では当時10人が写った写真が一人だけ塗りつぶされて
その人のことはずっと伏せられたといいます。

 捕虜になるのは日本軍人の恥だと叩きこまれた彼は
収容所で「死にたい殺してくれ」と
何度も懇願したそうです。

 テレビでは収容所で浄土宗の僧侶に出会って
死を思い止まるようになったといいます。
 日露戦争で捕虜になった同じ境遇の方で
元捕虜に対する差別を受けるなかで
日本からハワイに渡り仏道に帰したといわれます。

 またアメリカの文化思想にも触れるなかで
「生きたい」と変わっていったといいます。

 4年後終戦になり翌年日本に帰って来ますが
みんなから歓迎されることもなく
アメリカで身につけた英語を使う職業に就き
家族と共に生きたといいます。

 戦争について家族に話すことはなかったといい
息子は「お前のオヤジ、捕虜1号だろ」と言われて
戦争のことは聞いてはいけないと思ったといいます。

 手記を残しています。
去年初めて父の手記を読み通したといいます。
「死んだら神に、生き残ったら存在を消し去る戦争は
やっぱりおかしい」と
父の思いをこれから伝えていきたいと
今朝の新聞で読みました。

 戦争は80年前の出来事ではありません。
80年の時間を経てこれからもずっと
私たちに大きな問いを投げかけています。

 私も皆さんも戦争体験者ではありませんが
戦争の真っただ中に父母や祖父母は生きてきました。
 戦地に赴いた方もいます。
空爆に遭ったとかひもじい思いをしたとか
幾多の悲惨な体験をして生きてきたのです。

 戦時中の生活を想います。
お寺の生活です。
 戦争下にあってお寺は住職は
どんな役割を担ってきたのでしょうか。

 ご門徒を戦地に送り
遺骨もなく戦死したご門徒のお葬式を執り行っています。

 戦死された方は英霊です。
捕虜になって異国の地で収容生活を送られた方も
いらっしゃいます。

 戦争でその人人の人生が大きく変わり
私たちのいのちにつながっているのです。

 80年経って真珠湾を体験した人が
アメリカでそして日本でもう100歳を超えています。

 遠い昔の出来事ではありません。
今も戦争体験の証言が語られています。
 忘れたいと思っていたことが
鮮明な記憶となって語られています。

 私の知らないことが
まだまだたくさんあります。

 12月8日はお釈迦さまの成道の日
菩提樹の下で仏教のおさとりを開かれたのです。

 真実まことの仏さまのみ教えに
虚仮不実のわが身を聞かせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.12.9)


先人のご苦労があって

2021-12-08
 門徒報恩講で昨日一昨日と4区遠見地区の
お参りをさせていただきました。

 寒くなるこの時期2軒のお家で
海苔の製造で忙しかったことのお話を聞きました。
 昭和20年30年代の頃です。
冷たい海に入って海藻類をつんで
板状の海苔を製造します。

 三佐の沖の海苔は特別美味しいという評判で
ご門徒から海苔をもらって火鉢であぶって
いただいた焼きのりを思い出します。

 この時期に寒ければ寒いほど
海苔の出来は良いといわれ
男衆は海に漁に出て主に女衆の仕事で
大変な重労働だったといいます。

 私のちょっと上の世代の当時の娘さんのお話です。
この寒い時期に海苔の製造を手伝わされるのが苦痛で
今から思い出しても嫌だったということです。
 今は養殖技術や機械化が進んで結構な収入源ですが
当時は手作業が主で効率も生産性も悪く
何でこんなしんどいことをしてという
思いで見ていたのでしょう。

 沖の海苔製造も昭和30年代半ばからの
大分市新産業都市計画の工場誘致で
遠浅の海岸が埋め立てられ
出来なくなりました。

 昨日御仏前でそんな話ができることを
有難く思いました。
 そうした先人の大変なご苦労があって
今の私たちの生活があることを思ったからです。

 御仏前に共々に座ってご一緒にお勤めができ
この口からお念仏が出てくださることの有難さです。
 ご先祖有縁の先人もまた
ご本尊の阿弥陀さまにお礼をして
日々の生活に勤しまれていたことを思い起こします。

 先人のご苦労が私たちのいのちとなり
お念仏の声を届けてくださって
子や孫の次の世代にお念仏の声が伝えられていく
南無阿弥陀仏のおはたらきの尊さを思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.12.8)


「さあ帰るぞ」

2021-12-07
 昨日お葬儀がありまして
お葬式の後に火葬に行かれますが
火葬の後直接お寺にお遺骨を持たれお参りされて
還骨のお勤めをいたします。

 昨日のご縁のお方は12月3日にご往生されて
昨日のお葬式が4日目になります。
 お遺族の方はお疲れがでてきます。
お通夜お葬式と弔問の方の接待もあり
しっかりしないとと気が張っているというものの
火葬が済み還骨のおつとめに来られる頃が
お疲れのピークではないかと思います。

 それでなるべく早め早めにと配慮しますが
昨日は6時前から少し長めのお勤めになりました。
 皆さん初めてお寺の本堂にお参りされる方ばかりで
それぞれにしばらく本堂の中を珍しそうに見ていましたが
「さあ帰るぞ」と喪主の方が皆さんに声をかけました。

「さあ帰るぞ」とお家に帰るのです。
そこにいた方に「さあ帰るぞ」と言ったそのまんまが
しっかり胸に抱いた奥さんのお遺骨です。

「さあ帰るぞ」と懐かしいお家に
お遺骨となって皆さん一緒に帰るのです。
 帰る家があるということです。
帰る家がある安心です。

 大切なお方とお別れする悲しいご縁です。
大切な方がいなくなるこれからの生活です。
 つらいですね。
寂しいですね。

 悲しいご縁ですが
そのまま仏さまのご縁といただきます。
 先に往かれた仏さまとご一緒にお念仏の世界を
これからも共に生かされて生きて往けると
南無阿弥陀仏のおはたらきに聞かせていただきます。

 懐かしいお姿に会うことはかないません。
懐かしい声を聞くことはできません。
 この目に見えるお姿はお遺骨ですが
南無阿弥陀仏の声の仏さまとなって
確かに確かに私のところに還ってみえて
私を護り救うおはたらきをしてくださるのです。

 南無阿弥陀仏の阿弥陀さまのお救いです。
南無阿弥陀仏とお念仏申す中に
「必ず救うまかせよ」のおはたらきを
聞かせていただきましょう。

 先に往かれた方もお浄土ならば
後に遺った私たちも同じ
お浄土に生まれさせていただいて
再び会うことができるとお経さまにあります。

 人生の旅を終えて「さあ帰るぞ」と
南無阿弥陀仏のおはたらきで懐かしい方々が待つ
お浄土に帰らせていただきます。

 今日一日もお念仏申して
お浄土への人生を共々にさせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.12.7)


円光寺
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