阿弥陀さまのお仕事のお手伝いをさせていただきます
2022-01-25
ここにきてコロナ感染者が全国的に急増し
大分県も「まん延防止等重点措置」を国に申請して
明後日27日から来月2月20日までの期間といいます。
コロナも色々と株別れして生き延びるなかで
今はオミクロン株です。
今までの株と違って重症化するリスクは低く
特に若年層は殆ど症状がないといわれますが
感染力が圧倒的に強いことが
これまでにない感染者数になっているとのことです。
若年層の飛躍的な感染者増で
学校や保育園で休校休園が増えているといいます。
深刻な話は
感染すると二週間10日間の入院やホテル自宅での療養で
社会生活が全くできなくなり
また濃厚接触者も自粛生活を求められるということで
このままのペースで感染者数が増えれば
濃厚接触者も増大し
社会活動が滞る事態に陥ることになるというのです。
医療従事者が感染者濃厚接触者になって
医療業務ができなくなり
ゴミ収集などの場合は
社会生活にすぐ大きな影響がでることも予想されます。
社会的に非常に困難な事態なのですが
無症状で重症化するリスクが低いのなら
普通の風邪とどう違うのかといった疑問が起こります。
風邪だったら自己判断で症状が重い時は病院に行っても
自宅で療養し体調がよくなったら仕事に戻るといった
社会生活ができるのではないかということです。
ただ風邪薬のような町の薬局で処方できるものがなく
ワクチン接種に頼らざるをえないということです。
緊急事態宣言やまん延防止措置など行政がすることと
日々生活している私たちの感覚とのギャップです。
だからこそいつまでも悩ましいのです。
晴れがましく「これでコロナ収束です」と
「これから普段の日常生活に戻ります」と
どこで誰が宣言するのでしょうか。
これまでの疫病感染症の歴史データからいうと
新型コロナウイルス感染症が発生して2年になりますが
収束まで3年とも4年とも5年ともいわれるそうです。
このコロナ禍で私たちの仏さまのご縁です。
コロナ生活の中にも阿弥陀さまは私たちを見守って
南無阿弥陀仏「必ず救うまかせよ」とおはたらきです。
阿弥陀さまの大きなお慈悲の中に生かされて
お念仏申して私にできることをさせていただく肝要です。
お念仏申して頑張るのではありません。
頑張れば頑張るほど仏さまのお心から遠く
自己中心のものの見方が強くなって
一人しんどい思いに苦しみ悩むことになります。
お念仏申して阿弥陀さまのご本願のお心
南無阿弥陀仏のおはたらきを聞かせていただきましょう。
お念仏の声が私に聞こえそのまま隣の人にも聞こえます。
お念仏の声が
大きな南無阿弥陀仏のいのちのつながりとなって
私たちは共々に生かされて生きていけるのです。
コロナは感染防止ですが
お念仏は感染していくといいなと思います。
これは阿弥陀さまのお仕事ですから
今日も一日南無阿弥陀仏とお念仏を申すなかに
阿弥陀さまのお仕事のお手伝いを
させていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.1.25)

お念仏の人生に勝ち負けはありません
2022-01-24
昨日は大相撲の初場所千秋楽で
関脇御嶽海が優勝して
来場所大関に昇進するとのことです。
大相撲のテレビ中継を
ここ毎場所楽しみに観ています。
若い頃からこれまで
大相撲には余り興味がありませんでした。
優勝する力士がほぼ決まっていて
波乱が起きない展開が多く
年輩の方が夢中になって観ているのを見て
何で面白いのだろうと思っていたぐらいです。
何故面白くなったのかと思うに
私も相撲を楽しむいい歳になったのでしょうね
勝負が短くてわかりやすく
力士それぞれの人間味にも興味をひかれます。
野球やサッカーなどどのスポーツも
ロボットの機械がするのではなく
生身の人間がする競技です。
絶対的な横綱が引退したことで
どの力士にも優勝のチャンスが広がりました。
いつも強い力士が勝つのではなく
番付下位の力士が勝つことも
小兵の力士が大きな力士に勝つこともあって
面白いです。
生身の人間が体と体をぶつけあって
勝負するのですが
そこに精神的ものが作用して
番狂わせもおきますし
力士それぞれが歩んできた土俵人生などを知ると
一層興味がわいてきます。
御嶽海は三役をずっと務めてきた実力者と
誰もが認めるところですが
もう一歩で大関というところでコロッと負けます。
大相撲の解説者も戸惑わせるような
えっという負け方ふがいなさも
何度も見せてくれました。
大関の正代に重なります。
周囲の期待が大きいだけに
ふがいない自分に情けないと思うことも
多々あったと思いますが
難しいことです。
私のことでもあります。
生身を生きる私です。
周りからはああやこうやと
「あなたのためを思って言っているのよ」などと
ありがた迷惑なアドバイスもいただいて
結果が出ないと
「あれほど言ってあげたのにしてあげたのに」と
恩着せがましく批判されて
この身をどこにもっていけばいいのか苦悩し迷います。
この身を生きているのはこの私です。
どんな私でもこの身から逃れることができません。
阿弥陀さまのご本願は
煩悩の生身を生きる私をめあてに発されたのです。
南無阿弥陀仏のお名号を成就されて
「まかせよ救うそのまま救う」と私におはたらきです。
相撲に勝負はつきものですが
その人人の人生に勝ち負けはありません。
南無阿弥陀仏のお心おはたらきです。
「あなたはあなたのままでいいんだよ」と
大きなお慈悲につつまれて
「いつでも私が一緒だから
あなたはあなたのいのちを精いっぱい輝かせて
一緒に生きて往きましょう」と聞かせていただきます。
阿弥陀さまのご本願のお救いです。
お念仏を申して共々に生かされて生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.1.24)

「お念仏を申す身になってくれよ」と仏さまのお取り次ぎをさせていただきます
2022-01-23
御仏前に大きなお花が一対あがっています。
今日は満中陰のお勤めをお寺の本堂
阿弥陀さまの御尊前でさせていただきます。
新しいご門徒さんで
お家にお仏壇がまだありません。
ご法事はお家のお仏壇でお勤めしましょうと
日頃から申していますが
お家お家のご事情で
最近はお寺でご法事をされることが多くなりました。
御仏前にお花やお菓子果物などを
お供えするお気持ちです。
施主の奥さんのご縁です。
お花が好きだったということで
お花がたくさん上がっているのかなと思ったりします。
この時代人の世に生まれた私たちです。
親子兄弟姉妹夫婦友人などの縁で
人と人が出会いそして別れていかねばなりませんが
仏さまのご縁をいただくなかに
ずっとこれからもいのちがつながってあると
聞かせていただきます。
南無阿弥陀仏とお念仏を申す身になってくれよと
先に往かれた仏さまが御仏前に私たちを座らせてくださり
この口から南無阿弥陀仏とお念仏が出てくださいます。
お念仏の声の仏さまとなって
懐かしい方々が私と共に今日も明日も明後日も
これからずっとご一緒くださる
南無阿弥陀仏のいのちのつながりのなかに
生かされて生きて往けるお念仏のご法義です。
今日は日曜日で他にもご法事がありますが
「お念仏を申す身になってくれよ」と
仏さまのお取り次ぎをさせていただきます。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.1.23)

「地震大変でしたね。被害はありませんでしたか」
2022-01-22
夜中に震度5強の大きな地震があって
皆さんもびっくりして飛び起きたのではないでしょうか。
お家の被害はありませんでしたか。
お見舞い申し上げます。
昔から「地震・雷・火事・親父」と
恐いものの代表格のように言われていますが
今は親父の権威はどこへやらで
家族の中で一番肩身の狭い思いをしているのが
親父とも言われます。
火事や雷も恐いですが
地震が本当にこの身に迫って恐いと思うのは
阪神淡路大震災や東日本大震災を
見ているからでしょう。
震度5強の大きな地震は全国ニュースです。
NHKだけでなく大分の民放テレビ三局も
地震発生時からずっと放送をしていました。
少しでも情報が入ることで安心できます。
こうした有事には警察消防など行政機関の迅速な対応が
必要不可欠で頼りになります。
目に見える被害で水道管の破裂が方々でありましたが
ここは水道局の出番ですし
現場の交通整理に警察が即応していました。
平素からの備えです。
避難訓練も含めて
緊急事態の体制準備です。
個人的には日頃から防災避難備品を
備えておくことですが
慌てます。
いつも手元に置いておけばいいのでしょうが
中々そういうわけにはいかず
地震発生後にバタバタ自分に必要不可欠なものを
バックに入れ直したものです。
お朝事の皆さんも同じ地震に遭って
心配な中にもお参りされて
お勤めの前に坊守に
「どうでしたか」と尋ねていましたが
本当に有難いことです。
「地震に遭って被害はありませんでしたか」
ということです。
お互いさまですが
声をかけてくださることの有難さです。
十分な備えもできず
何ができるかといってできることしかできない私です。
被害に遭う時は遭っていかねばなりませんが
声かけしてくださる人がいるということです。
「どうでしたか」と声をかけ合う中で
お互いに支え合って生きていける頼もしさ安心です。
お念仏の声で今日一日も始まります。
阿弥陀さまのお喚び声に励まされて
南無阿弥陀仏のいのちのつながりのなかに
共々に生かされて生きてあることを
有難く聞かせていただきます。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.1.22)

「月影の いたらぬ里は なけれども ながむる人の 心にぞすむ」
2022-01-21
今朝早く4時前にトイレに起きて
勝手口から新聞を取りに外に出たら
すぐ傍の小さな庭のバラの木が
くっきりと黒い影を落としている様を見て
法然聖人の有名な「月影の」という歌を思い出し
スマポでさっそく検索しました。
「月影の いたらぬ里は なけれども
ながむる人の 心にぞすむ」という歌です。
その時に月を見たわけではありませんが
6時の梵鐘を撞きに外に出ると
西の空にまん丸お月さんが輝いて見えました。
月の光に照らされて
黒い影が見えたのです。
仏説観無量寿経に
「光明遍照 十方世界 念仏衆生 摂取不捨」
(光明はあまねく十方世界を照らし
念仏の衆生を捨てたまわず)
<阿弥陀仏の光明は広く全世界を照らして
念仏する衆生を光の中に摂め入れ
決してお捨てにならない>とあり
拝読の御文章さまにも何度も出てきます。
阿弥陀さまの光明は十方世界を遍く照らすと
すべての人に等しく届いているといわれますが
次に「念仏衆生摂取不捨」とあります。
月の光が至り照らさない人里はないけれども
月の影ばかり見て月を見る人がないように
念仏の人を摂め取って捨てない
阿弥陀さまのおはたらきを知らないままに
阿弥陀さまのお慈悲を喜べないならば
これほどもったいないことはないと
聞かせていただきます。
十方衆生を照らす阿弥陀さまの光明のおはたらきを
いただくのは念仏の衆生といわれ
お念仏を申す身にお育ていただくのです。
法然聖人の歌で
「月影のいたらぬ里はなけれども」と
十方世界に月の光は届いておるけれども
「ながむる人の心にぞ住む」と
その月を眺める人の心にこそ
届けられているというのです。
阿弥陀さまの智慧と慈悲の光明のおはたらきに
遇うなかに摂取不捨の利益がいただけるのです。
6時の梵鐘を撞く時には辺りは薄明るく
外灯の光もあって方々の月影は目立ちませんでしたが
偶々4時前に目が覚めてということです。
この時間も月は出ています。
そしてこれから太陽が昇ってきます。
光あふれるなかを今日一日も
お念仏を申して生かされて生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.1.21)
