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お念仏を申す生活法話

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コロナ禍でのオリンピックのおもてなし

2021-07-18
 昨日の夜地震があってびっくりしました。
少し強い揺れで震度4でした。

 本当に何があるか分からない何があってもおかしくない
無常の世に今まさに私たちは生きているということです。
 その時はさあどうしようと家族に声をかけ
テレビの地震速報を観て次のことを考えましたが
しばらくしたらサッカーの続きを観ている私でした。

 オリンピック開幕まであと5日です。
サッカー然りそしてプロ野球のオールスターゲームは
五輪出場選手の壮行会の様相でした。
 サッカーも野球もそして大相撲も観客を入れて連日盛況で
今日は白鵬・照ノ富士の千秋楽決戦で盛り上がります。

 そういうなかにあって五輪開催地の東京は
今も非常事態宣言下にあります。
 4日連続で感染者が千人を超えて
これからも右肩上がりに増え続けるという予想です。

 日本で東京でオリンピックがあるという雰囲気が
全く伝わってきません。
 海外から各国の選手団が
入国のピークにあるというニュースですが
羽田空港は大変なことになっているのでしょうね。

 コロナ対策が思うようにいかないままに
オリンピックを迎える現状は
対策は十分しているとのアナウンスも虚しく聞こえ
何が起こるか分からない大きな不安を抱えたままです。

 オリンピックは単なるアスリートの競技会ではありません。
バッハ会長が言うまでもなく
4年に一度の世界の平和の祭典です。
 国や民族、言語や性別など様々な違いを超えて
みんなが一つになろうということです。

 それはアスリートだけのことではなく
スポーツを通して人と人との交流がはかられ
相互に知り合い理解を深めるなかに生まれる
人類の永遠の福祉に貢献することです。

 開催国の日本各地で各国選手の事前キャンプが行われ
地域の方との交流がはかられて
まさに迎える側のおもてなしです。

 コロナ感染対策でキャンプ地の人との交流や
有観客での競技など
予定していたことができなくなり
おもてなしもままならないと思いますが
コロナ下だからこそのおもてなしもあると思います。

 キャンプ地での人との交流はもう何年も前から
始まっていることでもあり
コロナ禍でこれまでとは違ったおもてなしが
できているのではないでしょうか。

 今まで当たり前のように行われていた
五輪の形は変わっても
オリンピックの精神は変わりません。

 私たちのオリンピックを見る目はどうでしょうか。
一週間後は競技も始まって日本の金メダル第一号はとか
メダルをいくつ取ったとか
いつもと変わらず言っているんでしょうね。

 日本でオリンピックが開催されても
コロナ禍ということがあったとしても
私はいつものようにステイホームでテレビ観戦です。

 人それぞれの日々の生活
今日の一日です。
 この世界中にたくさんの人たちが
今共々に生きています。
 お念仏を申して生かされていることを思いつつ
今日の一日も生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.7.18)


教会というお寺

2021-07-17
 お寺というと皆さんはどういうところと
思っているでしょうか。

 仏さまがいらっしゃるところ
仏教のお話が聞けるところ
お経をあげお説教をするお坊さんがいるところ
そして信者の方がお参りするところ等々
様々だと思います。

 お寺というと仏教ですが
キリスト教では教会といい
イスラム教ではモスクといいます。

 教会という言い方に新鮮な響きを感じます。
教会とは同じ宗教の信者さんが
集うところということです。

 お寺というと浄土真宗は門徒といい余宗では檀家と
特定の人しかお参りできないところという感じも
あるのではないでしょうか。

 これからのお寺のあり方を考えるときに
これまで仏教やお寺にご縁のない方にとっては
教会という言い方の方が
お寺に対する先入観もなく新鮮に受け入れられるように
思ったりします。

 教えが中心の教会です。
教えに遇う場であり教えを聞く場です。
 私の生きる依りどころの教えです。
同じ教えに生きる人に会える教会です。

 私たちの教えは仏教浄土真宗
南無阿弥陀仏の本願念仏の教えです。
 お念仏のみ教えを私の生死の帰依処といただきます。
生きる依りどころであり死して帰るところです。

 アメリカにもたくさん浄土真宗のお寺がありますが
ブディストチャーチ仏教徒の教会と呼ばれます。

 単なる呼び名かもしれませんが
「教会に行こう!」「教会に行ってみ教えを聞こう!」と
声をかけ合ってお寺参りする皆さんの姿を
楽しく思い浮かべます。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.7.17)


いのちを大切に心豊かに

2021-07-16
 大相撲の名古屋場所は今日が13日目で
横綱白鵬と大関照ノ富士が12連勝で並走しています。

 2人のコメントに趣がありますね。
照ノ富士は大けがを負って大関から序二段まで落ち
不屈の精神と努力で先場所大関に返り咲き優勝して
今場所は最高位の横綱取りの場所です。

 照ノ富士のいつもの口癖は「一日一番」です。
ただ「一日一番」は他の力士もよく使う言葉ですが
照ノ富士の「一日一番」には本当に実感がこもった
心技体の充実した言葉として伝わってきます。

 「いつやめてもおかしくない覚悟で相撲を取っている」
と言います。
 両膝に古傷の爆弾を抱えたなかで
明日はもう土俵に上がれないかもしれないという覚悟で
稽古に稽古を重ねまさに地獄から這い上がってきたのです。
 いつやめても悔いの残らないように
「一日一番」に徹するのです。

 一方の白鵬は「横綱の責任」を常に口にします。
横綱は12番勝つことが最低限の責任といいます。
 今場所は六場所連続休場明けの
横綱の進退をかける場所で
周囲は不安視する見方が強かったのですが
それが何と12連勝お見事です。

 ここまできたら千秋楽に両者全勝対決で
雌雄を決してほしいと思います。

 私たちもまた今日一日を生きています。
「一日一番」という言い方はしませんが
一日一日を大切に生きたいものです
 「一日一生」といいます。
今日の一日は一生につながる一日で
決して無駄な一日はないということです。

 この人生日々の生活は
楽しいことも悲しいこともいろんなことがあります。
 思い通りにいかないことも多く苦悩し
思いがけないこともあって迷うなかで
どんなことがあっても「あなたを必ず救う」と
いつでもどこでも私に寄り添ってくださる
南無阿弥陀仏のおはたらきがあると聞かせていただきます。

 阿弥陀さまの大きなお慈悲の中に
私たちは共々に生かされて生きているのです。
 お念仏を申すなかに今日の一日も
いのちを大切に心豊かに生かされて
生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.7.16)


オオタニサンの佇まい

2021-07-15
 ここ数日アメリカ大リーグの大谷翔平選手の話題で
日本中が大変盛り上がっています。
 皆さんもご存知の通りのもの凄い大活躍です。

 テレビの情報番組であるコメンテーターが
大谷選手の魅力について
凄い野球選手だけれども
努力とか汗や涙というイメージではない
いつもにこにこして野球を楽しんでいる
少年の佇まいがあると言っていました。

 佇まいという言い方がいいですね。
その人の立ち居振る舞いに漂う雰囲気です。
 人にこう見せよう見せてやろうというものではなく
その人の内から出てくるものということでしょうね。

 一見したら長身でスマートな好青年ですよ。
洒落た服を着たらタレントといった感じの若者ですが
今の大谷選手があるのは精進努力の賜物だと思います。
 少年の頃から夢見たことをかなえる努力です。
夢だけを追っているのではありません。

 大谷選手の代名詞は二刀流です。
野球少年が投げて打って守って走ってと
純粋に野球を楽しむことです。
 笑顔が自然に似合います。

 念仏者の佇まいということを思います。
南無阿弥陀仏のみ教えに遇って
お念仏申す身にさせていただくと
日々の生活の中にふっとお念仏が出てくださいます。

 ナモアミダブツとお念仏を申してくれよと
阿弥陀さまの大きな願いが届けられて
お念仏を申す身に仕上げられたのです。

 お朝事のご縁で皆さんご一緒にお念仏申させていただき
今日の一日を始めさせていただくことの有難さです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.7.15)


梅雨明けです

2021-07-14
 昨日大分の梅雨明け宣言がありました。
今年は梅雨入りが例年より早く
雨もこの辺はそんなに大きな雨が降ることもなく
去年より6日早く梅雨が明けたということです。

 昨日午前中お参りで外に出ましたが
ラジオで入道雲が出ていると聴いて
空を見上げたらすごい入道雲でした。

 入道雲は夏の象徴です。
今朝の大分合同新第第一面に豊後高田市長崎鼻の
太陽が燦々と輝く青空の下で元気なひまわりの花の
カラー写真が掲載されていました。

 梅雨が明けて夏が来たな
さあ外に海や山に出かけようと
いつもはテンションが一段以上に上がるのですが
今年の夏もコロナ禍で何ともままなりません。

 梅雨明けといいます。
梅雨が明けて夏が来たということで
今はもう夏ということです。

 明日という字は明けの日明るい日と書きます。
明るく開けた日ということです。

 「仏法に明日はない」というお話です。
明日がある明日があるといって先延ばしにしていたら
仏法に遇うことなしにこの人生を終えるということで
仏法聴聞は今ここが大事なんだよとの思し召しです。

 確かにそうです。
私たちはまだ来ない明日を生きてるわけではなくて
今ここを確かに生きているのです。

 ただ「明日がある」というフレーズはいいですね。
希望があります夢があります。
 「明日がある」と開かれた明るい世界があるから
今を生きていけるのですね。

 今を生きるといって
私が生きている今の現実は
必ずしも自分の思い通りのものではありません。
 自分が予定していなかった
思いがけないこともわが身に起こってまいります。

 でも思い通りにならないなかも生きていけるのは
そこに明日があるということです。
 全く自分の思い描く明日ではありませんが
明日の私を思います。

 阿弥陀さまの本願念仏のご法義でいいますと
阿弥陀さまのお浄土が私に用意されているのです。
 お浄土から無量光のおはたらきで
私の迷いの闇を破って開かれた明るい世界があるから
この迷いの闇のなかも生きていけるというのです。

 私に開かれた明るい世界のお浄土が
つながっているということです。
 ポツンと今があるのではなくて
昨日があっての今、今があっての明日です。
無量寿のいのちのつながりです。

 私一人で生きているのではなくて
あなたがいて私がいる私たちの世界です。
 人間だけではなく
あらゆる命が共々につながり生かされているのです。

 梅雨が明けて夏になります。
この夏も秋になり冬になって春が来てまた夏を迎えます。
 順繰り順繰りの繰り返しのようですが
それぞれの季節のつながりです。

 大きな大きな南無阿弥陀仏のいのちのつながりのなかに
お互い生かされて今日の一日も生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.7.14)


円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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