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お念仏を申す生活法話

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大谷さんロス

2024-11-01
 大リーグワールドシリーズは
ロサンゼルスドジャースがニューヨークヤンキースを
4勝1敗で破ってワールドチャンピオンに輝き
大谷翔平選手の2024年シーズンが終わりました。

 「最後まで野球ができて
最高の結果で終わってよかった」と大谷さんです。

 これまでエンゼルス在籍中の6年間は
10月のポストシーズンに出ることができず
ドジャースに移籍して待ち望んだ10月決戦でした。

 大谷さんのおかげで
今年は10月も大リーグ中継を楽しめました。
 3月の開幕からほぼ毎朝
大谷さんの活躍で一日が始まったようなものです。

 日本国内では政治とカネの問題や闇バイトの事件など
暗いニュースが続きますが
大谷さんのニュースは
日本国中みんなを笑顔にしてくれました。

 日常生活の中で誰彼の別なく
これまで野球を知らなかった興味がなかった人までも
大谷さんの話題でみんながつながったような現象です。

 お念仏のご縁つながりです。
生きとし生けるものすべてを分け隔てなく救う
南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
あなたも私も皆共に生かされて生きていると
聞かせていただきます。

 今日から大谷さんロスですが
お念仏申して今日一日も
生かされて生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(202411.1)

朝から数字とにらめっこ

2024-10-31
 毎朝体重・血圧を時々血糖値を測ります。
私の朝のルーティンです。

 数字とにらめっこです。 
いつもの数字でほぼおさまりますが
極端に数字が上下すると気になります。

 食事に関係することで
昨日の食事をチェックしますが
詳しい分析までできるわけでもなく
気持ちがちょっと塞いで
一日のスタートになる日もあります。

 50代半ばで体調を崩すまでは
一年一度の健康診断の時のことが
毎日の日課になりました。

 健康に留意することは
自分自身のためであり
自分でできることはつとめてしていますが
数字一つで安心したり不安になったりする私です。

 親鸞さまの御和讃(正像末和讃)に
「如来の作願をたづぬれば 苦悩の有情をすてずして
   回向を首としたまひて 大悲心をば成就せり]
(阿弥陀仏が願いをおこされたお心を尋ねてみると
 苦しみ悩むあらゆるものを見捨てることができず
 何よりも回向を第一として
 大いなる慈悲の心を成就されたのである)
とあります。

 阿弥陀さまは私たちを苦悩の有情と見抜かれて
必ず救うとご本願をたてられ成就されたといいます。

 有情とは感情を持つ生きとし生けるものをいい
自らの感情思いに左右され
良かった悪かったとはからっては
苦悩を繰り返す私たちのことです。

 自分中心の思いはからいに振り回され
苦悩し迷うこの私を
阿弥陀さまは煩悩具足の凡夫と見抜かれたうえで
「われにまかせよそのまま救う」と
南無阿弥陀仏のおはたらきでいつでもどこでも
私にご一緒してくださっているのです。

 歳を重ねて老病死の不安を抱えていくなかで
この身に不具合なことが多くなりますが
南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
お念仏申して老病死のわが身の事実に向き合い
苦悩の有情をそのまま大悲のお心で抱きとり
お救いくださる阿弥陀さまに安心して
今日一日も生かされて生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(20241031)

先ずはご法義ありき

2024-10-30
 <生き残りをかける神社仏閣>をテーマに
テレビの報道特集がありました。

 現代の少子高齢化社会にあって
寺院と同じように
神社も氏子の減少があり参拝者も減って
経営が難しく
今後の存続が危ぶまれる事態に
なっているとのことです。

 そこで活路を見い出すべく
いろんな工夫をしている神社が紹介されていました。

 吉凶を占いご利益を祈願する神社ですが
元々あるそれぞれの神社のご利益をヒントに
その時どきの社会のニーズ人間の都合に合わせて
新たなご利益を提示して
参拝者を増やそうという試みです。

 平安時代にはなかった自動車の安全祈願はもとより
各種スポーツの勝負事とか芸事ではM1での活躍とか
具体的にご利益を期待して祈願するということです。

 ある神社では高齢化多死社会にあって
神道式の葬儀<社前葬>をすすめ
海洋散骨や樹木葬の事業を行っているといいます。

 さて私たちのお寺では?
一般的にいわれるご利益を売りものにする
宗教ではありません。
 何か高飛車な言い方に聞こえるかもしれませんが
先ずは仏教のご法義ありきのお寺なのです。
 お念仏のみ教えを聞かせていただく道場をと
先人が開いてくださった私たちのお寺の意義です。

 お念仏のご法義は
社会のニーズ人人の都合に対応するものではなく
自分中心の都合思いはからいに振り回されて
苦悩し迷う私たちのありのままのすがたを知らせて
そのまま救うという
南無阿弥陀仏のお心おはたらきの教えです。

 火宅無常の常に変わり行くこの世の中にあって
「ただ念仏のみぞまこと」と親鸞さまはお示しです。

 お寺のお参りが少なくなった
門徒の寺離れが進んで
これからのお寺はどうなるのかと心配ですが
先ずはご法義を伝えていくことが肝要です。
 日々の生活の中で人数の多少に関係なく
お念仏のご縁づくりを一つ一つ進めていくことです。

 どのような状況になろうとも
ホンモノは残ります。
 それがホンモノのホンモノたる
お念仏のおはたらきです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(20241030)

お念仏のご縁づくり

2024-10-29
 コロナ禍でお寺のご法座もお休みになったり
内容を変更して少人数に限定したご縁が続きましたが
最近は近隣のお寺が共同参画する
従来の大人数の法要大会が復活してきました。

 お寺や町中の大会場で
阿弥陀如来のご本尊を中心に
多くの人が集いお念仏のご縁をいただきます。

 平生のお寺のご縁にお参りする方が減り
門徒の寺離れがいわれるなかで
大きな大会をすると
たくさんのご門徒衆がお参りされます。
 本堂いっぱいに参集された人人の光景を見ると
「まだまだお寺は大丈夫!」などと思いますが
果たしてどうでしょうか。

 お寺参りの高年齢化がいわれますが
昔からのお同行です。
 そして声かけもお寺の役員さんを中心としたもので
いつもの顔ぶれです。
 それはそれで有難いことで
お寺を支えてくださる
皆さんの存在は頼もしい限りですが
これからのお寺のあり方を考えるときに
この現状に安心していいものかと思います。

 親鸞聖人の御和讃(浄土和讃)に
「弥陀初会(みだしょえ)の聖衆(しょうじゅ)
 算数(さんじゅ)のおよぶことぞなき
 浄土をねがはんひとはみな
 広大会(こうだいえ)を帰命せよ
(阿弥陀仏の最初の説法の座に集まった聖者がたは
 とても数え尽すことができない。
 浄土に生れようと願うものはみな
 あらゆる聖者がたをその場に集める
 広大会に帰命するがよい)とあります。

 広大会とは阿弥陀仏の別名の一つです。
阿弥陀さまの南無阿弥陀仏のおはたらきは
浄土を願う人びとをご法座に集めるといわれます。

 人が多く集まるなかにいると
それだけで何か喜ばしいことのように思いますが
『蓮如上人御一代記聞書』には
「一宗の繁昌と申すは、人のおほくあつまり
 威のおほきなることにてはなく候ふ。
 一人なりとも、人の信をとるが、一宗の繁昌に候ふ」
(一宗の繁昌というのは、人が多く集まり
 勢いが盛んなことではない。
 たとえ一人であっても、まことの信心を得ることが
 一宗の繁昌である)と
ご縁に集う一人一人が信心をいただいて
お念仏申す身になることこそが大事なのだと言わます。

 人が多く集まることがご法座の目的ではありません。
一人でも多くの方が仏法聴聞のご縁に遇って
本願を信じお念仏申す人にお育ていただくことを願って
日々の生活の中でお念仏のご縁づくりを
一つ一つさせていただきたいと思うことです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(20241029)

お念仏申す政治

2024-10-28
 衆議院選挙の結果
自民公明の連立与党が過半数に届かず
これからの政局について
様々な憶測が飛び交っています。

 政権運営をはかるために
どの政党と連立を組むかなどと
いくつもの組み合わせが示されますが
要は各政党の主義主張を基にした
現実的な連立対応であり
中々以って困難な問題点があります。

 「小異を捨てて大同につく」といい
部分的な違いは無視して
根本的に重要な点での一致をとるということですが
政権奪取の数合わせを大同とし
政党の根本たる党是を小異とするなら
いずれ大同が崩れ去る結果になることは
これまでの政局で見せつけられたことです。

 各政党の批判対立に終始するのではななく
政党間で主権国民のためにより良い政策を論じ合い
政治に反映してほしいと思います。

 お念仏申す政治の有り様です。
阿弥陀如来のご本願のお心を聞き
お念仏申されるような社会をめざして
あなたも私も皆共に如来のお慈悲のなかに
生かされて生きていきたいものです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(20241028)

円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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