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お念仏を申す生活法話

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ご法事は先に往かれた仏さまが私のためにつくってくださったお念仏のご縁です

2021-06-26
小雨の中をひまわりの花がお朝事の皆さんをお出迎えです。(2021.6.26.6:00)
 今はコロナ禍で葬儀や法事のあり方が変わって
少人数のものになっています。
 葬儀や法事の簡素化です。
これはコロナ以前からも見られた傾向です。

 昔は20人30人という法事も多かったです。
大変な大ごとです。
 何カ月も前から親戚縁者への案内から始まり
何日も前からいろんな用意準備です。
 お家でお斎のお膳をつくって頃は
本当に大変だったお思います。
 法事が済んで寝込む程に
どっと疲れがでたのではないでしょうか。

 お斎も仕出し屋からお膳を取るようになって
肩の荷が下りたということですが
それでも部屋いっぱいに人が並びお酒を酌み交わし
いろんな話に花が咲くということでした。

 今はお斎をするといっても
外に食べに行くということになって
最近は「家族だけのお経だけ」の法事が多くなりました。

 「ご法事はどこまで案内したらいいんですか」と
質問されました。
 そのお家お家の日頃からの親族間のお付き合いの程度で
案内するかしないかを決めればいいことで
ここまで案内するという決まりはありません。

 ただちょっと思ったのは施主の立ち位置です。
ご法事をお勤めする中心の施主から見てのつながりか
それとも法事を迎える方のつながりかで
大分違ってくるのではないでしょうか。

 子どもが施主で親の法事をすると
子ども同士の兄弟姉妹は横並びの施主に準じます。
 ところが孫が施主で祖父母の法事になると
子どもの兄弟姉妹は施主の伯父叔母になって
関係は違ってきます。

 日頃の関係つながりが薄い今は
法事の時だけ特別に案内するということではなさそうです。

 法事を勤める意味は
先に往かれた方を偲ぶということです。
法事にお参りされた有縁の方々と一緒に偲ぶのです。
 こういう人だったとお互いに話をして
この世で会ったことがない子や孫に聞かせて教える
ご縁にもなるわけです。

 そしてご法事は何といっても
阿弥陀さまの救いのみ教えを聞かせていただくご縁です。
 日頃からお寺にお参りして聞けばいいということですが
これまで仏法に遇うことがなかった方にとって
ご法事は仏法に遇う絶好のチャンスなのです。

 先に往かれた方がこの私のためにつくってくださった
仏さまのご縁と聞かせていただくときに
先人はただものではない仏さまと仰いでいけるのです。

 日頃は中々合わない手が合わさり
南無阿弥陀仏とお念仏がこの口から出てくださって
仏さまにお礼を申させていただくのです。

 仏法に遇ってお念仏申す身にさせていただく
ご法事のご縁です。
 一人でも多くの方にご法事のご縁で
仏法に遇ってほしいと思って
ご法事の案内をさせていただくことが肝要です。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.6.26)


どんな命もみんなつながって生かされて生きているのです

2021-06-25
大分県内あじさい巡り第三弾です。奥別府志高湖です。(2021.6.25.13:00)
 東京都の小池知事が公務を離れて休養されるそうです。
コロナ禍で東京の感染状況が一向に収まらず
五輪を控えて課題が多く休む間もないなかで
東京都の都議会議員選挙が今日告示ということで
政治的な憶測も聞こえてきますが
可愛がっていたペットの猫が亡くなったことが
休養の引き金になったのではとの報道です。

 これまで幾多の難局を潜り抜けてきた小池さんにして
ペットの存在は家族のように
大きなものだったのでしょう。

 昨日わが家の中庭を猫がウロウロしていました。
ペットではありません。
 名前も知らないどこかの猫で
挙動不審なものはあっちに行けと追い払います。

 町中にクマが出て住民にけがを負わせて
駆除され殺されたといいます。
 人間にとって檻の外で自由に振る舞うクマは
害獣であり排除されます。

 来月7月の掲示伝道の言葉です。
「蚊も蟻も どんな命も 皆同じ 仏のいのちを 生きている」
と書かせていただきました。

 私たちの仏さま阿弥陀如来さまは
十方衆生を救うとおはたらきです。
 十方衆生といって
この私のことと聞かせていただきますが
人間だけを救うのではありません。
 十方衆生です。
ありとあらゆる世界の生きとし生けるものすべてです。

 夏の夜ビューンと飛んで来る蚊は嫌ですね。
追い払うばかりか狙いを定めてパチンと叩き殺します。
 小さな甘いものを見つけては群がるように
寄って来る蟻も嫌ですね。
 それこそ蚊も蟻も害虫で
駆除の対象です。

 どんな小さな生き物も大きなクマも人間も
みんな同じ仏さまの大きな願いの中にあるいのちですと
仏さまは教えてくださいます。
 そして人の命も蚊や蟻、クマや猫の命も
どんな命もみんなつながっているというのです。

 奈良時代に行基というお坊さんがいました。
全国を歩いてまわり人々に仏さまのみ教えを伝え
ため池をつくったり橋をかけたりと
社会事業をされた方ですが
「山鳥の ほろほろと鳴く 声聞けば
父かとぞ思ふ 母かとぞ思ふ」という歌を詠んでいます。

 旅の途中に山鳥の鳴く声を聞いて
父や母のように思う大らかな心持ちです。
 すべての命がつながって互いに支え合い
共に生かされて生きている大きな世界を想います。

 私たちが生きる現実社会は
仏さまからはどう見えるのでしょうかね。

 どこまでも自分中心のものの見方考え方で
生きることで精いっぱいで
周りのものを思いやる余裕もなく
自分の小さな世界に閉じこもって
真実まことのことが見えないままに悩み苦しみ迷っている
そんな私をご覧になって阿弥陀さまは
すべての命が互いに輝き合って共に生きる
大きな阿弥陀の世界に生まれて来いよと
南無阿弥陀仏と喚び通しにおはたらきなのです。

 阿弥陀さまのお心南無阿弥陀仏のおはたらきを
聞かせていただきましょう。

 お念仏申して今日の一日も小さな命の声に耳を澄ませ
大きないのちのつながりのなかに
共に生かされて生きてあることを思いつつ
お念仏の日暮らしをさせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.6.25)


立花隆さん

2021-06-24
中庭のソテツの上方に入道雲が出て夏の様相です。(2021.6.24.9:00)
 ジャーナリストの立花隆さんが4月30日に
亡くなっていたことが昨日報道されました。

 俳優の田村正和さんもそうでしたが
最近の著名人の葬儀はごく身近の家族だけで済ませ
随分経ってから公表することのようです。

 立花さんが一躍時の人になったのが
田中角栄元首相の金脈問題を公表した著書でした。
 田中内閣を退陣に追い込み
その後のロッキード事件も追及して有名になりました。

 それからも色んな分野の仕事を手掛けられ
次々に本を出版しては注目され続けられました。

 新聞の評伝に
「知の巨人」と言われた立花さんを
「何でも知っている人」というより
「何でも知りたがる人」と書かれてあったのが印象的です。

 好奇心の塊と言っていました。
すごい読書家で100冊本を読んで1冊本を書くというほどに
生涯3万冊読んで百冊の本を書いたといわれます。

 出版された著書は薄っぺらな単行本ではありません。
膨大な事実資料に基づき科学的な手法で書かれた厚い本で
私たちは中々手に取って読むことはできませんが
『宇宙からの帰還』ではアメリカの宇宙飛行士に取材して
宇宙から見た地球の視点で人類のいのちの起源を探り
『臨死体験』では自身ががんになり生死をさまよった
実体験を元に死に向き合うなかで書かれました。

 自身の死や葬儀について述べられています。
今の日本の火葬というあり方に異議があるといわれます。
 昔の土葬という埋葬に意味があったといいます。
土葬されて体が土にかえり命が循環するというのです。
 火葬されたら無機物にしかならないが
この命は死んでからも役に立つといいます。

 火葬されて後に遺る遺骨について
遺族が引き取らない時はどうするのかと取材したそうです。
 東京の場合は東京の衛生局が
遺骨を引き取ってくれるといいます。
その遺骨はゴミなのです。

 自身は樹木葬だったそうです。
火葬され遺骨になって土に葬るのです。
 土にかえるということでいえば
自分の思いを果たせたということでしょうか。

 立花さんご自身の臨死体験を聞きたいですね。
最後の最期どう命を終えていったのかです。
 今は筆を執ることはかないませんが
命終えていく中にも何か書かれていたのではと楽しみです。

 仏教は生死の問題の解決を教えます。
お釈迦さまが説かれた膨大な数のお経さまの中から
親鸞聖人は阿弥陀さまの本願念仏の救いを説かれた
『大無量寿経』を真実の教と示され
南無阿弥陀仏一つでどんな人も等しく救われる道を
明らかにしてくださいました。

 立花さんのように何冊も本を読んで知識を積み重ね
豊かな人生をおくることは
誰でもできることではありませんが
南無阿弥陀仏のお心を聞いて
お念仏を申す身にさせていただき
この人生を生き抜いて
命終わる時にそのままお浄土に生まれて仏に成るという
南無阿弥陀仏のいのちの循環つながりのなかに
お念仏申して豊かな一日をおくりたいと思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.6.24)


仏さまのお供えのお下がりをいただきます

2021-06-23
 ご門徒皆さんのお家にお参りしますと
お家それぞれのおもてなしがあります。

 今七日七日のご縁で毎週お参りしているお家では
バナナとミカンとお菓子をいただいて帰ります。
 昨日はお家の畑で取れたものということで
ジャガイモをいただきました。

 今は御布施というとお金のお包みですが
私が小さい頃はお金というより物でした。
 仏さまにお供えしたお下がりをいただくということで
代表的なものがお仏飯であり
お米で御布施が上がっていました。

 ご法事のお斎(とき)です。
仏さまのお下がりをお参りされたご縁の方が
一堂にいただく習わしです。

 すべてのものが仏さまの物と教えていただき
私たちの日々の食事もみんな仏さまからのいただきものと
先人はお仏飯に育てられたと伝えてくださるのです。

 実際は食卓にあるお米も野菜もお肉や魚もすべて
自分が働いた給料で買ったものですが
「いただきます」「ごちそうさま」と
食事にお礼ができる有難さ尊さを思います。

 仏さまの大きな願いに生かされた命そのものに
感謝していただくことであり
仏さまにお礼を申させていただくことなのです。

 自分中心のものの見方考え方では
私たちは私の物あなたの物と区別して見てしまいます。
 私の物に執着して私とあなたの関係が
ぎくしゃくすることにもなります。

 全てが仏さまの物といただいて
布施の心で広く施すなかに
互いに支え合い助け合って生きてきたのが
先人の生活ではなかったかと思います。

 今のようにものがなく食べることにも事欠く時に
互いに助け合い支え合う生活の中心にお寺の営みがあり
仏さまのお心が息づいていたのではないでしょうか。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.6.23)


お寺のご法座のセットメニューです

2021-06-22
 コロナ感染者が少し減ってはきていますが
まだまだ油断のならない状況が続きます。
 東京などに出されていた緊急事態宣言が
まん延防止に移行するということです。

 何がどう違うのかということで
飲食店の時短営業で緊急事態宣言時には
お酒を出していませんでしたが
お酒を出してもいいようにするといいます。

 お酒を出す出さないは
お店の売り上げに大きな影響を及ばすことです。
 ただお酒を出すことでお店に居る時間も長くなって
話す頻度が多くなりそれも大声で話したくなります。

 そこでお酒を出すにしても制限を加えて
東京都でしたら午後7時までお酒の提供ができますが
2人まで90分ということだそうです。

 これでお客が来てくれるかというと難しいですね。
そこでこのピンチをチャンスに変えるべく
大手のビール会社が経営する飲食店では
生ビール2杯までのセットメニューを売り出すそうです。

 面白い工夫だと思います。

 私の経験でいえば
京都に行って夕方新幹線で大分に帰るのに
ゆっくりご飯を食べる時間がない時
お店の晩酌セットを利用したことを思い出します。
 決められた小料理とお酒で手軽に短時間で飲むことができます。
少しお腹に入れて後は新幹線でビールでゆっくりということです。

 先ほどのセットメニューを利用した方のインタビューで
「これだったら早く家に帰れていい」と言っていました。
 家に帰ってと言うんだったら
家でゆっくり飲んだらと思いますが
やっぱりここは仕事帰りの一杯です。
 格別においしいものなのです。

 セットメニューでお寺のご法座を重ねて思います。
このお朝事のお勤めは30分のいつものセットです。
 決められたセットがいいのは
セットに合わせて皆さんの生活の段取りができるということです。

 お寺のご法座はこれまで通常2時間でしたが
少し長いということで今は1時間半が多くなりました。
 1時間半もどうかすると長く感じられます。
時間だけのことではなく内容の問題です。
 ご法座のセットメニューも皆さんの声も聞きながら
見直す今がチャンスだと思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.6.22)


円光寺
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