先人のご苦労があって
2021-12-08
門徒報恩講で昨日一昨日と4区遠見地区の
お参りをさせていただきました。
寒くなるこの時期2軒のお家で
海苔の製造で忙しかったことのお話を聞きました。
昭和20年30年代の頃です。
冷たい海に入って海藻類をつんで
板状の海苔を製造します。
三佐の沖の海苔は特別美味しいという評判で
ご門徒から海苔をもらって火鉢であぶって
いただいた焼きのりを思い出します。
この時期に寒ければ寒いほど
海苔の出来は良いといわれ
男衆は海に漁に出て主に女衆の仕事で
大変な重労働だったといいます。
私のちょっと上の世代の当時の娘さんのお話です。
この寒い時期に海苔の製造を手伝わされるのが苦痛で
今から思い出しても嫌だったということです。
今は養殖技術や機械化が進んで結構な収入源ですが
当時は手作業が主で効率も生産性も悪く
何でこんなしんどいことをしてという
思いで見ていたのでしょう。
沖の海苔製造も昭和30年代半ばからの
大分市新産業都市計画の工場誘致で
遠浅の海岸が埋め立てられ
出来なくなりました。
昨日御仏前でそんな話ができることを
有難く思いました。
そうした先人の大変なご苦労があって
今の私たちの生活があることを思ったからです。
御仏前に共々に座ってご一緒にお勤めができ
この口からお念仏が出てくださることの有難さです。
ご先祖有縁の先人もまた
ご本尊の阿弥陀さまにお礼をして
日々の生活に勤しまれていたことを思い起こします。
先人のご苦労が私たちのいのちとなり
お念仏の声を届けてくださって
子や孫の次の世代にお念仏の声が伝えられていく
南無阿弥陀仏のおはたらきの尊さを思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.12.8)

「さあ帰るぞ」
2021-12-07
昨日お葬儀がありまして
お葬式の後に火葬に行かれますが
火葬の後直接お寺にお遺骨を持たれお参りされて
還骨のお勤めをいたします。
昨日のご縁のお方は12月3日にご往生されて
昨日のお葬式が4日目になります。
お遺族の方はお疲れがでてきます。
お通夜お葬式と弔問の方の接待もあり
しっかりしないとと気が張っているというものの
火葬が済み還骨のおつとめに来られる頃が
お疲れのピークではないかと思います。
それでなるべく早め早めにと配慮しますが
昨日は6時前から少し長めのお勤めになりました。
皆さん初めてお寺の本堂にお参りされる方ばかりで
それぞれにしばらく本堂の中を珍しそうに見ていましたが
「さあ帰るぞ」と喪主の方が皆さんに声をかけました。
「さあ帰るぞ」とお家に帰るのです。
そこにいた方に「さあ帰るぞ」と言ったそのまんまが
しっかり胸に抱いた奥さんのお遺骨です。
「さあ帰るぞ」と懐かしいお家に
お遺骨となって皆さん一緒に帰るのです。
帰る家があるということです。
帰る家がある安心です。
大切なお方とお別れする悲しいご縁です。
大切な方がいなくなるこれからの生活です。
つらいですね。
寂しいですね。
悲しいご縁ですが
そのまま仏さまのご縁といただきます。
先に往かれた仏さまとご一緒にお念仏の世界を
これからも共に生かされて生きて往けると
南無阿弥陀仏のおはたらきに聞かせていただきます。
懐かしいお姿に会うことはかないません。
懐かしい声を聞くことはできません。
この目に見えるお姿はお遺骨ですが
南無阿弥陀仏の声の仏さまとなって
確かに確かに私のところに還ってみえて
私を護り救うおはたらきをしてくださるのです。
南無阿弥陀仏の阿弥陀さまのお救いです。
南無阿弥陀仏とお念仏申す中に
「必ず救うまかせよ」のおはたらきを
聞かせていただきましょう。
先に往かれた方もお浄土ならば
後に遺った私たちも同じ
お浄土に生まれさせていただいて
再び会うことができるとお経さまにあります。
人生の旅を終えて「さあ帰るぞ」と
南無阿弥陀仏のおはたらきで懐かしい方々が待つ
お浄土に帰らせていただきます。
今日一日もお念仏申して
お浄土への人生を共々にさせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.12.7)

「人間は生きたように死んでいく」
2021-12-06
昨日今日とお葬式が続きます。
二件とも初めてのご縁のお家です。
お通夜お葬式のあり方が
コロナで変わってきたというお話です。
コロナでというより
もう少し前から実は変わっています。
今は家族葬でといわれるところが多くなりました。
ただ家族葬といってもその定義はそれぞれ違って
一般の方もお参りされている家族葬もあります。
コロナ下では一般の方はお焼香を済ませて帰られる
新しい葬儀のあり方がお目見えして
私たち僧侶がお勤めする時には
本当に家族だけの葬儀が多くなりました。
昨日のお通夜はたくさんの方がお参りでした。
お亡くなりになられた方が70代前半の方で
交友関係も現役でつながりが広く
別れを惜しむ方がたくさんいらっしゃるということです。
「人間は生きたように死んでいく」といわれます。
私たちは死んだらお終いの
むなしいいのちを生きているのではありません。
人と人との別れはあります。
愛するものと別離するという
愛別離苦の思い通りにならない悲しいご縁ですが
仏さまのみ教えを聞かせていただくと
南無阿弥陀仏のお念仏のおはたらきで
どんな人も阿弥陀さまのお浄土に生まれて仏と成り
私たちの迷いのこの世に
南無阿弥陀仏のお念仏の声の仏さまとなって
還って来るといいます。
お通夜でご法話をさせていただきます。
初めて仏さまのお話を聞く方が殆どだと思います。
まさに命がけで仏さまのご縁に遇ってくれよと
先に往かれた仏さまのおはたらきといただきます。
悲しいご縁ですが
そのまま仏さまのご縁といただける有難さです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.12.6)

「がんばりながら、がんばらない」
2021-12-05
今日は『御堂さん』今月12月号から
お話を紹介します。
長野県諏訪中央病院の鎌田実先生の文章です。
たくさん本も書かれて読まれた方も多い有名な先生です。
そのまま読みます。
貧しい中で育ったため、生きていくには
がんばらなければならないと思ってきました。
医師になってからも、よく患者さんに
「がんばりましょう」と声をかけました。
いつしか、口癖のようになっていました。
いつものように
40代の末期がんの患者さんに声をかけて
病室を出ようとした時のことです。
患者さんが突然、涙を浮かべました。
「先生、もうこれ以上がんばれません」
ぼくはハッと気が付きました。
どんな人でも、がんばれなくなるときがあります。
がんばりたいのに、がんばれないと感じた時
絶望を感じるのです。
それ以来、ぼくは、患者さんや被災者など
困難に立ち向かっている人に
「がんばれ」という言葉は使わないようになりました。
諏訪中央病院のロビーには
「がんばらない」という書が掛けられています。
障がいを乗り越えて生き抜くために
だれよりもがんばってきた女性が書いたものです。
彼女は、がんばるだけでは長続きしないことを
よく知っていたのでしょう。
時どきがんばらない自分を認めてあげるからこそ
また次にがんばることができるのです。
(中略)
うまく力を抜き、心を整えることが大事です。
「がんばらない時間」と「がんばる時間」を
行ったり来たりしながら
ちょうどいい塩梅を探っています。
この文章のテーマは
「がんばりながら、がんばらない」です。
私たちの阿弥陀さまのお救いです。
阿弥陀さまは「われにまかせよ必ず救う」と
南無阿弥陀仏とおはたらきです。
「われ阿弥陀にまかせよ」と聞いて
そのお心をどう受けとめられますか。
「私阿弥陀はあなたのいのちを
そのまま丸ごと引き受けたからね。
そんなにがんばらなくてもいいんだよ」
と聞かせていただきます。
何もがんばらなくてもいいと聞くのではありません。
私たちは頑張って生きているのです。
生きていること自体が実は頑張っているのです。
でも頑張れないんです。
頑張れなくなるのです。
頑張ろうと生きるなかに
頑張れない自分を見させてくださるのです。
高校の時の英語の先生の話です。
授業で「スタディ ハード」頑張って勉強しなさいと
大きな声で言った後に
小さな声で「ア リトル」ちょっとねと
言葉を添えて言うのです。
英語が得意でなかった私には
何かちょっと救われるような思いがしました。
ちょっとねと
一生懸命頑張れればいいのですが
そんなにいつも頑張れません。
頑張りながら、頑張らない。
いつも私のことを心配して見守ってくださる
阿弥陀さまの大きなお慈悲の中で
私にできる精いっぱいのことを頑張って
ちょっとだけさせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.12.5)

「よかったですね」
2021-12-04
昨日は臨終勤行(枕経)のご縁で
ご自宅のお家にお参りしました。
今は病院施設から直接葬儀社にご遺体をおはこびして
葬儀社で臨終勤行をお勤めすることが多いのですが
昨日はご自宅のご縁でした。
初めてのご縁の方です。
ベッドに寝たままのお姿で
お寺からご本尊の阿弥陀さまの御絵像をお供して
お勤めをしました。
急に重い病気に罹りお医者さんから余命宣告され
入院していた病院から自宅に連れて帰り
お家で最期を看取る緩和療養をされていたと
お聞きしました。
家族皆さんが生活する居間のベッドで
20日余り日暮らしされたということです。
お勤めの間に電車が2回
ご自宅の前の線路を通って
電車の音が聞こえてきました。
故郷から大分に出られて来て
お家を建てられ家族一緒の生活でしたが
最初は線路のすぐそばで
電車の音が気になったといいます。
ベッドで病床に臥して
自分の思うことができなくなるなかで
食べるもの飲むものも受けつけなくなり
命終える時を迎えるということですが
日々の生活の中で
いつもの電車の音が聞こえてくるのです。
生活の中の音です。
生きていることの実感です。
何もできない歯がゆい思いいっぱいだったでしょうが
そこにいつもの電車の音が聞こえてくるということ
家に帰ってこられて20日余り
家に帰って顔色がよくなったといわれます。
病状がよくなったのではありません。
安心したんですね。
お家で家族と共に日暮らしするということ
家族の声が聞こえてきます
いつもの家族の生活ぶりが見えるのです。
ままならない身のままに
家族と生活を共にできる安らぎです。
「こんなに永く生きてくれるとは思いませんでした」と
言われて「よかったですね」とつい言葉に出ました。
大切なお方とお別れするのに
よかったということではありませんが
「よかったですね」とすっと出ました。
頷かれていました。
私たちのこの人生
命終わる時が必ずやって来ます。
我が身のことです。
どんな命の終わり方かわかりません。
病気で事故で突然ということかもしれません。
長生きして百歳を迎えてかもしれません。
若い時かもしれません。
誰もわかりません。
お念仏を申して生きる有難さを思います。
周りのご縁の方々のお念仏の声を聞いて
お念仏を申す身にさせていただきました。
南無阿弥陀仏とお念仏申すところに
南無阿弥陀仏の声が聞こえてきます。
「われにまかせよ必ず救う」の阿弥陀さまのお喚び声です。
南無阿弥陀仏の声の仏さまのおはたらきで
私たちはどんな人も等しく
阿弥陀さまのお浄土への人生を生き抜かせていただき
命終わる時そのままお浄土に往生して
仏さまに成らせていただけるのです。
今朝も6時に梵鐘を撞きました。
梵鐘の音です。
お寺の近くのご門徒の方が
お亡くなりになることが続きます。
病院からお家に帰られて終末期の生活です。
朝夕お寺の梵鐘の音が聞こえてきたと思います
どのように聞かれたでしょうか。
諸行無常の世にあってお寺の梵鐘は
真実まことの南無阿弥陀仏の音声です。
日々の生活の中の鐘の音であり
命終えてこれからもずっと南無阿弥陀仏の声と
聞かれていかれたのではないでしょうか。
重い沈黙を破るのは声です音です。
暗い闇を破るのは光です。
光と声になった阿弥陀さまのお慈悲のおはたらきです。
南無阿弥陀仏とお念仏を申すなかに
「必ず救うまかせよ」の阿弥陀さまのお喚び声を
聞かせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.12.4)
