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お念仏を申す生活法話

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真実まことのお念仏

2021-08-12
 今日は8月12日で明日から三日間のお盆の期間に入ります。
この2年続けてコロナ禍で<盆おどり大会>ができません。

 いつもでしたら早朝5時から二十人ほどの男衆の皆さんが
お寺に集まり盆おどり大会の準備設営をしてくださいます。
 今の時間は囃子方の舞台ができ周囲に提灯を巡らせて
「準備万端整いました」ということですが
今は思うようにいきません。

 何か不思議な感覚を覚えます。
2年2度のお休みですが
もうずっと前からしていなかったような感じです。

 盆おどり大会だけでなくお寺の法要行事をはじめ
地区の行事や市県国の行事世界中の行事が
この一年半従来通りのことができていません。

 歎異抄の御文です。
「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと
 みなもつてそらごとたはごと、まことあることなきに
 ただ念仏のみぞまことにておはします」
(わたしどもはあらゆる煩悩をそなえた凡夫であり
 この世は燃えさかる家のように
 たちまちに移り変わる世界であって
 すべてはむなしくいつわりで
 真実といえるものは何一つない。
 その中にあって、ただ念仏だけが真実なのである)
のお言葉をいただきます。

 この世のことはすべて移り変わって行くもので
私たちが日々行うこともそうですが
私自身も日々変わって行ってるという
まさに無常の世界に生きているなかにあって
お念仏だけが真実変わらない
私たちの依りどころというのです。

 移り変わり行くこの世にあって
お念仏はそのまま変わらず残って行くというのです。

 この私の命もいつか必ず終えていかねばなりません。
ただ真実まことのお念仏は残って行くのです。
 ニセモノは変わり行きますが
ホンモノはそのまま残って行くのです。

 お念仏は私がこの世に生まれるずっと前から変わらず
私を必ず救うとお喚び声の仏さまとなっておはたらきです。
 そして私がこの命を終えてもこれからもずっと
お念仏のご縁をいただくことの有難さを思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.8.12)

繰り返しのようで新たな一日の歩みです

2021-08-11
 ご門徒皆さんのお家にお盆参りをしています。
新院は主に三佐地区外のご門徒を
私は三佐の地区内をお参りさせていただきます。

 平素の月参りは新院がしていますから
三佐のご門徒に年に一度のお盆のお参りで
久しぶりに会えるということです。

 一年ぶりの再会で懐かしい思いがするかというと
昨日も一昨日もいつでも会っているという感覚で
ご一緒に御仏前に座らせていただきます。

 何か去年と同じコピーような気がします。

 各地区ごとにお参りの日を振り分けて
昨日は地区内では一番遠方の4区のお参りでした。

 お参りは午前中いっぱいかかりますから
途中トイレにも行きたくなります。
 小学生の頃トイレに行くのを我慢してという
苦い経験を思い出します。
「トイレを貸してください」と
お家のトイレを借りれば済むことですが
中々言い出しにくくて今は公園のトイレを
よく使わせてもらいます。

 昨日のお参りの近くには大きな野球場があり
トイレもきれいで立派に整備されています。
 そこのトイレを昨日も使わせていただきました。
はっと思い出しました。
 昨日もと言いましたが
去年も同じトイレを使ったのです。
 同じような時間だったと思います。
同じお参りする地区でお家の順番も同じということで
去年と同じ時間を過ごしているようでした。

 最後のお参りのお家で
私と同年輩の方と一緒にお参りしました。
 去年も声かけをして
仕事を退職して家に居るということだったと思い出しつつ
「今どうしてますか」「仕事を辞めて家に居ます」と
去年と同じような会話の繰り返しです。

 何かいつもの繰り返しのようで
一年が経ちました。
 今年もコロナ禍でマスクをつけてのお参りです。

 私たちの日々の生活は何かいつも繰り返しのようですが
こうして今日もお朝事のご縁から始めさせていただける
お念仏を申す生活です。
 往生浄土の人生を確かに確かに歩ませていただく
有難さです。

 今日はちょっと曇っていて
雨でも降るんでしょうか。
 どんな一日になるのでしょうか
お念仏申して私にできることを
精いっぱいさせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.8.11)


お盆参りでのお話から

2021-08-10
 今ご門徒皆さんのお家にお盆参りをしていますが
次から次にお参りするようなことで
ゆっくりお茶をいただいてお話することができません。

 挨拶程度のちょっとした会話ですが
最近の共通の話題にコロナワクチンの接種があります。

 昨日あるお家で
「ご院家さんもうワクチン接種されましたか」と聞かれ
「高齢者ですから早く済みました」と言うと
その人は2回目を打ったが
何も症状がなかったというお話でした。
そして「日頃の行いが善いから」と付け加えられました。

「そうでしょう」と応えましたが
私は2回目の後で高熱が出ました。
 若い人ほど熱が出ると聞いていましたし
周囲からも「若い証拠!」などと言われ
自分も若い人の部類かなとも思ったりして
悪い感じはしませんでした。

 正常な体にワクチンという異物が入るのです。
人それぞれに色んな症状があってもおかしくありませんが
大丈夫と言われてもやっぱり不安です。

 気休めと言いますが
「日頃の行いが善い」と自分を肯定し
「若いから」とまた自分を肯定します。

 肝心なことは症状が出た時の対応です。
熱が出たら解熱剤を飲むとかゆっくり休むとかして
熱を冷ますということです。
 症状によっては医療機関に相談することも
大事です。

 症状が出る出ないということを含めて
私たちは生きているということです。
 生きているなかで
今をどう生きるのかということです。

 お念仏のみ教えに聞かせていただいて
今ここをこの私が生きるのです。

 南無阿弥陀仏とお念仏を申すなかに
私一人で生きているのではなくて
隣の人も隣の人もみんな共々に生かされて生きていると
聞かせていただきます。

 阿弥陀さまの大きなお慈悲の中に共々に
生かされて生きている真実です。
 お念仏に生かされたこの身です。
明日の命も分からない何が起こるか分からない
不確かな不安の中にあって
南無阿弥陀仏とお念仏を申して生きていけるのです。

 南無阿弥陀仏「まかせよ、必ず救う」と喚んでくださる
阿弥陀さまの仰せにすべてをゆだね
往生浄土の道行きを今日も一日
私にできる精いっぱいのことをさせていただき
生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.8.10)


コロナの中も南無阿弥陀仏のお慈悲の中です

2021-08-09
 東京オリンピックが閉幕しました。
日本選手のメダルラッシュもあって
ずっとテレビ観戦していましたが
今日からどう過ごそうかと
祭りの後のオリンピックロスです。

 オリンピックに集中していたら台風が来ていました。
九州に上陸しましたが強い雨をもたらして
すっと通り抜けていきました。

 お盆参りの最中ですが
雨も上がり強い日差しもないなかに
今日はお参りができそうです。

 オリンピックが過ぎて
明日からは台風で一日延期になった
夏の高校野球甲子園大会が開幕します。

 甲子園が終わるとパラリンピックです。
次から次に大きなイベントが続きますが
今はコロナ下ということを忘れてはいけません。
 オリンピックの中も甲子園大会の中も
パラリンピックの中もずっとコロナの中です。

 感染者が急増して医療現場が逼迫し
感染対策に苦慮するなかを
私たちは今生きています。

 私たちの日々の生活ぶりはそれぞれ違いますが
オリンピックの中も甲子園大会の中も
パラリンピックの中もそしてコロナの中も
私たちはみんな阿弥陀さまの大きなお慈悲の中に
共々に生かされて生きていると聞かせていただきます。

 自分一人が頑張って生きているのではありません。
私の隣の人も隣の人も
日本人だけだはなく世界中の人が
人間だけではなく生きとし生けるものすべてが
お慈悲の中に共々に生かされて生きていると
南無阿弥陀仏とお念仏申すなかに聞かせていただきます。

 南無阿弥陀仏のお念仏の声になって
阿弥陀さまがいつでもどこでもどんな状況の中にも
ご一緒してくださるお念仏のご法義です。

「念仏の声を世界に子や孫に」です。
私が世界に子や孫にと言っているわけではありません。
 南無阿弥陀仏のお心が私に聞こえ届けられて
私の口から出てくださるお念仏となって
世界に子や孫に伝わり届けられていくのです。

 今日一日も南無阿弥陀仏のお慈悲の中に
共々に生かされて生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.8.9)


「まあ、どこにおってもお慈悲の中だからのう」

2021-08-08
 今日は仏教壮年会の8月の例会で
法語カレンダー今月のことばのお話です。
 8月のことばは
「まあ、どこにおってもお慈悲の中だからのう」です。

 お念仏を喜ばれて生きたお方が
命終えてご往生される少し前のお話です。
 入院されていた病院にお見舞いに行くと
「いつまでここにいるのか」と尋ねられ
「お楽になるまでもう少しご辛抱ください」言うと
「まあ、どこにおってもお慈悲の中だからのう」と
つぶやくように言われたといいます。

 浄土真宗の救いは「摂取不捨の利益」といわれ
苦悩の衆生を必ずおさめ、まもり、すくうという
阿弥陀さまの大慈大悲のお心のことです。

 仏さまのお徳おはたらきは智慧と慈悲ですが
阿弥陀さまは大慈悲の親さまといわれ
私たちを一人子のように見まもってくださり
「まかせよ救う」の南無阿弥陀仏のおはたらきで
どんな人も分け隔てなく等しく救うというのです。

 慈悲の慈は最高の友愛の情をもって
惜しみなく楽を与えようとする心
悲は苦しみや悲しみに同感して苦を取り除こうとする心で
抜苦与楽のおはたらきです。

 阿弥陀さまは南無阿弥陀仏のお喚び声となって
苦しみ悩み迷いの中に生きる私に
いつも寄り添ってくださる仏さまに成られたのです。

 病気になりたくないですよね。
長生きしたいですよね。
 でもこの身は我が身でありながら
思い通りにならなくて
いつまでも若くありたいけれども老いていくし
病気になることもあれば
必ず命を終えていかねばなりません。

 日々の生活も思い通りにならなくて
失意のなかに落ち込むことが多くあります。

 老いの時も若き時も健康な時も病む時も
この身このままで救われていくご利益が
お念仏のお救いです。

 わが身を煩わしわが心を悩ます煩悩こそが
私の苦悩の原因であり
煩悩が無くなったところが
仏さまのおさとり涅槃の境地ですから
煩悩をいっぱい併せ持った私は
仏さまから遠い遠い存在なのです。

 阿弥陀さまは罪悪深重煩悩具足の私を見て取って
この身そのまま救うという仏さまに
成ってくださったのです。

 罪悪の人こそ救うと聞いて
悪いことをしてもいいということではありません。
 阿弥陀さまのお慈悲のお心を聞くほどに
毎日他のものの命を奪って生きている私ですが
共に阿弥陀さまのお慈悲の中に生かされていると知って
ご恩報謝の生活を精いっぱいさせていただきましょう。

 生きても死んでもお慈悲の中です。
どんな死に方をしても往生のさわりとはなりません。

 8月盆月です。
皆さんの懐かしい大切なお方が帰ってみえるといいます。
 私たちの浄土真宗のご法義でいいますと
先に往かれた方はお浄土に往生され仏さまになって
いつでもどこでも還って来ているといいます。

 今日も皆さんのこの口から出てくださるお念仏
南無阿弥陀仏のお喚び声となってご一緒です。
 南無阿弥陀仏の大きな大きなお慈悲の中に
今日一日も生かされて生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.8.8)


円光寺
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