「仏はんが見てはるで!」
2024-12-19
大手銀行の女性行員が
業務を管理担当する貸金庫から
顧客からの預り金10数億円を盗んだことが
発覚したとのニュースです。
金額の大きさもあり
ちょっと想像つかない大胆な使い込み事件ですが
今までずっとバレなかった
ずさんな管理態勢に驚きます。
チェック機能は二重三重にあったと思いますが
何故どうしてという疑念が残ります。
単独犯です。
最終的な管理責任者ということで
一人で自由に使い込みができたのでしょうか。
何人何重ものチェック機能がはたらいていたら
この行員も犯罪に手を染めることには
ならなかったのではと思ったりもします。
預かったお金を一人管理する立場で
自分のものとしてしまったのでしょうか。
何年も前から何回もずっと犯行を繰り返すなかで
自分の財布から買い物をするような感覚になって
自分で自分がしていることの善悪が
わからなくなってしまったのでしょうか。
「仏はんが見てはるで!」と
誰も見ていないからと悪いことをしたり隠し事をしても
仏さまはすべてをちゃんと見ているということで
悪いことはしてはいけないという
先人の戒めの言葉と聞きます。
阿弥陀さまのご本願のお心です。
すべてのものを分け隔てなく必ず救うと
本願成就の南無阿弥陀仏のおはたらきの
仏さまになってくださいました。
どんな人も無条件にそのまま救うと
たとえ悪いことをした人でもということですが
悪事を許して救うというのではありません。
阿弥陀さまはこの私を
「仏かねてしろしめして煩悩具足の凡夫」と
縁がととのえばどんな悪いことでもしかねないと
見抜かれてそのまま救うというのです。
善いことをしたら救って
悪いことをしたら救わないというのではなく
善悪を超えて救うとおっしゃるのです。
阿弥陀さまは摂取不捨のおはたらきで
いつでもどこでも誰にでも
「いつも私が一緒だよ。
どんなことがあっても
あなたを決して見捨てないから
大丈夫安心して」と
今こここの私に寄り添いご一緒してくださるのです。
お念仏申して阿弥陀さまの大きなお慈悲の中に
今日一日も共々に生かされて生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.12.19)

阿弥陀さまの声かけ
2024-12-18
「おつらかったですね」
天皇皇后両陛下が能登輪島に
昨日今年三度目のご訪問をされ
今年元旦の大地震そして9月の豪雨被害と
立て続けに大災害に遭い失意の中にいる
被災者の方々を見舞われ
一人一人に声をかけられました。
災害に遭った人への声かけです。
住む家を無くし大切な家族を亡くした人もいます。
「大変でしたね」と声をかけて
何か他人事のように聞こえたり
「代われるものなら代わってあげたい」と思っても
代われない現実があります。
私たちはそれぞれどの人も
生死のこの身をそのまま引き受けて
いかねばなりません。
思い通りにならない日常にあって
自然災害にも遭っていかねばなりません。
苦しみ悩み迷いの境涯を生きる私を見て取って
阿弥陀さまは必ず救うとご本願を立てお念仏を成就して
「あなたを救う阿弥陀がここにいますよ」
南無阿弥陀仏「われにまかせよ必ず救う」と
喚んでくださっているのです。
「あなたを決して独りにはしないよ。
どんなことがあってもいつもあなたと一緒だから
わが名をよんでくれよ」と
私たちにお念仏を勧めてくださるのです。
南無阿弥陀仏とこの口にお念仏申すところに
阿弥陀さまの「まかせよ救う」の声かけが聞こえます。
私のことをいつも思ってくださって
いつでもどこでも私に寄り添いご一緒くださる
阿弥陀さまの声かけにうながされて
今日一日も往生浄土の人生を生きて往けるのです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.12.18)

ちょっとマッタ!
2024-12-17
お寺のご縁で
墓じまいの話になりました。
テレビ新聞等で墓じまいのことが報道され
日常的な話題になっています。
今すぐ結論を出すこともないような
状況にもかかわらず
何か急がされるような雰囲気があるのは
何なのでしょうか。
ちょっと前でしたら
お墓のことに限らずお葬式に始まる仏事のことは
後の人にまかせておいたらよいことだったのですが
後継者がいないなどの現実問題があり
いても子や孫に迷惑をかけたくないなどと
自分の代で始末しようとする高齢者が
多くなったということでしょうか。
墓地を管理するお寺にとっても
墓地の使用者が行方不明になる事例が多くあり
お墓を終うことも遺ったお遺骨をどうすることもできず
困った問題になっています。
先人が代々伝えのこしてくれたお墓の意義を
今一度見直すことから
これからの課題に一つ一つ取り組むことで
お寺にも相談してほしいと思います。
お墓はご先祖のお遺骨を納めている所であり
お墓参りして先人を偲ぶ縁となる大切な場所です。
お墓が有ればあったでこれからの護持継承が
心配になることでしょうが
無くなったらなくなったで
お盆やお彼岸お正月そして人生の節目に
どこにお参りしてご先祖にご報告するのでしょうか。
ちょっとマッタ!
墓じまいといい仏壇じまい葬儀法事の簡略化と
何でも自分の都合の良いような結論ありきで
仏事のことが進んでいるように思えてなりません。
ここはゆっくり立ち止まり時間をかけて
考えてみましょう。
お寺に相談するなかで
仏さまのお話を聞かしていただく
ご縁になればと思います。
どうぞお寺にお参りください。
ご一緒にお墓のことお仏壇のこと
葬式法事仏事のことを相談させていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.12.17)

「続きはまた明日」
2024-12-16
NHK大河ドラマ『光る君へ』の
最終回の放送がありました。
藤原道長の臨終の寝処に
まひろ(紫式部)が通います。
阿弥陀如来と右手を五色の紐でつないで
臨終来迎の仏教行儀です。
道長が床からやっとの思いで出した左手に
まひろが重ねて物語を語ります。
何日も何日も
「続きはまた明日(あした)」と話し終えて別れては
また通い続けます。
お通夜のご縁を重ねて思います。
お通夜は夜伽(よとぎ)ともいい
子どもにお伽話を聞かせて寝せつけるように
夜を通して亡き人に添い寝して
最後の夜をいろんなお話をして過ごす習いです。
まひろと道長の今生の物語です。
安やかな時間が流れて行きます。
そしていよいよ命終の時を迎えます。
強大な権勢を誇った道長も死んでいきます。
どんな人もです。
無常の世に生きる私たちの定めですが
南無阿弥陀仏のおはたらきで
私たちは人の命終えてそのまま阿弥陀さまのお浄土に
往き生まれさせていただくと
お念仏のお救いのみ教えを聞かせていただきます。
「俱会一処(くえいっしょ)」と
お経さまに説かれるお浄土で
苦しみ悲しみを超えて
先に往かれた方々と
再び会うことができるというのです。
阿弥陀さまのお慈悲のおはたらき
南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
私たちはあなたも私も皆共に生かされて
これからも生きて往けるのです。
南無阿弥陀仏のいのちの物語は
また明日も続きます。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.12.16)

とんでもない勘違いと思い上がり
2024-12-15
韓国国会で大統領の弾劾訴追案が可決されました。
今後大統領職務が停止となり180日以内に弾劾の可否が
裁判所で審議決定されるということです。
野党を中心に弾劾支持派は
「民主主義の勝利だ」と気勢をあげています。
韓国は長く軍事政権が続き
民主化の息吹きも軍事クーデターで戒厳令下のもと
光州事件が起こり民主勢力が弾圧される歴史の中で
市井の国民が立ち上がり
民主主義を勝ち取ったという自負があり
今回の緊急事態にも多くの国民が国会に押しかけて
結果的に大統領の横暴を阻止したというのです。
世界の国々の政治情勢をみると
アメリカでトランプ大統領が復職し
欧州でも右派勢力が発言力を強めるなど
左右の分断対立が顕著になるなかで
政治のリーダーのあり方が問われるところです。
そもそも政治家たるもの権力にすがりつき
権力を自分の身を護る保身の具にしてはなりません。
自国ファースト中心の政治に固執すれば
他国との衝突を招き
ひいては戦争という事態にもなりかねません。
他国があっての自国があるという
大きな視点に立って
国際政治が行われてほしいものです。
自分中心の思いはからいで生きている私たちです。
その思いはからいは人人それぞれ違います。
みんながよかったということは
この世の中を一人で生きていくことがかなわない
現実を見ればわかるはずです。
自分一人が正しく自分の意見に違う人は間違いといい
自分一人で何とかなると思い上がり勘違いして
わがもの顔に振る舞う愚かな人間の有り様を
阿弥陀さまは
「仏かねてしろしめして煩悩具足の凡夫」と見抜かれ
そのまま必ず救うとご本願を立てられ
「まかせよ救う」と南無阿弥陀仏の名号を成就されて
今こここの私に至り届けおはたらきです。
さてこの現実社会を生きる私たちです。
この現実にどう向き合うのか
阿弥陀仏の発願回向のお心に聞かせていただきます。
なぜ本願を立てられたのか。
南無阿弥陀仏のお心に重ねて
今私にできることをさせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.12.15)
