「大きくなったら何になる?」(2010年アーカイブ)
2022-02-06
あるお寺の保育園の園長先生でご院家さんが
園児たちに「大きくなったら何になる?」と
聞いたそうです。
思い思いの答えが返ってきたといいます。
「小学生になる」という声があがると
みんなから「小学生」「小学生」と声が上がったそうです。
「小学生の後は何になる?」「中学生」と
「中学生の後は?」「高校生」と
「高校生の後は?」「大学生」との声で盛り上がります。
今の子どもは偉いなあ
人生設計がしっかりしていると感心したといいます。
「じゃあ大学生の後は?」と聞くと
ちょっと考えて「大人」と
大人になるという返事です。
「じゃあ大人の後は?」
「おじいちゃんおばあちゃん」と。
「じゃあおじいちゃんおばあちゃんの後は?」と聞くと
ちょっと答えが出てこない様子です。
その時にある女の子が「お骨になる」と言ったそうです。
というのは、その女の子のおばあちゃんが
つい最近亡くなって火葬に行って
おばあちゃんがお骨になったことを見たんだそうです。
「お骨になる」と聞いて
他の子はきょとんとしています。
何のことかよくわからない様子です。
そしたらある男の子が
「園長先生違うよね。
お骨じゃなくって仏さまに成るんやねえ」と
言ったというお話です。
園児の殆どはそこのお寺のご門徒さんということですが
その女の子のご家庭は門徒だけれども
あまりお寺へのお参りがないといいます。
一方その男の子は日頃からおじいちゃんおばあちゃんが
よくお寺にお参りされるということです。
宗教的情操といいます。
今家庭に宗教的な雰囲気空気がなくなったといわれます。
お家にお仏壇はあるけれども
いつも閉まっているほこりをかぶっているといいます。
お仏壇を通して大切なものを
子や孫に伝えていくことが難しくなっています。
私たちもその大切なものを伝えられて
今ここに仏さまのご縁をいただいていますが
そのご縁がなくなってきているという
一つの象徴的なお話です。
さあ皆さんどうですか。
皆さんのご家庭で子どもさんにお孫さんに
今のようなお話をしたときに
何と答えてくれるでしょうか。
大事なことです。
私たちは死んだらおしまいではなかったですね。
確かにこの命は終えますが
そのまんま阿弥陀さまのお浄土に生まれさせていただいて
仏さまに成らせていただくのです。
そのこと一つ聞かせていただくのが
仏さまのご縁なのです。
お聴聞とはここなんですよね。
南無阿弥陀仏のみ教えに
私たちは「私一人じゃなかった」
あなたもあなたもあなたもみんな
阿弥陀さまの大きな大きな願いの中に
生かされてあるいのちであると聞かせていただいて
日頃からお念仏申す生活をさせていただくのです。
死んでから後のことではなく
この日常に「あなたに会えて本当によかった」と
共に手を携えてお念仏を申しつつ
阿弥陀さまのお浄土へお浄土へと
お念仏の道を人生を歩ませていただきます。
阿弥陀さまの大きなお慈悲の中にあることを
今一度私のこととして聞かせていただきました。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2010.2.6)

お念仏の一門(2010年アーカイブ)
2022-02-05
昨日横綱朝青龍が引退したことで
大相撲の一連の騒動が一段落ついたことです。
この騒動を通して大相撲の伝統的な世界観を
学習しました。
一門という組織のあり方です。
二所ノ関一門とか高砂一門とか時津風一門とかです。
一門とは一つの門という組織です。
一門を裏切ったとか、一門を出て行ったとか
破門したとか
厳しい言葉が飛び交って
一門の結束力組織力が垣間見えたことです。
仏教は成仏道といって
迷いの私がさとりの仏に成る仏道を説く教えです。
仏道を歩む実践者が仏教徒です。
浄土真宗では門徒といいます。
一門の輩(ともがら)であり
同じ浄土真宗の門流に属する人のことをいいます。
仏教の教えそのものを門といい
大きく浄土門と聖道門の教えに分かれます。
自ら厳しい修行を積んで仏のさとりを得る仏道を
聖道門といいます。
浄土門は阿弥陀さまのお浄土に往生して
さとりの仏さまに成らせていただく仏道です。
仏道の仏門には破門とか排除とかは一切ありません。
その人人がどの仏道を選んで歩むのかが大事で
仏さまはその人人を選びません。
浄土門のなかにも浄土真宗があり、浄土宗があり
時宗がありと、仏道はさまざまですが
浄土真宗は浄土門のなかでも他力浄土門といい
阿弥陀仏の本願力のおはたらき一つで救われる仏道で
私が仏に成らせていただく仏道はこの道だと
聞かせていただきます。
聖道門の修行をされている方や浄土門の他流の方を
悪く言うのではありません。
学問修行を積んで仏道を極めている人は
本当に尊いお方です。
末通った修行の一つもできない救われようのない私を
救わずにはおかないとすーっとお立ちになって
南無阿弥陀仏「必ず救うまかせよ」とおはたらきの
阿弥陀さまがいつもご一緒してくださる
浄土真宗のご法義です。
南無阿弥陀仏のおはたらきに信順まかせて
お浄土に往生させていただくお念仏の仏道です。
今日も南無阿弥陀仏とお念仏を申して
共々に歩ませていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2010.2.5)

恵方巻か豆まきかそれとも・・・それぞれのお念仏を申す生活です
2022-02-04
今日は立春です。
暦の上では春になるということです。
旧正月という言い方があって
中国の春節だけでなく韓国やベトナム、シンガポールなど
多くの東アジア諸国では
春を迎えるこの時期に一年がスタートする習わしです。
昨日は節分でした。
ラジオで「節分には豆まきか恵方巻か」と
リスナーの声を聞いていました。
縁起物です。
一年季節の移ろいの中で
節目節目に先人が行ない伝えてきたものです。
私の方も夕食に巻寿司をいただきました。
普段のお店の巻寿司ですが
「恵方巻」と包みに書かれてありました。
新聞の広告の恵方巻を見るとすごいですね。
海鮮ものをはじめ色んな食材が入っています。
一般的な巻寿司は卵焼きと干瓢が入って
元々シンプルで食べやすい食べ物ですが
他の店との差別化をはかることで
具が多くなり今は豪華な太巻きです。
恵方という方角に向かって一人黙って一本食べ切るのが
恵方巻の流儀といいますが
食べ切らないと恵方のご利益がなくなるのでしょうかね。
大変です。
そこで一本を二分の一にした
ハーフの恵方巻がでてきたり
お菓子屋さんはロールケーキを食べましょうと
売り出しているそうです。
商魂たくましいですね。
縁起物ということで
節分の日に色んな巻寿司がお目見えして
これもまた楽しんだらいいですね。
恵方巻か豆まきかそれとも何もしないか
それぞれの選択それぞれのお念仏を申す生活です。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.2.4)

新庄ビッグボス「もったいない」
2022-02-03
今日2月3日は節分です。
長い冬を終えてこれから春に向かう季節の移ろいのなかで
明日が暦の上で立春という大きな節目になります。
2月に入ってスポーツイベントがいよいよ花盛りで
明日から北京で冬のオリンピックが始まり
球春といってプロ野球のキャンプもスタートしました。
今シーズンの一番の注目は日本ハムの新庄監督でなく
ビッグボスです。
何かパフォーマンスばかりが目立っていますが
しっかり選手を見ているということが
キャンプ初日を終えてのコメントに伺えました。
選手の練習をみていて
「もったいない」との発言です。
「練習のための練習に終わっている」
「いつも試合に臨んでいるような気持ちで
練習してほしい」と辛口のものでした。
「お念仏も練習しないと声に出ないし
身につかない」というお話を思い出します。
お念仏も練習だというのです。
お朝事お同行の皆さんは
ナマンダブナマンダブと自らこの口から
お念仏が出てくださる
お念仏を申す身にさせてもらっていますが
最初はお念仏を声に出すのは
難しかったのではありませんか。
お念仏の練習の成果お育てをいただいて
今この身のままにお念仏申す身にさせていただいたのです。
お念仏を申す練習です。
どこで練習できるかというと
この御仏前です。
それも一人では中々声に出ませんから
今日のような皆さんご一緒のお寺のご縁が最適です。
つられ念仏です。
周りの皆さんにつられてお念仏が声に出るのです。
そして皆さんのお家のお仏壇です。
お墓もお念仏の練習場所です。
いつでもどこでもお念仏申していいのですが
これは難しい。
だからこそお寺でお仏壇でお墓で
お念仏の練習をさせてもらうのです。
ただ「練習のための練習ではもったいない」との
新庄ビッグボスの言葉を借りれば
「お浄土に生まれたい」と思って
南無阿弥陀仏とお念仏の練習をするといいでしょう。
浄土真宗のご法義は
お念仏は救いの条件ではないといいます。
お念仏を申したから救われるというのではなく
お念仏のお心を聞いてくれよというのです。
お念仏を申す身にさせていただくと
平生ふっと出てくださる南無阿弥陀仏のお念仏が
そのまま阿弥陀さまのお喚び声と聞こえてきます。
「我にまかせよ必ず救う」と
南無阿弥陀仏のおはたらきです。
「いつも私が一緒だから大丈夫安心して
あなたの命精いっぱい輝かせて一緒に生きて往こう」と
頼もしい声に聞こえてきます。
南無阿弥陀仏はこの身に付いたら離れません。
今日も大きな声でお念仏の練習ができました。
ありがとうございます。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.2.3)

慎太郎節
2022-02-02
石原慎太郎さんがお亡くなりになって
すぐニュース速報がかけ巡り
テレビのトップ新聞の第一面の報道です。
芥川賞作家で政治家という紹介です。
常にマスコミの注目されるところで
強面(こわもて)という印象です。
強面というと
何か暴力で周りを威嚇するイメージですが
石原さんの強面ぶりは「慎太郎節」と言われる
歯に衣を着せぬ言論にあります。
テレビ討論での立場の違う人との議論や
記者会見での報道記者とのやり取りです。
どこまでも自論を押し通し
相手の意見を聞くことなく
「そんなことも知らないのか」などと
勉強不足だもっと勉強して出直して来いとばかりに
上から目線で容赦なく相手の意見を封じ込め
徹底的に打ち負かす論鋒です。
個々の受けとめ方で好き嫌いがはっきりしますが
これが一部大衆受けするんですね。
思っていることをよく言ってくれたとばかりに
胸をなでおろす人がいたりして
だからマスコミも取り上げるのです。
ぶれない発言の政治家の真骨頂と
一部称賛されるところです。
今は多様性ということがよく言われます。
私たちが生きているこの社会には
いろんな人がいて価値観もさまざまで
考え方や意見もそれぞれ違います。
自分と異なる意見も尊重して聞くなかで
気づかされることもたくさんありますし
主義主張の違いで他者を排除するようなことでは
かえって自らを小さな世界に閉じ込めることにもなります。
私のことに引き当ててみて
自己主張を繰り返し自己保身のための議論に終始して
結局は虚しい気持ちに陥ることになることって
ありませんか。
仏法を聞くというのは
真実ありのままのわが身を聞かせていただくことです。
阿弥陀さまの智慧の光に照らし出された
煩悩具足の凡夫の身をそのまま知らされて
慈悲のおはたらきでそのまま救われるというのです。
どこまでも自己中心に生きて
自分の思い通りにならない現実に悩み苦しみ呻吟する
私たちを見て取った阿弥陀さまは
南無阿弥陀仏のおはたらきで
「わが名を称えて大きな世界に生まれて来いよ」と
喚び通しに喚んでくださっています。
南無阿弥陀仏のお心おはたらきを
聞かせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.2.2)
