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お念仏を申す生活法話

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今日から夏休みです

2021-07-21
夏休みの朝の時間本堂の戸を開けています(2021.7.21.6:00)
 今日から小中高校の夏休みです。

 昨日MYさんから
「今年は朝の体操どうしますか?」と聞かれて
昨日が一学期の終業式で夏休みなんだと思ったことです。

 一昨年まで3年間夏休みの間
お朝事の前に子どもたちにも呼びかけてということで
梵鐘を撞いてラジオ体操をしていましたが
今年も去年に続いてお休みします。

 コロナ禍で普段の日常生活に戻らないままに
夏休みに入ってと中々気持ちが弾みません。

 23日のオリンピック開幕を前に
今日から競技が先行して始まるということです。
 テレビ欄は朝から夜までオリンピック中継があり
これから連日オリンピック観戦が続きます。
 
 オリンピックが開幕すれば
空気も随分変わると思いますが
今回の五輪は開幕直前までいろんなことが起こり
今もコロナ禍の五輪開催に反対中止の声が止みません。

 何のためのオリンピックか
その開催意義が問われる五輪になりました。

 近代オリンピックの父クーベルタンは
「オリンピックは参加することに意義がある」
との言葉をのこしました。

 スポーツを通じて世界中のいろんな国から
選手関係者が多く参加する大会です。
 国や民族、言語も生活ぶりも競技の実力も
全く異なる選手たちが一堂に集まることの意義です。

 日本で東京開催の57年ぶりのオリンピックです。
今やオリンピックはアスリートだけの大会ではなく
世界の市場経済の中の一大イベントになって
それぞれの国や関係者の思惑も様々ですが
コロナという不規則事態で思い描いたことが吹き飛んで
これまでにない変則的な大会になったということです。

 コロナ禍での開催意義を共有することなく
どんな形でも東京五輪を開催することを目的に
延期決定からの一年半迷走しながらやってきたことです。

 東京開催が決まった7年前からですから
多くの時間とヒトモノカネをかけて準備をしてきた関係者
そして競技をする選手の皆さんの気持ちを思えば
五輪開催に固執することは分からないでもありません。
 これまで中止だ反対だと言っていた人たちも
競技が始まればテレビ観戦して応援することでしょう。

 大事なことは何をするにしても
その意義意味は当然あるし問われることです。

 この命を生きるということも
何のために生きるのかという根本的な問いです。

 生きるということについて
私たちの生き方生活ぶりはみんなそれぞれ違います。

 自分一人が生きている社会ではなく
社会をみんなが共に生きているという事実に向き合って
何のためにいかに生きるかということです。

 この人生の根源的な問いに答えてくれるのが
宗教であり私たちにとってはお念仏のみ教えです。

 今年も朝のラジオ体操はしませんが
夏休みの期間梵鐘を撞く6時からお朝事の時間まで
本堂の戸を広く開けます。

 この時間だけではありませんが
ご縁の皆さんが本堂の阿弥陀さまに向いて手を合わせ
南無阿弥陀仏とお念仏申してくれたらと思います。

 何のために生きるのか。
お念仏を申して生きるという
南無阿弥陀仏のお心を聞かせていただきます。

 日々の生活です。
今日も一日いろんなことがありますが
お念仏を申して阿弥陀さまの大きなお慈悲のなかに
共々に生かされて生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.7.21)

「後世をしるを智者とすといえり」

2021-07-20
 今日の御文章さま『八万の法蔵章』に
「後世をしるを智者とすといえり」とありました。

 後世とは後生ともいい
この一生が終わった後の世のことで
後生に対してこの世は今生
そしてこの前の世を前生といいます。

 仏さまのみ教えは
今生この人間の世界は生死の迷いの世であって
過去世からずっと私たちは生まれては死にと
生死流転を繰り返してきているというのです。

 人間に生まれる前の世があったということは
この命終えてから後の世後生があるというのです。

 一方で「後世をしらざる人を愚者とす」
とあります。

 私たちはこの人間の世に生まれて
仏法に遇う尊いご縁をいただきながら
この生を終えて再び迷いの世界に生まれるか
浄土に往生して生死を超えるかという
何よりも大事な問題に全く心を寄せずに
空しく過ごすことでは
何のために人間に生まれてきたのかと
厳しく問われるところです。

 私たちは過去現在未来とずっと
迷いの世界を経巡っていくというのが仏さまの教えですが
生死の迷いを超える道を開いてくださるのも仏教なのです。

 生死の迷いを超えてさとりを開いて来いよと
仏さまの教えの通りに仏道を勧められるのです。

 ただ迷いを超えて来いと言われて
煩悩にまみれた自分の力では到底仏のさとりを開けない
私のことを見抜かれた阿弥陀さまは
凡夫の私が救われるすべての手立てを
南無阿弥陀仏に仕上げてくださったのです。

 今日明日と「南無阿弥陀仏をとなふれば」で始まる
現世利益和讃を拝読させていただきます。

「南無阿弥陀仏をとなふれば この世の利益きはもなし
   流転輪廻のつみきえて 定業中夭のぞこりぬ」
(南無阿弥陀仏を称える身になると
 この世で得る利益は果てしない
 迷いの世界を生まれ変り死に変りし続ける罪も消え
 寿命に限りがあることや
 その途中で死んでしまうという恐れも断ち切られる)
とご和讃です。

 お念仏のご利益は商売繁盛病気治癒といった以上の
ご利益であり生死の迷いを超えて命終のときに
阿弥陀さまのお浄土に生まれて
さとりの仏になるというのです。

 阿弥陀さまの本願念仏の救いの法に遇い
お念仏申す身にさせていただくことこそ
このたび人間の世界に生まれて来た意味だと
有難く聞かせていただきます。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.7.20)

ご法事の楽しみ

2021-07-19
 8月の盆月が近づいてお盆のお参りのご案内を
ご門徒皆さんにしました。
 この一年の間にご往生されたご門徒の方の初盆会は
毎年8月13日14日の二日間でお勤めし
お参りの順番と時間を決めてご案内します。

 あるお家から
「夕方のお参りになっていますが高齢者ばかりで
日中にしていただけませんか」と連絡がありました。

 円光寺では以前からずっと初盆のお家には
夕方から夜にかけてお参りする習わしがありました。
 親戚縁者の方が仏間に入りきれないようにお参りされ
食事を出すところもあってお酒も入って
大変賑やかな初盆会になります。

 今はコロナ禍ということもあり
とても考えられない光景ですが
これもまた仏さまのご縁の有難いところだと思います。

 皆さんご一堂に御仏前に座らせていただけるのです。
私たちが普段食事をする場所は居間ですが
少し前まではお客事があったり特別な日には
御仏前で食事をしていたのです。
 お法事のお斎(とき)を思い起こして
いただければよいと思います。

 昔の仏間は広くて大人数が入りました。
皆さんが多く集まれるスペースを作ってあったのです。
 今はお家の造りも変わって
仏間がないお家も多くなりお仏壇も段々小さくなりました。

 初盆会だけでなく時代時代で
ご法事の仏さまのご縁の形も変わって行きます。
 一方で形は変わってもご法事をお勤めするお心は
しっかりと受け止め伝えていかねばならないと思います。

 食事をしにご法事にお参りするのではありませんが
そういう楽しみもあっていいと思います。
 親戚とはいえ日頃のご縁が段々薄くなってまいりました。
「久しぶりやなあ」「どうしよんのかえ」と声をかけ合い
御仏前で懐かしい方々と会いお話をして
仏さまとご一緒に過ごすことができるる有難さです。

 何といってもお仏壇の仏さまを向いて
ご一同に南無阿弥陀仏とお念仏申しお礼ができる尊さ
それはそのまま先に往かれたご先祖有縁の方を
仏さまと仰いでいけるご縁とまた有難くいただきます。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.7.19)


コロナ禍でのオリンピックのおもてなし

2021-07-18
 昨日の夜地震があってびっくりしました。
少し強い揺れで震度4でした。

 本当に何があるか分からない何があってもおかしくない
無常の世に今まさに私たちは生きているということです。
 その時はさあどうしようと家族に声をかけ
テレビの地震速報を観て次のことを考えましたが
しばらくしたらサッカーの続きを観ている私でした。

 オリンピック開幕まであと5日です。
サッカー然りそしてプロ野球のオールスターゲームは
五輪出場選手の壮行会の様相でした。
 サッカーも野球もそして大相撲も観客を入れて連日盛況で
今日は白鵬・照ノ富士の千秋楽決戦で盛り上がります。

 そういうなかにあって五輪開催地の東京は
今も非常事態宣言下にあります。
 4日連続で感染者が千人を超えて
これからも右肩上がりに増え続けるという予想です。

 日本で東京でオリンピックがあるという雰囲気が
全く伝わってきません。
 海外から各国の選手団が
入国のピークにあるというニュースですが
羽田空港は大変なことになっているのでしょうね。

 コロナ対策が思うようにいかないままに
オリンピックを迎える現状は
対策は十分しているとのアナウンスも虚しく聞こえ
何が起こるか分からない大きな不安を抱えたままです。

 オリンピックは単なるアスリートの競技会ではありません。
バッハ会長が言うまでもなく
4年に一度の世界の平和の祭典です。
 国や民族、言語や性別など様々な違いを超えて
みんなが一つになろうということです。

 それはアスリートだけのことではなく
スポーツを通して人と人との交流がはかられ
相互に知り合い理解を深めるなかに生まれる
人類の永遠の福祉に貢献することです。

 開催国の日本各地で各国選手の事前キャンプが行われ
地域の方との交流がはかられて
まさに迎える側のおもてなしです。

 コロナ感染対策でキャンプ地の人との交流や
有観客での競技など
予定していたことができなくなり
おもてなしもままならないと思いますが
コロナ下だからこそのおもてなしもあると思います。

 キャンプ地での人との交流はもう何年も前から
始まっていることでもあり
コロナ禍でこれまでとは違ったおもてなしが
できているのではないでしょうか。

 今まで当たり前のように行われていた
五輪の形は変わっても
オリンピックの精神は変わりません。

 私たちのオリンピックを見る目はどうでしょうか。
一週間後は競技も始まって日本の金メダル第一号はとか
メダルをいくつ取ったとか
いつもと変わらず言っているんでしょうね。

 日本でオリンピックが開催されても
コロナ禍ということがあったとしても
私はいつものようにステイホームでテレビ観戦です。

 人それぞれの日々の生活
今日の一日です。
 この世界中にたくさんの人たちが
今共々に生きています。
 お念仏を申して生かされていることを思いつつ
今日の一日も生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.7.18)


教会というお寺

2021-07-17
 お寺というと皆さんはどういうところと
思っているでしょうか。

 仏さまがいらっしゃるところ
仏教のお話が聞けるところ
お経をあげお説教をするお坊さんがいるところ
そして信者の方がお参りするところ等々
様々だと思います。

 お寺というと仏教ですが
キリスト教では教会といい
イスラム教ではモスクといいます。

 教会という言い方に新鮮な響きを感じます。
教会とは同じ宗教の信者さんが
集うところということです。

 お寺というと浄土真宗は門徒といい余宗では檀家と
特定の人しかお参りできないところという感じも
あるのではないでしょうか。

 これからのお寺のあり方を考えるときに
これまで仏教やお寺にご縁のない方にとっては
教会という言い方の方が
お寺に対する先入観もなく新鮮に受け入れられるように
思ったりします。

 教えが中心の教会です。
教えに遇う場であり教えを聞く場です。
 私の生きる依りどころの教えです。
同じ教えに生きる人に会える教会です。

 私たちの教えは仏教浄土真宗
南無阿弥陀仏の本願念仏の教えです。
 お念仏のみ教えを私の生死の帰依処といただきます。
生きる依りどころであり死して帰るところです。

 アメリカにもたくさん浄土真宗のお寺がありますが
ブディストチャーチ仏教徒の教会と呼ばれます。

 単なる呼び名かもしれませんが
「教会に行こう!」「教会に行ってみ教えを聞こう!」と
声をかけ合ってお寺参りする皆さんの姿を
楽しく思い浮かべます。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.7.17)


円光寺
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大分県大分市三佐3丁目15番18号
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