「地震大変でしたね。被害はありませんでしたか」
2022-01-22
夜中に震度5強の大きな地震があって
皆さんもびっくりして飛び起きたのではないでしょうか。
お家の被害はありませんでしたか。
お見舞い申し上げます。
昔から「地震・雷・火事・親父」と
恐いものの代表格のように言われていますが
今は親父の権威はどこへやらで
家族の中で一番肩身の狭い思いをしているのが
親父とも言われます。
火事や雷も恐いですが
地震が本当にこの身に迫って恐いと思うのは
阪神淡路大震災や東日本大震災を
見ているからでしょう。
震度5強の大きな地震は全国ニュースです。
NHKだけでなく大分の民放テレビ三局も
地震発生時からずっと放送をしていました。
少しでも情報が入ることで安心できます。
こうした有事には警察消防など行政機関の迅速な対応が
必要不可欠で頼りになります。
目に見える被害で水道管の破裂が方々でありましたが
ここは水道局の出番ですし
現場の交通整理に警察が即応していました。
平素からの備えです。
避難訓練も含めて
緊急事態の体制準備です。
個人的には日頃から防災避難備品を
備えておくことですが
慌てます。
いつも手元に置いておけばいいのでしょうが
中々そういうわけにはいかず
地震発生後にバタバタ自分に必要不可欠なものを
バックに入れ直したものです。
お朝事の皆さんも同じ地震に遭って
心配な中にもお参りされて
お勤めの前に坊守に
「どうでしたか」と尋ねていましたが
本当に有難いことです。
「地震に遭って被害はありませんでしたか」
ということです。
お互いさまですが
声をかけてくださることの有難さです。
十分な備えもできず
何ができるかといってできることしかできない私です。
被害に遭う時は遭っていかねばなりませんが
声かけしてくださる人がいるということです。
「どうでしたか」と声をかけ合う中で
お互いに支え合って生きていける頼もしさ安心です。
お念仏の声で今日一日も始まります。
阿弥陀さまのお喚び声に励まされて
南無阿弥陀仏のいのちのつながりのなかに
共々に生かされて生きてあることを
有難く聞かせていただきます。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.1.22)

「月影の いたらぬ里は なけれども ながむる人の 心にぞすむ」
2022-01-21
今朝早く4時前にトイレに起きて
勝手口から新聞を取りに外に出たら
すぐ傍の小さな庭のバラの木が
くっきりと黒い影を落としている様を見て
法然聖人の有名な「月影の」という歌を思い出し
スマポでさっそく検索しました。
「月影の いたらぬ里は なけれども
ながむる人の 心にぞすむ」という歌です。
その時に月を見たわけではありませんが
6時の梵鐘を撞きに外に出ると
西の空にまん丸お月さんが輝いて見えました。
月の光に照らされて
黒い影が見えたのです。
仏説観無量寿経に
「光明遍照 十方世界 念仏衆生 摂取不捨」
(光明はあまねく十方世界を照らし
念仏の衆生を捨てたまわず)
<阿弥陀仏の光明は広く全世界を照らして
念仏する衆生を光の中に摂め入れ
決してお捨てにならない>とあり
拝読の御文章さまにも何度も出てきます。
阿弥陀さまの光明は十方世界を遍く照らすと
すべての人に等しく届いているといわれますが
次に「念仏衆生摂取不捨」とあります。
月の光が至り照らさない人里はないけれども
月の影ばかり見て月を見る人がないように
念仏の人を摂め取って捨てない
阿弥陀さまのおはたらきを知らないままに
阿弥陀さまのお慈悲を喜べないならば
これほどもったいないことはないと
聞かせていただきます。
十方衆生を照らす阿弥陀さまの光明のおはたらきを
いただくのは念仏の衆生といわれ
お念仏を申す身にお育ていただくのです。
法然聖人の歌で
「月影のいたらぬ里はなけれども」と
十方世界に月の光は届いておるけれども
「ながむる人の心にぞ住む」と
その月を眺める人の心にこそ
届けられているというのです。
阿弥陀さまの智慧と慈悲の光明のおはたらきに
遇うなかに摂取不捨の利益がいただけるのです。
6時の梵鐘を撞く時には辺りは薄明るく
外灯の光もあって方々の月影は目立ちませんでしたが
偶々4時前に目が覚めてということです。
この時間も月は出ています。
そしてこれから太陽が昇ってきます。
光あふれるなかを今日一日も
お念仏を申して生かされて生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.1.21)

「御霊前」か「御仏前」か
2022-01-20
昨日のお話の続きになりますが
ネットで仏事に関する情報を検索する人が多くあるようで
お葬式のおつつみの表書きについて
「御霊前」か「御仏前」かということを聞かれます。
御霊前と御仏前の違いをネットでは
四十九日までは御霊前でそれ以降は御仏前といって
但し「浄土真宗は御仏前です」とありました。
御霊前というのは49日間の中陰の期間は
先に逝かれた方は霊魂として在るといい
49日間の中陰を終えてあの世が決まり
仏に成るということで御仏前というそうです。
何かウンと頷けそうですが
お葬式にお参りするといって
亡き人のご縁でご本尊の仏さまにお参りするのです。
浄土真宗のご本尊の仏さまは阿弥陀如来さまで
御仏前にお参りして仏さまにお供えする意味で
「御仏前」なのです。
浄土真宗の教義からいっても
お念仏の人は命終えるとき
南無阿弥陀仏のおはたらき一つで
阿弥陀さまのお浄土に生まれて
阿弥陀さまと同じさとりの仏さまに成るのですから
そのことからも「御仏前」でいいのです。
日頃から仏教浄土真宗のご法義を
聞かせていただくことが肝要です。
聞いていないから迷うのです。
阿弥陀さまは迷う私を見抜かれて
必ず救うと南無阿弥陀仏のおはたらきです。
日々の生活のなかで
周りの人から「昔からしてるから皆がしてるから」と
言われて意味も分からず
そのまましていることってありませんか。
仏事について何でも分からないことは
お寺のお坊さんに尋ねましょう。
仏教入門のご縁になったらいいですね。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.1.20)

仏事のことはお寺のお坊さんに聞きましょう
2022-01-19
30年ほど前のご法座のご縁で布教使の先生から
「今一番大きな宗教団体は何だと思いますか」
と問われました。
浄土真宗かな禅宗かな新興宗教かななどと
考えを巡らせていたらその先生が
「今一番大きな宗教教団は南無テレビジョンの
テレビ教です」と言われたのです。
今でも日常会話の中で「テレビでこう言ってた」と
テレビでいうことが全て本当のことのように
言ったりしてませんか。
先日あるお家のお参りのご縁で
水引のついたのし袋のことで
「黄色い水引ののし袋はどんな時に使うのですか」
と尋ねられました。
悲しみ事は白黒か双銀で喜び事は赤白といいますが
黄色い水引ののし袋です。
おつつみのことでネットで調べたら
色々様々なことが書いてあって
結局はっきり分からないので
専門のお坊さんに質問したというのです。
今は何でもネットなんですね。
ネット情報はすぐ即座に入手できる便利な情報です。
今一番の宗教はネットの言うことを聞く
南無ネットのネット教でしょうか。
テレビよりネットを見ている人が圧倒的に多く
ありとあらゆる情報が氾濫する中で
最終的に対面で聞くというのは
迷っているということでしょう。
ネット情報では同じ問いに答える人で
その回答が様々に違うのです。
権威ある専門家が答えることもあるでしょうし
これまでの色んな経験知から答える方もいるでしょう。
そしてそのネット情報の見方聞き方によって
それぞれ受け止め方が違うのです。
共通するのは自分の都合に合わせて見る聞くことで
自分の都合の良い回答を選択採用するのです。
ネット情報で知識がある人は
お坊さんが知らないことも知っています。
そしてネットでこう言っていたとお坊さんに反論します。
仏教は仏さまの教えであり
仏さまの仰せに信順してそのまま聞くことが肝要です。
そして仏事のことは身近なお坊さんに聞くことです。
お寺お寺でまた地域の風習で違いもあります。
周囲の意見に迷うときはお坊さんに聞いて
「円光寺のご院家がこう言ってた」と言って
お坊さんに責任を取ってもらえばいいのです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.1.19)

つながるいのちをみなともに生かされて生きてまいりましょう
2022-01-18
今朝西の空に真ん丸お月さんが
清かに輝いて見えました。
大自然の営みの中に生かされている
有難さを思います。
南太平洋のトンガ諸島近くで海底火山が爆発して
大変なことになっています。
現地の被害の状況などが
海底ケーブルが爆発で遮断され通信ができないことで
分からないことが多く不安な事態です。
私たちの現代の生活はスマホやパソコンなしでは
考えられないほどそうした機器に依存しています。
遠方海外の人とも瞬時に画像を通して
交信ができる時代です。
人流が極端に制限されるコロナ禍にあって
ネット社会は新たな生活様式を生み出しました。
通信機器の障害は
一人家に居て当たり前にできていたことが
一瞬にしてできなくなるのです。
大きな不安になり恐怖となって
日常生活に支障をきたすことになります。
便利な生活が一転して
不便な生活に陥ることになるのです。
近年地震津波や台風豪雨災害で
私たちは大自然の脅威を
身をもって思い知らされてきました。
これからトンガの被害状況などが明らかになって
復興と検証が始まると思いますが
千年に一度というような大噴火ともいわれます。
46億年の地球の有史以来地殻変動は常に続いており
この時代私たちはこの地球に生きているのです。
今ここに大きな地震や噴火が起きて
地形が変わってしまうような
大自然の営みの中に私たちは共に生きているのです。
自己中心のものの見方考え方で
自分の思うように生きようと
自分のことしか考えない見ようとしないで
自分のもの他のものと自他分別する中に
戦争をしたりミサイルを飛ばしたりして
地球の自然環境を破壊し続けている
私たち人間です。
この地球は人間だけのものではなく
生きとし生けるものが恵まれた命を
共に生かされて生きるいのちの古里です。
トンガには行ったこともないし知り合いもいませんが
共々につながってあります。
人人のつながりだけではなくて
すべてのいのちがつながってあるということです。
南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
みんないっしょにつながってあるのです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.1.18)
