何か工夫しているか
2025-01-06
今年の大河ドラマ『べらぼう』が始まりました。
江戸時代中期の吉原を舞台に
主人公は貸本屋から当時のメディア王になる
蔦谷重太郎です。
誰もが知っている歴史上の有名人ではありませんが
庶民の日常人と人との関係が描かれるようで
どのような切り口のドラマになるのか楽しみです。
初回の放送で若き蔦谷が老中田沼意次に
吉原で売れない遊女が栄養失調で次々に亡くなる窮状を
幕府の施策の間違いだと訴える場面で
田沼が「お前はこれまで何をやってきたのか。
自分で何ができるか工夫をすることだ」と説き
蔦谷が好反応します。
今の現状を憂いて政治が悪い経済が悪い何が悪いと
評論家のようなことを言ってみても何も始まらない
要はその現場にいる人間がどうしたら良くなるのか
考え工夫することだということです。
少子高齢社会で核家族化が進み都市への人口移動で
お寺を護持する門徒が減少している現状についても
これは大きな社会現象でどうしようもないことだと
言ったところでどうしようもないということです。
お寺それぞれに現場の違いはありますが
ご法義大事のお寺のあり方でいうと
今まで通りのことを踏襲していっても
社会は変わるし人は動いて行くもので
ご法義繁盛のために何ができるのか
どう工夫すればいいのか考えることです。
住職が一人頑張って
ただ現状を憂いているばかりでは
ますますご法義の行き場は限られてしまいます。
広く心あるご門徒衆の思いを寄せて
今何ができるか考え工夫することだと思います。
ご法義は人から人へと伝わります。
小さな一歩が大きな歩みとなっていく
お念仏のおはたらき広がりです。
ご法義をまもるのではなく
ご法義にまもられている私たち一人一人が
ご法義の邪魔をすることなく
ご法義がはたらきやすい工夫をすることです。
これまで握りしめてきたものを手放しても
この私を捨てず放さずまもってくださる南無阿弥陀仏
阿弥陀さまの大きなお慈悲のおはたらきです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.1.6)

いのち華やぐ
2025-01-05
正月三が日を終えて
4日5日が土曜日曜で
今年は九連休の方が多かったようです。
いつもの日常とは違う生活で
その人人で過ごし方はそれぞれですが
帰省された方も旅行に行かれた方も
生活の拠点に戻り
いつもの生活が始まります。
年々に歳を重ねて行くなかに
おぼつかないわが身の有り様を実感し
わが心のむなしさを覚えます。
岡本かの子さんの歌です。
「年々に わが悲しみは 深くして
いよよはなやぐ いのちなりけり」
この人生を生きることは
喜びもあり悲しみもあり
いろんなことが次々とこの身に起きてきます。
自分に都合のいいことばかりだったら
いいのでしょうが
そういうわけにはいきません。
自分の思い通りに行って喜ぶことがあれば
思い通りに行かなくて悔し涙し
他人の成功を羨み妬み怒ることもあります。
すべては私の思いはからいのままに生きて
自他共に生きる真実ありのままのことが
見えないことにあると
仏法に教えていただきます。
岡本さんは仏法聴聞されて
お念仏のみ教えに
煩悩具足のわが身の有り様を見抜かれた
阿弥陀さまのお慈悲の中に救われている喜びを
聞かせていただき
歳を重ねていよいよ南無阿弥陀仏のおはたらきで
あなたと私皆共に大きないのちにつながり生かされて
お浄土に心華やいで生きて往くわがいのちを
歌われたのでしょうね。
この一年もいろんなことがあると思いますが
お念仏申して心豊かに生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.1.5)

年賀状終い
2025-01-04
お正月に年賀状が届きます。
殆どはいつもの人からの便りですが
楽しみにポストを見に行きます。
お互いに歳を重ねるなかで
身の周りにいろんなことが起こってきますが
元気なことを確認します。
さて今年の年賀状ですが
随分減ったように思います。
全国的にも去年の34%減という報道です。
昨年の郵便料金の大幅な値上げが
影響しているとのことですが
3年前に比べて半分以下になったということです。
お歳暮やお中元の減少ということにあわせて
虚礼廃止やコスパという考え方がいわれます。
ネットで即座につながる現代社会にあって
紙媒体が敬遠されるということなのでしょう。
今年届いた年賀状の数通に
「誠に勝手ながら本年をもちまして
賀状による年頭のご挨拶を
失礼させていただきます」と書かれてありました。
諸事情を鑑みて
年賀状終いということです。
きれいに写真印刷された年賀状に
一筆添えられた「ひとこと」の重みを改めて思います。
これが最後になるのかと思うと少し寂しいですが
ご縁ご縁にこれからも便りを送りたいと思います。
お念仏のご縁つながりです。
あなたと私皆共に南無阿弥陀仏のおはたらき
阿弥陀さまの大きなお慈悲の中につながって
これからもずっと生かされて生きて往ける
有難さ尊さです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.1.4)

「しあわせ」ということ
2025-01-03
「しあわせ」を漢字で書くと
皆さんはどう書きますか?
「幸せ」と書く人が一般的だと思いますが
私より年輩の方は「仕合わせ」と書いていたそうです。
「幸せ」というと心が満たされたときに感じる
自らの願いが達成された喜びであり
達成できなかったときの「不幸」と表裏の関係で
その時どきの状況で裏表にひっくり返ります。
みんなが幸せになればいいのでしょうが
私たちが生きるこの世の中は
幸せな人がいて不幸な人がいる
喜ぶ人のすぐそばで涙する人がいるというのが
真実ありのままの実相だと仏法は教えます。
さて「仕合わせ」です。
中島みゆきさんのヒット曲『糸』に
「縦の糸はあなた 横の糸は私 逢うべき糸に
出逢えることを 人は 仕合わせと 呼びます」
の歌詞があります。
ここでいう仕合わせとは
幸福感を表すものではなく
縦の糸と横の糸が一枚の布を織りなすように
その成り立ちを表す言葉として
あなたと私の出逢いでいえば
めぐりあわせとでもいうべきものです。
元々は「~し合わす」ということから
「仕+合わせる」と
さまざまな事が仕え重なり合って
物事は成り立っているという意味で
私にとって良いことも悪いことも全て含めて
「仕合わせ」ということだそうです。
縁起の仏法の理(ことわり)です。
網の目のように縦横に張り巡らされた幾多の縁によって
私たちは生かされ支えられて生きてきて
これからも生きていくという真理の法です。
あなたと私が営む私たちの社会です。
私一人で生きているのではありません。
私一人では生きていけないのですが
私の都合で思い通りにいくと良かったと
自分の手柄のように喜んで有頂天になり
思い通りに行かないことがあると
他者の責任にして怒り腹立ち妬みます。
自分だけの幸せを追い求めて
本来の仕合わせの意味が見えにくくなりました。
私たちはお互いに良くも悪くもつながって
たくさんの仕合わせに支えられ生きているのです。
仏教のお経は経糸(たていと)を意味します。
お念仏のご法義は
南無阿弥陀仏のご縁つながりで
あなたも私も皆共に阿弥陀さまの大きなお慈悲の中に
生かされて生きていると教えていただきます。
身勝手で我がままな横糸の私を
お念仏の経糸がそのまま紡ぎ織って布に仕上げ
お念仏申す身にお育てくださるのです。
この世の中のことは
良くも悪くもどんなことがあっても
お念仏申して自他共に心豊かに
生かされて生きてまいりましょう。
★『ようこそ月報』2025年1月号より
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.1.3)

新年のご挨拶
2025-01-02
ようこそ有縁の皆様
「ようこそ あなたと ナモアミダブツ」
謹んで新年のご挨拶を申し上げます。
正月元旦に年を重ねて74歳になりました。
今年は昭和100歳、戦後80年の節目の年です。
戦後のベビーブームで生まれた団塊の世代が
後期高齢者になる2025年問題が言われます。
「戦争を知らない子どもたち」です。
高度経済成長を支え頑張ってきた若者も
いい歳になりました。
この歳になって思うこと……
二度とないこの人生を十分生きてきたか?
やり残したことはないか?などなど……
これからも日々【円光寺HP】で
<お念仏申す生活法話>を発信していきます。
日常のすきま時間にでも
気が向くままにアクセスしてください。
寺内あんのん館などで
お念仏のご縁づくりをさせていただいています。
「報恩行 お念仏申して
させていただく ありがとう」(今月のことば)
本年もようこそよろしくお願い申し上げます。
2025(令和7)年1月 円光寺 藤並晃照
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.1.2)
