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お念仏を申す生活法話

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南無阿弥陀仏の壮大ないのちのロマン物語です

2021-08-22
 NHKの『ブラタモリ』という番組を
楽しみに観ています。
 タモリさんが日本各地を訪れその土地の誕生に話が及ぶ
壮大な地球のいのちのロマンを解き明かしてくれます。

 昨日の放送は長野県の諏訪のお話で
7000年前の縄文時代に人々が諏訪に集まったのは
何故かという謎解きです。

 地球が誕生して46億年生命が誕生して38億年といい
人類が誕生したのが400万年前といわれます。
 縄文時代は稲作が始まる2000年前の弥生時代の前で
石器時代といわれ石器を駆使して
土地を耕したり狩猟をして生活をしていたといわれます。

 テレビを観ながらふっと
7000年前の縄文人も2000年前の弥生人も
私たちのご先祖なんだいうことを思いました。
 私の命の歴史がそこにあるということで
ずっといのちがつながっているのです。

 日本の歴史でいうと私たちは
文献上は1500年前からのことしか知りません。
 しかしそれ以前も縄文時代の前からも
私たちのご先祖が生きてきて
そして私が今ここに生きているということです。

 昨日は17回忌のご法事をお勤めさせていただきました。
お父さんのご縁で子どもさんお孫さん曾孫さんが
そろってお参りでした。
 小学校3年生の曾孫さんはご法事の曾じいちゃんに
会ったことがありません。

 ご法事で小さな子どもさんには
ご法事のお方は実際に会ったことがないけれども
私の命の大恩人だよというお話をします。
 この曾じいちゃんがいなかったら
ここにいる皆誰一人いなかったということです。

 私の命は私だけで存在しているのではなく
自分の命であって自分一人の命ではない
大きないのちのつながりのなかにある命なのです。

 永い長いいのちのつながり歴史の中に
今この私がこの世に生まれて生きて
そして命終えていきます。

 この命終えてゴミになるのか死んだら終いなのかと
仏さまのみ教えに聞かせていただきますと
人間に生まれて仏法に遇い
お念仏申す身にお育ていただくと
南無阿弥陀仏のおはたらき一つで
人の命終えてそのまま阿弥陀さまのお浄土に生まれて
さとりの仏と成ってこの世に還って来て
迷いの人々を救うというのです。

 人の命のつながりのなかに生きて
南無阿弥陀仏のいのちのつながりのなかに生かされて
これからもずっと生きていくのです。

 南無阿弥陀仏の壮大ないのちのロマン物語です。

 お念仏のみ教えを聞かせていただき
お念仏申す身にさせていただきましょう。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.8.22)


お念仏に生きとるか!

2021-08-21
 大リーグの大谷翔平選手の活躍が止まりません。
投手で8勝打ってはホームラン40本で単独トップです。
 アメリカでは敵地の試合でもオオタニサン人気で
湧きに湧いているという報道です。

 大リーグ中継をテレビで観る機会が多くなりました。
アメリカの球場に観衆がいっぱい入って
マスクをつけないで大きな声援をあげています。

 同じ地球上のことで今世界中がコロナ禍のなかで
全く別世界のことのような光景です。
 そのアメリカで感染者が再び急増し出して
3回目のワクチン接種を実施すると
大統領が発表しました。

 それに対して国連保健機構の事務総長が
「世界には発展途上国を中心に
まだ一回もワクチン接種していない人が
大多数いる」として
「コロナで国々の格差が増々広がる」と
警鐘を鳴らしました。

 ワクチン開発国を中心に先進国と言われる国の
自国の利益を大事にする考え方です。
 自分の国が自分の家族が自分の仲間が大事という
自分中心のものの見方です。

 誰しも自分を中心に生きていますが
自分一人が自分一人で生きているわけではなく
私が自分を大事に生きているように
私の隣の人もまた自分を大事に生きていると
他の人を思いやる心と行動が大事と
教えてくださるのが仏教です。

 阿弥陀さまのご本願のお救いは
十方衆生生きとし生けるものすべてを救うといい
十方衆生が救われて私阿弥陀の本当の救いがあると
南無阿弥陀仏のお喚び声の仏さまとなって
十方衆生にいつも寄り添いおはたらきです。

 自利利他円満の阿弥陀さまのお救い
大乗仏教の極致です。
 大きな乗物です。
大きな乗物には私一人が乗るのではなくて
みんなが乗っていけるという仏さまの教えです。

 お念仏のみ教えを親鸞さまは大乗仏教の極致と
私たちにお念仏に遇ってほしいとお勧めなのです。

 お念仏のみ教えがあっても
お念仏のみ教えに生きる人がいない
お念仏のみ教えを聞く人がいない世界は
まさ末法の世ですね。

 日々の生活の中で
この私がお念仏のみ教えに生きとるかと
問われることでもあります。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.8.21)


阿弥陀さまのご本願を信じお念仏申す身にさせていただきましょう

2021-08-20
 今『正像末和讃』を拝読していますが
今日の「如来大悲の恩徳は」で始まる恩徳讃で
「三時讃」が終わります。

 最後の三首は「三朝浄土の大師等」と
「教主世尊」の文言の後に
「如来大悲の恩徳」「師主知識の恩徳」が続きます。

 お釈迦さまをはじめとして
三朝インド・中国・日本に出られた七高僧さまなど
善知識のおかげで私親鸞のところに
阿弥陀さまのご本願のみ教えが届けられたご恩を
讃嘆しよろこばれるのです。

 『正像末和讃』の最初に
「弥陀の本願信ずべし 本願信ずるひとはみな
   摂取不捨の利益にて 無上覚をばさとるなり」
(阿弥陀仏の本願を信じるがよい
 本願を信じる人はみな
 摂め取って捨てないという利益により
 この上ないさとりを開くことができる)
と冠頭讃があります。

 夢告讃といって
親鸞聖人85歳の2月9日の夜午前4時頃に夢告を受けて
感得されたと記述があります。

 阿弥陀さまのご本願を信じましょうとのお勧めです。
この世は末法の時代五濁悪世です。
 親鸞聖人のご生涯も色々と紆余曲折がありましたが
当時84歳の時には息男善鸞さまを義絶するという
大変な事態に直面して
人生の荒波の中に心激しく動くことがあったと思います。

 そのなかで「弥陀の本願信ずべし」
阿弥陀さまのご本願を信じましょうという
夢のお告げを力強くいただいたのではないでしょうか。

 末法五濁の世だからこそ弥陀の本願が光り輝くんです。
「本願を信じ念仏申さば浄土に生まれて仏と成る」と
法然聖人が示してくださった本願他力お念仏の仏道です。

 苦悩の海に深く沈む凡夫をこそ必ず救うと喚び続け
本願の船に乗せてお浄土におくってくださる
南無阿弥陀仏のお名号のおはたらきです。

 末法の世にあってこれほど確かなことはないよという
お釈迦さま三朝浄土の大師等のお勧めをいただいて
正信偈さまの最初「帰命無量寿如来 南無不可思議光」の
親鸞さまの信心の告白です。

 南無阿弥陀仏一つで救われていくお念仏の道を明かし
この道を共々に歩ませていただきましょうと
お正信偈さま御文章さまをいただきます。

 毎朝こうして親鸞さまから蓮如さまから
「弥陀の本願信ずべし」とお手紙をいただき
お念仏申して今日一日を始めさせていただくことを
本当に有難く思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.8.20)


「早くお迎えが来てほしい」と言われますが・・・

2021-08-19
 昨日二人の80代の男女の方から
「早くお迎えが来てほしい」と聞きました。

 お迎えとは臨終の時に阿弥陀さまが
勢至菩薩観音菩薩を伴って
お浄土に連れにお迎えに来るというお話です。
 臨終来迎のご法義です。

 親鸞聖人が明かされた浄土真宗のご法義では
阿弥陀さまは今すでに南無阿弥陀仏のお喚び声となって
私のところに来てくださっているといいます。
 平生業成現生正定聚のご法義です。
阿弥陀さまの本願を信じ念仏申す人は
今すでにお浄土に生まれて仏に成る仲間に
なってあるというのです。

 ただ「お迎えに来る」といただくところに
阿弥陀さまと私はつながっていると聞かせていただきます。
 南無阿弥陀仏のつながりです。
私がつながろうと思ってつながっているのではなくて
南無阿弥陀仏の回向おはたらきで
阿弥陀さまからつながっているのです。

 阿弥陀さまが迷いの世界からこの私を救うために
南無阿弥陀仏と成就されお喚び声の仏さまとなって
私のところに来てくださってあるのです。

 この口から南無阿弥陀仏とお念仏が出てくださるのは
もうすでにつながりのなかにあるといただきます。
 阿弥陀さまの大きなお慈悲のお心
南無阿弥陀仏のおはたらきにつながってあるのです。

 人の命はいつか終えます。
お迎えが来るとか来ないとか言わなくても
その時は必ず来ます。

 お念仏のご法義を聞かせていただくと
私のこの人の命は終えますが
死んだら終いではなくて
そのまま阿弥陀さまのお浄土に往き生まれて
南無阿弥陀仏の仏さまに成らせていただけるのです。

 今日の御和讃です。
「南無阿弥陀仏の回向の 恩徳広大不思議にて
 往相回向の利益には 還相回向に回入せり」
(阿弥陀如来から回向された名号
 南無阿弥陀仏のご恩は広大で
 想いや言葉に尽くせない不思議であり
 私が浄土に往生して仏果を得た利益として
 この迷いの世界にめぐり還り来て
 他の人のための救いにつくすのです)と。

 お浄土には往きっ放しではなくて
南無阿弥陀仏の回向おはたらきで
すぐさまこの迷いの世に還って来るというのです。
 迷いの人々を救うために還って来るのです。

 生きても死んでもお慈悲の中で
南無阿弥陀仏のいのちをずっと生きていき
お念仏のうちにまた遇いましょう
再び還り来て無限のお念仏の活動をさせていただきますと
娑婆の人の命を終えていけるのです。

 私たちが申すこのお念仏の声は
阿弥陀さまのお喚び声であり
ご先祖有縁の先に往かれた仏さまの声といただきます。

 今日の御和讃にも御文章さまにも
「寝ても覚めても命のあらん限りは称名念仏すべし」
といただきましたが
命のある限りはお念仏申して
お浄土への道すがらを共々に歩ませていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.8.19)


初事のお聴聞のご縁です

2021-08-18
 仏法お聴聞の心得に
「このたびのこのご縁は初事と思うべし」と
初めての事と聞きなさいといわれます。

 耳慣れ雀というお話です。
雀が田畑に来ないように鳴子を張り巡らせて
鳴子にちょっとでも雀が触れると鳴子が鳴って
それに驚いて雀が逃げて行くという算段ですが
雀もその事に慣れると鳴子が鳴っても
驚かないでそのまま居直るというのです。

 お聴聞といって阿弥陀さまのご本願のお話
南無阿弥陀仏の救いの法を聞かせていただきます。
 「我にまかせよ必ず救う」の南無阿弥陀仏のお心
おはたらきの同じお話です。

 もう聞いたもう知ってる分かっていると聞く人は
頭で聞いているんですね。
 知識として聞くのです。
記憶力の良い人はもう一回聞けば覚えています。
試験でもしたら百点満点でしょう。

 でもご本願のお心を聞くというのは
なぜご本願が誰のために建てられたのかを
聞かせていただくのです。
 この私のためです。
頭で聞くのではなくこの身で聞くのだと
教えていただきます。

 南無阿弥陀仏のおはたらきは
わが身に毛穴から入るといわれます。
勝手に入ってくるのです。

 南無阿弥陀仏のおはたらきがわが身に入って
私の体のなかに留まってくださって
この口からお念仏となって出てくださるのです。

 南無阿弥陀仏とお念仏を申せよと言われて
ハイッと素直に中々申せない私がいます。

 南無阿弥陀仏の意味は何?
南無阿弥陀仏とお念仏申したらどうなるの?
と理屈で問い聞き
理解できたら称えようとでもいうのでしょうか。

 頭で理屈で仏法を聞き受け止めようとする私たちですが
そのこともすでにご承知で
阿弥陀さまは南無阿弥陀仏のおはたらきで
わが身に入って来てくださって
ハッと気づかせてくださるのです。

 耳慣れ雀は驚きません。
仏法をこの身で聞くとハッと驚かされるのです。

 仏さまのおさとりを目覚めといいます。
皆さんも今目が覚めていますが
この目ではありません。
 心の目です。
目を覚ます。
驚くびっくりするのです。

 お聴聞させてもらってわが身の真実のあり様を知らされ
驚きびっくりし目覚めるハッと気づかされるのです。

 わが身の真実のあり様です。
迷いの中にありながら迷いを迷いと気づかず
自分中心に煩悩をたぎらせて生きている
まさに地獄一定のわが身のすがたであり
その身をそのまま救う阿弥陀さまのご法義です。
 初事と聞けよとのお示しです。

 このお朝事のご縁も初事のご縁です。
毎日繰り返しのようですが
昨日の私と今日の私は違います。
明日の私も違います。
 日々移り変わって行くなかでの
今日このたびわが身に初めていただくご縁です。

 今日もピンポーンと本堂のチャイムが鳴りました。
チャイムの音にお朝事参りの皆さんの姿を見ます。
 心新たに初事といただいて
ご一緒にお念仏申して
今日の一日を始めさせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.8.18)


円光寺
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大分県大分市三佐3丁目15番18号
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