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お念仏を申す生活法話

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ワンオペ法話会

2021-06-01
6月の誕生会のお花です。おあさじの会・円成会のお誕生日を迎える方3人に贈ります。
 6月に入りました。
6月は水無月といって水が無いと書きますが
今は既に梅雨の最中です。

 ここ数日ずっと晴天が続いて夏到来を思わせる暑さです。
お勤めをしていて汗が出てきます。
 今日は衣替えの日でもありますが
まだ冬の布袍のままです。

 先日「ワンオペ落語会」という新聞記事を読みました。
ワンオペというのはワンオペレーションの略で
一人で事業するという意味です。

 真打の実力をもつ落語家さんが日本全国各地を回って
落語会を開いているということです。
 年間の殆どが地方回りで定住する家を持たず
ホテルや旅館に点々と宿泊して動き回っているのです。

 落語会を一人で開いているということは
会場の確保準備から情宣実施に至るまで
全部一人でするというのです。

 コロナ禍で昨年来各地各種の行事イベントが
中止や延期になっています。
 お寺の法要行事もお休みすることが続いています。
何をなぜできないのかというと
大勢の人を対象に一か所に集めて行う催しものは
このコロナの時代では難しいということです。

 この毎日のお朝事はコロナの中も
お休みすることなくずっと毎朝定時に続けています。

 お寺のご縁は仏さまのご縁で
私たちに広く開かれたものであり
この私が仏法聴聞のご縁に遇って
お念仏申す身にさせていただくことが肝要です。

 何人集まったから
お念仏いただけるということではありません。
 ご講師を迎えてお参りの方がいてご法座の体裁ができて
お念仏いただけるということでもありません。

 コロナ禍で布教をされるご講師は大変です。
お寺のご法座がキャンセルになったり無くなったりで
生活の糧がなくなるのです。

 ご法座にたくさんの人が集まって
皆さんがお布施をはこんで
僧侶もそれぞれの役割で布施をさせていただいて
ずっと何百年も続いてきた私たちのご法座です。

 お念仏のみ教えを聞かせていただくことについては
お念仏のご縁はまさにワンオペではないかと思います。
 ワンオペ法話会とでもいいましょうか。
お釈迦さまに返るのです。

 お釈迦さまは35歳でお悟りを開かれて
80歳でお亡くなりになるまでずっと
インドの各地を遊行といって伝道の旅を続けられます。
 お釈迦さまは定住の家を持つことなく
その土地土地に寝泊まりをして
その土地の人に仏さまのみ教えを説かれて行かれたのです。

 お釈迦さまだからできたということです。
誰でもできることではありません。
 ただそのお釈迦さまのお心を訪ねていくとき
お念仏の先人の願いと長い間のご苦労があって
僧侶が定住しご門徒衆がお参りされる
聞法の道場たる今のお寺が出来上がったのですが
これからのお寺のあり方を見直す意味で
ワンオペ法話会は一つのヒントになりそうです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.6.1)


人間に生まれて仏法に遇ってお念仏申す身にさせていただきます

2021-05-31
 毎月31日の御文章は「大聖世尊章(だいしょうせそんしょう)」です。
一年に7回拝読させていただきます。
 大聖世尊とはお釈迦さまのことです。

「上は大聖世尊よりはじめて下は悪逆の提婆にいたるまで
 のがれがたきは無常なり
 しかればまれにも受けがたきは人身
 あいがたきは仏法なり」
(釈尊から五逆十悪の提婆にいたるまで
 逃れることができないのは無常のことわりです。
 私どもは受けがたい人間界に生を受け
 聞きがたいみ仏の教えに遇うことができました)と
無常の世に生きる私たちに
仏法に遇うことを勧められるのです。

 提婆(だいば)はお釈迦さまの従兄ですが
国の王子阿闍世(あじゃせ)をそそのかして
父を殺させ母を牢獄に閉じ込めるのです。
 悲嘆に暮れる母の韋提希(いだいけ)
お釈迦さまに救いの法を請われて説かれたのが
後に『観無量寿経』というお経さまとなり
凡夫が救われていく阿弥陀さまのお浄土なのです。

 御文章で蓮如上人は
無常のこの世にあってすべてのものは刻一刻と変わり行き
命あるものは必ず死にいたり
盛んなものも最後には衰えてしまうのが世のならいなのに
仏法に遇うことなくむなしく日々を過ごしているのは
嘆かわしいと書述され
お念仏のお救いの法に遇ってほしいと
言葉を重ねて述べられるのです。

 私たちが人間に生まれたわけは
仏法に遇ってお念仏を申す身にさせていただくためですと
お釈迦さまが仏教を説き親鸞聖人がお念仏をお勧めです。

 阿弥陀さまのお救いを
摂取の光益とも不捨の誓益ともいい
「まかせよ救う」の南無阿弥陀仏のおはたらきに
まかせた者を
そのままお慈悲の光明のなかにおさめとって
決して捨てないというのです。
  
 朝から太陽の光が本堂いっぱいに差し込んで
私たちを明るく照らしてくださっています。
お慈悲の光明いっぱいあふれるなかを今日も一日
お念仏申して共々に生かされて生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.5.31)


私たちの終活は宗教活動の宗活です

2021-05-30
 終活です。
人生の終わりに臨んで死と向き合い
最後まで自分らしい人生を送るための準備で
終末医療のことや財産分与
そして葬儀やお墓のあり方などについてです。

 70歳過ぎの団塊の世代の方のお話です。
団塊の世代は日本の高度成長期にあって懸命に働いてきて
定年を迎えこれからのことを考えるとき
自分の葬儀やお墓のあり方が気になるといいます。

 自分が喪主になり父母を送った経験から
葬儀の大変さを身をもって知っているというのです。
 少し前の話ですが大人数のお葬式が一般的でした。
現役の喪主の仕事関係のお参りが多く出費も大変で
大切な家族と別れを惜しむことが
ままならなかったといいます。

 そこで自分の葬儀は子どもに迷惑をかけたくないと
とにかく安くて簡素なお葬儀ということで
家族葬という葬儀がこの十数年一気に多くなりました。

 自分の葬儀は何でも自分で決めたら
遺った者も困らないだろうという配慮でしょう。
 しかし故人の遺言通りに葬儀を行うお家もありますが
実際に葬儀をするのは亡くなった方ではなく
後に遺った者ですから喪主遺族の思いもあって
遺言通りにいくかわかりません。

 終活のカウンセラーのお話です。
私の葬儀はこうしてほしいと常々家族に話をしておくこと
でも最終的には遺った者におかませするぐらいの気持ちで
終活を進めたらいいですよというアドバイスです。

 人一人の一回きりの葬儀で
これまでにも色んなケースがあって
後から何でこんなことをしたのか
こうすればよかったと後悔することもあるそうです。

 散骨については
海に散骨した後で故人をどう偲ぶ弔っていくのか
お墓参りや仏壇に手を合わすこともかなわず
どこにお参りしてどこに手を合わせたらいいのか
という話です。

 長野から就職で東京の会社で働いて定年を迎えた方が
子どもは東京で生まれ育ったので長野に墓をしまって
東京の近くにお墓を求めたら子や孫もお参りしやすくて
いいだろうと子どもに相談したそうです。
 ところが子どもは
「ぼくたちは東京で生まれ育って古里がないから
お墓のある長野を古里にしてお墓参りに帰るよ」と
言ってくれたそうです。
 子どもは子どもで
考えてくれているんですね。

 夫婦で宗教が違うというケースです。
夫は仏教で妻はキリスト教です。
 妻が「あなたのお葬式はキリスト教でしてもいいね」
と聞いたそうです。
 自分の思いはあっても葬儀は喪主が勤めるのですから
「あなたがそうしたいならそれでいいよ」と
夫は答えたいいます。
 そして「でもどっちが先に逝くかわからないので
あなたのお葬式は仏教でいいね」と付け加えたという
ちょっと微笑ましい夫婦の会話ですが
中々話しづらいことですが
日頃から話しておくことが大切です。

 そして私たちの終活は
宗教活動の宗活ということです。
 阿弥陀さまのお念仏のみ教えに
聞かせていただくことが肝要です。

 終活は死んだらどうなるのかというテーマで
死に向き合うことで実は今をいかに生きるかという
生死の大きな根本問題なのです。

 誰もが生死するという私の問題ですが
他人事のようにしっかり向き合うことがなく
まだ先の話といってこの身の上にその時が必ず来ます。

 仏法に遇わせていただくことは
生死の私の問題をお念仏のみ教えに
聞かせていただくことなのです。

 「必ず救うまかせよ」の南無阿弥陀仏のお救いの法に
私の生死をまかせてお念仏申す身にさせていただきます。
 お念仏申す人生を歩み命終わる時にそのまま
阿弥陀さまのお浄土に生まれて仏に成り
この世に還って来て
人々を救う南無阿弥陀仏のおはたらきをさせていただくのです。

 阿弥陀さまの大きなおはたらきの中に
あなたも私も先に往かれた方も共につながっていることを
今こここの私が聞かせていただくなかに安心して
お念仏申して今日一日も生かされていきてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.5.30)


私たちは南無阿弥陀仏のご法義につながった念仏家族です

2021-05-29
 5年前の書籍を読み返しています。
葬儀法事やお墓のあり方に関することですが
家族の形態が急速に変わって
仏事のあり方も従来通りのことでは
考えられないという指摘です。

 若い世代に「誰が家族か」と尋ねると
祖父祖母は「家族」ではないと答えるといいます。
 つまり祖父祖母はおじやおばと同じ
「親族」という関係で捉えているというのです。

 皆さんはどう思われますか。
祖父祖母は家族ですか?親族ですか?

 今の家族の実態を象徴することだと思います。
祖父祖母と一緒に暮らしていないのです。
 祖父祖母は父母の実家に居て
孫はお盆や正月に行くところなのです。

 日頃の生活の中でのつながりがないなかで
おじやおばと同じ親族という見方になる
ということでしょうか。

 おじやおばに似た関係であれば
葬儀に行くだろうか
墓参りに行くことはどうだろうかと
考えさせられます。

 その結果亡くなった大切な方を
忘却するスピードが速まって
葬儀には参列しても墓を建てる守るという意識も
自然と希薄になるというのです。

 今まで当たり前だった葬儀やお墓のあり方が
若い人の感覚では急速になくなっていってるといいます。

 葬儀の現状を見ても今は特にコロナ禍で
家族だけの小規模な葬儀になって
孫ばかりでなく遠方の子どもも
親の葬儀に帰ることは殆どありません。

 法事には孫の姿は見えません。
祖父母が元気な時は盆や正月に帰っても
葬儀や法事には「もう帰らなくていいよ」と
親が言うんでしょうか。

 家族の形態はこれからも変わっていくといいます。
4年前の若い人の家族の見方が
私たちにも広がってきているのかもしれません。
 血縁地縁という濃い人と人とのつながりが
ますます希薄になってきています。

 葬儀法事のあり方が変わりお寺のあり方が変わります。
ここはお寺が変わるチャンスと受け止めて
お寺からこれからの葬儀のあり方や納骨事業の提案を
していきたいと思います。

 私たちは南無阿弥陀仏のご法義につながった
念仏家族です。

 今日の御和讃に
「超日月光この身には 念仏三昧をしへしむ
 十方の如来は衆生を 一子のごとく憐念す」
(超日月光が私に他力の念仏をお教えになった
 すべての世界の仏がたはあらゆるものを
 ひとり子のようにお哀れみになる)と
仏さまは私たち一人一人をひとり子のように
思ってくださるといただきます。

 お念仏のご縁つながりのなかに
私たちはお互いに生かされ支え合って生きている
念仏家族で安心です。

 これからは祖父母の家と親の家と子の家が別々で
生活もそれぞれ違うということも珍しくなくなります。

 家族の形態は違っても
それぞれのお家の事情にあわせて
お念仏のみ教えをいかに伝えていくのか。
 変わっていかねばならない
これからのお寺の大きな課題です。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.5.29)


凡夫の身をそのままお念仏申す身にしてくださる

2021-05-28
 
 3年後の2024年から学校の教科書が
デジタル教科書になるそうです。
 デジタル教科書は紙と同じ内容をデータ化し
パソコンやタブレット端末で利用するものです。

 紙の教科書が当たり前だった私たちの世代にして
今の学校現場は想像を絶するものがあるようです。

 小さい頃からネット社会で育ってきた
若い世代の人にとっては
逆に紙媒体の旧来のあり方が機能的でなく
使いにくく生きにくい社会に映るのでしょう。

 昨日思い立って過去のいろんな資料を
ほんの一部ですが整理しました。
 断捨離です。
資料といって紙の山です。
殆どが何年もそのままにして
見ることがなかったものばかりです。

 個人的な資料のファイルも沢山あって
これは個人情報としてしばらく取っておくとして
お寺関係の月刊誌新聞などがそのまま
埃をかぶって取ってありました。

 紙媒体の最たるもので
公的なものはすべてデジタル化されて
パソコンやスマホで必要な情報は
すぐさま手に入る仕組みになっています。

 日常的に無用の長物です。
それをこれまで大事に取っておくといって
置き場所も要るし邪魔になるばかりです。

 ただ紙媒体で育った人間にとって
そうしたものが自分の生活の範囲内にあるだけで
何か安心できたのです。

 ゴミに出します。
いくつもの紙の把ができました。

 結局は身近に取っておいて読むこともなく
どんなに自分が大事にしていたものも
最終的には捨てられていくのです。
 命終わって持っていくものは
何一つないのです。

 少し整理ができてちょっとすっきりしました。

 さてこの身のことはどうでしょうか。
これまでの人生の歩みのなかで
色んな垢や埃がしっかり染みついた
煩悩具足の凡夫の身です。
 すっきりするどころか
いつも何かモヤモヤしたものを抱えています。

 昨日今日と二日続けて
「南無阿弥陀仏をとなふれば」で始まる
現世利益和讃を拝読させていただきました。

 自分の思い通りにいかない
凡夫の身を生きる私を目あてに
阿弥陀さまは「そのまま救うまかせよ」と喚んでくださり
凡夫の身そのままをお念仏申す身にしてくださる
南無阿弥陀仏のおはたらきです。

 お念仏一つで救われる浄土真宗のご法義です。
阿弥陀さまの方で私が救われるすべての手立てを
南無阿弥陀仏と成就して
お念仏申す身に始末してくださるのです。

 お念仏申して今日の一日もお浄土への人生を
生かされて生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.5.28)

円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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