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お念仏を申す生活法話

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大切な方のお遺骨が私に語りかけること

2021-06-15
 最近二件お墓に関する同じようなご相談を受けました。
お遺骨を納骨するお墓は「〇○家の墓」が一般的です。
 お家のお墓に事情があってお家から出た方のお遺骨を
納骨してもいいですかというご相談です。

 元々はそのお家とご縁のあった方で
ご縁のない方をお墓に入れるという話ではありません。

 後に遺ったご家族有縁の方々の思い
いろんなこだわり思いはからいです。
 一旦家を出た者がその家のお墓に入ると
いざこざが起きて後の者に悪いことがあると言われると
何かわかりやすいですが確証はありません。

 この墓は「〇○家の墓」であって
その家の者しか入れないというのです。

 ただお墓の事情がこれまでと大分違ってきてます。
お家の墓だけではなく個人墓やご夫婦の墓
そしてお友だち同士の墓とか
特に東京など都会の方では納骨堂が一般的になっています。

 お家のお墓の後を見る人がいないという
現実の問題もありますが
「子どもに迷惑をかけたくない」という親心が
お家の墓を閉まって自分たちの入る所を決め
子どもは自分たちでお墓を見つければいいというのです。

 今のお家のあり方に重なります。
親の家、子どもの家、孫の家とそれぞれです。
 自分たちの生活に合わせたお墓の選択です。
子や孫にとっては親のお墓は遠方になることもありますが
それはそれで参ってくれればいいということです。

 いつかお話したことです。
田舎から東京に出てきて就職し家庭をもたれた方が
故郷の先祖のお墓を閉まって
家の近くに新たにお墓を求めようと子どもに相談したら
東京で生まれ育った子どもから
父さん母さんじいちゃんばあちゃんのお墓がある所が
自分たちの故郷でお墓参りに帰れる所と言ってもらって
故郷のお墓を子どもたちに守ってもらうことにした
というお話です。

 お墓一つについても
いろんな見方がそれぞれ違うということです。
 こうしなさいこうしないといけないというのではなく
それぞれのお家のご事情をよく聞いて
お寺でご相談させていただきたいと思います。

 私の遺骨の行方です。
後のことは後の人が決めることですが
後の人が困らないように元気なうちに話して
相談しておくことです。

 お墓に納骨した後でお遺骨を取り出して見る人は
殆どいないと思いますが
たまにはお遺骨を開けて見るといいといいます。

 この目に見て大切な方を偲ぶなかで
お遺骨が語ってくれるといいます。
 身近なところでいうとお父さんお母さんでしょうか
「おまえどうしとるか?」と
お遺骨になっても私のことを心配してくださる有難さです。

 南無阿弥陀仏とお念仏申して御礼をさせていただきます。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.6.15)


歳を重ねてこれまで見えなかった景色が見えてくる楽しみです

2021-06-14
親鸞聖人御尊像とヤマボウシのお花です(2021.6.14.6:00)
 昨日25回忌のご法事のご縁をいただきました。
平成9年に往生された方のご縁です。

 ご法事は先に往かれた大切な方を偲ぶご縁ですが
私が歩んできた人生を振り返るご縁でもあります。

 平成9年当時の私の人生を思い起こします。
平成9年は私にとって大きな節目の年になりました。
 前の年の平成8年の大晦日に父が体調を崩して急遽入院し
父がしていた法務を
一切私が引き受けるようになったのです。

 当時私は本願寺別府別院の大分教区教務所に
12年間奉職していましたが
平成9年3月末で退職して寺に帰り法務を手伝って
住職継職に向けて準備を進めるようになっていました。

 月参りはずっと私がお勤めしていましたが
お寺の法要行事から葬儀法事まで
全て私が勤めることになって
一遍に私の生活が変わってしまったのです。
 1月9日には叔母が亡くなり私が初めて
葬儀の導師を勤めることになりました。
 
 親の25回忌33回忌のご法事は
子どもが親の亡くなった歳にほぼなるというご縁です。

 いろんなことを思います。
当時私は45歳でお寺の法務だけでなく
お寺関係の活動を幅広く忙しくやっていました。
 とても自信家で
お寺のことでいったら私だったらこうすると
思い上がりも甚だしかったですね。

 お寺のことを全て私にまかせてもらえることで
自分の思い通りのことはある程度できました。
 今思えばどんなことも私が一人でやったことではなく
ご門徒有縁皆さんのお力添えがあってのことでした。
 周りの家族にもたくさん迷惑をかけることが
多々あったことだと思います。

 これまでの人生を振り返って
良かった悪かったという見方ではありません。
ましてや「たられば」の話でもありません。

 有縁の方々と出会いと別れを繰り返し
お念仏を申すなかに今の私があるということです。
 そしてこれからです。

 歳をとりました。実感です。
若い頃は二つも三つも同時にできていたようなことが
今は一つ一つです。
 取り掛かりも遅くなり
一つ済んで次の一つといった調子です。

 一年半後には住職継職をいたします。
新院に住職をバトンタッチします。

 24年前の父の心境を勝手に思い浮かべながら
歳を取ったら取っただけ
その人人のお役目があるのかなと思ったりします。

 その当時見えなかったことが見えてくる
聞こえなかったことが聞こえてくると
お念仏のご法義を聞かせていただきます。

 そういう意味ではこれからも楽しみです。
どんな景色が見えてくるのかどんな声が聞こえてくるのか
お念仏申して私にできる精いっぱいのことを
させていただこうと思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.6.14)


南無阿弥陀仏の根っこにつながって共に生きる

2021-06-13
 今日は仏教壮年会の例会で
朝早くから境内を掃除くださりありがとうございます。
 ちょうど雨があがってよかったです。

 いつもはこの後のミーティングでお話していますが
今月の法語カレンダーの言葉
「信心というのは 凡夫が 仏さまと同じ命を 
共有するという 出来事」についてお話します。

 何か新しい言葉の表現のように聞こえますが
浄土真宗のご法義を聞かせていただきます。

 私たちのいのちのあり方です。
私たちは人の世に生まれこの命を生きています。
 この命を私一人の命といただいて
隣の人の命と私の命は違うと受けとめていませんか。

 お念仏のみ教えを聞かせていただくと
私たちのいのちは根っこのところで
つながっているというのです。

 私という命の花をそれぞれが咲かせるといって
南無阿弥陀仏の同じ根っこにつながって
お念仏の花を咲かせるのです。

 この身は煩悩具足罪悪深重の凡夫と言われます。
極悪非道な行いをする人を見て思うことはあっても
自分自身にそんな自覚はありません。
 親鸞聖人は阿弥陀さまの真実の智慧の光明に
照らし出されたご自身を
煩悩具足罪悪深重の凡夫といただかれたのです。

 私が救われる種の一つも何も持ち合わせていない
凡夫の身を見抜かれて
阿弥陀さまは必ず救うというのです。
 凡夫の私にあれこれ注文して
救いの条件を付けるのではなく
阿弥陀さまの方で凡夫のこの私が救われる全ての手立てを
南無阿弥陀仏に成就してくださった教えなのです。

 お念仏申すところもうすでに
南無阿弥陀仏の大きないのちのお慈悲のおはたらきの中に
生かされてあるというのです。
 それは私一人だけのことではなく隣の人も隣の人も
みんな南無阿弥陀仏の大きないのちにつながってあると
聞かせていただきます。

 今の救いです。
凡夫の身そのままの救いです。
 悲しいことに私たちは凡夫の身を
生きていかねばなりません。
 欲しい欲しいと欲の心をおこします。
思いがかなわないと怒りの心が出てまいります。
どこまでも自分中心に生きて真実本当のことに気づかない
愚かな私であります。

 その凡夫の私が仏さまのご縁をいただいて
そのまま念仏申す身にお育ていただくのです。
 南無阿弥陀仏のおはたらき一つでこの世を生き抜き
人の命終えてそのまま阿弥陀さまのお浄土に生まれて
仏のいのちにさせていただくのです。

 南無阿弥陀仏のお心おはたらきを
そのまま聞かせていただきましょう。

 南無阿弥陀仏の根っこにつながって共に生きるお互いが
人の命終わってこれからもずっと
南無阿弥陀仏につながって生きていくと
聞かせていただきます。

 先に往かれた皆さんの大切なご先祖有縁の仏さまとも
共々につながって生かされて生きているのです。

 南無阿弥陀仏とお念仏申してくれよとのご催促です。
阿弥陀さまの方から「お願いだからわが名を称えておくれ
そのまま浄土に生まれさせ仏にさせる」と
南無阿弥陀仏と喚んでくださっているのです。

 南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりの中に
お念仏申して「まかせよ救う」の
お喚び声を聞かせていただき
「おまかせします阿弥陀さま」と
御礼をさせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.6.13)


「お願いだからわが名を称えておくれ」と阿弥陀さまのご催促です

2021-06-12
 今のコロナの時代を有事とか非常時と言われます。
菅首相は「国民の命と生活を守る」と繰り返し強調します。
 有事とは国民の命と生活の安心安全に事ある
非常な事態のことで最も深刻な例が戦争です。

 日常通常の生活が思い通りにならないことですが
この非常時に国民の生活を制限することにもなって
今は東京はじめ10都道府県が非常事態宣言下にあります。

 私一人だけの問題ではありません。
国民みんなが思い通りにならない
このたびのコロナ禍の生活です。

 私たちは人それぞれに思いをもって生きています。
自分の思いがかなったら幸せなのでしょうが
思い通りにいかなくて自分一人が不幸を背負い込むように
他を羨み憎み怒ることもあります。

 仏法はありのままの私を
そのまま見せてくださる教えの鏡です。

 私が私がとどこまでも自分を中心に
自分の思い通りに生きようと欲を張り
思いがかなわないと怒りの心を燃やし苦悩し迷う私を
仏さまは愚かな凡夫と見抜かれて放っておけず
すべてのものを分け隔てなく救うとご本願を建てられ
救いの手立てをすべて南無阿弥陀仏のお名号に成就されて
喚び通しに喚んでくださっていると聞かせていただきます。

 万徳施名のおはたらきが私に至り届いたすがたが信心で
私の口からお念仏が出てくださるのです。

 「お願いだからわが名を称えて聞いてくれよ」
とのご催促ですが
自分のことで生きることで精いっぱいの私は
阿弥陀さまに背を向けて頑張って生きています。

 頑張れば頑張るほど心を固く閉ざし
周りが一層見えなくなる私を見て取って
この仏さまは決して見捨てることなく
いよいよ寄り添い見守って共に生きてくださるのです。

 南無阿弥陀仏のお救いのおはたらきです。
「お願いだから南無阿弥陀仏とわが名を称えておくれ」と
お念仏申すところに「私がいるよ大丈夫だよ」と
阿弥陀さまがご一緒くださり
「あなたを必ず浄土に生まれさせ仏にさせる」と
おはたらきなのです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.6.12)


家族葬という葬儀の簡素化です

2021-06-11
 今日お葬儀のご縁をいただきます。
最近のお葬儀は決まって「家族葬です」と言われます。

 何をもって家族葬というのか
いろんな家族葬のあり方があって違います。
 家族だけの葬儀というなら
どこまでを家族というのでしょうか。

 昨日のお通夜もこの前のお葬儀も
人数的には30人ほどの方がお参りして
一般的な葬儀のようでした。

 多くのご親族がお参りでした。
親族も家族という範疇なのでしょう。
 家族葬には一般の近所の方やお友だちのお参りは
ご遠慮いただくということを聞きます。

 家族葬は内々の葬儀ということで
司会がないとか弔辞や喪主の挨拶がないとか
香典返しの御礼状や品がないとかなどなど
これまでの葬儀にあっていたものがないことが多く
それもそれぞれの家族葬で内容が異なります。

 家族葬といわれる葬儀の簡素化です。
必要最小限の内容でなるべく無駄を省くことで
葬儀社も低料金の葬儀を競って宣伝しています。

 私たち僧侶の目から見ても
数十年前の大人数の葬儀は必要ないものも多くあり
お弔問の方に気を使って
ご遺族のご心労もあった大きかったと思います。
 家族だけで大切な方と最期の時間を
ゆっくり過ごすことに異論はありません。

 葬儀の簡素化ということでいえば
今まで縁もゆかりもない葬儀社の斎場より
お家の御仏前で葬儀を行ったらどうでしょう。
お寺でのお葬儀もいいのではありませんか。

 日常の生活の場を通して
お通夜のご縁で最後の夜を家族一緒に過ごし
葬送のご縁でお念仏申してお浄土に送るという
浄土真宗の葬儀の流れ意味です。

 簡素化というなかで大事な葬儀の意味が忘れられて
家族葬という形にとらわれてしまっている
ような感じがします。

 私たち僧侶の責任を思います。
日頃から浄土真宗の葬儀の意義を話してきたでしょうか。
 仏事のことはお寺に聞いてくださいと言いますが
今は使い勝手のいいインターネットが重宝されて
お坊さんは相談しにくい存在になっているようです。

 昨日のお通夜で気になったのは司会がいないことで
合掌するタイミングが分からないように思いました。
 黒い礼服に身を整えた大人数の方々が
隣の人を横目で見ながら落ち着かない様子です。

 僧侶の導師に合わせたらいいことですが
合掌しても中々お念仏がでません。
 昨日はお勤めが終わって私の方から
「ご一緒にお念仏申しましょう」と言いましたが
お念仏の声は殆ど聞こえませんでした。
 日頃からお念仏が身についていることの有難さです。

 大切な方のお葬儀のご縁で合掌しお念仏申して
「大変お世話になりました。有難うございました」と
御礼ができるのです。
 そして私たちのご法義でいえば
南無阿弥陀仏とお念仏を申すところに
先にお浄土に往かれた方が仏さまとなって
還って来られるという教えです。

 南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりの中に
大切な方とお別れする悲しみのご縁ですが
そのまま仏さまのご縁といただける
私たちの浄土真宗の葬儀のご縁の有難さ尊さを思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.6.11)


円光寺
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